牧口先生の反戦 2

    牧口先生の反戦活動は、多くの問題を含んでいます。
    戦前戦中の大善生活座談会では、戦勝、国威発揚の発言が叫ばれています。
    創価では、このような事実を積極的に公表しませんが、すでによく知られた事実です。創価は平和団体であるとアピールするのであれば、歴史的事実を十分に会員に説明する責任を負うものと思います。

    以前、わたしは座談会でこのような歴史的事実から、創価教育学会は反戦を訴える団体ではなかったと結論しましたが、慌てたように顔色を変えた壮年の担当幹部からは、白い目で見られるだけでした。不勉強な人間にはカンフル剤が必要と考えただけ!
    青年部を応援する前に、他人に立派な指導をする前に、自分の信仰を証明してくださいと思う。反論して、わたしに注意の一つもしてみなさいと思う。法の絶対性と、創価に欠けていると思われる使徒的使命の歴史的考察を把握してくださいと思う。少なくとも幹部と言われる人には必須でしょうに。青年部を応援するというのなら、明確に答えるべきです。ただ和気藹々と仲良くする前に、自らの信仰がいかに強固であるかを、その人格とともに証明すべきです。わたしたちは、明日をも知れぬ命なのですから。今、つつがなく正義を叫んでいても、明日は堕地獄かもしれません。口汚く罵る退転者になるかもしれません。なにも保証はありません。わたしは曖昧な姿勢を許したくない。
    創価ではよく「魂の独立」と言います。魂とは何だろう。大聖人から譲り受けた正しい信仰の継承ということでしょうか。わたしは同時に思想の自由、権威を否定した精神の独自性を意味するものと考えています。座談会では、意地悪くこのことについても質問しました。数が至上の功利主義、低級な功徳論を得意気に主張したことに腹がたったのです。まるで餌をちらつかせた見え透いた仏法論です。仏法は勝負だと言う。そういう切り文のみを用いて話しするのは、経済的裕福さに価値を置き、利益が功徳と考える、魂の独立とは全く関係がない低俗さだと思います。


    戦争当時、良心的兵役拒否、反戦で獄中につながれた人は数多くいましたが、これらの人々と一緒に、反戦の括りで論ずることは不可能と思います。牧口先生のご心中は、大変複雑だったと推察します。日々刻々急を告げる戦況と並行して、日々刻々、先生の思想も進化したと思います。特に獄中にあって、平和への思いが強く意識されるようになったのではないか。

    松岡幹夫氏は、東洋学術研究のなかで反論(牧口常三郎の戦争観とその実践的展開)を試みていますが、いかにも苦しいというのが偽わざる感想です。視点としては新鮮であり、妥当であっても、「牧口先生が弾圧されたのは、宗教的理由からであり、反戦運動からではない」という学術的常識的見解を覆すまでには至っていないと感じました。
    しかし、松岡論文は大変示唆に富むものです。牧口先生は、獄中で亡くなられるまで教育者でいらっしゃいました。当たり前と言えば当たり前ですが、わたしが言う意味は、かつて小学校に奉仕したように、会員を、しいては万人を、教育的に導く慈悲深き教師であったということです。これは、仏教全体、別して言えば法華経の精神に適うものです。理想に生きながらも、一夜にして体制が変化するような極端な変革を望まず、漸進的、現実的な方法を模索する生き方です。一歩間違えば、体制側に利用されやすいという危険はありますが、「人生地理学」で説かれた人道的競争という社会進化論へのアプローチは、遠い未来を展望したものであることも考え併せると、牧口先生は、どこにでもいる、家族のことを、誰よりも心配し、思いやるような優しいおじいさんだったのではないでしょうか。急進的改革を望まない一市民の感覚を持った穏やかなおじいさん。争いは好まなかったけれど、非情な時代だったからこそ、主張を曲げることができなかった。どこまでも諭すように、教育的に会員に接しようとしていました。そのような慈愛を、威厳に満ちた顔写真を見ながら、わたしは思ったのです。創価の創立者として、これ以上の人はおりません。仏智と必然的歴史を証明するかのように、創価が誕生したのです。壊滅的な暴力を受けても、その内面には妙法で説く蘇生力、レジリエンス、悪に対する反抗心が秘められておりました。

    デカルトが「方法序説」の冒頭で明らかにした理性への信頼は、精神の自由を獲得する革命的原理の最初の宣言でもありました。仏には世雄という異名があります。古い思想を壊し、革新的思想を社会に流布する英雄の登場を待ちわびる時代は、不幸な時代に相違ありません。牧口先生の苦闘を知れば、よく理解できます。神の啓示への服従を否定できなかった「方法序説」に、懼れずに付け加えると、妙法信仰者にとって、理性は妙法への祈りという行動によって、真価を発揮するのですね。牧口先生の平和への祈りは、その後の創価の発展につながり、絶対的反戦を含む多彩なアプローチとして展開されつつあります。なにより現実を再構築する勇気が必要ですが、政治的スタンスに顕著に表れているように、保守的であって、革新的ではありません。
    また思想(魂)の独立と権威の否定はセットです。創価には絶対的権威など存在しないし、もしも安易に絶対性を強調するのであれば、思想の独立性を否定するものと考えます。はっきり言えば、組織においては「絶対」の言葉の使用ほど慎重にならなければならないのです。また組織において「絶対」はないことも銘記すべきです。わたしたちが求めている魂の独立と解放があるとすれば、個人的生活の場での一人一人の祈りと努力による結果です。
    牧口先生は絶対的非戦論者だったのか、なかったのか。またほとんどの会員が、軍部の圧力を恐れて退転した事実をよく検証しなければならないでしょう。これは創価のためというより、自分自身のためにです。松岡氏ははからずも、牧口、戸田先生だけが、なぜ宿命に屈しなかったのかを、「絶対的法に殉ずる使徒的意識」と述べています。

    思想は自分自身のより大きな可能性に気づかせてくれます。妙法の真の力用は、他者との関係性のなかにあります。この発想はごく単純であるがゆえに堅固であり、人間は人間のなかでしか生きられないとする、わたしたちが日常で感じている当たり前の感覚からくるものです。
    「人生は無常である」という問題提起自体が、すでにイデオロギーです。さらに自己と他者の関係性を説くこと自体、イデオロギーです。人間は政治的動物なのです。今までどれほど力関係に左右されて、正義を失ってきたことだろう。賢明さと言われるものは、ごく少数の人間の徳でしかありません。仏教徒だからというだけで、どうして賢明だと言うことができるでしょうか。
    その他大勢の幹部など気にするな。
    独立自由を愛して暗闇を一人歩め。
    犀の角のように。
    生きるって大変だよね、思い通りにならないし☆Che!


    ♡わたしがまだ2才のころ、父と母、姉とわたしの4人組のチームは、鳥海山に登山しました。わたしは父の背中に縛りつけられるように固定され、ほっぺたを赤くしていました。2才にしては平均より大きかったと聞いていたから、父も大変だっただろうなと思われ、また家族がそれぞれ勝手なポーズをとるスナップ写真を見ると、思わず笑みがこぼれます。
    八合目付近に残る雪渓と噴火湖、手を入れれば切れそうなぐらい冷たかった水は、家族の話を聞いてうらやましく感じました。わたしには、全く記憶がないんですもの。当たり前のことですけど。

    母は今よりずっとスマートだったし、美しく輝いて見えるのはどうしてかしら。きっと若さのせいかもしれませんね。姉は小さいときから、飛び跳ねるように元気が良かった。だから、わたしはいつも振り回されていたけれど、わたしと違って、食は細いし、好き嫌いも激しいし、運動量のわりにはカロリー摂らないから、あんまり大きくなれなかったのね。平均身長っていうところだから、不満はないと思うんだけど。でも、姉の度胸には敵わないとしても、心臓の大きさは、わたしの方が大きいと思う。大きさと強さは関係ないかもしれないけど、大きいと持久力はあるでしょう。姉は、鮭とイクラが大好物。鮭さえあれば、あとは何もいらないっていう鮭っ子みたいな人。
    恐いもの知らずの姉の厳しい鑑定結果を申し上げますと、広布一筋のチョ~強信。感情の起伏激しく、感激屋。うれしくっても悲しくってもすぐ涙を流すから、涙には慣れっこになりました。正義心も鉄のように固い。トレンディ―・セレクションとセレブリティーに憧れていながら、自分だけの倹約委員会を作り、節約に励み、預金のすべてを広布基金と財務にする猛女。創価とお友だちでいるのは大変なことよ。こういうタイプ、ハガネの女というカテゴリーに入れておきますね。おかげさまで、結婚するとき、貯えは0、0、0。
    「どうしてきれいさっぱり、0なんだろう?」と、頓珍漢なことを言っていたけれど、みんなお友だちにあげたでしょう? そういうところは、大らかでこだわりがないというか、きっと貧乏という意味なんて知らない人生になるんじゃないかしら。なんとかなるもんですね。わたしには真似できませんけど。真似しようとも思いませんけど。

    故郷の三面川(みおもてがわ)河口には、義経伝説が残されています。兄に追われて、平泉に逃れた道筋に、ゆかりの神社があるのです。伝説の多くは、人々の願望が反映されています。歴史は川の流れのように悠久に続き、その時代に生きた人々の悲喜交々の感情も、霞のなかにかすんで見えるだけですが、今思いを馳せて涙するのも、現在をより良く生きる人間のために、与えられた特権ではないでしょうか。歴史を作り動かすのは人間自身なのであり、歴史は歴史家のためにあるのではなく、学ぶためにあるのですから。

    豊かな水量を誇る三面川のほとりに立てば、その源流の清浄さに触れてみたいという感情が、自然と湧き上がってきます。河口の水も源流の水も、水に変わりはありません。
    同じように、鏡を合わせたように、大御本尊さまの命を写し取った個々のご本尊さまにご祈念していても、源流である大御本尊さまに思いを寄せるのは、普通の感情ではないでしょうか。わたしは今まで、ご本尊さまから流れる無尽の水脈を、一度も疑ったことはありません。その水脈の途中に、人為的な堰や障害がいくつもあることに、不信を抱いているのです。

    人間は、厳格な教義だけで生きられるものではありません。厳格さだけを求めたら、人間性も失いかねません。また正しいというだけで、すべてに耐えられるものでもありません。矛盾しているようですが、そもそも割り切れないぐらい複雑な心の襞を持っている人間は、正義を求めながら、悪を容認し、愛を求めながら、憎しみに心震わせる、避けがたい宿業があることに気づいています。
    母のように優しい顔をした第六天の魔王は、何のために存在するのでしょう? 存在には必ず理由と動機があり、さらに無価値なものはありません。
    究極の悪は、正義と善を証明するためと解説しても、何らおかしくありません。正義と悪は、うりふたつなのです。コインのように表と裏の違いだけなのです。悪は克服しなければならない。しかし、悪が永遠に消滅することを意味しているわけではないのです。

    この地球上で、利己的、排他的、暴力的生物といったら、人間以外におりません。その最悪の生物が地球を支配しているという甚だしい生物自身の思い上りは、やがて、森や海や山といった偉大な自然の力によって、裁かれるでしょう。人間を主に、自然との関係性を鋭く追求した「人生地理学」は、未来のための書です。20代で、このような書に取り組まれ、完成された哲人教育者を、天才と言わずして、どのように顕彰したらよいのでしょう。
    身近な郷土から世界への関係性を謳い、世界からの恩恵を郷土のなかに見る。郷土とは世界のことであり、世界は郷土の繁栄なくしてありえません。個が全体を表し、全体は個に収斂する。牧口先生は、妙法に出会う前から、仏教的求道者であられました。一身のなかに、宇宙の法則が遍満すると説く妙法と、「人生地理学」で説かれる真理への洞察過程は、酷似しています。具体例の提示は、この書を読む対象が学者ではなく、現場教育者を想定したからだと思います。発表当時、アカデミズムな学会から無視されたことでもわかります。凡知は凡人の称賛を受け、英知は理解されずに葬られようとします。
    先生が、普遍的命題に思い当たったのは、きっと学問的啓示をうけたからに相違ありません。そこに見られる経験と理論と実証は、はからずも仏法が説く三証〈文理現〉の巧みな援用と言ってもよいのではないでしょうか。

    親交があった柳田國男は、民俗学の祖とも敬称されていますが、柳田は過去を溯り、牧口先生は未来を志向しました。体制がまず弾圧するのは、未来志向の人間であることは、よく考えてみればわかることです。さらに、暴力的人間の目的は、郷土と郷土に生きる人間の絆を破壊することです。牧口先生の人道的競争は、未来予言でもありました。不思議にも中道的英知でもあることに、先生の思索の深さを偲ばずにはいられません。平和実現の本質は、郷土に平和を実現することです。したがってそこから、わたしたち創価のあるべき平和運動も見えてくるのではないでしょうか。

    波乱の人生であられた先生は、人間の最低の品性である暴力と戦われました。他を傷つける暴力は、自己の命をも傷つけ、無残にも回復できないダメージを与えます。どんな小さな暴力も認めてはならないし、法律や人間が作った規則や制約はごまかすことができても、生命の法の因果律は決して許しはしない。
    聖者はただ道を説くだけでなく、社会のなかで教育的に導く使命を担っています。わたしは、獄中におられた先生が自らの思想を深化させ、大聖人の懐に入り、国家への間違った奉仕から国家を超えた反戦へ、深く決意されたものと考えています。


    義経伝説が残る神社は、漁師の無事故と海への畏敬から祀られているのでしょう。この神社に行く細い道の入り口には、小さな公園があり、釣りに来た人たちの駐車スペースになっています。春になれば桜が咲き、川の水面に風にのって花びらが散る。やがてこの花びらは、荒々しい日本海へ流れ、儚い夢をみる間もなく、海底に消えていく。
    わたしは、桜花が好きです。日本人であることに誇りを持ちたいと思えば、桜のイメージが重なります。
    牧口先生をはじめ、明治人は、桜花のような気品を色濃く感じさせます。
    新渡戸稲造の「武士道」に、桜について書いた美しい一節がありました。

    『武士道は、その生みの親である武士階級からさまざまな経路をたどって流れだし、大衆の間で酵母として発酵し、日本人全体に道徳律の基準を提供したのだ。もともとはエリートである武士階級の栄光として登場したものであったが、やがて国民全体の憧れとなり、その精神となったのである。もちろん大衆はサムライの道徳的高みまでは到達できなかったが、武士道精神を表す「大和魂」という言葉は、ついにこの島国の民族精神(エートス)を象徴する言葉となったのだった』
    『私たちの愛する桜花は、その美しい装いの陰に、トゲや毒を隠し持ってはいない。自然のなすがままいつでもその生命を捨てる覚悟がある。その色はけっして派手さを誇らず、その淡い匂いは人を飽きさせない。草花の色彩や形は外観だけのもので固定的な性質である。だが、あたりに漂う芳香には揮発性があり、あたかも生命の息吹のように、はかなく天に昇る。それゆえにあらゆる宗教的な儀式において、乳香と没薬は重要な役割を演じるのである。香りはどこか霊的な働きがある。(中略)
    ならば、これほど美しく、かつはかなく、風の吹くままに舞い散り、ほんの一瞬、香を放ち、永久に消え去っていくこの花が「大和魂」の典型なのか。日本人の魂はこのようにもろく、滅びやすいものなのだろうか』
    <訳:岬龍一郎・PHP文庫>

    牧口先生の高潔な精神は、信仰者の備えるべき品性と思います。また、現在の日本人が失った最も尊い魅力なのではないでしょうか。潔き師に仕え、潔き生を全うする桜花のような品格こそ、師弟の美しさだと思います。
    自己犠牲の精神を、過去の遺物として否定するのは、まるで花枝を折るように簡単なことです。しかし、菩薩の救済行為は、自己への限りない信頼に立った自己犠牲なのではないでしょうか。不軽は多くの犠牲をはらい、救済の道を歩んだのではないでしょうか。牧口先生も妙法という宝珠のために、自己犠牲の潔さで命を全うしました。
    わたしは、歴史からの贈り物を粗末に扱うことに、ためらいをおぼえます。創価は自身の過去を、正しく認識する必要があります。
    美徳と言われ、品格と言われるものは、自律心を敬い、養う、自己完結の潔さだと思う。と、わけわかんないことを言う、わたし自身の品格のなさ。失礼しました。

    『同じ一樹に陰を求め、同じ一河の流れを汲む』
    女に生まれ、女であることに喜びを見出し、運命を拓きゆく優しき賢者になるための心得と戒めています。一途さは男女の区別なく、人間としての最も高貴な徳性と、赤くなった木々の葉が散る、移りゆく季節のはざまで、ふっと感じた。
    何事も変転するなかで、変わらないものこそ尊い。


    Heroine's Journey - Dwayne Ford





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    「創価教育学会の回想」

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    牧口先生の反戦 1

    11月18日は 牧口先生のことを、いつも思います。
    殉教について、深く考えます。

    歴史はいつも勝者の歴史です。勝者の都合がよいように書き換えられるのが、わたしたちが学ぶ歴史であることは常識です。創価にあっても、都合の悪い歴史を隠蔽することなく、客観的視点に立った歴史認識が、創価の普遍性を高めるものだと思います。一般会員にすれば過去のことなど、たいして気にかけていません。少し虫に食われていたり穴があいていても、おおよそ、道理で編まれた大きな風呂敷に包まれた平和団体であれば、それで十分なのです。しかし創価大学を中心とする歴史研究者の皆さんは、そういうわけにはいかないでしょう。文献からすでに多くの事実を知り、明らかにしていると思いますが、なぜ大胆に論文を公表しないのか不思議です。
    歴史は積木と同じでなないでしょうか。毎日、わたしたちは一個一個の積木を積んでいるのです。その一個の積木が、他と調和することなく不安定であれば、いつかは崩壊します。たった一個のパーツによって、すべてに影響を及ぼしかねません。創価の未来は青年のもの。青年らしくどこまでも率直で清くいたいという願いを、裏切ることがないようにしていただきたいと思います。

    「人間革命・第7巻」で戸田先生のご生涯を展望し、次のように書かれています。

    『戸田城聖の全生涯を、つぶさに展望するとき、彼の原点ともいうべきものを、一体、どこに求めたらよいのかとなると、にわかに判定は下しがたい。
    彼は、教育者でもあったが、いわゆる世間並みな教育者ではなかった。事業家でもあったが、いわゆる事業家ではなかった。宗教家でもあったが、通例の宗教家からは、遠いところにいた。また、民衆指導者でもあったが、それは破格な民衆指導者であった。
    彼の存在は、これらの世間並みな範疇を破ったところに、その独創性を深く持していたのである。こうした独創性が、どこから生まれたかとなると、人は天与の才能や、性格に帰したがるが・・・その天賦の資質を思う存分に発揮させたものは、いったい何であったかに思いをいたすとき、戸田城聖という一個の人間における原点に近づくことができるように私には思える。
    独創性とは、人真似を許さぬところのものである。そして、未聞のあるものを生むところの力である。特徴などという安易な解釈が、色を失うところにあるものだ。特徴のある人間は、なるほど無数にいるが、真に独創的な人間は、まことに稀である。また、その独創的な人間が、一事を成し遂げるかどうかとなると、更に稀であるといってよい。
    戸田城聖は、人真似の及ばない完璧な独創性をもっていた。この独創性が、いつ、どこで、力となって確立されたか、それを果てまで追究していくと、どうしても、あの獄中の、崇高にして峻厳な一瞬を見のがすことはできない』


    戸田先生は、分かりやすくダイナミック、人間的魅力に満ちた傑出した指導者だった。民衆を包みこむ大きな人格は、過酷な獄中を生き延びた体験に支えられたものだと思います。創価は、三代の独創的指導者によって、現在があります。次世代のリーダーもまた、破格な行動哲学を持ち、民衆を愛し、創造的言葉を発する人間でなければなりません。
    戸田先生は、牧口先生を述懐し、次のように言われています。

    images11.jpg『私が先生のことを申し上げると、話が尽きなくなります。なぜなら、そのころ叱られていた連中の大将だったからであります。私と先生の仲は、親子といおうか、師弟といおうか、いい尽くせないものがある。私は、先生の本当のものを知っていた。<中略>
    私は、先生とはまったく違う。先生は、理論の面から御本尊を信じ切っていました。私は、実証の面、功徳の面で信じている。
    先生は謹厳実直だったが、私はルーズだ。先生は目白に、私は目黒に住んでいた。先生は非常に勉強家なのに、私はさっぱり勉強せぬ。また先生は酒は飲まないが、私は大酒飲みだ。
    これだけ、まったく正反対の性格でありながら、先生と私の境地は、ぴったり一致していた。私の思想内容は、先生からたくさんいただいている』

    創立者としての牧口常三郎は、明治人の気骨を漂わせた風格ある先生でした。激しい改革への情熱を持つ厳父でありながら、ことのほか優しい市井の宗教教育者でもありました。その清廉な魅力と業績は、創価の父としていつまでも光り輝き、語り継がれていくでしょう。創価がこれから、どんな困難な時代を迎えようと、原点として忘れてはなりませんね。

    高校生のとき、創立記念日特集の聖教記事のなかで、わたしは始めて、戦中戦後の学会史を知りました。聖教は、毎日でなくても読んではいたし、そういうことを知る機会はそれ以前にもあったと思うのですが、関心があまりなかったというか、わたしも学会3世の平均的な姿勢を外れるものではなかったように思います。
    そのとき読んだ牧口先生と宗門のやりとりのなかで、疑問に思った文章がありました。

    『昭和18年6月に学会の幹部は登山を命ぜられ、「神札」を一応は受けるように会員に命ずるようにしてはどうかと、二上人の立ち合いのうえ渡辺慈海師より申しわたされた。
    御開山上人の御遺文にいわく、
    「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」
    この精神においてか、牧口会長は、神札は絶対に受けませんと申しあげて、下山したのであった。しこうして、その途中、私に述懐して言わるるには、
    「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、おそれるのである。いまこそ、国家諫暁のときではないか。なにを恐れているのか知らん」と。
    まことに大聖人のご金言は恐るべく、権力は恐るべきものではない。牧口会長の烈々たるこの気迫ありといえども、狂人の軍部は、ついに罪なくして罪人として、ただ天照大神をまつらぬという“とが”で、学会の幹部21名が投獄されたのである。このとき、信者一同のおどろき、あわてかた、御本山一統のあわてぶり、あとで聞くもおかしく、みるも恥ずかしきしだいであった。牧口、戸田の一門は登山を禁ぜられ、世をあげて国賊の家とののしられたのは、時とはいえ、こっけいなものである』
    (創価学会の歴史と確信)


    『一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである』という言葉が納得できませんでした。わたしは、この初歩的な創価の歴史の一歩を、何も疑問に思わず通過していくまわりの人を、うらやましいと思いました。なぜ、わたしはつまずいているのだろう、なぜ疑問に思わなければならないのだろう、と自分の信仰さえ疑いたくなるような思いに駆られました。 一宗とはつまり、日蓮正宗のことであり、しいては日蓮仏法のことと解します。宗教は、国家という小さな枠を越えた普遍性を持っているのではないでしょうか。その日蓮仏法が滅びても、国家が滅びるのを嘆くとはどういうことなのでしょうか?
    信仰は滅びても、日本国は滅びてはならない、という意味にしか考えられかったからです。「一国が滅びることではない。一宗が滅びることを嘆くのだ」と言えば、納得できたかもしれない。父に恐る恐る聞いたら、よくそういう疑問に行き着いたねと褒めてくれた。こういう質問をする相手は、母にするより父にするにかぎるよね。母は深く考えることをしないから、つまり戦争反対ということよと結論だけを言って、説明がないまま終わってしまう。
    わたしはそれ以来、しっくりいかないものを胸に納めて、考え続けてきたといってもよいのですが、こういう疑問を言う人は、今まで出会わなかったので、わたしだけだろうかと思ったりする。でも、疑問を持ってよかったと思う。当時の異常な集団ヒステリーのような独特の天皇観、愛国思想について、知ることができたからです。
    「小説・人間革命」で、山本伸一は、戸田先生と始めて出逢ったとき、愛国者と天皇観について質問しています。当時の青年にすれば、国家と国民のあるべき関係について、多くの問題意識があったと思いますが、軍国主義から民主主義へ、天地がひっくり返るような社会変化のあとで、明確な答えを出す人間がいなかったのではないでしょうか。

    第二次世界大戦は、明治維新の尊皇攘夷が、形を変えて昭和に復活したとも言えなくもありませんが、元々、天皇を中心とした政治体制は、日本人にとって親しみやすいものでした。儒教的忠義心と国家神道の国体精神は、民族を形作るルーツのようなものです。柔軟な進取の国民性が活発だったのも、民族のアイデンティティーが、しっかりあったからとも考えられます。島国根性と蔑まれることが多いのですが、民族の独自性こそ誇りにすべきです。戦後教育は、戦争の反省から、この民族の独自性をかぎりなく薄めるものだったのではないかと思います。それがよかったのかどうか、わたしにはわからないけれど、世界市民としての自覚とのバランスが大切なのではないでしょうか。
    言葉が通じない他民族の侵略と国家の興亡は、陸続きの大陸では頻繁にありました。日本が侵略しにくい島国であったことも、大聖人の世界観に影響を与えていると思います。同じ日本人に迫害を受けたことは、強い主張と教団を作る上で好都合だったようにも思えてきます。仏法流布が国土を選ぶことは仏の基本的信念、つまり仏の生命に内在する法則のようなものです。
    明治の信仰者には、宗派は相違していても、ある意味心情のどこかに通底した志向があったように思います。それは、天皇を中心とした日本の歴史と国柄への尊敬です。明治維新は日本的な革命ですが、その革命を経験した社会の絶対的理念ともいうべき存在が天皇でありました。それは人と法が一体の宗教的概念にも等しい存在で、おかすべからざるものでありました。普通の宗教はほとんど人法体一で、宗祖あるいは指導者はその教義を体現しています。それと同じく、天皇は日本国そのものであり、国家の根本的精神を具体的に表出していました。

    父親の答え。
    「一宗が滅びることを言っているわけではない。一宗と一国、どちらが大事かというような考えでは間違った解釈。なにより、国が滅び、民衆が苦しむのを嘆いているのだ。妙法の目で見れば、国が滅ぶのがわかっているからだ。大聖人の仏法は決して滅びない」
    強い信仰のある者が、創価の期待を背負って答えている。

    わたしは今は、父親とは違う考えを持っています。
    一宗は滅びても、日本国は滅びてはならない。牧口先生の言葉を、素直に、そのままの意味に解釈しています。
    世界大戦時代、英米に日本は決して負けてはならない。靖国に参拝し勝利を祈りました。天皇に忠誠を誓いました。
    戦争に勝利するためにはどうすればよいか?
    日蓮が説くように、天照大神に祈念しても、日本は救われない。妙法を忘れて諸天善神に祈念しても、却って国難に遭うばかり。
    そのような固い信念と信仰のなかで、妙法に殉じたのは当然のことかもしれませんが、決して不戦を訴え、平和を指導し求めて軍国主義と対立したわけではありません。牧口先生のご子息は軍に徴収されて戦死しました。真に平和を求めるのなら兵役拒否という選択もあったと考えるのですが、選択で苦悩した形跡も 抵抗した様子もありません。
    先生の逮捕前に盛んに行われていた大善生活実証座談会では、戦意高揚を図るとともに、戦争勝利を訴えています。こういう資料の分析や研究は、創価が進んでやらなければなりませんが、聖教やその他の出版物を見る限りたいへん消極的です。歴史の凝視を避けているとしか思えません。創価は、平和団体という評価の定着が、覆ることを恐れているのかもしれません。甚だ都合が悪い事実を隠すという行為は、創価に限らずよく見られますが、その点、キリスト教の各宗派は真摯に自省しています。歴史を侮るものは、歴史から反省を迫られる日が必ず来るでしょう。仏教者自身が信じているように、因果応報の理からは逃れることはできません。善の宿業、悪の宿業、負の宿業も同じです。


    。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*


    大善生活実証座談会の記録が残っています。
     大善生活実証録(第五回総会報告)
     http://www.butujoji.jp/hashaku/antiwar01.htm

    第五回総会記録

     創価教育学会第五回総会は、昭和十七年十一月二十二日東京市神田区一ツ橋教育会館に於て開催された。出席会員は約六百名、午前十時宮城遥拝、黙祷の国民儀礼の後、稲葉理事による学会綱領の高唱があり、ついで左記順序によって議事を進めた。別室の広間には創価教育指導法を指導原理として得られた児童の成績品と、華道部員の手になる生華の作品が陳列され、正午の休憩時間には同広間は観衆で満たされた。午後は先ず役員並びに委員の紹介に始まり、再び会員の体験発表あり、之が終るや牧口会長の講演に移り、最後に戸田理事長座長となって全員座談会を開き、真剣なる質疑応答があった。ついで生活革新クラブ員全員登壇して、クラブの歌を斉唱し、吉田理事の指導にて遠く戦野にある牧口会長令息洋三君をしのぶ軍歌を高唱し、厳粛な会場に一抹の和気を送り、最後に西川理事の閉会の挨拶あり、次いで牧口会長の発声にて、聖壽の萬歳を三唱し奉って午後五時過ぎにめでたく散会した。
     本総会は前総会と比較して第一に出席者数に於て二百名近くを凌駕し、講堂の二階までを使用するの盛況であった。前回より開催時期が遅く些か秋冷を覚えたが、会員は終始熱心に傾聴し登壇者の発表内容も飛躍的に充実し、音声また低きに瓦る者殆んど皆無といふ状態で、他の会合に見ざる模範的のものであった。亦別室に於ける教育研究部の成績品発表や、華道部の作品展覧も世上一般のそれと趣を異にして、正直捨方便の実証といふことが出来た。即ち、成績品は巧拙共に少しも手を加へぬまゝの発表で、しかも指導法の要領を観衆に会得せしめるための説明を附したる等、回を追って著しい進歩を遂げ、価値創造の精神を実験証明して余すところがなかった。
     これを要するに本総会は実業家の営業成績の報告、国民学校教育実験成績品の陳列、創美華道部の速成的生華の展覧と共に、即身成仏の例証としての人格を提示した上、それ等の由来した根本原因の体験談の交換をなすのを目的とし毎回飛躍的な向上進歩を実証する集会ゆゑ、利、善、美に亘る価値創造の実験証明総合展覧会と謂ふことが出来よう。



    開会の辞

     本日は誠に御多忙の際に、かくも多数の御出席を得た事は、主催者側として欣びに堪へない次第である。本総会の目的は吾等の法華経の実験証明の集録と大善生活法の研究である。
     大東亜戦争も一週年の垂んとして、
     陛下の御稜威の下、我が陸海軍将兵が緒戦以来、赫々たる戦果を挙げてゐる事は、吾等の衷心より感激に堪えない次第であるが、然し一方世界の様相は層一層混乱の一路を辿るのみで、修羅地獄とはかう云ふ事を云ふものとの実感を与える。
     我国としても、もう寸毫の妥協も許されず、勝つか負けるかの一事のみ、否、断じて勝つの一手あるのみである。この渦中にある日本の大国難に際し、殉国の大精神にして世界の指導理念は何であらう。法華経である。法華経精神である。否、法華経の実践、即ち我が学会の提唱する大善生活のみである。
     我が創価教育学会に於ても、会長牧口先生には、この一大憂国運動に、挺身されてゐるは、又宜べなるかなと肯づかれる。御高齢にも拘らず、日夜の御苦労は全く超人的で、却て身近にある幹事の私等が案じ申上ぐる次第である。此処にも大法に生きる強い姿をはっきりと教へられる。
     この先生の御指導下に、戸田理事長以下、四千の我等学会員が、この半歳にどんな生活証明をなしたであらうか。どれだけ御国に尽し得たであらうか。
     この実験証明の披露と検討を、本日は午前午後に亘りゆっくり諸君と致さうではないか。
     救国の大理想の本に我等が職域奉公の生活法を究めようではないか。一言以て開会の辞とする。
     本日のすべてに就いて、批評なり又意見なりありましたなら、備付の用紙に御認めの上、忌憚なき御投書をお願ひする。



    会員体験発表第一部

    大悪人が大善人となる

     私は世界一の大善人であり、世界一の大善生活を行ってゐるものである。
     私が、こんなことをいふと、この一老人を見て、あの男は何をいふか。気でも狂ったのではないか、と云はるるであらう。
     しかし、私の考えは、絶対に間違ってゐないと思ふのである。これは牧口先生の言はれたことを、そのまま云ってゐるにすぎないのである。牧口先生に教へられたことを、その通りに信じて、云ってゐるのであるから、牧口先生の申されたことが、間違ってゐなければ、私の云ってゐることも、絶対に間違って居らないのである。従って私は少しも気なんか狂ってゐないのである。その私を気が狂ってゐると見る人があれば、その人の方が気が狂ってゐるのである。
     大悪思想とは何か、聞くも恐ろしい共産主義思想である。私は、英、米の自由主義、個人主義思想にかぶれてそれに負けて、共産思想にかぶれた、おそろしい悪魔の生活に入ってゐたのである。それを懺悔して、今、大善生活人になってゐる。そしてこの世界の大悪思想を撲滅して、世界の人を大善人にしてやることを、自分の仕事としてゐるのである。ですから、私は大善人で、この私の生活は、大善生活であるのであります。
     私が、この大自覚に入ったのは、今もいふ如く、牧口先生の教へを受けるやうになってからのことである。(以下、省略。)

     私の願ひは、一身一家ではない。この世界の大動乱の中にあって、この世界に皇道を宣布し、世界中の大悪思想を撲滅し、世界中の人を大善人とし、大善生活に入らしめなければならぬと思ってゐる。
     英、米の自由主義、個人主義、利己主義の思想はもとより、世界のすみずみまで、蝕んでいる共産主義思想を撲滅することが、吾々のつとめである。この大悪思想は、大東亜戦下、御稜威によって、次第にそのかげをひそめつつあるとはいへ、これは、武力だけでは、撲滅しつくすことはできない。
     殊に共産思想は、われわれ大善生活の真向の敵で、これを根本的に掃蕩しないかぎり、大善生活は、その真の価値―――利、善、美の極地を発揮することは出来ないと思ふのである。(以下、省略。)



    全員座談会

     戸田理事長座長となって司会し、次ぎの議題について研究する。
     一、退転防止の現状並に対策
     二、国家観念の問題

    (中略)この時、牧口先生も関係者の一人として神社問題について次ぎの通り説明される。

    【牧口先生】 この問題は将来も起ることと思ふから、此際明確にして置きたい。吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異るのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは「よくぞ国家の為に働いて下さった、有難うございます」といふお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与え下さいといふ祈願ではない。もし、「あゝして下さい、こうして下さい」と靖国神社へ祈願する人があれば、それは恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違った話はない。天照大神に対し奉っても同様で、心から感謝し奉るのである。獨り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝し奉ってゐるのである。萬世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち、天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる今上陛下に凝集されてゐるのである。されば吾々は神聖にして犯すべからずとある「天皇」を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。「義は君臣、情は父子」と仰せられてゐるやうに、吾々国民は常に天皇の御稜威の中にあるのである。恐れ多いことであるが、十善の徳をお積み遊ばされて、天皇の御位におつき遊ばされると、陛下も憲法に従い遊ばすのである。即ち人法一致によって現人神とならせられるのであって、吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる。天照大神のお札をお祭りするとかの問題は萬世一系の天皇を二元的に考え奉る結果であって、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である云々。

     これにて座談会を閉ぢ、岩崎氏の緊急動議で出征中の牧口洋三氏のため「生活革新同盟の歌」を合唱、次いで吉田春蔵氏の軍歌独唱があって閉会の辞に移る。


    。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*


    上記の牧口先生の座談会での指導や会員の発言は、現在の会員には受け入れがたい内容です。こういった記録が、どれほど残っているのか、おおいに興味があるところですが、戦中の弱小一教団の書物や記録は紛失している可能性が高く、創価の軌跡をたどり、証明するのは困難かもしれません。だからといって、不確かのまま、疑わしいままにしておくことはできません。歴史認識こそ、発展の基礎であることを銘記すべきです。過去を見つめることができない人間は、未来に本当の自分自身の姿を想像することはできないでしょう。

    なお近年、多くの資料が発刊されていますが、貴重な本もあり、個人として購入するには難しいところあり、図書館等を利用すれば閲覧できると思います。ともかく、信仰者の最も必要な徳目に正直さがあると考えますが、歴史の真実をそのまま受け入れる正直さが、信頼を得る確かな信仰のあり方と考えます。


    Changing Heart - Audiomachine





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    創価教育学会本部関係者の治安維持去違反事件

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    創価の一灯

    『諸君は又こういう事を考えてみないか。混乱していない現代というものが、嘗てあったであろうか、又将来もあるであろうか、と。・・・中略・・・
    未だ来ない日が美しい様に、過ぎ去った日も美しく見える。こうあって欲しいという未来を理解する事も易しいし、歴史家が整理してくれた過去を理解する事も易しいが、現在というものを理解する事は、誰にもいつの時代にも大変難かしいのである。歴史が、どんなに秩序整然たる時代のあった事を語ってくれようとも、そのままを信じて、これを現代と比べるのはよくない事だ。その時代の人々は又その時代の難かしい現在を持っていたのである。少くとも歴史に残っている様な明敏な人々は、それぞれ、その時代の理解し難い現代性を見ていたのである。あらゆる現代は過渡期であると言っても過言ではない』
    :小林秀雄

    乱世には革命家が出現するのだろうか?
    歴史を学べば、新時代の精神を体現し、民衆のために行動した偉人は数多く存在します。現在は、乱世なのかどうか分かりませんが、医療、年金、教育、経済、社会的格差、いじめに虐待、核拡散、テロ、食糧問題、資源枯渇、気象変動、なにひとつ安全なものはなく、安心を約束できるものはありません。我々の背中にはいつも、破綻や破壊、混乱や脅威が迫り、そして死神さえ肩をたたきかねません。こんな時代に生まれたのが不幸なのでしょうか。混乱を一掃する強力な価値観をひっさげた指導者が現れることを期待する気持ちは、誰もが持っているものと思います。
    学会員から言えば、池田先生がそういう存在であることは、会員の信仰レベルによって認識の違いはあるにせよ、気持ちのなかに確かにあるでしょう。会員の支えとなり、静かに確実に、革命のレールが敷かれてきたことを知っているからです。仏法ヒューマニズムの真の姿は、世代を貫いた弛まない改革の持続にあると考えます。人間性復興の哲学の浸透は、最も困難な作業ですが、人間革命と社会革命の包括的運動と思想は、継続して会員に受け継がれていくものと期待したいのですが、そのためには深く勉強する以外にありません。

    約87年前、一人の革命家が、波乱の人生の端緒となる教育の書を世に問いました。その後、学問のあり方を含めて、実際的な現場の制度と考え方を激しく改革する、ユニバーサルかつ平易な実践法の確立に至りました。彼が最終的に行き着いたのは、その源を訪ねれば、二千五百年という歴史のなかに眠っていた妙法という自己変革と社会変革の実践法でありました。
    創価の仏教ルネッサンスというべき清流は、困難な時代背景を考えなければ、理解もまた難しい。牧口常三郎(1871~1944)が創価の一灯たる資格を有したのは、その厳格さとともに高潔な人格であられたこと、民衆性、自己に正直な求道者としての姿勢、盲信を許さない科学的実証精神のおかげです。

    日蓮大聖人が佐渡流罪のとき、食物も衣服も粗末ななかで、よく生き延びられたと考えるのは、宗祖によくある神格化された誇張ではありません。雪国において、雪は美しくも何ともなく、命を奪う自然の危険な猛威なのです。
    「時に適い法を説き、国によって法を説く」佐渡という国土は、地獄だったと理解します。日蓮教団の壊滅的打撃と迫害、果てしない極限の精神的苦痛を伴う嵐のような境遇から、人間勝利の哲学を完成したのは、自己練磨の頂点に、仏という至高の人格が輝いていたからと考えます。どこまでも生命の尊厳を守るための戦いであり、一念三千の当体であることの証明に他なりません。
    牧口先生は獄中からの書簡を残されています。真冬、暖房器具もない極寒のなかで、検閲されて塗りつぶされている文字に、獄中生活を「地獄」と書かれたという。身体は拘束されても、葛藤を越えた心は自由であられました。
    創価教育学会はほぼ壊滅。700年前の、佐渡で大聖人が置かれた状況とよく似ていると、先生は一人獄中で感じられたのではないでしょうか。

    池田先生は「妙密上人御消息」講義のなかで
    『徹して大聖人は、既存の宗教的な枠組みや権威から自由なお立場に立たれ、末法悪世に生きる一人の人間として、法華経と釈尊に正面から向き合い、法華経に示された末法における民衆仏法の確立のために戦われたのです。御自身の凡夫性を強調されているのも、一人の人間が、仏の意を受けて全民衆救済の行動に徹した時に、どれだけ偉大な精神の輝きを残すことができるかを証明されるためであったと拝されます。そこにのみ、民衆仏法の確立が可能だからです』

    さらに、次のように指導されています。
    『日蓮大聖人は本抄で自らの立場を明かされるにあたって、まず、「然るに日蓮は何の宗の元祖にあらず・又末葉にもあらず」と仰せです。これは、大聖人のお立場が、二千年間の正像時代の仏教の延長線上に存在しているのではない、ということです。既存の宗教権威に依らず、権力の後ろ盾も何もなく、末法に生きる一人のありのままの人間として、真っ直ぐに法華経を読まれ、上行の戦いを開始されたお立場が率直に表現されている御文と拝せます。 更に持戒でも破戒でもなく、一度も戒を受けない無戒の者であり、また、有智無智という枠組みからも外れているとも仰せです』

    無戒とは、あらゆるものから束縛を受けない、心身の自由を意味するものと考えます。牧口先生もまた、権威や伝統、形式や倫理、差別や屈辱、恐怖や非難から限りなく自由でありました。法華経の命の赴くままに、自己の魂を解放したのです。火宅のなかで、清涼な夢の実現に生涯を懸けられたのです。
    池田先生は、講義のなかで次のように言われております。
    『日蓮仏法を、近世に形成された檀家制度の寺院信仰に閉じこめてはならない。世界に開かれた民衆仏法を確立するのだ、と大聖人の御在世に返られたのが、牧口先生です。そして、民衆一人一人が人生に価値を創造しゆく生活法として仏法を蘇生させ、現実の実証を重視しながら、広宣流布への信心を蘇らせたのです』

    創価精神の源流へ遡及することは、信仰の志を再確認することでもあります。
    牧口先生は、民衆を愛した革命家であられました。また学会が平和組織として認知されるための、不戦のシンボルです。その生涯は、普遍的な仏法民主主義の基盤でもあります。エンパワーメントの根幹です。


    ♡学会創立者・牧口初代会長の教育者としての功績は、はなはだ大きく、その構想は、戸田先生、池田先生に受け継がれ、学会教育部や教育関係者の尽力など、多くの人々の協力により実現してきました。わたしは、ライフワークである「創価教育学体系」を細部にわたり、精読したわけではありません。正直なところ、わたしには難しく、理解が困難なところも多々ありますが、牧口思想の中心的主張は、価値論にあることは、誰もが認めるところではないかと考えます。
    軍国主義が支配した時代背景、また当時の哲学界の状況などを知らなければなりませんが、「美・利・善」と端的に表される思考プロセスの概略をたどってみると、牧口自身、恵まれたエリートでなかったが故に、アカデミズムに犯されなかった教育現場からの提言が、痛切に響いてきます。

    「創価教育学体系梗概」は、創価教育学会が同会所属の青年教師に配布したパンフです。「体系」の要旨がコンパクトにまとめられ、創価教育学入門といったところですが、牧口先生の当時の御心境を知るうえで、貴重な文献です。
    緒言には、日本の教育学の停滞と非能率、不進歩を指摘し、教育技術の向上と創価教育学の必要性を直言しています。

    『遺憾なことには、そのたよりとする教育学なるものが、実際的生活にほとんど没交渉なる哲学的なるために、不経済と知りつつも、諸々の迂遠なる修養法を探らねばならぬことであろう。これが、教育事業の不進歩、不合理をきたした、最重大な原因である。このことは、数百年前以来、コメニウス、ペスタロッチ、ヘルバルト等の大先輩が、つとに要望し、企図したところであったけれども、今なお、医学その他の技術科学のごとき、科学的体系が出現するに至らなかったのは、畢竟、研究法が至らなかったのに基因するものと信ずる。けだし、実際経験の成功・失敗の事実から、その原因にさかのぼって教育上の因果の法則を帰納するという、自然科学的研究法を採ることをせず、いたずらに、人間の性質のみを見つめて、それから哲学的に教育の方法を導き出そうとしたからである。これは、医学は哲学者の思索を待たずして、医師の治療の経験記録の綜合から発達しているのに鑑みれば、明瞭のことであろう。したがって、余は、欧米の学問の輸入の哲学的思索の方法を離れて、医学その他、大昔の技術学の成立した経路をたどり、実際経験の事実から帰納して、一つの知識体系を構造したのが、「創価教育学」である』

    昭和3年に妙法に帰依し、いよいよ確信を強固にした、昭和10年頃の文章ですが、結語には、自身の生い立ちからの信仰との関係を回顧しながら、法華経信仰と創価教育への情熱と信念を披歴されております。

    『ところが、法華経に逢い奉るに至っては、われわれの日常生活の基礎をなす科学、哲学の原理にして何らの矛盾がないこと、今まで教わった宗教道徳とはまったく異なるに驚き、心が動きはじめた矢先、生活上に不思議なる現象数種現れ、それがことごとく法華経の文証に合致しているのには、驚嘆のほかなかった。そこで、一大決心をもっていよいよ信仰に入ってみると、「天晴れぬれば地明かなり、法華を知るものは世法を得べき乎」との日蓮大聖大の仰せが、私の生活中になるほどとうなずかれることとなり、言語に絶する歓喜をもって、ほとんど六十年の生活法を一新するに至った。暗中模索の不安が一掃され、生来の引っ込み思案がなくなり、生活目的がいよいよ遠大となり、畏れることが少なくなり、国家教育の改造も一日も早くおこなわせなければならぬというような大胆なる念願を禁ずる能わざるに至った、などがそれである』

    「人生地理学」から「価値論」に至るまで、牧口先生は、人間と世界との関係性を探求してきたといってもいいのではないでしょうか。出発は教育者としてですが、やがて、人生そのものの意味を問う哲学者の姿に変貌していきますが、「言語に絶する歓喜をもって」と言われているように、妙法に出会うべくして出会った先覚者は、自らが求めていたものを知ることとなりました。「開く」「具足・円満」「蘇生」という妙法の人間変革の法則を、獲得することになったのです。

    信仰は、早い話が幸福になれば良いということなのですが、自覚しようとしまいと、信仰者としての成長は、大乗仏教に説かれる内面的な成熟度、段階があるとすれば、一歩一歩完成に向かって、境涯の成熟があるのではないかと考えます。もちろん、どこまでも内面的なことに限ってのことで、幸福の大きな決定要因でもある国家体制や経済、社会制度は、時代によって変化していくものであり、当然ながら信仰者といえども、その影響外に身をおくことはできません。牧口先生は、その国家から栄誉ある死を賜り、殉教の勝利を獲得されました。

    この世に絶対的なものを認めることは難しい。それは生きるための絶対規範といってもよいものですが、価値観の変容が著しい現代社会で、遵守すべき原則あるいはルールといったものがあるとすれば、牧口先生がたどった「創価原理」というものかもしれません。
    日常生活のなかで、価値を意識させ、価値を生み出す方法を合理的に創造応用していくことに主眼をおいて、「創価価値論」の有効性を、結果の上で証明しようと試みました。そのアイディアは大変新鮮な着想に満ち、未来に示唆を与え、プラグマティックな思想の体系化に成功したものと考えます。価値論の柱である幸福主義の実現、現実重視の生活体験としての実証精神、論理的にも機能的にも、従来の合理主義さえ越える普遍妥当性を特徴づけると説かれるモダンな体系は、やがて信仰の核心へと進むにしたがい、究極的な大善の理念に至ります。法華経が牧口価値論の限界を突破したということではないでしょうか。「価値をいかにして創造するか」ということは、それぞれの個人の最大の問題です。また、組織の発展にかかせない問題です。

    牧口先生は、獄中にあって大聖人が言われる通り、難に遭い、妙法の正しさを身をもって知りました。「地獄」と言われた獄中で、法悦のうれしさを書簡にしたためております。愛する家族を失い、失望の苦しみを乗り越えて、自らの人生を賭けた闘争が、人間覚醒運動が、必ずや受け継がれていくと確信していたと考えます。
    革命家は多くの教訓と学ぶべき書物を残されました。わたしたち会員は、牧口思想を行動原理として、生命改革と社会改革に挑戦していかなければならないでしょう。時代は過渡期であり、新しい生き方のパラダイムが望まれているのではないか、と考えます。


    ♡「汝自身を知れ」とは古代ギリシアの有名な、デルフォイのアポロ神殿に刻まれた言葉です。ソクラテスはこの神託に忠実に、しかも強く「無知の知」と、純度の高い言葉で締めくくり、命を賭けた対話を実行しました。ギリシャ以来、人間は、あらゆる思想哲学の出発点であるこの命題と格闘してきましたが、東洋においては、二千五百年前の釈尊から源流を発して、大聖人が完成された妙法に、自己再生の哲学を見ることができるでしょう。永遠の法に貫かれた蘇生のプログラムです。「心の師とはなるとも心を師とせざれ」と説かれ、生命内奥の「智慧」が、自立した人格形成のためのダイナミックなエネルギーです。
    誓願の法である法華経は、宗教の真髄である自由意思の堅持を強調しているのであり、弱者から強者への変革を志向し保障する。慈悲心の共鳴運動、善の集団、他者共存共栄の発露として、またヒューマニスティックな目的を共有した異体同心の団結は、独立した個性の連帯であることもよく理解できます。

    牧口先生が夢に見た「立正安国」は、死闘の決意をうながす。宗門という伝統の教団は、何のためにあるのだろうか。俗より俗の穢れた僧侶は必要ありませんが、残念なことに自己保身の原理主義者は決して死に絶えることはありません。信者を守ることに憶病な僧侶は、日興上人の慈悲心と意志を放棄しています。牧口先生の死は、宗門の正義がウソ偽りであることの証明です。どう言い繕うとも、開祖の承認は得られないでしょう。

    人間完成のプロセスは、妙法のパラダイム的法則に言い尽くされています。牧口先生の生涯を勉強し、威厳に満ち、暖かみを感じさせる行動を知ると、このファンダメンタルな実践法に感動を覚えます。先生はすでに80年前に、会員が生きるべき道程を示されていました。
    過去の哲学を取り込み、シンフォニックに展開する「創価教育学」の底辺にあるのは、経験主義と現場主義です。さらに合理的民主的理念が思考を支える原理です。牧口先生が生きた時代、大正デモクラシーの自由な気運は、国家主義の台頭で消滅。当たり前のことですが、デモクラシーとは大衆に受け入れられ、実践されるからデモクラシーと呼ぶ。教育勅語の教科書至上主義は、多くの優秀な教育者を弾圧し追放しました。ファシズムが台頭する過酷な時代に、精神的独立と自由の尊重、合理的な近代主義をベースにした創価精神に目覚めた人々の運動は、人生を肯定するアクティヴな実践法として蘇り、後世に託されました。
    宗教改革者・牧口先生は、我々が帰納する創造価値の原点です。しかし、そのような賢者に対し、国家が示した待遇は、牢に閉じ込め、その言論を封じ込めることでした。

    『十九年十一月十八日、係の検事から電話がかかり「牧口さんが死んだのを知っているか。明日お葬式だ」と知らせてきました。私は驚きとともに、今行けば同志と連絡をもっていると思われるのではないかと様々に考をめぐらし迷いましたが、娘とも話し合い、もし私がお葬式に参列して検事がなにか言ったら、道徳の上からいっても行かないことは間違いであるとやり込めてやりましょう—-と腹を決め、翌日、一年半ぶりで目白のお宅に伺いました。
    丁度、堀米尊師(当時)が自我掲を読経されている時でした。私は玄関の畳の所に同志の方が三人おられましたので、一緒にお経を上げました。先生のご遺骨を、庭の生け垣の側に立ってお見送り致しました。
    秋晴れの日でしたが参加者も少なく、淋しいお葬式でした。先生ご在世の時は先生をお慕いしていた方も数多くおられましたのに、最後のお葬式がこんなに淋しくてよいものかと思うと、涙が出て仕方がありませんでした。”先生さようなら”と涙でかすむ目でお見送り致しました。私に勇気がなかったばかりに、最後のご尊顔を拝する事ができなかったのが今なお侮いを残しています。戸田先生が、牧口先生を知っている事を誇りに思う時が来ると仰せになったのを、深く思い起こします』
    (弾圧の時、最初に逮捕されたJ氏の妻)


    ♡知行合一の儒家のインテリジェンスは、日本の土着思想として、体に染み付いています。明治維新の革命家の精神的支柱となった陽明学は、良知と行動の一体化を生み出し、歴史を転換する原動力になりました。混乱から秩序へ、西洋を志向しながら、根底となったのは儒教の「共生のエートス」だったのは、広く日本人の思考に根づいていたからと考えます。欧米の行き過ぎた個人主義を薄める清澄な水のように、今後は見直されるべきではないでしょうか。社会と有益で豊かな関係を持つことは、他者の心に労りを施し、痛みの辛さを共有することに他なりません。牧口創価教育学メソッドも、儒家からの影響が指摘されております。

    池田先生は、92年に行われた中国社会科学院での講演「21世紀と東アジア文明」で、東アジアの精神的美質である「共生のエートス」を体現した人格の代表に、周恩来元総理を上げております。
    『大局を見据えて細部を忘れず、内に秋霜の信念を秘め、外に春風の笑みをたたえ、自分中心でなく、あくまでも相手の心を中心に、よき中国人にしてコスモポリタン(世界市民)、常に民衆という大地に温かく公平な眼差しを注ぎ続けたその卓越した人格は「革命とは、人を殺すものではなくて、人を生かすもの」との魯迅の叫びを体現しております』

    深く病んだ社会に、生の輝きと躍動を与える理想的人間像。仏教で説く菩薩像と共通していますが、その根底にあるのは、対立よりも調和、分裂よりも結合、我よりも我々、といった、歴史のなかで鋭く磨かれてきたキーワードでしょう。東洋の「共生のエートス」は、仏教のエッセンス、中心的思想の、生命への限りない尊厳をさらに強固に補完し、どちらかというと分析を主とする西洋の考え方を総合・包括するモデルになるのではないか。基礎的な理論になるのではないか。小乗も大乗も法華経の一仏乗に統合されるように、あらゆる民族、国家が地球は一つという平和観の設計図を描く普遍的概念になるのではないかとの希望を持つのです。

    「東洋の智慧を語る」(2002年)での対談では、奥深い東洋思想を語り合っておられます。仏典結集と法華経流布、翻訳の歴史の研究成果のなかで、牧口先生についても話題になっております。
    『季羨林:「法華経」の中に包含されている内容と道理は、「奥」が深く「幅」の広いものです。ですから私のような「門外漢」は、むやみにくわしく論じることはいたしません。
    ただ、創価学会の初代牧口常三郎会長、第二代戸田城聖会長による「法華経理解」について言えば、それはインド、中国などの「東洋思想の真髄」と完全に一致します。
    牧口初代会長は教育者出身でしたね。

    池田:そうです。初代も二代も、教育者でした。創価学会は、もともと「創価教育学会」として出発したのです。

    季:牧口初代会長は、こう述べています。
    「価値と呼ぶことのできる唯一の価値とは生命である。その他の価値は、何らかの生命と交渉する限りにおいて成立する」と。

    池田:おっしゃるとおりです。牧口会長は、生きとし生けるものの生命、生存の関連性において、「価値」を考察したのです。
    牧口会長にとって「価値論」は、終生のテーマでした。創価学会の「創価」という意味も「価値創造」ということです。
    この点に関して、日本の仏教学の最高峰であった故・中村元(はじめ)博士が講演されたことがあります。

    季:中村博士は、よく存じあげています。

    池田:中村博士は、哲学・思想をあつかう日本の学問が「注釈、注釈」になりがちなことを憂えておられました。東洋思想にせよ、西洋哲学にせよ、すでに権威が定まっている思想家・哲学者が言ったことを祖述しているだけでは、「奴隷の学問」ではないか、と。
    しかし、牧口会長は、そうではなかった。「自分で考える態度」を貫き「自主的で、己が主人」であったと言われたのです。
    具体的には、牧口会長が、それまでの「真善美」とか「真善美聖」という価値体系から、「真」と「聖」の価値を除いて、「利」を入れたことに注目されました。
    こう述べております。
    「『利』というと利益を連想されますけれども、しかし、これはですね、案外、東洋哲学の核心に迫るものだと。仏教で一番大事にするものは何だというと、結局、『人のためを図る』『人のためになる』ということですね。
    その『ために』というのをサンスクリット語で『アルタ(artha)』と申します。これを『利』と訳すこともあれば、『義』と訳すこともある。『利』と『義』じゃ違うといわれるかもしれませんけど、両方の意味に関わる。人のためにもなり、それがまた自分のためにもなる、というところに一つの中心を置いているわけです」
    と。(1988年6月4日、「比較思想学会」の第15回記念大会での講演)
    このように、中村博士は、仏教の伝統に照らして、牧口会長の「価値創造」の思想を評価しておられます』



    日月灯明仏は六十劫という長い間をかけて法華経を説き、威音王仏は二十千万憶の偈を説き、大通智勝仏とその王子は三千塵点劫の昔、ガンジス河の砂の数ほどの偈を八千劫以上もかけて説きました。知性の限界を超え、宇宙の果てを見るようです。難信難解と言われた理由がよく分かります。
    大通智勝仏などの法華経流布は、法界の物語であり、仏の生命次元での驚異的なファンタスティック物語です。時空の観念を遥かに超えています。伝えられている歴史上の法華経は、二千五百年前に、釈尊の生誕から、インド、中国、韓国へと伝わり、日本の日蓮大聖人によって、その真髄が大成されました。立宗宣言から750年余り、牧口先生が創価教育学会を設立されてから妙法復興の87年。悠久の法華経流布の歴史のなかでは、二千五百年前に遡っても、わたしたちはまだ、その始まりの位置に立っているに過ぎないのかもしれません。

    牧口先生が証明を試みたものは、次の御書に端的に表れています。
    『此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ』(兄弟抄)

    牧口先生と宗門の姿勢を対比すれば、上記の御書から、大聖人の末法の衆生に対する期待の内容は明らかです。『未来の資糧とせよ』とご指南されています。
    宗門の保身は、臆病な伝統のなかで培われたものです。宗門という閉じられた世界で、序列と秩序を頑なに守り、かつてない国難と迫害に耐え切れなかったのです。大聖人以来の大難に遭遇しながら、立正安国の精神を訴える僧侶はおりませんでした。広宣流布への献身と殉教、革命は身命を賭けてという大聖人の深い確信を、誰一人実践することはありませんでした。

    現在の創価は、保守という政治姿勢にみられるように、数々の非難を経験したなかから必然的に洗練されたものです。しかし、そこからは、かつての牧口先生の抵抗姿勢は生まれることはありません。また、平和を口にしながら、無害な理想と理念の領域からはみ出すことはありません。
    牧口先生が生きておられたら、現在の創価の変わり果てた姿をどのように思われるでしょうか☆彡

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