母であることの喜びと悲しみ

    Enguerrand Quarton
    The Villeneuve-les-Avignon Pieta
    g_01111.jpg「ピエタ」とは「哀悼」とか「慈悲」を意味するという。息絶えた我が子キリストを、聖母マリアが膝の上で抱き、嘆き悲しむ姿です。右にマグダラのマリア、左に聖ヨハネ、左端に描かれた寄進者の姿。15世紀フランス・ゴシック様式の最高傑作とされるこの作品は、1801年に、アヴィニオン近郊のヴィルヌ-ブの教会で見つかりました。アンゲラン・カルトンの名作と言われています。膝の上にキリストを抱く聖母のテーマは、中世絵画の普遍的な題材ですが、静謐ななかに深い悲しみが描かれ、キリストとマリアを、より人間的な身近な存在に感じることができます。このような人間の悲しみの姿は、キリストの死後も多くの人が経験してきましたが、暴力と無知の野蛮な行為は、地上から決して無くなることはありません。


    ******************


    『布団の上に寝かされた多喜二の遺体はひどいもんだった。首や手首には、ロープで思いっきり縛りつけた跡がある。ズボンを誰かが脱がせた時は、みんな一斉に悲鳴を上げて、ものも言えんかった。下っ腹から両膝まで、墨と赤インクでもまぜて塗ったかと思うほどの恐ろしいほどの色で、いつもの多喜二の足の二倍にもふくらんでいた。誰かが、
    「釘か針かを刺したな」
    と言っていた。
    ……ああ、いやだ、いやだ、あの可哀相な姿は思い出したくもない。思い出したからって、どうしてやりようもない。
    よくまあわだしは、気絶もしなかったもんだ。それどころかその時わだしはこう言ったんだと。
    「ほれっ! 多喜二! もう一度立って見せねか! みんなのために、もう一度立って見せねか!」
    ってね。多喜二のほっぺたに、わだしのほっぺたばくっつけていたと。わだしは多喜二が死んだと思いたくなかったのね。ほんとに生き返って欲しかったのね。
    けど、多喜二は死んだ。指はぶらんとするほど折られても、足はぶすぶす千枚通しで刺されても、多喜二は、守らねばならない秘密は守ったんだと。そう言って、党の人たち、みんなほめてくれたの。でもほめられんでいい。生きていてほしかった』

    小林多喜二は、「蟹工船」等の小説で、官僚と警察権力を背景にした資本家の、社会的不正と戦うプロレタリア文学作品を発表しましたが、昭和8年逮捕され、その日のうちに拷問により虐殺された。享年30才。昭和8年と言えば、日本が国際連盟を脱退し、天皇神格化、思想統制、軍国主義の波が押し寄せ、戦争の泥沼へ突き進む時代でありました。
    多喜二の母を描いた三浦綾子の「母」を読みました。権力の不正と戦い献身的に民衆に尽くし、共産主義に殉じた多喜二の人間性と、母親セキの愛情と悲しみを描く。

    『「多喜二、苦しかったべなあ」
    「多喜二、せめて死ぬ時だけでも、手を握っていてやりたかった」
    「多喜二、わだしはお前を生んで、悪いことしたんだべか」
    とか、
    「多喜二、お前、死んでどこさ行っているんだ」
    とか、独り言言っているの。
    多喜二が死んでから、わだしはいつのまにか、
    (神も仏もあるもんか)
    という気持ちになっていた。ほんとに神さまがいるもんなら、多喜二みたいな親思いの、きょうだい思いの、貧乏人思いの男が、あんなむごい死に方をするべか。たとえ警察で誰かが多喜二を殴ろうとしても、首ば締めようとしても、錐(きり)で足ば刺そうとしても、神さまがいるならば、その手ば動かんようにして、がっちりとめてくれたんでないべか。それを見殺しにするような神さまだば、いないよりまだ悪い。わだしは腹の底からそう思ったもんね』


    小作農に生まれ、13才で嫁ぎ、6人の子供を育て、貧困のなかでも明るさを失わなかった母は、素朴な愛情を持ち、平和的な人間でありました。多喜二の行動を理解するために、共産党にも入党した。晩年キリスト教を信仰し、キリストの処刑の絵を見て、多喜二の姿と重ねる。

    『それからね、死んだあと、むごったらしい傷だらけのイエスさまば…イエスさまば…お母さんのマリアさんが、悲しい顔で抱き上げている絵があったの。手と足に穴があいて、脇腹に穴があいて、血が出て、むごったらしい絵なの。
    わだしはね、多喜二が警察から戻って来た日の姿が、本当に何とも言えん思いで思い出された。多喜二は人間だども、イエスさまは神の子だったのね。神さまは、自分のたった一人の子供でさえ、十字架にかけられた。神さまだって、どんなにつらかったべな。
    だけど、人間を救う道は、こうした道しか神さまにはなかったのね。このことは、いきなりすっとはわからんかったども、イエスさまが、
    「この人たちをおゆるし下さい。この人たちは何をしてるか、わからんのですから」
    って、十字架の上で言われた言葉が腹にこたえた。わだしだって、多喜二だって、
    「どうかこの人たちをおゆるし下さい」
    なんて、とっても言えん。
    「神さま、白黒つけてくれ」
    ってばっかり思ってた。近藤先生(牧師)は、
    「神さまは、正しい方だから、この世の最後の裁判の時には、白黒つけて下さる。お母さん、安心していていいんですよ」
    って、わだしの手を取ってくれた。そん時わだしは、なんかわからんが、神さまってかたが、わかったような気がしたの』


    マリアから始まる母の苦しみは、信仰を抜きにしても、母としての共通の悲しみ、慈愛のあらわれでしょう。母のために平和を、母のために争いを無くし悲劇を根絶しようとする人間主義こそ正しい。どんな死でも意味があり、死の姿に生きた人生が凝縮される。
    母・セキは多喜二の死に関与した人々を許し、生命の尊さと母であることの喜びと悲しみを積極的に甘受したのだと思う。
    生きることは、悪を許し、無知なる人々を許すことなのだと、キリストから教わりました。
    小説を読みながら、多喜二の唯一の尊い命の重さと苦しみ、母の優しさ、悲しみがわたしの肌を刺すように感じられ、ぽたぽたと止めどなく涙が落ちた。暴力は決してなくならない。人間はどうして同じ過ちを繰り返すのだろうか? その悲しい宿命を思うと、どこまでも続く深い闇を見ているようで、救いがたい気分になってきます。
    暴力は許すことができない。でも、暴力をふるう人間も、暴力によって自らの心を激しく傷つけていることを思うと、無知という暴力の犠牲者なのではないかと思えてくる。無知とは無明の一変異です。


    開目抄に『既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は・しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひ・わづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし』
    如説修行抄に『竜口の頚の座・頭の疵(きず)等其の外悪口せられ弟子等を流罪せられ籠に入れられ檀那の所領を取られ御内を出だされし』
    聖人御難事に『同文永八年辛未(みずのえひつじ)九月十二日佐渡の国へ配流、又頭(くび)の座に望む。其の外に弟子を殺され、切られ、追出、くゎれう(過料)等かずをしらず。仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず。竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし』
    上野殿御返事(梵帝御計事)に『日蓮が弟子にせう(少輔)房と申し・のと(能登)房といゐ・なごえ(名越)の尼なんど申せし物どもは・よく(欲)ふかく・心をくびやうに・愚癡にして・而も智者となのりし・やつばら(奴原)なりしかば・事のを(起)こりし時・たよ(便)りをえて・おほ(多)くの人を・おと(落)せしなり』
    兄弟抄に『始は信じてありしかども世間のをそろしさにすつる人人かずをしらず、其の中に返つて本より謗ずる人人よりも強盛にそしる人人又あまたあり、在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども後にすつるのみならず返つて仏をはうじ奉りしゆへに仏も叶い給はず無間地獄にをちにき』
    辧殿尼御前御返事に『弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり』
    新尼御前御返事に『かまくら(鎌倉)にも御勘気の時・千が九百九十九人は堕ちて候人人も・いまは世間やわ(和)らぎ候かのゆへに・くゆる人人も候と申すげに候』

    これらの御書からうかがい知れることは、大聖人への激しい弾圧は弟子檀那にまでおよび、なかには所領を追われ、牢に入れられ、殺された者もいるということです。また、退転した者のなかには、信仰を捨てるだけでなく、多くの人を道連れにして退転していった。1000人のうち999人も退転した。99.9%の信者が信仰を捨てたことを、誇大に伝えていると考えがちですが、きっと正確な表現なのでしょう。つまり、ほとんどすべての信者が退転したということです。封建時代のこと、拷問といった暴力的な過酷な取り調べが当然のようにあったことでしょう。
    創価教育学会が壊滅的な組織破壊を受けたことが思い起こされます。権力による思想統制の過程で、多喜二の身のうえに起きた拷問、というより権力による公然な殺人といった過激な取り調べが、普通にあったということ。そのような環境で、信念を貫き通すことがいかに難しいことであったか。自身の死だけでなく、家族にまで類は確実におよび、家族に対して責任を負わなければならないということが、どれほど辛いことであったか。
    もしも、わたしが同じ環境に置かれたら、きっと耐えられないと思う。大聖人の御言葉はとても厳しく胸に迫ってきます。
    多喜二の母は、キリストとその母・マリアと同じ悲しみを共有していると思う。母として耐えられない、子どもの惨たらしい死を経験し、生涯をかけてその呪縛からの解放を望み、恨むことから人間愛に深く到達した。
    このような心の遍歴は、信仰者でなければ不可能。クリスチャンであっても、苦しみを乗り越えた母は、清らかな聖人の心を持っています。澄んだ心境の清純な信仰は、仏教徒であっても難しい。耐えることと許すことは表裏のように一体なのですね。


    思想あるいは哲学と行動は、一致していなければなりません。しかし、日蓮信徒になったからといって、すぐに日蓮仏法の真実の法を体現できるとは思えません。経験と研鑚の積み重ねのなかで、真理に近づいていくものと考えます。「即」論を強調する妙法であっても、病気が即治癒し、貧乏が即解決し、菩薩として即誓願の立場を自覚できるものではありません。
    日蓮の非暴力については、煩雑になるので避けます。大聖人のご一生が平和思想と行動に貫かれていたことは言うまでもありません。それを詳しく論証することも、研究者ではないわたしたち一般会員にも十分可能でしょう。
    概して、孤高の反体制者といった日蓮のイメージが定着しているものと思いますが、そうすれば日蓮仏法者の平和運動も反権力闘争でなければならないように思えてきます。
    わたしは、牧口先生も戸田先生も信仰の深化とともに、主張も変化していったものと考えます。戸田先生の獄中での悟達は、そういう意味でも捉えられると思います。
    信仰者の反戦活動は、殉教的な兵役拒否、体制批判に限られるものではありません。それぞれの立場で個人が判断することだと考えます。日本に懲役制はありませんが、軍隊が武力を行使していくことを前提にし、単に自衛のための大義があったとしても簡単に覆るものと思います。自衛戦争が自衛外戦争に拡大していった例を何度も経験してきました。戦争の危機は現在も、世界のあらゆるところに存在しますが、平和な日本もいつまでも平和とは限りません。
    真の不戦の思想的原動力としての日蓮仏法は、法の力で生命の奥底を変えていき、コントロールが難しい人間の感情を制御し、仏教が説く「不殺生戒」の現代的意義に十分応えるものと思います。

    会員の皆さまは、疑うことを知らない純真さです。
    師の命と同等のものである創価の組織と同化している会員は、宗教の一般的使命である奉仕精神を体現しています。常に他者のために尽くすことを最良の徳性と考え、信じているのです。
    不疑と疑の相克ともいえる現代にあって、善を願い、断念することない辛抱強い意志の継続は、貴重な精神運動として正当に評価されるべきです。
    ただ、わたしは、教義とともに信仰への確信を左右する情緒的純粋さにおいて「永遠の少年・少女」のような、成人らしからぬ未成熟さを、その行動と判断パターンに見てしまうのです。創価にも問題があるのです。それを知ろうとしない子どものような無邪気さは、大人に守られた子どもの幸福感と同じようなものです。
    師弟不二は、師という精神の母胎で安心することではありません。師の思想から飛び出して、世間の荒波を越えることです。さらに衰えた師を導くことです。わたしにとって、信仰の自立と自我の確立は同じ意味を表します。客観的視点を失わず、深い自覚が必要です。


    Ave Maria
    Olga Szyrowa





    母よ あなたの思想と聡明(かしこさ)で
    春を願う 地球の上に
    平安の楽譜(しらべ)を 奏でてほしい
    その時あなたは 人間世紀の母として 生きる
    その時あなたは 人間世紀の母として 生きる
    Mother, with your ideas and wisdom,
    I hope you will perform a melody of peace on the earth,
    Where people look forward to the arrival of spring.
    Thus, you will become the mother of the Century of Humanity.

    作詞・山本伸一の「母」の曲は、母の強さと精神の健康さを謳います。誰もが共感できる美しい言葉は、聡明であることの素晴らしさと大地のような豊かさを感ぜずにはいられません。父に対する思いと母に対する思いは当然違うものかもしれませんが、母に対する賞讃は、「母」の曲のように、普遍的なものとして会員の間では定着しているでしょう。わたしはそのことに異議をはさむつもりは毛頭ありません。人間関係が希薄になりつつある現代に、傷ついた自己を省みて、魂の蘇生する場所を求めるとしたら、それは母という還るべき優しきふるさとなのかもしれない。
    しかし、否応なく母子関係にも変化をもたらしている現代の精神の荒廃は、会員といえど、母に不信と不敬の気持ちを持つ人も少なからずいるのではないかと考えるのです。母である前に、一人の人間として尊敬できる人でなければならないと、わたしは言いたいのですが、それは父もまた同じです。

    トインビー対談で、池田先生は次のように言われています。
    『そうした女性本来の、生命の尊厳を守り、育み、大事にしていくという特質は、それ自体、人類にとり、人間社会にとってきわめて普遍的な重要性をもっているといえます。女性が狭い個人的愛から、そうした、世界へ開かれた普遍的な愛に根ざして進んでいけば、私は、それが、地道ながらもきわめて大きな、反戦平和への潮流になっていくに違いないと思います。そして、女性がこの本来的な自らの使命に生きるところに、真実の女性解放があると信ずるのです』

    父母を憎み、和解できない会員もいるでしょう。そういう人にとって、この「母」の曲はどう響くのだろうかとときどき考えます。どんな素晴らしい曲であっても、万人が共感することは不可能です。そしてそういう傷ついた人に、聖人君子のような「母を尊敬しなさい」などと、心の声に耳を傾けないで、通り一遍のリプライや上から目線の指導をすることほど、愚かなことはないでしょう。そういう人は、妙法を猥雑なアンモラルなものにしていても気づかない。また、宿命などと冷酷な宣言をして、何も感じない人間だけにはなりたくありません。


    ew8934.png

    母の肖像

    人生は何と短く儚いのであろう。わたしは厭世主義者ではありませんが、人生は谷を渡る一陣の風のように、あっという間に過ぎ去って行く。100年経ったら、残っているのは、僅かな記憶と真実の言葉だけであろう。そして古びたポートレート。

    パール・バック「母の肖像」(「新潮文庫」村岡花子訳)からの引用。
    この作品は、数十年間中国にキリスト教伝道をした宣教師の妻として、故国から離れて暮らした女史の母を描いたものです。透徹した愛情と、母に代わり自己表現を試みた崇高な叙事詩、文学的生命が溢れた感動的な生活記録です。


    IMG_thumb1.jpg『もし母がその理想としていたところを基準として生涯を評価したなら、自分の一生を失敗と考えたであろう、と私は想像する。あるいは、その生涯の首途(かどで)において、既に終局を見届けることができたとしたら、確かに失敗だと叫んだにちがいない。複雑を極めた母の性格のうちの、清教徒的一面の深いあこがれであった神への追求は、遂に満たされなかった。鋭敏で実際的であった母の心には、美を愛し、不可知のものを夢見る人であった。
    病めるもの、牢獄にあるものを訪れ、寡婦みなし子を憐れみ、飢えたるものを養い、悲しむものと共に泣き、喜ぶものと共に笑いながら、それでもなお足らずとして自責悔悟の念に苦しむ人々があるが、母もまたその一人であった。求め求めた神の前に立つとき、みずからの足らざるを悔いながら、へりくだった心で
    「主よ、いつ私はそれらのことをあなたのために致しましたでしょうか?」と恐る恐る尋ねる人がある。こういう人に対してこそ神は、
    「彼らになせるは、我になせるなり」と答えるであろう。
    しかしながら、よしんば母自身は失敗だと思うにしても、彼女をめぐって生活していた私たちにとっては、何と素晴しい生活であったろう』



    音楽を愛し、聴きながら涙する母。新しい時代の抵抗精神を持っていた娘パールに諭すように言いました。
    『音楽には相当に知的な理解は持っていたが、母にとって、音楽というものは、常に本質的には一種の感覚であり、情緒であった。私が生意気ざかりの青春期にはいった時分、母のこの傾向にどうも辛抱できないことがあった。彼女は偉大な音楽を聴くと必ず涙を流さずにはいられなかった。苦痛の涙ではない、あまりにも鋭敏に、興奮しやすくつくられている心は、音楽の美を冷静に享楽することができないほど、速やかに共鳴して涙がほとばしるのであった。若い娘の高慢から私は言った。
    「泣かずには聴けないんだったら、聴きに行かなけりやいいじゃありませんか」
    母はじっと私を深い眼つきで見ていたが、やがて口をひらいた。
    「お前には分からないよ。まだ分からないよ。分るはずがないよ。まだ人生を知る時間を与えられていないんだもの。いつかはお前にも、音楽は技巧やメロディーだけでなくて、人生そのものの意義であり、限りない悲しみと、堪えられない美しさとを持つものだということを悟る日が来るだろう。その時にはお前にも分るよ」』



    少女時代から求めた神のしるし。そして母の信仰に対する姿勢は、宗教的権威から極めて自由なものでありました。
    『最も楽しい瞬間にも母は自分の霊魂のことを忘れなかった。歓楽の絶頂に在って、友だちは彼女の冗談やしゃれに笑いころげている最中に、あたかもつめたい手が心臓の上にすうっと載せられたように、驚愕して考える。
    「私の永遠の霊魂はどうなるのであろう?」
    家の中の仕事をしながら、ふと眼をやった庭の風景の美しさに打たれて、天国という所はもっと美しいのだろうかなどと思うと同時に、鋭い痛みがずきずきと胸を襲って来て、
    「でも、私はまだ救われていない・・・一体私は天国へ行けるのだろうか?」
    そういうことを考えずにいることはむずかしかった。日曜日には教会堂での長時間にわたる礼拝、家庭では朝夕二回の祈祷、牧師は穏やかではあっても、肺鮒をえぐるような質問をする。父と母は、子供たちが全部「救われて」会員になるようにと熱望している。これらの事柄がみんな一緒になって彼女を圧迫して不幸にする。
    けれども母を神に駆り立てたのは、地獄の恐怖ではなかった。私は母が何ものをも恐れたのを見たことがない。母の意思に反して強制できるほどに、怖ろしいものとして地獄の有様を描写し得る人があったろうとは、私は一瞬間も信じない。否、母は善良になりたいとの熱望に燃えていたのである。私たちにもしばしば諭して言ったことがある、
    「善良であることは美しいものですよ。善い人におなり。地上で一番愛すべきものは善良の徳です」と。
    母が神を求めたのは、それが善良になり得る唯一の道だと聞かされたからである。神から離れての人間の善良は「汚れたる衣」のごときものだと聖書は言っている。
    神を求める不安のために、青春時代は不幸だったと、母は私に語ったことがある。友だちの中でももっと心持の単純な連中は次々に「回心」して、聖餐式に列した。けれども、反抗心と苦悩にさいなまれながら、母は小さな教会堂で聖餐のパンと葡萄酒の前に頭を振った。自分をも他人をも欺きたくない。彼女は祈りに祈りを重ねた。
    当時の母の日記に次のように書いてあるのを私は発見した。
    「十二から十五になるまでのあいだ、私は一週間に何回となく納屋のうしろの林の中に行き、ニワトコの茂みの中の窪地に身を投げ伏して神にしるしを求めて祈った・・・何でもいいから私を信じさせるしるしを求めた。時にはヤコブのように、神がしるしを与えたもうまではその場所を去らないと誓ったことさえあった。けれども、しるしは遂に来なかった。牝牛の頸の鈴の音が夕暮を知らせた。牝牛は乳をしぼられるために戻って来る。私も家に帰って食卓の用意をしなければならない」
    幾度か彼女は日曜学校の受持教師で牧師夫人のダンロップ夫人のところへ煩悶をうったえに行った。温和で静かなダンロップ夫人は、この情熱的な、正直な少女を「まっすぐ救いに導く」ために力を尽くした。
    「そのまま、神様に身を捧げるんです・・・それで充分なんですよ」夫人には、この色のくろい一本気な少女の心はよくは理解ができなかったけれど、可愛い可愛いの思いで一点張りの心を声音にこめてこう言うのだった。
    「あなたの心を神様に差上げるんです。何にもむずかしいことはないじゃありませんか。ね、そうでしょう?」
    けれども少女ケアリ(母)はそれ以上を望んだ。
    「私は神様が確かに私を受入れて下すったということを知りたいんです。私は捧げることはできます。だけど、なぜ神様は受入れて下さらないんでしょう? なぜ、受け入れたというしるしを見せてくださらないんでしょう?」
    これはダンロップ夫人の分別以上の質問であった。「何でもいいから、神様に身を捧げなさい。それだけでいいんですよ」と、繰返して言うよりほかはなかった。
    その数年はケアリにとって、嵐にもてあそばれている歳月であった。神の存在を認めることのできない絶望は、しばしば彼女を反対の方向へ駆り立て、無反省無軌道な放縦と享楽へ躍り込ませた。時には、身内に沸き返る青春の血の恐ろしさを自覚し、救われる見込みのない悪人は自分だと思うこともあった。自分のうちに欲念がめざめて来るのが恐ろしかった。
    この頃の母は色の浅黒い美しい娘で、年よりは成熟しており、ユーモアに富んだ、よく笑う娘であったが、また一方には、どんなに騒ぎ興じている時にも真面目さを失わなかった。赤い唇、匂やかな頬、栗色の髪が房々と「滝のように」流れていた』
    『母はまちがっていた。アンドリュー(父)は彼の説教をどんなふうにでも手伝われたりすることは望んでいない。自分の説教に満足しきっているし、妻の助言などというものにはいささかの期待も懸けていない。彼女の好む讃美歌などは父には無意味に思われ、陽気すぎると言うのだった。恐るべき地獄が、この世のむこうに口をあいて待っているのに、この世の喜びや美などを歌っているのはもっての外である。
    その上に、パウロの神学の、女は男に従属すべしという思想がしみ込んでいるアンドリューは、母が家庭を治め、子供を産み、彼のために日常の用事を弁じてさえいればよかったのだ。「男は女の頭なり」男を通じてのみ女は神に近づけると聖書は教えた。母が力の及ぶ限り、教会で婦人たちに教えるのは宜しい。すべての人の信仰と知識を試験し、教会員として受入れるや否やを定めるのは彼でなければならず、それは神の祭司たる自分の特権であり、その決定は絶対である。
    父のこの気持を見て取った母の心中には、抵抗の血が湧き立った。善良な聖者であるが故に結婚したこの男性の本質を、今はじめて知ったような気がした・・・自分に対しては善良そのものであるが、心は狭く、利己的で、専横なのだ。何たる妄言であろう。女に生れたゆえに、神に直接行けないそうだ。大抵の男よりも自分の頭脳のほうが明敏で鋭利で透徹しているではないか? 神とは、アンドリューの神のごとき、そんなものであろうか? 豊かな頭脳と肉体とこの二つの賜を両手に持った母は、それらが喜び受けられることを子供のように信じ切って、捧げたのだ・・・その贈物は無用のものとして投げ返された。母は今にして初めて真剣にアンドリューの心の本質にふれたのを自覚した。
    心に深い致命傷を受けたこの婦人の姿を描き出すに忍びない。自分から意識した言葉としては決して誰にも口外しなかったこの時期の母の生活に、解剖のメスを入れるには、私はあまりによく母を知り、あまりに親しく結びつけられている。確かに私たちは知っていた。時には制しても制し切れぬ痛ましい、烈しい言葉が母の口からほとばしり出たこともあった。けれど母は決して出放題にそういう言葉を吐いたのではなく、あとではいつも深く悔いていた。
    女性に酷なる時代・・・宗教的生涯を歩もうとするすべての者に峻厳だった時代に、生れ生(い)で育てられて来た母としては、結婚の常道から離れようなどとは思いもよらなかった。いかに相剋する夫婦であろうと、いかにその結合が空虚な殼であろうとも、いかに内面生活が相隔たっていようとも、外面のつながりは断つべきではなかった。いかなる強い愛の結合よりもなお一層強いものは宗教と義務の鎖であった』


    『神への瞑想と布教のことに気を取られている彼(父)は、妻の同伴を求めることを忘れており、気の強い母もまた自分から決して口に出さなかった。もろもろの天を貫き、神を把握することができながら、自分の側に息づいている気の強い、孤独の婦人の存在に気がつかないとは、父も珍しく人間ばなれのした人物だったと思う。父から見ればケアリは単なる女でしかなかったのだ。私は母の性情がすっかり曇りを帯びてしまうのを見て以来、聖パウロを心底から憎んだ。聖パウロの神学は過去において、私の母のような、自尊心の強い、自由を愛する女性の多くを、単に女であるというだけの理由で、どれだけ呪って来たであろう。すべての真実なる女性は彼が女の上に加えた束縛のために彼を憎まねばならぬと私は思う。この新しい時代になって聖パウロの権威が弱くなったことを、私は自分の母の名において、喜ぶ者である』

    『神のことはほとんど口にしなかったけれど、聖書を読んでいる母の姿はうら淋しかった。老年のしのびよって来るのを感じながら、みずからの生涯に計画したことを何一つ成就しなかった母は、再び昔の神を追求する心に返りつつあったのだと私は思う。しかも神はこの長い年月の間に一度として母に明確なしるしを示さなかった。新聞や雑誌で心惹かれた詩の切抜きをはさんだので、母の聖書は厚くなっていた。大部分は短い、悲しい詩やあるいはその愛する自然を歌ったものであった。母が死んでから私はそれを全部読んで、この頃の母の心の琴線に触れる思いがした。幼な子の死や故郷から流離した人々をうたった詩や、未だ神を見た者はない、ただ信仰によってのみその存在を悟らねばならぬと書いてあるものばかりだった』


    「母の肖像」のなかで重要なテーマを占めるのは、夫婦の相容れない相克でしょう。
    神に仕える聖職者としての父は、信仰に厳格であっても、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。信仰が自発的な意志=自由を土台にしたものであるにもかかわらず、形式的な解釈や教理から脱した論理的思考への可能性を閉ざしても、疑問に感じない夫。教条的な原理原則に束縛された、形式的な説法といった権威のなかで、自由な精神が失われいく。
    本来の闊達な生命の躍動が得られない形骸化した活動は、我々学会員も経験しています。宗門の恐ろしいまでの時代性への無理解は、あらゆる宗教が陥ってきた創造性の欠如というものです。 真の宗教心は創造性から湧き上がってくるものなのです。
    弛みない求道者であったパールの母は、波乱の生涯で明確な「神のしるし」を見ることはできませんでしたが、夫よりはずっと神に近かったと考えます。神の代名詞は、自由の実現ということだからです。
    妙法の信奉者は、同じ苦労の果てに「しるし」を見ることが可能でありましょう。日常の雑多な些事、悩み、人間関係の行き違いなど、わたしたちを路頭に迷わすものは数限りなくありますが、考えることを諦めない賢明な迷者であり、求道者であれば、真理も灯のように虹色の光を放ち、待っていてくれると信じます。
    わたしたちが誰かに与えることができるものは、財産や名誉でなく、信仰者としての姿勢そのものに価値を見出だす変革の思想に外なりません。それは父母から子に伝える最も重要な生き方のマニュアルというものかもしれません。

    ピューリタンであれ、ブッディストであれ、信仰者としての姿勢は変わるものではないでしょう。信仰はどのような境涯に達しようと、常に疑いが内在しているのです。絶対という言葉を簡単に使うことを躊躇せざるをえず、絶対に対する概念の把握ほど難しいものはありません。妙法で難信難解と説かれるのはそのためであり、自分で気づかなくても無邪気さのなかの邪気のように、そして一本の刺のように、疑いは誰の心の襞にも突き刺さっているのです。信仰とはこの棘を絶えず意識することなのです。何も悩まない会員に時々出会いますが、そういう人に限って正義や悪、血脈や師弟だのと、口角に泡を飛ばして声高に叫ぶ。わたしには狂信者にしか見えません。人間や世界の仕組み、信仰や仏の存在がそんな単純なものなのでしょうか。
    信仰とは聖なるものに近づくことであり、同時に不正と不公平の泥沼に足を踏み入れることであり、相反する心の葛藤に苦悶することです。実際、アンビバレントな感情の克服こそ至難な業はありません。それは人間の本質と信仰の基本に、深く関わっているからです。

    親の娘に対する愛情は、息子に対するそれよりも単純なような気がします。それはいずれの親も、子どもに対する感情は変わらないのかもしれませんが、「子供たちこそ私の最大のロマンスだ」と、パールの母が言ったように、森の奥の大樹のようなドッシリとした確信で、複雑な心奥を照らす光のような明瞭さで、愛情のほとばしりがあるように感じます。そしてどのような親であっても、ずっと真金のぬくもりのように変わることがないと、聖なるものに誓って言えるのではないでしょうか。

    妙法に対し、あるいは会員に対して、盲信とか、あやつり人形のような洗脳という言葉の評価は、人一倍信仰と自由に関して、敏感なアンテナを所有している会員には、全く的外れの指摘に外ならない。個人の内面であれ人間関係であれ社会のルールであれ、「信じること」のメカニズムを全く理解していない人が言うことです。信じることは最も高貴な行為であると同時に、勇気のいる行為であることを知らねばならないでしょう。
    また、人生において、少しでも意味あるものに出会いたいと考えるなら、献身と諦めない心を持続する信じる行為は、自己のなかにいるもう一人の最良の友として力強いパートナーシップを発揮してくれることでしょう。

    *20世紀を生きたアメリカの女性作家パール・バック。
    『大地』『母の肖像』などの作者として有名な彼女は、自らの母をこう讃えた。
    「母はどんな場合にも恐れたことがない」
    「(母は)微笑を惜まない」
    そして、「(母は)最後まで若々しい精神を持ちつづけ、不屈不撓、寛大」であったと。
    まさに創価のお母さんの姿である。

    (「第14回本部幹部会 第一回全国婦人部幹部会 でのスピーチ」2008・01・16)

    スピーチは、ケアリ(母)が信仰に深く悩んだことを言わない。神の伝道師のように悩み、神の給仕のように人々に尽くしたことを説明しないで、娘が自画自賛する母の姿の一部分だけを強調して紹介している。この本はアメリカ的理想主義の影響がある文章なのです。
    不勉強な婦人部は、自らの姿を重ねて、信仰は違っても女性として共通していると錯覚し誤解しています。自己否定寸前まで落ち込みながらも、強い意志で自己を励まし続け、信仰を求めた深い愛情と人間性を思い描くことができない。そして、その人道的慈愛は、賢明な娘に受け継がれました。親は口だけでなく、その生き方、姿を示して子どもを諭さなければならないことがよくわかります。悩む親の姿も、子どもにとって立派な教師であり続けると同時に学習の最良のテキストなのです。
    その後、娘は耐えられない悲しみに出会います。そのとき、母の生き方が心のなかにあったからこそ、荒れ狂う大地のうえでも強く生きることができたのだと思います。
    この小説で描かれるケアリの夫は、宣教師でありながら、信仰に凝り固まった盲信者。人間性を自由にする信仰の意味を、全く理解していない。神の概念を理解していない。日常生活も閉鎖的で、恐ろしく教条的。このような姿は大石寺の僧侶像とイメージが重なりますが、最近は創価の執行部にも同じものを感じています。先生が著しく指導力を無くしていることが原因と思われますが、それに乗じて、都合の良い解釈を作り上げ、正当化している幹部がいるのでしょう。会員は賢くなければ、賢い信仰を続けることができなくなるでしょう。会員の善良さも、思索した善良さでなければなりませんね。

    2日のお誕生記念日が過ぎたばかりなのに、こんなことを言うのもなんですが、先生がお亡くなりになれば、必ず先生原理主義がはびこります。師弟不二なのですから、そのご指導を永遠に原理としていくことは弟子の努めですからね。推理力でカバーしながら、または新たな解釈を作り、先生の本意はこういうことなのですと、原理主義者は語るだろう。本意などという言葉はあてになりませんよね。本意の本意、さらに深い本意などと三重にも重なった本意が勝手に作り上げられ、永遠の指導者の三重秘伝抄も編纂されることでしょう。
    疑うことを知らない純粋な会員さまに、わたしのような不純な会員が遠慮しながら申し上げますが、こんなもっともらしい指導が出てきます。つまり、聖教にも、会合でも紹介されなかった先生のご指導、限られた幹部より聞かなかったご指導、秘密にしておいた大事なご指導、ということで、今までと真逆のもっとらしい指導が必ず登場することでしょう。わかっていながら警鐘を鳴らさない先生、注意喚起をしない先生、会員のことを本当に考えているのか、疑問です。どうか創価を愛していらっしゃるのなら、パール・バックがわが子のために生涯を尽くしたように、遺言ではっきりと明言して下さい。愚かで自分勝手な弟子ばかりなのですから。


    Colors of Love
    Thomas Bergersen






    8876187.jpg


    心の英雄

    完璧な人生がないのと同じように、全く完璧でない人生も、そうざらにあるものでないと考えるのですが、途中、悩み苦しみへこたれても、だいたいのところ、収まるところに収まるのが人生というものです。くだらない人生なんて、今まで一つもなかったし、それぞれ意味を持ち、唯一のものとして主人公に委ねられているのだから。

    これといって他人に披露できる才能もないので、せめて自分の考えていることをまとめ、文章にするという作業を続けているのですが、近頃は書いて伝える難しさを痛感しています。生活上の平衡感覚は、経験と知性の鍛練から生まれるものと思いますが、文章表現もバランス感覚が大切で、納得してもらわなくても、理解してもらう程度まで表現するのは、一方に偏らず、できるだけ平易な表現が重要かと考えています。
    一年は長いようで短く、振り返ってみれば、何も成長していないように思われて、何かを成就することの至難さを考えずにいられません。果たしてこんな頼りなさで、新しく時代を開き、リーダーになることができるのかと考えると、心もとない気分に見舞われます。

    芯になる哲学は一つでも、多様な展開と深い洞察をみせる池田思想は、よほど脳を明晰にしておかないと理解は難しいように思われますし、また他の人に分かりやすく説明するためには、どうすればいいのかと、悩むのがわたしのセルフ・ミッションと言えばいいのでしょうか。理解したうえで、自分の言葉で語ることが大切です。今は情報過多のせいなのか、自分を失い、自分で考え、自分の言葉で語る人が少なくなりました。妙法の信仰者であっても創造力をなくし、他者を思いやる本物の言葉を語れなくなったのです。
    新鮮な話題を求めている会員に、聖教の記事を引用するのは良いとして、ただの紹介と解説だけに終わるのはどうかと思います。感動を語ることは簡単ではありませんが、かっこよく話をまとめようなどと考えるのは問題外です。ノーコンテンツ・ノーコンフィデンスな話は、ムダの最たるもので会合に集った意味がありません。青年の息吹きが感じられない信仰者の姿勢は、善のなかの悪、使い古された年老いた正義です。
    先生のご真意は深いと考えますが、教学上の理解をベースに、対談集や講演、論文等を精読し、目的観に立った人間の生き方を求めて行動を起こしていくことは、青年の使命です。個々の信仰向上と英知の結集、連帯が望まれます。青春を懸けて、幸せと苦難の道を選びたい。


    ☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

    できるだけの善を行なうこと
    何にもまして自由を愛すること
    そして、たとえ王座のためであろうと
    決して真理を裏切らないこと
    Ludwig van Beethoven
    (1770~1827)

    ☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆


    『思想あるいは力によって勝った人々を、私は英雄とは呼ばない。心によって偉大であった人々だけを、私は英雄と呼ぶのである。彼らの中の最も偉大な一人、今ここに私がその生涯を語る人が言ったように、《私は善良さ以外には優越さの証拠を認めない》。性格が偉大でないところには、偉人はない。偉大な芸術家も、偉大な行動家もない。そこにあるものは、卑しい大衆のための空虚な偶像だけである。時はそんな偶像はひとまとめにして壊してしまう。成功はわれわれにとっていっこうに重大なことではない。問題は偉大であることであって、偉大らしく見えることではない。
    ここに私が物語ろうと試みる人たちの生涯は、ほとんど常に長い受難の生活だった。悲劇的な運命が彼らの魂を、肉体的ならびに精神的苦痛や、悲惨や、病気などの鉄床(かなとこ)の上で鍛えたにせよ、あるいは、彼らの兄弟たちを苦しめている言いようもない苦痛や屈辱を見て、彼らの生活が荒らされ、彼らの心が引き裂かれたにせよ、彼らは試煉を日々のパンとしてたべたのである。そして彼らが精力によって偉大であったとすれば、それはまた彼らが不幸によって偉大だったからである。不幸な人々よ、あまり嘆くことはない。人類の最良の人々は彼らとともにいるのだ。彼らの勇気をわれわれの糧としようではないか。<中略> 人生は苦痛の中においてこそ最も偉大であり、実り豊かであり・・・また最も幸福であるということである。
    この英雄的な軍隊の先頭に、私はまず強くて純粋なベートーヴェンを置くことにする。彼自身、自分の苦しみの中にあって願ったことは、自分の実例が他の不幸な人々の支えになることであり、また《不幸な人間は、自分と同じように不幸な人間が、自然のあらゆる障害にもめげず、人間という名に値する一個の人間になるために全力をつくしたことを知って、自分を慰めねばならぬ》ことであった。幾年もの超人的な闘いと努力とののちに、ついに自分の苦悩にうちかち、自分の義務を果たした時・・・この義務は、彼が言ったように、不幸な人類に勇気を吹きこむことであった・・・この勝利者プロメテ(プロメテウス:ギリシャ神:人類に文字を始め数々の知恵を与えた。ここではベートーヴェンのこと)は、神に加護を祈っている一人の友人に、《おお、人間よ、自分自身で自分を救いたまえ!》と答えた。
    彼のこの誇らかな言葉から、われわれは霊感を汲みとろう。彼の実例によって、人生と人間とに対する人間の信仰をよみがえらせよう!』

    ロマン・ロラン「ベートーヴェンの生涯」新庄嘉章:訳(角川文庫) 

    ロマン派音楽は、形式よりも個人の感情や創作意図を重視して、自由な個性や内面を尊重した音楽と言えますが、詩や小説にインスピレーションを受けて、言葉によってメッセージを伝えようとする傾向が強い。
    第9交響曲は「苦悩から歓喜へ」というテーマの第4楽章のシラーの詩に託されていると考えますが、重厚で悲劇的なニ短調から始まる曲想は、強い人間意思と神への敬虔な祈りを経て、歓喜に至る。フランス革命という市民意識の目覚めと教会権力からの独立は、貴族の庇護から音楽を解放しました。古典派とロマン派の狭間に生まれたこの偉大な作曲家は、人類愛という理想主義思想を、強い共感と類稀れな純粋さを持って構想したのでした。

    第9の初演は1824年5月7日、ベートーヴェン自身の指揮で帝室宮廷劇場において行なわれました。聴覚を失っていた作曲者を補佐するため、イグナーツ・ウルラウフという指揮者が隣りに立ち演奏されたという。現在の水準と比較すれば、演奏レベルもさほどでもなかったと言われておりますが、作品の素晴らしさはそれらの欠陥を忘れさせ、崇高な感動に輝きました。アルト独唱を務めたカルリーネ・ウンガーは、その模様を書き遺しています。
    『演奏が終わった瞬間、すべての人々の目には涙が光っていました。ベートーヴェンはその拍手にとり囲まれていたにもかかわらず、おそらく何も聴こえなかったのでしょう、聴衆に背を向けたまま、まだ指揮棒を振り続けていました。たまりかねて私がベートーヴェンを熱狂する聴衆のほうに向けると、聴衆はこの大作曲家が実はひとつの音すら聴くことができなかったことに気づいたのです。やがて会場は同情と賞賛の嵐につつまれ、中には大声で泣き出す者も現れました。そしてその歓喜の声は、永遠に消え去ることがないように思われました』

    ブラームス派とワーグナー派が対立するのは、ベートーヴェンの死後30年後のことです。しかし、どちらの派閥に属する音楽家も、ベートーヴェンを敬愛しました。
    自信が鎧を被ったような大言で他を辱め、壮語で有頂天に昇ったワーグナーも、この天才の前では、何も言わず静かに、こうべを垂れた。災いの元になる大きな口をふさいだ。眉間にシワを寄せ目をギョロつかせた天才の肖像画を、官能的なまなざしで飽くことなく見つめ、可憐なイゾルデに、燃える愛を告白するトリスタンのように、素直に胸をときめかした。
    ブラームスは20年の歳月をかけて交響曲第1番を完成させ、伝統的、古典的な交響曲の形式に則り、緻密な構成のなかに内省的な激しさを加えて、青春の息吹きと勝利への闘いを描いた。そのメッセージの普遍性は、絶対的ともいえるベートーヴェンというイグザンプルがあったからと考えます。

    ベートーヴェンも影響を受け、人間の可能性を信じ理想主義的側面を過分に持つ、カント哲学の美しさは、理性宗教として大乗的人間像と重なる部分があるように考えます。
    ベートーヴェンの胸の内には、一神教としてのキリスト教とは異なる内なる神と信仰が、育まれていたのではないか。天才の中心を貫いていた自由精神の対象は、宗教的寛容の光彩に彩られた偏見のない多様な神々だったのではないか。天才がインド思想にまで近づいたのは、十分に理由があったのではないかと考えるのです。
    仏は、わたし達に理性的な祈りを求めています。それは宗教批判の原理に顕著です。それはまた肯定的な生命の喚起を促すものであり、しかも最も深い寛容のニュアンスを含む道徳的行為でもありましょう。人としての振る舞いが信仰というのであれば、不朽の音楽の前で魂の歓喜を掴んだベートーヴェンの創造力は、悲劇が終わることを祈り、人間としてできる最大限の情熱を傾けて、神に代わって真理を提示する闘いを実行したと言えます。教会に行くことだけが信仰ではない。神におとなしく帰依するだけが信仰ではない。どこまでも内面の問題なのだと、宗教的霊感を与えてくれる<第9>は、熱く訴えているように、わたしには感じられるのです。
    神聖なる場所があるとしたら、それは誰の心のなかにも平等にあり、善を行なうことを自分に課したドイツ生まれの自由人が証明したように、自分に打ち勝つ力が存在する場所のように思われます。温かく優しく抱擁する愛情が溢れた場所。衰えも病も迷いも死に絶えた場所。夢が叶えられる素敵な場所。内なる平和と外なる平和が実現できる場所。詩心が響き合う場所。
    『すべての作品は共に深い詩情にひたされ、その一つ一つが、あるいは叙事的、あるいは叙情的、あるいは劇的な一個の詩、精密かつ緊密に作られている点では、言語によって書かれたもっとも美しい詩に匹敵し、しかもそれ以上に深く意識下の世界にまで入り込む一個の詩になっている』:ロマン・ロラン

    何かを実現するためのモティーフは無数にあるけれど、でもしかし、足踏みしているだけの弱き心の情けないわたし。学ぶことも行ないも、指揮台に立ってオーケストラを奏でるようにはいかないもどかしさと憂鬱感。失礼しました、わたしの愚痴ですね。

    音楽に対し、さまざまなアプローチの仕方はあるでしょう。どれが正しくどれが間違っているなどとは言えません。固有の表現は、表現者の個性であり形式といってもよいでしょう。
    ロマンティックな人生は、感情が豊かであり、深い内面で苦しみに耐えながら熟成されるもの。ベートーヴェンが到達した高みは、彼の精神が堅固でありながら柔軟であることを示しているように感じられます。
    崇高さと祈りは表裏一体のもの。その崇高なものが存在しなくなった現代に、ベートーヴェンがたどった魅力的な遍歴のなかに、人間であることの奇跡と喜びをアダージョのうねりのように感じていきたい。

    おお! 人生は実に美しい!
    だがぼくの人生には、どんな場合でも、苦い毒がまぜられている


    年末になれば、ベートーヴェンの「第9交響曲」の演奏会が頻繁に開催されます。日本だけの習慣のようです。年末よりも新年のほうがふさわしいように思えるのですが、海外においては、演奏時間が長いため(約70分)に、部分的に演奏される機会もあるようです。海外での生活経験のないわたしにはよく分かりません。


    ☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

    おお友よ、このような音ではない!
    我々はもっと心地よい
    もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか
    Beethoven

    ☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆



    小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラ小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラの<第9>を女子部のとき買いました。02年9月5・7・9日、長野県松本文化会館でのライヴ録音です。<第9>としては3枚目のアルバムです。
    サイトウ・キネン・オーケストラは、海外でも良く知られています。国際的な評価の高まりは、小澤の世界制覇の歩みと共にしています。02年ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを指揮し、さらにボストンを離れてウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。衰えない情熱に支えられて、名実ともに名指揮者の風格と円熟の足跡を重ねてきました。小澤とサイトウ・キネンの約10年にわたるベートーヴェン・シリーズの完成と結論が、この<第9>なのです。
    個人的な感想を言わせてもらえば、弦の美しさとスピード感はとても魅力的であり、余裕さえ感じる密度の濃さと精神的な力強さは、一つのスタンダードとしての気品があります。決して重厚にならず、軽快なアンサンブルの方向性は、クラシックに触れるチャンスをより楽しいものにしてくれるでしょう。東京オペラシンガーズのコーラスは極めてすがすがしく響き、この演奏を成功に導いた大きな要因になったと考えます。

    Leonard Bernsteinカラヤンと人気を二分したスター・コンダクター、レナード・バーンスタイン。わたしが最初に買い求めたこのCDは、79年のウィーンでのライヴ録音。61才という円熟期の名演と言われていますが、王道を行く安定感、エネルギッシュな情感、いかにもアメリカ的な明快さとスぺクタクルというところでしょうか。バーンスタインの知性と激しさが両立、第4楽章は、至高の美しさで、ダイナミックな高揚感に心を奪われます。張りつめた緊張感が素晴らしい。<よろこびに勇み、勝利の大道を歩む英雄のように>怒涛のフィナーレは圧倒的です。

    ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラ08年に、イギリスの音楽誌「グラモフォン」にオーケストラ・ランキングが掲載されましたが、見事1位にランクされたのは、アムステルダムに本拠を置く「ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラ」です。クラシック関連の雑誌のオーケストラ・ランキングでは、常に上位にランクインしています。
    コンセルトヘボウと言えばハイティンク。61年から88年まで首席指揮者を務め、コンセルトヘボウへの貢献ははかり知れません。映画「Copying Beethoven(敬愛なるベートーヴェン)」で<第9>演奏シーンを聴いたとき、即座に分かりました。映画製作者もこの素晴らしい<第9>を愛しているのだと。そして同じ眼差しでベートーヴェンを見つめ、聴いていると共感したのです。
    わたしはビデオで見たこの映画が大変お気に入りになって、アンナというハンネは、この映画のヒロイン・写譜師アンナ・ホルツから、ちゃっかりいただいたものです。
    葛藤と苦しみのなかで内省を繰り返すことから、偉大なものが生まれる。<第9>のテーマは重く、しかし、とても重要なメッセージが込められているものと考えます。また第4楽章のように祝典的な派手さもあるのですが、わたしはこのハイティンクとコンセルトヘボウのコンビが一番しっくりと心に響きます。なんとも言えない高揚感に満たされます。中庸をいく知性と感性は、そう簡単にお目にかかれるものではありません。流麗な音の重なりと清澄な響きは、ハイティンクの緻密な構成力と解釈の妥当性によるものでしょう。日本での評価は低過ぎるように感じますが、普遍的な美しさとはこのような演奏をいうのだと確信します。

    「哲学するということは、どういうことなのだろうか?」
    学生時代、創価教育学を学ぶにあたり、最初に疑問に思った基本的な命題は、実は最も根本的な問題であることに、その後気づきました。
    わたしが哲学することの面白さと充実感を感じたのは、創価教育学へ足を踏み入れたことから始まります。教員免許は取りましたが、教職への道は進まなかったわたしは、大学で学んだ諸々のことを、毎日の忙しさのなかで、しばらくの間すっかり忘れていました。父から、創価教育学についてたずねられ、十分に答えることができなかった錆び付いた自分の脳ミソに気づくと同時に、学ぶことをおろそかにしていた迂闊さにショックを受けました。

    創大生であれば誰でも知っている、創価教育学の3つのテーゼは次のようなものです。
    『経験より出発せよ。価値を目標とせよ。経済を原理とせよ』
    「創価教育学体系」での3つの基本テーゼの詳細は省略させていただきますが、この教育学に対する普遍的とも言える問題提起とアサーションは、複雑難解な解答への旅路も、ありがたいことに準備しておりました。

    観念的、理性中心のカント哲学と、経験的、功利主義的な牧口創価思想とは相容れないものです。とはいっても、カント派哲学から多大な影響を受けたのは事実。再解釈し変質させ、教育現場から学んだ実際的な経験から深く洞察した見識を加味し、教育指導体系を構築しました。創価教育学に通底する幸福主義は、アリストテレスの幸福論との共通性も指摘されていますが、リアルに人生と教育と卓越した人間の行動を追い求めた牧口先生の最良に有用なパラダイムは、強固でありながら、本質的な人生哲学ということもできるでしょう。
    カント先生は、「純粋理性批判」のなかで、哲学は歴史的な認識の学びでない場合には、学習することができないと言い、理性に関して言えば、哲学的に思索することを学べるだけであるとご教示されております。また、書物に書かれてあることは、伝統に依拠した確固とした土台に乗り、信仰もまた教義と解釈の歴史を積み重ねており、このような長い歴史と伝統、そこから導きだされた真理は疑いがないように思えて、不動の重しのように動かない。しかし、ただありがたく尊重することだけで終わったら、考えるという人間の仕事は失われてしまうと言いました。感化されやすいわたしには、なるほどと思えてきます。同時に、現代に最も必要な見識なのではと思えてきます。

    自律した思考の原則として重要な3つのポイントを提示しております。
    1.自分自身で考える(先入観を持たない)
    2.他者の思考を柔軟に受けとめる(自分を他者の立場に置いてみる)
    3.思考の一貫性と整合性を点検する(自分の思考が他者を無視していないか、また他者の思考を吟味もせずにそのまま受容していないか、を点検する)
    カント先生はまた、何より重要なことは、公衆を啓蒙すること、自らの力で考えさせることだとおっしゃいました。古い体制を革命によって転覆できても、人びとの思考方法が古いままであれば、革命で新しくできた体制も同じものになってしまうということです。「自分で考える」ことを強制するのは自己矛盾です。大衆に自由を与えること、受動的ではなく能動的に、他律ではなく自律に思考することを学ばせることだと、偉大なるカント先生は呼びかけたのです。仏法で説く民衆覚醒運動、また依存ではなく開目抄で説かれたたくましく切り開いていく自存の精神ということですね。信仰への深い自覚と、自我への信頼こそ、幸福への原点です。

    『もの思う人間は苦悩を感じる。これはものを思わぬ人は知らない悩みであり、あるいはこの苦悩から道徳的な堕落が発生するかもしれない。この苦悩は、世界のすべてを支配している神の摂理に満足できないために生まれるからだ。それに諸悪が襲いかかり、人類を悩ませていて、いかなる改善も期待できない(ようにみえる)からだ。しかしわれわれがこの摂理に満足することは、きわめて大切なのである。この摂理がたとえ人間のために地上で辛苦の多い道程を定めていたとしてもである。それはこうした艱難のうちでもつねに勇気を失わないでいるためであり、またこれらの悪を運命の責任に転嫁しないためでもある。これらのすべての悪の責任は人間だけにあり、人間がその唯一の原因なのである。われわれはみずからを改善すべく努め、諸悪に対抗するための工夫を怠ってはならないのである』
    「人類の歴史の憶測的な起源」1786年・カント(Immanuel Kant)

    ベートーヴェンは、カント哲学研究会に参加し、自分で考えて行動することの普遍的な意味について重要な示唆を得ました。そして途中の過程を大幅に省略して言えば、善を実現し、人びとを幸福にするために、人類的愛の価値の尊さを理解しました。自己の苦しみから出発し、万人の幸福を願うヒューマニズムに至ったものと思います。ヒューマニズムとは救済の道ということです。
    ベートーヴェンの苦悩とは、最初、避けることができない身体的苦痛から始まりました。よく知られていることですが、28才という青年期から、難聴に苦しめられたのです。しかし、この頃から、それと引き換えるように、失望と正反対の爆発的な創造の嵐が、彼の内部で吹き荒れます。古典的形式を土台としながらも、革新的な手法で次々と傑作を生み出していきます。古い伝統を門の表札のように掲げた者たちは、ベートーヴェンの音楽を忌み嫌います。まるで祭壇を汚す異端者であるかのように、冷たく突き放し、無視し、紙屑のように楽譜を床に叩きつけたのです。新しい扉を開く芸術と理の調和は、野蛮な無知と無理解によって、いつも阻害されます。
    音楽に心身を捧げようとする者が…音楽で世界に貢献し善良なる心の表現手段として、その権利の行使を喜び勇んでいる者が…音楽が神から与えられた神聖なる天職として、自らの生きる力としている者が…聴覚を失うという悲運は、一体どういうものなのだろうか?
    視覚を失った者が、絵筆を取るようなものなのでしょうか。手足の筋肉を失った老人が、若者のように俊敏にダンスをするようなことなのでしょうか。声を失った者が、どうしてコミュニケーションをとればよいというのだろうか。声の響きに優しさと愛を込めて伝えようとしても、波動は体外から出ず、脳のなかで反響するだけという悲しみを、どのようにして伝えればよいのだろうか。甘い果実は、舌と味覚がある者だけが味わうことができる。音楽という果実に含まれる神秘的な豊かさも幸福感も、聴覚という舌があればこそというものです。
    ベートーヴェンは、音楽家にとって致命的ともいえる運命に直面し、絶望のなかで死を望みました。彼は遺書をしたため、ハイリゲンシュタットに住む弟たちに送りました。32才のときです。
    『私のそばにだれかがいて、彼には遠くの笛の音が聞こえるのに、私には何も聞こえず、彼には羊飼いの歌声が聞こえるのに、私には相変わらず何も聞こえない時には、私はなんという屈辱を感じたことだろう! こうしたことをたびたび経験したので、私はほとんど絶望した。もう少しで、自分で自分の生命を絶つところだった・・・私を引き止めたのは、芸術である。ただこれだけである。ああ! 自分に課せられたような気のする仕事を完成しないでこの世を去ることは、私には不可能に思えた。そこで私は、この惨めな・・・ほんとうに惨めな・・・生を引きのばし、ちょっとした変化で私を最善の状態から最悪の状態におとし入れるような敏感な肉体を引きずってきたのだ!・・・忍耐だ! と人は言う。私が今案内者として選ばねばならぬのはそれである。で私は忍耐した・・・堪えたいと思う決心が長く持続してくれればいいが。冷酷な運命の女神たちが、私の生命の糸を断ち切りたくなるその日まで。私の状態がよくなるにせよ、あるいは悪くなるにせよ、私に覚悟はできている・・・二十八歳にして早くも諦めきった人間にならねばならぬというのは、容易なことではない。それは芸術家にとっては、他の人々にとってよりもずっと辛いことだ』

    アンナ・ホルツのような聡明で忍耐強い女性がいたら、どんなにか幸せな瞬間があったことだろう。わたしたちは、アンナのような優秀な写譜師にはなれません。わたしの場合、そもそも、音楽自体を理解しているとは言えないからです。ただ聴いて、感覚的にその美しさを把握し、拙い言葉で感想を述べるだけ。素直に聴くこと、素直に見ること、素直に手を差し出し、あなたの手を握るだけ、あなたの心に触れるだけ。

    ヨーロッパ大陸を縦断するアルペン山脈の、ひときわ高い峰であるベートーヴェンの思想性は、音楽全体を覆う雲のようであり、音楽世界を照らす太陽のようであり、恒久的な過去の光であり、輝く未来でもあります。
    山の頂は天に近く、覚悟のない人びとを近づけようとはしません。
    また、ベートヴェンは、道徳的大地に立つ、大樹のような、屹立した人格の象徴です。
    大樹の限りない豊かな茂りは、心の歓喜を表し、一本一本の枝先には、未来の平和と繁栄、それぞれが信ずるものへの寛容が芽を吹こうとしています。

    もしもわたしに貢献できることがあるとすれば、ベートーヴェンの思想、音楽、人生を懸けて訴えようとした愛の卓越性と、弛まない善意を信じた自由の在りようを、文字にして伝える写譜師になることだと思うのです。
    創価のアンナは、創価思想のビジョンと平和へのスタンスを、師の言葉を借りて、また学習し咀嚼し、新しい生命の音楽として、語り尽くすことだと考えております。理想とする仏の存在は、自由精神を実現した最も高貴な当体と考えるからです。


    ピアノソナタ第8番ハ短調作品13<悲愴>
    Klaviersonate Nr. 8 c-Moll "Grande Sonate pathétique"
    ウラディミール・ホロヴィッツ苦難に追いつめられ、乗り越えようとした自己の内面の表現は、ロマン的な斬新な技法を可能にしました。新しい言葉で新しい表現を試みるという画期的作品。ピアノソナタの傑作。男性的な意志の強さ、情熱的な説得力のなかに、美しく気高い女性的な美音の追求があります。前へ進むことに恐れを抱き、孤独に耐える切ない命の喘ぎが聞こえる。重荷に服従しない精神の戦い。炎のような啓示をうけるピアノの霊感。このなかには、その後の多くの楽曲の着想が見受けられます。溢れ出る奔流は、誰人も止めることができない。悲嘆のなかに優美さと才気がほとばしる。

    清き悲しみよ! うるわしき大胆さよ! (1798年、28才のときの作品)

    名ピアニスト・ウラディミール・ホロヴィッツは、研究熱心なことでも知られました。彼のレパートリーのなかでのベートヴェン解釈は、ロマン的色彩が濃いように思えます。スケールの大きさ、際立ったテクニックの粒立った音の濁りのなさは、流れるように優美で心地よく、個性的でありながら魅力的な美しさです。わたしの好きなピアニストの一人です。


    われらの衷(うち)なる道徳律と
    われらの上なる、星辰の輝く空! カント !!

    Beethoven♥



    ew8934.png


    + Read More

    不変のものと変容するもの

    Coldplay<Christmas Lights>
    クリス(ヴォーカル)のクリスマス。
    クリスのためのクリスマス。
    すべてのクリスという迷える者への光。




    ルーツをたどれば、ロックンロールはアメリカを中心とした音楽文化。世界中の音楽が相対化されていくワールド・ミュージックの時代に、ロックンロールはポップ・ミュージックの一形態に過ぎないのかもしれませんが、閉じた世界ではなく、異種交配を重ね、ミックスを経ながら進化してきました。価値観を書き換える音楽こそ、ロックンロールを形容するにふさわしい捉え方でしょう。リズムは深く民族の伝統音楽に根付いている。多様性としての折衷は、ルーツを遡りながら、複雑な混血主義を反映し、多様な感情表現として拡大と変容を続けていくと考えるのです。ロックの躍動は、文化衝突のエネルギーを増大しつつ、ワールド・ミュージックの融合に向かって、そのスピードを加速し、未来になだれ込んでいくに違いありません。
    新しいサウンド、バンドの形態、テクノロジー、ヴィジョン、すべてが深化のなかで、アートの主権を獲得していくことを念願します。ロックを補完していくものは、ロックよりありません。わたしを補完するものはわたしよりなく、あなたを補完し、元気づけるものは、あなたの強い心よりありません。


    近ごろの寒暖の差の激しさのせいなのか、体調がおもわしくなく、咳が出たり熱っぽかったりするので、きょうはゆっくり身体を休めようと思っていたのに、こんな記事を書いたりして。日ごろの急進的な行いを反省しつつ、うつらうつらに考えごとなどをしております。
    ごめんね、いつも優しくしてくれているのに。
    熟慮と行動、ときにはハッタリとカモフラージュ、戦闘心、誠実さ、信念など、普通一般に言われているリーダーとしての素質を磨くために、後には引かないなどと勇ましいことを、口にはしませんが、健気に常日頃の心得としておりますが、体調が悪かったりすると意気込みも萎えてしまうのは、仕方ないことなのでしょうか?
    何事も継続することに意義があり、それは簡単なようで難しいことですが、わたしにとって、持続する執念が少ないような気がします。それでも、自分のことをある程度分かっていれば、自己弁護ではなく、潔く反省し、人間的成長と強い意志を磨くために、懼れずチャレンジしていきたいと、気持ちもあらたに考えます。
    関係ありませんが、日曜日にチョット片付けものなどをして、重いものを持ったせいか、少し筋肉がついたような気がするのですが、たくましい女子も素敵ですよね。

    Viva La Vidaフランスの象徴、ドラクロワの「民衆を導く自由」に激しい筆致で、≪Viva La Vida≫と、ペインティングされたアートワークを、しばらく眺めていました。「自由」「戦い」「革命」、そんな言葉が思いうかんで、聴く前から、興奮したのを覚えています。耳が痛くなるような喧騒な音が充満する現在のロック・シーンにあって、コールドプレイは時代性を超越し、トレンドやカテゴリーの外に、自分たちの世界を築き上げてきました。夜空にひときわ輝く星のように、そのサイレントな宇宙は、普遍的な色彩を帯びて、いつの時代にも受け入れられるエッセンスを持っていると思います。エモーショナルなサウンド構成は、わたしたちのハートにひたひたと、音楽的体験のカタルシスを味わせてくれるのです。日常のストレスや苛立ちから解放してくれるのです。
    コールドプレイの世界的なブレイクは、人間の心理のエニグマ的要素に、優しく語りかける癒しの効果があったのかもしれませんね。
    思慮深い?わたしは、この歴史的名盤をあらためて考えました。
    ドラクロワのマリアンヌは、何を象徴しているのでしょう?
    フランス革命を描いた最も有名な絵画に、何か意味があるのだろうか?
    そして、ガヴローシュの運命は、のちのち有名な作家によって、フランス一の著名な少年になるのですが、革命の戦場にシルクハットの紳士とは、やはりフランスの国民性と言うべきなのでしょうか。それにただ単純に、ふくよかな胸も露わな女神に、男たちが惹きつけられたのかもしれないなどと、考えたら妄想が広がり、際限なく横道に逸れていくので止めにします。
    ライナー・ノーツが指摘しているように、タイトルがすべてを言い表しているでしょう。

    <Viva La Vida or Death And All His Friends すばらしき人生と死>
    いきなりロックンロールの本質を突いてきたわね、とわたしは身構えたのでした。革命は詩心だ。いや、詩心が革命の原動力と言うべきか。
    冒頭から一聴しただけでコールドプレイと分かる。
    エスニックな雰囲気は、インターナショナルな世界観の提示と解釈しました。これ以上の成功は望めないというほどの勝ちを収めたバンドが、更なる冒険に旅立つために、世界をもう一度見直してみるという行為は自然なものです。特徴的なのは原初的なリズムへの接近でしょう。ロックにとって最も大切なものはリズムです。リズムが土台のように楽曲を支えているといってもよいでしょう。
    音波のうなり、ストリングス、複雑なリズムが一体となって押し寄せてくる。さらに転調の鮮やかさ、自由な曲想、想像力を刺激するメタファーな詞、精神的なガッツさをみせて持続する緊張感、変わらないブリリアントな展開と構成。コールドプレイはリスナーにロックの素晴らしさを、まだ無限に広がる可能性を見せてくれたのでした。

    テーマは “Life”と“Death”。
    西洋と東洋、またアフリカの死生観は根本的に異なっています。単純に、ワールド・ミュージック的なアプローチで表現するには重過ぎるテーマです。わたしは彼らの興奮と意気込みには、惜しみない拍手を送りたいと思います。しかしテーマを十分に消化しているとは思えないのです。テーマの設定と迫り方にやや不足を感じました。
    前作に比べればよりシャープさを増し、コントラストが鮮明なクリア・サウンドに変身したとも言える。また世界観を広げ、さらに一歩踏み込んだワールド・ワイドな視点が新鮮。数々の傑作をものにしてきたアーティストであり、名プロデューサーであるブライアン・イーノの力なのかもしれません。

    このアルバムで大事なことは、誰も指摘はしておりませんが、“Life”と“Death”という両極に位置する言葉の選択です。これはロックンロールのあり方と深く関わっています。

    不変のものと変容するもの。
    巌のように不動のものと陽炎のように揺らぐもの
    生の活力と死の静粛さ。生死即涅槃。
    動と静。成長するものと退化するもの。

    いかようにも解釈の幅は広がり、またそれぞれの立場で、原理と応用を適用するように、おもしろいように命題が見つかるのです。
    ノーマルとアブノーマル。
    伝統性と現代性。
    古典とロマン。
    オリジナリティとインプロビゼーション。
    長調と短調。
    普遍性と大衆性。
    正義と悪。
    平和と戦争。
    美と醜。
    明と暗。
    上昇と下降。
    塊と広がり、などなど。
    実と虚。
    マクロとミクロ。物質と虚空。
    この二面性を振幅するダイナミズムが、ロックンロールの醍醐味とも言えます。

    世俗的でありながら聖なるもの。
    刹那的でありながら永遠なるもの。
    神聖なるものとわたし。

    そして、わたしのなかの純潔な愛と裏切り。
    理性と感情。
    善意と悪意。
    賢明さと愚かさ。
    優しさと冷たさ。
    喜びと苦しみ。
    献身と失意。
    祈りと憎しみ。
    強さと弱さ。
    柔のなかに剛がある。
    わたしの血脈にも真っ赤なロックンロールが流れている。
    「美しき生命」と名づけられたこのアルバムは、希望を持ちアクティブな姿勢で生きるためのメッセージを、美しき旋律に書き下ろしたものです。コールドプレイの歴史に、新たなチャプターが用意されたのです。
    <Life In Technicolor> そんな色彩豊かな人生。そして、どこまでも変わりなく普遍的な光を求めて歩みたい。

    この動揺する時代に
    自分までぐらつくのは
    ただわざわいを増すばかり。
    おのれの志を守ってゆずらぬ者だけが
    世の中をつくりあげて行くのだ。

    ☆ゲーテ『ヘルマンとドロテア』

    仏法では不変的な志を説く。世俗の皮相さの奥に本質があり、諸悪のなかに一善がある。
    多数のなかの一人として、わたしも、志、堅固でありたい。


    653-09n.jpg


    【 ALL ENTRIES 】
    khh-01.jpg
    【 NEW ENTRY 】
    【 COMMENTS 】
    <>+-
    【 ARCHIVE 】
    【 CATEGORY 】
    【 BlogMURA 】
    saku-001.jpg