自己を統御する意志

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            10981.jpg   by Anna


    死は辛きものなり
    生はさらに辛きものなり
    真の祈りはまたさらに辛きものなり

    この夜
    星星に祈りを捧げる者のなかに
    辛い生活に絶え切れず
    死を望む女がいた
    草むらに横たわる自身の姿を夢見て
    神に死をたまわることを願い
    一心に祈りを捧げた

    死の恐怖よりも
    生の激しさが道を迷わせ
    闇のなかの鳥のように
    生きることへの指針を得ることができなかった

    女は訴えた
    たったひとにぎりの幸せを望んだだけなのに
    なぜわたしの願いは叶えられなかったのでしょう?
    たったひとつの愛を望んだだけなのに
    なぜわたしに恵みを与えてくれる人は現れなかったのでしょう?
    たった一本の花を部屋に飾り
    時を潤す安寧を望んだだけなのに
    なぜわたしの庭には一本の草も一本の花も咲かなかったのでしょう?

    絶望の淵から飛び込んで
    死の滝壺に身を投げることを厭いません
    死がわたしの隣人であり
    安らかな眠りの介添人です

    女の祈りはむなしく星星の光のなかに消えて
    誰も願いを聞き届ける者はいなかった

    生も死も
    時の背に乗った命の理
    祈りは時の穂がたわわに実ること

    貧しい女は祭壇に一つのものを捧げた
    わたしの全財産です
    一本のろうそくを
    燭台にさして火を点した
    ろうそくの火は明明と辺りを照らした

    女は揺らぐ火のなかから不思議な神慮の言葉を聞いた
    体を覆うぼろ布はそのままだったが
    冷たい手足に温かさが蘇り
    目には光が宿り
    吐く息も香しく
    唇にも赤く血が通い
    寒寒とした心に火が点った

    女ははっと思って振り返ると
    亡霊さえおののくこの夜の暗闇のなかに
    白いしかしはっきりとした自身の魂が浮かび上がっているのを見た
    震えていた自身の像は
    やがてまぶしいほどに光に包まれて
    女を指差すように腕を上げながら
    笑みを浮かべてなにかを語ったように思われた
    風がそよぐと陽炎のように消えた

    女は今までと違う口調で星星に言った

    わたしは気づきました
    わたしには美しいものを見る目があり
    音楽を聞く耳があり
    高貴な香りを嗅ぐ鼻があり
    言葉を語る口と喉があり
    風を知る肌があり
    農具を振り下ろす手があり
    大地を踏み固める足があり
    さらに
    真理と善悪を見わける心があることを知りました
    これ以上の幸せがありましょうか
    貧しき者は幸せです
    富める者より心が豊かだからです

    さらに女は告げた
    わたしは愛されることばかりを求めていました
    愛されることより愛することのほうが大切だと気づきました
    わたしの愛を待っている人が
    わたしのまわりになんと多いことかと気づきました

    さらに女は続けた

    愛は一本道のように
    迷うことのない誠の道です

    愛することにためらいを感じ背を向けてはなりません
    舵手のいない船のように
    悩みの風に流されてはなりません
    愛は光です
    愛は水です
    愛は土です
    愛は実のなる木です
    大地に降る悔恨と懺悔の雨を養分に繁茂する麦の穂です
    愛は種です

    わたしは幸せです
    貧しきゆえに悪徳に汚れていないからです
    一片のパンの滋味を知っているからです
    山から湧く清水のなかに
    清らかな精霊の涙が混じっていることを知っているからです
    貧しきゆえに
    このぼろ布を縫った針と糸が
    わたしの宝であることを知っているからです

    さらに女はもどかしそうに告げた

    わたしは感謝を忘れ
    祈りを忘れ
    願いが叶わなかったことを恨んで呪詛し
    怒りの鎖に縛られて
    不幸の岩を砕くために叩き続けて手を血だらけにし
    自分の命を傷つけて
    他の人の命を傷つけて
    穴のあいた桶で水を汲むように
    ひたすら愚かな行為を繰り返してきました
    瓦石の山から金銀を探すような
    愚かな人生を繰り返してきました
    獣のように見境もなく
    欲望の肉を食らって森を彷徨う
    人間の皮を着た畜生のようでした

    天を仰ぎ再び膝を屈して
    三度礼拝の儀式を終えた女は
    白白とした夜明けまえの冷たい空気のなかを歩いた
    朝露が葉のうえを転がり
    葉の先端で草の涙のようにぶら下がった
    草露を自分の涙と感じた女は
    手を伸ばし湿らすと髪を撫で顔をさすり
    葉を唇に当てて命の雫を飲んだ

    靄がかかりぼう洋とした景色に
    どこからか鈴の音が響いて
    懐しき生まれ育った故郷を思いださせて女を慰めた

    シャンシャンシャンと鈴音が大きくなって紫紺の牛車が近づいた
    牛車に乗る白い花の冠を被った君は
    聡明な目で道を見て
    しなやかな腕は優雅に舞うように牛車をあやつる
    首には清浄の白玉の飾り
    耳に翡翠の輝きをしつらえて
    唇は乙女のようにふくよかな初々しさ

    君は貧しき女をみとめて言った
    かの女
    髪は金色に波打ち
    目には星が宿って光を帯び
    頬は陽のように赤く熱を持ち
    口は今しも詩を歌うかのごとく
    鼻筋は峰のように真直ぐに伸びて
    高貴な顔立ち
    しかしその浅ましきぼろ布を纏い
    裸足の姿はいかにも不釣り合い
    女よ
    尋ねたきことあり
    そなたは何者

    女は手を合わせ礼をしながら答えた

    高貴な人よ
    天地のなかの麗しき景色を眺めたる君の目を汚し、
    また慈悲の御言葉をかけたる君に贈る物なにも無きに
    せめてつたなき詩を贈り
    卑しいわたしの答えといたします

    女は歌った

    人の世は無常と言いし古(いにしえ)の
    月の光も川面にうつる暗闇に
    風の姿も見えず音も無く
    死に人現れわれを誘う

    この夜が別れと今生の
    祈りし懺悔し星星に
    あわれと思いし神の袖
    覆い包んでよみがえり

    神の証は知らねども
    露の雫に命の法が
    幾年月を迷いしわれの
    鉄鎖の縛りを解きほぐす

    女は妙なる美空に染み入るような
    美しい声で歌った

    君はその妙音に感嘆し女の後を受けて歌った

    神が住まいし山頂の
    福の風が吹きそよぎ
    川面に流れる調べの笛と
    女の妙なる声は調和せり
    われを忘れて聞き入れり.....

              

    ~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~


    "謎の微笑"を浮かべる優美な女性像「モナ・リザ」の作者は、同時に、鬼神もひしぐ猛々しい戦士たちがせめぎ合う「アンギアリの戦い」の作者でもありました。流水の模様に目を凝らし、植物の生態を見つめ、鳥の飛翔を分析するレオナルドは、同時に死刑囚の顔を食い入るように凝視し、解剖のメスを振るうレオナルドでもあったのであります。ともかく、世間の常識や規則では、推し量ることのできぬ巨大なスケールの持ち主でありました。そして、世俗的規範を超出しゆくその自在さは、まさに自由人にして世界市民の精髄をのぞかせており、イタリア・ルネサンスならではの伸びやかで活気に満ちた時代精神を、独自の風格に体現しております。その超出を可能ならしめたものこそ、類まれな「自己を統御する意志」であったのではないかと、私は思うのであります。「自分自身を支配する力より大きな支配力も小さな支配力ももちえない」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』)と述べているように、彼にとっては、どう自己を統御するかが万事に先立つ第一義的課題であり、その力が十全に働いていさえすれば、いかなる現実にも自在な対応が可能であり、現実次元の向背、善悪、美醜などは、二義的、三義的な価値しかもたない。彼は、かつての主君イル・モーロを滅ぼしたフランス王の招きにも平然と応じていますが、傍目には、それが志操一貫に欠けるように見えても、この巨人に関しては、無節操とは似て非なる、寛大な度量の大きさを物語っているようであります。
    こうしたレオナルドの"超俗"のかたちは、仏法で説く「出世間」の意義に親近しております。「世間」とは差別(違い)を意味する。「出世間」とは、すなわち利害や愛憎、美醜や善悪などの差別を超出して、それらへの執着から離れる意義であります。仏教の最高峰といわれる法華経では「令離諸著(諸の執着から離れさせる)」等と記されております。とはいっても、仏典の極理に、「離の字をば明とよむなり」とあるように、単に煩悩への執着を離れるのではなく、超出したより高い次元から諸の煩悩を明らかに見て、使いこなしていく、強い主体の確立こそが、「出世間」の真義であります。

                   池田大作<レオナルドの眼と人類の議会>
                   ボローニャ大学での講演/1994年6月1日



    強い信仰への意志こそ、最良の自己統御の方法。自己管理が幸福への直道です。

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