詩人と音楽

    前にも言ったことがあるのですが、プレイヤーは最良のリスナーであるべきだと思います。自分にとって必要な音楽的な思想、アプローチの仕方など、過去のミュージシャンから学ぶべきものは多く、特に、ロック・ビギニングとも言うべき60年代の創造性に溢れたシーンには、ドキドキするほどのダイナミズムと瑞々しい感性に魅力されます。

    大学時代、図書館で<ボブ・ディラン全詩集>という本を見つけ、ラッキー!とVサインをしたい気分でしたが、あまりの分厚さに戦意喪失。結局読まずに終りました。稀有な詩人の歩みに、今でも畏怖の念を持っていますが、昨年、ノーベル賞を受賞したときは、十分過ぎるほど資格があると考えていたわたしにとっては、遅すぎるくらいでした。
    初期の傑作<追憶のハイウェイ61>は、ディランにとって、大きな転換期となったと同時に、ロック・ミュージックの流れを変えた60年代の最重要アルバムと考えます。プロテストソングという政治的メッセージ性の強いフォークから、ロック・ポピュリズムへ、エレクトリックの力で切り開いたディランの才能は天才に値する。フォークはアコスティックでなければならないという偏見を打破し、エレキギターを持ったときは、激しいパッシングを受けました。音楽的必然でエレキの可能性を体現していたのに、保守派や現状維持派は、古いものに価値を見出し、改革することに抵抗を示すのです。自由なポピュラーソングの世界ですら、ある程度の時間が経つと、定型の音楽パターンを越えるものは嫌われてしまう。
    まだ読み終えてませんが<ボブ・ディラン自伝>はかなり面白い。
    特にデビューまでの描写はさすが詩人、ニューヨークのショービジネス、エンターテインメントの世界を生き生きと描いております。<クラプトン自伝>は淡々と、まるで他人事のようなストーリーを読んでいる印象でした。クラプトンの性格を表していると思いました。
    <クラプトン自伝>もおもしろかったのですが、<ボブ・ディラン自伝>の方が読み応えがあります。印象的なのは大物プロデューサー、ジョン・ハモンド。新人スカウトにかけては並ぶことがない有能な人物で、未来の音楽シーンを先取りするような見方、考え方は凄い。プロデューサーは時代を作る、シーンを演出するのが仕事なのだとあらためて感心しました。
    ディランの若者らしい率直さと悩み、野心、音楽を愛して止まない心情に共感できます。わたしも音楽を愛して止まないと、ディランに伝えたい衝動にかられました。彼もまた、頭から水を浴びたように、音楽の魔法にどっぷりと浸かってしまった、優しい使徒なのです。今まで雲がかかってはっきり分からなかったディランの等身大の人物像が、鮮明に浮かんでくるようです。ますますディランが好きになりそうです。

    アメリカンフォークの源流には、一人のシンガーがいます。伝説の国民的シンガーですが、開拓者というキーワードで、アメリカの詩人・ホイットマン(1819~1892)と共通する精神が感じられます。ウッディ・ガスリー(1912~1967)、貧しいけれど歌わずにいられなかった強い衝動は、矛盾や悲しみを乗り越えて訴えかけてきます。
    ボブ・ディランもアメリカンフォークの系譜のうえに在り、ウッディ・ガスリーの影響を受けている。正しく言えば、アメリカ生まれのシンガー&ソングライターで影響を受けていない人間はいない。「ガスリーズ・チルドレン」と呼ばれる人々です。

    『ガスリーの考える音楽とは、揺らぐことのない原則を追及する手段でなくてはならず、そのための必然的なかたちをとっていなくてはならなかった。そして彼の場合、その原則はきわめてわかりやすく、オプティミスティックで、明快なものだった。歌を作り、それを歌うものは、人々に語りかけるべき確たるメッセージをもたなくてはならない。・・・
     ウディ・ガスリーは(彼の考える)正しき音楽にとって必要な「精神的支柱の立ち上げ」を、ほとんど独立でおこなったのである』
    (村上春樹「意味がなければスイングはない」)


    Woody Guthrie - This Land Is Your Land





    草の葉『今このときからぼくはきっぱりと宣言する、ぼくは空想上の境界線や限界からは自由になって、
    行きたいところへ足を向け、ぼく自身をぼくの絶対無二の主人となし、
    他人の言葉にも耳を傾け、彼らの言いぶんをじっくり考え、
    立ちどまり、探しまわり、受けとり、考えこみ、
    ぼくを縛ろうとする制約を、穏やかに、しかし断固たる意志の力で脱ぎ棄ててみせる』

    (草の葉「岩波文庫」酒本 雅之訳 以下引用は同じ)
    断固たる意志があったかどうかは分かりませんが、放浪癖があったのは事実です。旅をしている間は、境界線や束縛はなかったろうし、自由であったかもしれないが、それは見方によっては、生活破綻者の現実からの逃亡だったのかもしれません。

    『大地はけっして飽きがこない、
    大地は最初は粗野で、無口で、理解しがたく、「自然」も最初は粗野で理解しがたい、
    挫けてはならぬ、怯んではならぬ、みごとなものが内側にしっかり包みこまれている、
    誓ってもいい、言葉では語れぬような美しくみごとなものがきっとある』

    美しく見事なものとは何だろうか?
    自然のなかに隠れている神?
    自然のように規則性がないようであるリベラルな生きかた?
    自然を愛するデモクラシーのこと?

    『右に左に大地は広がる、
    風景は生気を帯び、あらゆる部分が精いっぱいに光り輝き、
    楽音は待ち望まれている場所に降りそそぎ、望まれぬ場所では鳴りをひそめる、
    万人の道の晴れやかな声、陽気でみずみずしいその情感』
    『魂の流露がすなわち幸福、これぞまさに幸福というもの、
    たぶん幸福は戸外の空気にくまなく漲り、いつも機会を待っている、
    今こそ時は熟して幸福はぼくらめざして流れ寄り、ぼくらはその流れにしっかりと満たされる』

    なぜ家族を顧みず、放浪の日々に明け暮れたのか?
    その理解しがたい衝動は、単純に責任放棄とか逃避とかという言葉で語られるものではないように思われる。実際、彼は大地に伸びる道をひたすら歩みながら、名も無き民の悲しみと苦しみに立ち会うことになる。アメリカという大地、夢が叶えられる光り輝く大地、理想が実る民衆の国には矛盾が満ち溢れていました。
    彼自身、まるで別人のような矛盾を内面に抱え込んでいました。家族的な親密さを望みながら、妻子を養うこと、家族の一員であることの責任を放棄したように見えます。労働者の味方を心底から演じながら、自分は生産的な労働を続けることができなかった。
    不思議なのは彼の意識のなかには、そのような正反対の行動と対立するような感情が違和感なく、在るべきものとして何の疑がいもなく受け入れられていたこと。彼は詩人としての才能に恵まれていました。詩を作り歌うことが労働であり、社会に対する責任のとり方でもありました。
    言葉は音楽です。言葉と音楽は表裏一体です。詩を音楽とともに伝えることができれば、言葉は更に情感がこもった表現になるでしょう。心に響くのです。ギターとハーモニカの素朴なフォークソングは詩の内容を伝える手段としてベーシックな最良の構成ということが言えると考えます。
    それにしてもギターという楽器は、簡単に持ち運びができて、しかも色々なコード進行が可能なのですから、音楽学習とセンスを身につける優れた楽器と言わなければなりません。
    彼の詩と音楽は民衆の声を代弁し、帰納的な結論を導く役割をはからずも担っていました。

    『分かってくれ、偉大な宗教の胚種を大地に蒔く、ただそのことだけを願って、
    ぼくは今からかずかずの歌を歌っていく、その一つ一つに実在の姿を刻みながら』
    『彼らに進路が見つかるようにぼくは情熱の歌を作ろう、
    それから法に見放された犯罪者諸君、君たちの歌もだ、肉親のまなざしで君たちをつぶさに眺めて、ほかの誰とも区別しないでぼくの道づれに加えてあげよう』
    『ぼくは部分にかかわる詩は作らずに、
    総合にかかわる詩、歌、思想を作ろう、
    それから一日のことは歌わずに、すべての日々のことを歌おう、
    それから魂と無縁な詩は一遍たりとも、いやほんのひとことだって作るまい、
    宇宙の物象を見終わった今、ぼくには魂と無縁なものは何一つ、ただの一片だって存在しないことが分かっている』

    彼は悩みながら悟っていたのかもしれない。逃亡しながら前進していたのかもしれない。荒々しい大地に父性を感じ、克服しようとしたのかもしれない。涙のように清浄で豊かなトラディショナルの世界に、肉親の情と大地に蒔く種を感じていたのかもしれない。彼はときにはバカにされながら、犬のように棒で追われながら、ただ歌を歌っていただけなのに、アメリカを愛していたのに、体制から嫌われ牢獄に繋がれもした。大地を吹き渡る風のように歌い継がれてきたブルースを、母が子守唄のように歌ってくれた伝承歌を、まるで麦を束ねて黄金の馬車に積むように、麗しいフォークソングの収穫を、我々に届けてくれたのです。オリジナルの、もっと的確な言葉で言えば、ポピュラーソングの土台を理想的な形で耕し、トラディショナルを一つに収拾し、まとめ上げてくれたのです。
    ウッディ・ガスリーの分かりやすいオプティミズムは、悲惨な内容を詞に歌いながら、何かしら心温まる励ましが感じられます。これらのメッセージソングはナチュラルに、素朴なギターの音楽的詩人の明確な意志を感じさせます。アメリカの大地に根ざしたリアリズムと普遍的な価値を内包しています。


    『ぼくは「からだ」の詩人、そして「魂」の詩人、
    天国の愉楽はぼくとともにあり、地獄の業苦もぼくとともにあり、
    前者をぼくはぼく自身に接木して増殖し、後者を新しい言語に翻訳する』

    ホイットマンに接木されたガスリー。そのガスリーから新しい言語を得たその後の詩人たち。アメリカの大地は詩に溢れている。


    Bob Dylan - Knockin' on Heaven's Door "Original"

    若いときから、悲しみと苦悩が同居した詩人の顔をしている





    Bruce Springsteen - This Land Is Your Land




    【ブルース・スプリングスティーン】
    真理に行きつく道は決まって真っ直ぐではない。稜線にたどりつくためには、霧がかかった谷に下らなければならない。海峡を渡るためには、荒い波頭を越えていかねばならない。不動のものと揺らぐもの。スプリングスティーンはデビューからロックそのものでした。彼は迷いから普遍的な真理に行き当たります。それはわたしのような経験浅い者が知ったかぶりで口にすることではないかもしれませんが、ごく当たり前のことでもありました。感動を与え、献身的に尽くし、心から共感を示し、共生して行くという、他人がどうのこうのではなく、そういう自分の姿勢が人生の喜びなのだという賢者の思考です。「実に自己こそが自己の主。自己こそが自己の依りどころ」とする自己肯定を思い起こさせる選択です。
    流れている川はいつも新鮮です。古いフォークが新しい精神を生み出します。ウッディー・ガスリーという偉大なシンガーが受け継がれていることが、それを示しています。スプリングスティーンが知的なのは、考え抜く力を人一倍持っているからだと思うのですが、それはエネルギッシュな、タフで創造的な、ナチュラルでストレートなライヴを見ればわかります。
    スプリングスティーンのなかには青年の逞しさと壮年の賢さが同居しています。これから先、人気が落ちていくようなことがあっても、彼にとってはさして重要なことではないでしょう。普通に、平凡に生きていくことの重要性を知っているのですから。シンプルに生き、死んでいくことの難しさを知っているのですから。悟った人はシンプルです。
    飾り気のない人柄は、飾る必要がないからだとも言えます。内容がない人ほど外面を飾り立てるものだと考えるからです。



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    旅人よ!
    たゆまず真理を求め
    山を越え河をさかのぼり
    諸州を旅する者よ

    流浪の民に
    道に迷いし愚か者のために
    北斗七星の輝きのように
    荒野に立つ風雪に耐えた一本の老木のように
    動じない巨岩のように
    故郷を思い出させる大河ミシシッピのように
    父のように寛容で
    母のように豊かに
    希望の言葉を分け与える人よ

    旅人よ!
    孤高の人よ
    切り立ったロッキーの峰々を支配し
    天を栖とする大鷲のように
    風に乗って舞い上がり
    眼光鋭く
    地上のすべての動きを知り尽くし
    生と死の瞬間を見定め
    時を超越した者よ

    臆病者の俺の話を聞いてくれ
    旅してきた証を聴いてくれ
    このしわがれた声で歌うから
    長い旅を続けて 巡り巡って
    また懐かしい故郷に帰ってきた
    もう老いぼれになっちまったが
    優しい娘が一人助けてくれる
    昔の仲間が出迎えてくれた
    俺はここでまた畑を耕して暮らす
    太陽と山と風といっしょに

    旅人よ!
    斧を振りおろすように
    運命を断罪する勇気ある者よ
    俺の話を聞いてくれ!
    そしてもう少し天国の
    俺の住処に行くのを待ってくれ

    神もわたしも旅人
    人間は誰もが旅人
    たとえ帰る家があってもそこは今世の仮住い

    by Anna



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    心 の 歌

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                        b-002.jpg    by  Anna


    心奪われる愛の歌
    悲しみのなかでもなぐさめる歌があり
    指標を示す歌があり
    楽しさを増すダンスの歌があり
    ほろ酔い加減のときに聞く
    ジャズのスタンダード

    思い出の歌があり
    ささいな日常を歌った幸せな歌や
    愛の絆を歌い
    ソウルフル soulfull な叫びの歌
    静かに聞き入る歌がある

    言葉は天使ね
    なぐさめも希望も
    貨物船のように
    運んでくれるわ

    人生そのもの

    吟遊詩人が呟く旅の歌は
    哀愁の街角に
    ピエロが舞っている人生の裏舞台のよう
    悲しみも楽しみも枯葉のように澱んでいる
    酒場に漂う交々の息遣いとため息
    先延ばしにした問題の解決の糸口も見えない
    辛い日々がみえかくれして
    失望が紫煙のようにうずを巻く

    街角にゆっくりと冬がくるわ
    そして肩に雪が花びらのように散ってくる
    本物だと信じられるものが何もない
    人のざわめきに何を期待すればいいの
    そんな虚ろな声が聞こえてきそう

    でも確かなものが
    わたしの心に宿っている
    思い出してみるのよ
    月明かりのなかで
    窓から入り込んできた風のように
    優しく歌ってくれた母の子守唄
    ソプラノの澄んだ声が忘れられない
    夢のなかで聞いた声が忘れられない




    ♡聖なるものに心身を捧げます。それは宗教的思惟、祈りといったものではなく、生きとし生けるものが、喜びの命を全うすることができるように手助けすること。聖とは命にほかならない。愛することは男女の愛にとどまらず、もっと深く、さらには高みへと高揚しなければ、その本質は理解できないかもしれない。ときどき、わたしは、自分が求道者になったような気がしてくる。爽やかに風が吹き渡る木陰で、かろやかに舞う自分の姿をイメージする。薄い布をまとって、いきいきと踊る美しい女性。内から輝く命の喜び。昔から、喜びは踊ることで表現したという。
    慈愛…それが、わたしが求めてやまないもの。

    ♡今まで前向きに歩いてきたことに、何の悔いもありません。失敗したことも泣いたことも、悔しい思いを味わったことも、みんなわたしを成長させるための糧であったと気づいたから。強い心を育てるための練習のようなものだったのです。
    人を愛するためには、たったひとつの資格が必要です。それは自立する心。自立するとは大人になること。愛することは頼ることではありません。恋人や夫に依存することではない。幸せは、自分の手で作り上げていかねばならない。たとえ幸せな結婚にたどり着いたとしても、自分を磨くことを怠れば、砂の城のように、波にさらわれていく。
    思いがけない試練にさらされることもあるでしょう。冷たい雨に濡れて、心まで冷たく固まり、暖める術を失って、迷いの淵に立ちすくむときもあるでしょう。でも大丈夫! あなたのまわりには、雨傘を差し出して、濡れた肩を抱いてくれる人がいるのです。あなたを心から思い、心配する人がいることを忘れてはなりません。

    ♡言葉を紡ぐ大切さを思う。自分の素直な気持ちを言葉にする勇気。それは頭が良いとか悪いとか関係ない。貧弱な寒々とした言葉は、希望を与えない。壁に石を投げつけるような、人を傷つける言葉は、心の暗闇から発して争いの元になる。ときには涙のなかで聞く言葉もある。優しさと厳しさと、春風と冬の冷たい風が、人を育て、花を咲かせる。「あなたを愛しています」わたしの深い心の泉から出た言葉です。

    ♡愛は限りなく、そんな歌があったような。大きな山があって、森があって川があって、自然の恵みのすごさに、頭をたれることを忘れている人間。伏流水が湧き、人々を潤すとき、山が生きていることを知る。わたしは愛という山から、流れでたこの伏流水に手を入れて、清浄な水を飲むとき、人知れない豊かさを感じて、わたしのなかにも、汲めども尽きない伏流水が流れていることを知るのです。あなたを思うとき、溢れでる感情が止めどなく、わたしの心を満たすのです。



    。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*



    ♡歴史を作るのは英雄だけの仕事ではない。聡明な民衆が英雄を選ぶのであり、英雄の性格を作りあげるのだと思う。英雄は民衆を導く使命を持っていますが、その英雄を育てるのは民衆です。
    法の実行者である政治家と政党に対して高度な要求をする人間は、絶望を目の前にして、なおも悲痛な気持ちで価値への願望を肯定している者である。
    社会建設に責任を感じているからこそ行動するのであり、卓越性をもたない安楽という気まぐれを、忌み嫌うからこそ、わたしは大衆批判をやめない。
    自分もまわりも一度疑ってみること。環境が厳しくなればなるほど、融通がきかない原理主義者がはびこるのだから。人間と社会変革が絶対価値なのに、賢い分別と殊勝な心がけの信仰者は、功徳絶対論の貧困から抜け出すことができない。
    一生かけて成就する、それが心の財。
               ・・・アンナの日記から☆


    P.S.
    投稿のなかにランダムに、変な日本語の言い回しが出てきます。きれいな日本語とまではいかなくても、スタンダードな言葉の使い方を覚えたいといつも思っていますが、優しい言葉、発音に強い憧れを抱いています。
    どんな服を着ろうと自由なように、どんな言葉を使おうと自由です。先日、山手線でギャル語を使うおばさんを見ました。50才前後と思いますが、わたしの目には軽薄下品に写っただけでなく嫌悪を感じたのですが、きっとこの人は不感症に違いないと関係のないことまで考えてしまいました。
    表現の幅を広げることは、リッチな毎日を手にすることと同義です。経済的な意味でなく、精神的な充足感のことです。誰でも自分を表現したいと苦労しているわけですが、仕事や趣味、家庭のなかで、創造的な自己を発見できることほど幸せなことはありません。清く正しく美しく、さらに潔く、顔を上げ、前をキチッと向いて姿勢を正して歩く。メイクで変身し、誤魔化すことができても、内面の愚かさは、自分自身が一番よく知っている。純粋な大和女性でありたいと願わずにいられません。自己の啓発と教育に関心を持つということですね。


    わたしは自分の命のなかに
    不滅なるものが
    光り輝いていることを知っている。
    しかしそれは
    聖なるものに出会わない限り
    見ることも感じることも
    不可能なことも知っている。


    すでにわたしの人生の1/3は
    光のように過ぎ去ってしまいました。
    わたしは遥か彼方を見ています。
    短い一生のなかで正義や愛が実現できますように。
    泣くことはあっても負けないように。諦めないように。



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    あなたは道標 あなたは光


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     by Anna


    もしものように高く飛ぶことができたら
    世界をありのままに俯瞰できるのに

    丸い地平から昇る太陽
    虹色の光線が走り闇を追い出す
    青い薄い層を重ねた大気も
    綿のような雲の流れも
    ヒマラヤの白い峰々も
    遠くに見える冷たい月も
    ガラス玉を散りばめた金や銀や赤い星々も
    群青の海も
    白い波も
    飛行船の糸のような白い尾も
    緑のジャングルも
    砂漠に吹き荒れる嵐も
    豊かな大陸も

    は目の奥の小さな頭脳で考えている

    街のビルの谷間の人々が行き交う姿も
    どこまでも続く道と車の流れも
    家族の楽しい会話も
    恋人達の愛のささやきも
    は静かに聞いている

    同じ命あるものとしてはいつも思っている
    人間に生まれたかったと


    涙を流している
    あの地でもあの地でもあの地でも
    戦うことを止めない人間の愚かな姿を見て
    命をチリのように扱う傲慢な姿と
    銃から立ちのぼる硝煙の匂いに


    人間の肉体から離脱した透明な魂を
    悲しみに打ちひしがれた姿を
    平和のために祈り捧げる母たちの姿も
    その遠くを見渡せる目で見ているに違いない

    鳥は
    目の奥の小さな頭脳で考えていた
    人間に生まれたかったといつも考えていた
    父鳥も母鳥も
    人間に生まれれば平和に暮らせると
    毎日毎日鳴いていた



    Thomas Bergersen
    Compass





    人生は未踏の山を登るのに似ています。聳える峰を見上げて、果たして自分に登ることができるかとため息が出てきます。尾根にたどりついても、そこは幸せと不幸が渦をまいて、突風が吹き荒れ、雲が湧き上がり、顔を上げていられないほど厳しい環境かもしれません。憂いの山には、不毛の嵐が吹き荒れ、苦渋の谷間が待っているのです。誰にも等しく与えられた試練なのです。
    でも、絆で結ばれた愛する二人なら、それを耐え忍んで、やがて頂上に行き着くことができるでしょう。金の布に包まれた朽ちることのない思い出とともに、千のナイフでも切れない強靭な鋼のように、絆とはかくも強いものであることを知って、誰よりも自分自身が驚くでしょう。
    そして歩くことをやめないことが「幸せ」そのものであることに、愚かなわたしとあなたは気づくはず。


    「時」は祈りに満ちている
    「時」は安らぎに満たされている
    生まれ変わっても
    私はあなたを探し求める
    私の道標
    私の光
    闇のなかで泣いていても
    命のともし火が輝いているかぎり
    私はあなたを探し求める
    光のなかであなたに会いたいから
    あなたが道標
    あなたが光
    「時」は祈りに満ちている
    「時」は安らぎに満たされている
    夢が遠のいても
    私はあなたを探し求める
    私の始まり
    私のすべて
    光のなかで泣いていても
    命のともし火が消えかかっても
    私はあなたを探し求める
    光のなかであなたに抱かれたいから
    あなたは道標
    あなたは光
    「時」は祈りに満ちている
    「時」は光に満たされている



    強気の裏側に縮こまって動かない弱気の自分がいる。表のわたしは明るく活発に、活き活きとしているのに、裏のわたしは陰鬱に怯えている。仮面を被って、自身さえ欺いているわたし。深刻に考えてはいないけれど、誰もみんな同じなのだろうか?

    清らかな泉のように
    強い鋼のように
    なめらかな陶器のように
    透明な水晶のように
    美しい魂を持った自分を発見したい

    <アンナの日記から>



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    自己を統御する意志

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            10981.jpg   by Anna


    死は辛きものなり
    生はさらに辛きものなり
    真の祈りはまたさらに辛きものなり

    この夜
    星星に祈りを捧げる者のなかに
    辛い生活に絶え切れず
    死を望む女がいた
    草むらに横たわる自身の姿を夢見て
    神に死をたまわることを願い
    一心に祈りを捧げた

    死の恐怖よりも
    生の激しさが道を迷わせ
    闇のなかの鳥のように
    生きることへの指針を得ることができなかった

    女は訴えた
    たったひとにぎりの幸せを望んだだけなのに
    なぜわたしの願いは叶えられなかったのでしょう?
    たったひとつの愛を望んだだけなのに
    なぜわたしに恵みを与えてくれる人は現れなかったのでしょう?
    たった一本の花を部屋に飾り
    時を潤す安寧を望んだだけなのに
    なぜわたしの庭には一本の草も一本の花も咲かなかったのでしょう?

    絶望の淵から飛び込んで
    死の滝壺に身を投げることを厭いません
    死がわたしの隣人であり
    安らかな眠りの介添人です

    女の祈りはむなしく星星の光のなかに消えて
    誰も願いを聞き届ける者はいなかった

    生も死も
    時の背に乗った命の理
    祈りは時の穂がたわわに実ること

    貧しい女は祭壇に一つのものを捧げた
    わたしの全財産です
    一本のろうそくを
    燭台にさして火を点した
    ろうそくの火は明明と辺りを照らした

    女は揺らぐ火のなかから不思議な神慮の言葉を聞いた
    体を覆うぼろ布はそのままだったが
    冷たい手足に温かさが蘇り
    目には光が宿り
    吐く息も香しく
    唇にも赤く血が通い
    寒寒とした心に火が点った

    女ははっと思って振り返ると
    亡霊さえおののくこの夜の暗闇のなかに
    白いしかしはっきりとした自身の魂が浮かび上がっているのを見た
    震えていた自身の像は
    やがてまぶしいほどに光に包まれて
    女を指差すように腕を上げながら
    笑みを浮かべてなにかを語ったように思われた
    風がそよぐと陽炎のように消えた

    女は今までと違う口調で星星に言った

    わたしは気づきました
    わたしには美しいものを見る目があり
    音楽を聞く耳があり
    高貴な香りを嗅ぐ鼻があり
    言葉を語る口と喉があり
    風を知る肌があり
    農具を振り下ろす手があり
    大地を踏み固める足があり
    さらに
    真理と善悪を見わける心があることを知りました
    これ以上の幸せがありましょうか
    貧しき者は幸せです
    富める者より心が豊かだからです

    さらに女は告げた
    わたしは愛されることばかりを求めていました
    愛されることより愛することのほうが大切だと気づきました
    わたしの愛を待っている人が
    わたしのまわりになんと多いことかと気づきました

    さらに女は続けた

    愛は一本道のように
    迷うことのない誠の道です

    愛することにためらいを感じ背を向けてはなりません
    舵手のいない船のように
    悩みの風に流されてはなりません
    愛は光です
    愛は水です
    愛は土です
    愛は実のなる木です
    大地に降る悔恨と懺悔の雨を養分に繁茂する麦の穂です
    愛は種です

    わたしは幸せです
    貧しきゆえに悪徳に汚れていないからです
    一片のパンの滋味を知っているからです
    山から湧く清水のなかに
    清らかな精霊の涙が混じっていることを知っているからです
    貧しきゆえに
    このぼろ布を縫った針と糸が
    わたしの宝であることを知っているからです

    さらに女はもどかしそうに告げた

    わたしは感謝を忘れ
    祈りを忘れ
    願いが叶わなかったことを恨んで呪詛し
    怒りの鎖に縛られて
    不幸の岩を砕くために叩き続けて手を血だらけにし
    自分の命を傷つけて
    他の人の命を傷つけて
    穴のあいた桶で水を汲むように
    ひたすら愚かな行為を繰り返してきました
    瓦石の山から金銀を探すような
    愚かな人生を繰り返してきました
    獣のように見境もなく
    欲望の肉を食らって森を彷徨う
    人間の皮を着た畜生のようでした

    天を仰ぎ再び膝を屈して
    三度礼拝の儀式を終えた女は
    白白とした夜明けまえの冷たい空気のなかを歩いた
    朝露が葉のうえを転がり
    葉の先端で草の涙のようにぶら下がった
    草露を自分の涙と感じた女は
    手を伸ばし湿らすと髪を撫で顔をさすり
    葉を唇に当てて命の雫を飲んだ

    靄がかかりぼう洋とした景色に
    どこからか鈴の音が響いて
    懐しき生まれ育った故郷を思いださせて女を慰めた

    シャンシャンシャンと鈴音が大きくなって紫紺の牛車が近づいた
    牛車に乗る白い花の冠を被った君は
    聡明な目で道を見て
    しなやかな腕は優雅に舞うように牛車をあやつる
    首には清浄の白玉の飾り
    耳に翡翠の輝きをしつらえて
    唇は乙女のようにふくよかな初々しさ

    君は貧しき女をみとめて言った
    かの女
    髪は金色に波打ち
    目には星が宿って光を帯び
    頬は陽のように赤く熱を持ち
    口は今しも詩を歌うかのごとく
    鼻筋は峰のように真直ぐに伸びて
    高貴な顔立ち
    しかしその浅ましきぼろ布を纏い
    裸足の姿はいかにも不釣り合い
    女よ
    尋ねたきことあり
    そなたは何者

    女は手を合わせ礼をしながら答えた

    高貴な人よ
    天地のなかの麗しき景色を眺めたる君の目を汚し、
    また慈悲の御言葉をかけたる君に贈る物なにも無きに
    せめてつたなき詩を贈り
    卑しいわたしの答えといたします

    女は歌った

    人の世は無常と言いし古(いにしえ)の
    月の光も川面にうつる暗闇に
    風の姿も見えず音も無く
    死に人現れわれを誘う

    この夜が別れと今生の
    祈りし懺悔し星星に
    あわれと思いし神の袖
    覆い包んでよみがえり

    神の証は知らねども
    露の雫に命の法が
    幾年月を迷いしわれの
    鉄鎖の縛りを解きほぐす

    女は妙なる美空に染み入るような
    美しい声で歌った

    君はその妙音に感嘆し女の後を受けて歌った

    神が住まいし山頂の
    福の風が吹きそよぎ
    川面に流れる調べの笛と
    女の妙なる声は調和せり
    われを忘れて聞き入れり.....

              

    ~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~


    "謎の微笑"を浮かべる優美な女性像「モナ・リザ」の作者は、同時に、鬼神もひしぐ猛々しい戦士たちがせめぎ合う「アンギアリの戦い」の作者でもありました。流水の模様に目を凝らし、植物の生態を見つめ、鳥の飛翔を分析するレオナルドは、同時に死刑囚の顔を食い入るように凝視し、解剖のメスを振るうレオナルドでもあったのであります。ともかく、世間の常識や規則では、推し量ることのできぬ巨大なスケールの持ち主でありました。そして、世俗的規範を超出しゆくその自在さは、まさに自由人にして世界市民の精髄をのぞかせており、イタリア・ルネサンスならではの伸びやかで活気に満ちた時代精神を、独自の風格に体現しております。その超出を可能ならしめたものこそ、類まれな「自己を統御する意志」であったのではないかと、私は思うのであります。「自分自身を支配する力より大きな支配力も小さな支配力ももちえない」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』)と述べているように、彼にとっては、どう自己を統御するかが万事に先立つ第一義的課題であり、その力が十全に働いていさえすれば、いかなる現実にも自在な対応が可能であり、現実次元の向背、善悪、美醜などは、二義的、三義的な価値しかもたない。彼は、かつての主君イル・モーロを滅ぼしたフランス王の招きにも平然と応じていますが、傍目には、それが志操一貫に欠けるように見えても、この巨人に関しては、無節操とは似て非なる、寛大な度量の大きさを物語っているようであります。
    こうしたレオナルドの"超俗"のかたちは、仏法で説く「出世間」の意義に親近しております。「世間」とは差別(違い)を意味する。「出世間」とは、すなわち利害や愛憎、美醜や善悪などの差別を超出して、それらへの執着から離れる意義であります。仏教の最高峰といわれる法華経では「令離諸著(諸の執着から離れさせる)」等と記されております。とはいっても、仏典の極理に、「離の字をば明とよむなり」とあるように、単に煩悩への執着を離れるのではなく、超出したより高い次元から諸の煩悩を明らかに見て、使いこなしていく、強い主体の確立こそが、「出世間」の真義であります。

                   池田大作<レオナルドの眼と人類の議会>
                   ボローニャ大学での講演/1994年6月1日



    強い信仰への意志こそ、最良の自己統御の方法。自己管理が幸福への直道です。

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