蓮子(れんし)の泥に堕するは

    阿含経「箭喩経」には、有名な毒矢の譬えがあります。

    マールンクヤプッタという弟子が釈尊に対して、「世界は未来永劫に存在するのでしょうか」「世界には果てがあるのでしょうか」「如来は死後も存在するのでしょうか」などの十問の疑問をなげかけます。
    これらの問いに答えてくれないならば、自分は還俗しますといいます。これに対して、釈尊は次のように答えます。
    『あなたの疑問に対する答えを求めるのであれば、あなたはその答えを得る前に命が尽きてしまうでしょう。たとえば、ある人が毒矢で射られたので、みんなが心配して急いで医者を呼んできて、医者がまず矢を抜こうとしたら、その男が叫んだ。
    「この矢はどういう人が射たのか、どんな氏名の人か、どんな身分の人か、背の高い人か低い人か、町の人か村の人か、これらのことがわかるまではこの矢を抜いてはならない。私はまずそれを知りたい」
    と言うならば、その男の命はなくなってしまうでしょう。あなたの問いはそれと同じなのです。もし世界は永遠に存在するとかしないとか答えることができる人がいたとしても、その人にも生老病死の苦しみがあり、さまざまな憂いや悩みがあるのです。あなたの問いは、人間の本当の苦しみや悩みとは関係のないことです。
    わたしは説くべきことのみを説きます』


    この十の問いを「十難」と言います。
    1.世界は永遠(時間的に)である
    2.世界は永遠でない
    3.世界は有限(空間的に)である
    4.世界は無限である
    5.霊魂と身体は同一である
    6.霊魂と身体は別である
    7.如来は死後に存在する
    8.如来は死後に存在しない
    9.如来は死後に存在しかつ存在しない
    10.如来は死後に存在するのではなく、存在しないのでもない

    『マールンクヤプッタよ、わたしによって語られたことは何であるか:
    マールンクヤプッタよ、「これが苦である」というのが、わたしによって語られたことである。
    「これが苦の集起するところである」というのが、わたしによって語られたことである。
    「これが苦の滅である」というのが、わたしによって語られたことである。
    「これが苦の滅へ向かう道である」というのが、わたしによって語られたことである』

    http://manikana.la.coocan.jp/canon/malunkya.html


    『アングッタラ・ニカーヤ』Ⅲ.67(PTS Text,Vol.1,pp.197-8)
    三の集まり 大なる章 67
    http://manikana.la.coocan.jp/canon/mahavagga.html
    1.比丘たちよ。つぎのような三つが、討論に関することがらである。三つとは何か。
    比丘たちよ。過去の時については、「過去の時に、このようであった」と語らねばならない。あるいは、比丘たちよ、未来の時については、「未来の時に、このようであろう」と語らねばならない。あるいは、今現在に関しては、「今現在このようである」と語らねばならない。

    2.討論を通じて、(相手の)人がともに語るにふさわしいのかそうではないのかを知らねばならない。比丘たちよ。もしある人が質問されて、断定的に解答すべき問いに、断定的に解答せず、分けて答えるべき問いに、分けて解答せず、反問して答えるべき問いに、反問して解答せず、捨て置くべき問いを捨て置かないならば、このような人は、比丘たちよ、ともに語るにふさわしくないのである。
    またもし、比丘たちよ、もしある人が質問されて、断定的に解答すべき問いに、断定的に解答し、分けて答えるべき問いに、分けて解答し、反問して答えるべき問いに、反問して解答し、捨て置くべき問いを捨て置くならば、このような人は、比丘たちよ、ともに語るにふさわしいのである。

    3.討論を通じて、(相手の)人がともに語るにふさわしいのかそうではないのかを知らねばならない。比丘たちよ。もしある人が質問されて、よりどころとよりどころでないものをはっきりと立てず、仮定とするものをはっきりと立てず、了解した論議をはっきりと立てず、方法をはっきり立てないならば、このようである人は、比丘たちよ、ともに語るにふさわしい人ではない。
    比丘たちよ。もしある人が質問されて、よりどころとよりどころでないものをはっきりと立て、仮定とするものをはっきりと立て、了解した論議をはっきりと立て、方法をはっきり立てるならば、このようである人は、比丘たちよ、ともに語るにふさわしい人である。

    4.討論を通じて、(相手の)人がともに語るにふさわしいのかそうではないのかを知らねばならない。比丘たちよ。もしある人が質問されて、矛盾して答え、他の方に話題をそらし、不機嫌になって敵意を示し不信をあらわにするならば、このようである人は、比丘たちよ、ともに語るにふさわしい人ではない。
    比丘たちよ。もしある人が質問されて、矛盾して答えることなく、他の方に話題をそらすこともせず、不機嫌になったり敵意を示したり不信をあらわにすることもないならば、このようである人は、比丘たちよ、ともに語るにふさわしい人である。

    5.討論を通じて、(相手の)人がともに語るにふさわしいのかそうではないのかを知らねばならない。
    比丘たちよ。もしある人が質問されて、ののしったり、威圧したり、あざけり笑ったり、口ごもったのをあげつらったりするならば、このような人は、比丘たちよ、ともに語るにふさわしい人ではない。
    比丘たちよ。もしある人が質問されて、ののしったりすることなく、威圧したりもせず、あざけり笑ったりせず、口ごもったのをあげつらったりすることがないならば、このような人は、比丘たちよ、ともに語るにふさわしい人である。

    6.討論を通じて、(相手の)人がともに語るにふさわしいのかそうではないのかを知らねばならない。
    比丘たちよ、傾聴に値しない人は、喩えて言えない人である。傾聴してよい人は、喩えて言える人である。喩えて言える人であるならば、ただひとつの法をみずから知り、ただひとつの法をあまねく知り、ただひとつの法を捨て去り、ただひとつの法を直観する。ただひとつの法をみずから知り、ただひとつの法をあまねく知り、ただひとつの法を捨て去り、ただひとつの法を直観する人であるならば、正しい解脱に触れるのである。
    「喩え」については、相当の漢訳「説処経」では因縁を意味する「因」と訳出しているが、それは取らず。
    比丘たちよ、このために、討論がある。このために、熟考がある、このために喩えがある。このために、耳あるものを保つのである。こうであれば、執着を離れ心の解脱がある』
    「MANIKANA=HOMEPAGE」石飛道子:訳)


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    形而上学的アポリアの、論に論を重ねる無駄な論争に対し、釈尊は警告を説き戒めています。これらの難問は、初期仏典のいたるところに見られ、繰り返し釈尊も直面したものと思います。釈尊の問いに対する姿勢は、常に真摯で、現実を直視し、衒(てら)うことなく、争うことなく、強く固く揺るがない。鋭く厳しい問いに対しても、偽り誤魔化すことなく、質問者と一体となって考え、臨機応変に導き、答えに至る。問いを直ちに肯定し、否定し、整理し、分析し、反問し、設問意図や内容を確認しつつ再考させ、ときには、答えることをしない。沈黙もまた答えなのです。また巧みに譬喩を用いて、ダイナミックにあるいは慎重に真理に導く。智慧ある者が用いる最上の方法で対話し、苦しみの本源に気づかせて、新たな自己の可能性に目覚めさせる。
    不毛な十難に対する答えは拒否し、四諦をもって答えとしました。釈尊において、苦から出発した解脱への道は、この四諦によって、ことごとく完備しています。しかし実践は甚だ難しいでしょう。自己存在は、自己否定と肯定のはざまにあるからです。凡夫に海のように深い智慧を求めるのは不可能です。また金剛石のように固い意思を求めることも不可能だからです。

    池田先生は、理想主義者でありながら、徹底した現実主義者でもあります。どこまでも現実に即し、現実から離れず、現実の問題から目を逸さず、現実のなかで理想実現に努力を惜しみません。日常生活に付属する混乱と平安のなかで、欲望の制御と超克の果てに、主体的な内面把握というプロセスを経て、大いなる自由を獲得しようと努める姿です。
    そういう姿に、わたしは「目覚めた者」の聡明な生き方を見ます。粘り強く対話する生命の大らかさと忍耐強さに、
    『実に自己こそが自分の主。自己こそが自分の依りどころ』
    と謳う行為の主体者としての完成を見ます。業と責任を負い、法に帰依しながら法を普遍的位置まで昇華した規範を見ます。動揺も偏向もない中道の歩みは、実践への深い決意を促して、師弟へのロイヤリティーを、わたしたちに求めているのです。

    「創価ルネサンス」は組織の弛まない改革と同時に、人間変革のスローガンであり、永遠の信念であり、再生へのシナリオです。スタートでありながらラストまで行き着くことがない、会員に課せられた現実的テーゼです。
    わたしは、誓願の菩薩になることができますでしょうか?
    自分のことなのだから、このような問い自体、無意味ですね。
    それに誰も答えてくれそうにありませんもの。


    折伏はどうあるべきなのだろうか、という課題は、学会が大きくなり社会への影響が拡大するにしたがって、そのあり方を巡り試行錯誤されてきたと考えます。それは永遠の課題のようにわたしには思われます。しかし、慈悲を根本とする精神においては変わらないものと考えますが、会員のなかで、一時代前の折伏闘争が学会の折伏のやり方だと考える人がいたら、時代錯誤も甚しいと言わざるをえません。
    でも、万人を救う誓願を立てるのが、大乗の菩薩です。折伏を第一使命とすることは、当然のことです。草創の先達・多くの祖父母は折伏の強者ですが、何事にも動じない精神の堅固さと、自由自在の境涯は、冥益と言われる折伏の功徳の賜と思います。
    戦後、戸田先生によって学会が再建されたときから、折伏闘争が始まったと言ってもよいでしょう。池田先生が会長に就任されてから、その勢いはさらに増し、学会が宗教界の一大勢力になったことは、戦後史の重要なエポックとして、もっと研究検証されなければならない事項だと思います。
    しかしその反面、社会との接点で多くの軋轢やトラブルを生みました。他宗を攻撃する、一見すると排他主義的信仰は、使命感に立った他者への働きかけであったとしても激しいものでした。池田先生は若き日を述懐し述べています。
    『一般会員の強引さや、情熱にまかせて壮士気取りの青年たちの言動に、ひそかに強い反撥を抱いた』
    感情的な布教活動を行い、本来の折伏精神とはかけ離れた、いき過ぎた戦闘的態度が批判を浴びました。もうそのような、相手の意向を無視した折伏は通用しません。これからは寛容の精神こそ、最も心得なければならない信仰者の徳目です。

    開目抄に、
    『無智悪人の国土に充満の時は摂受を前きとす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす』とあります。
    現実では、厳格に摂受と折伏をたて分けて意識しているわけではありません。摂受も折伏も法華経の一部なら、どちらも否定すべきでなく、どちらも活かしていくのが妙法です。対話的、教育的、非応戦的な布教方法は摂受です。
    いつも感じることは、信仰世界だからといって聖なるものが行動規範になっていないということと、世俗的な人間関係に左右されて、信仰という観点からの洞察や反省が疎かになっていること。また組織の無謬性を疑いもなく信じてはいませんが、自分で考え判断し、行動していく自主的自律的信仰者が少ないということ。むしろ、一見すると、現在の一時的な安定期とも考えられそうな組織の停滞において、尚のこと危機感を持たざるをえません。でも、個々の会員においては、純真な信仰を維持しているのであり、問題意識が低くても、ご本尊対個人の基本的な信仰姿勢においては、非難されるべき問題は含まれていないと理解しています。
    でも、大御本尊不受持の問題はなんとかしなければなりません。創価信仰の根源的な根拠を失う事態になりかねません。このことについて先生は一言も明言されておりません。根本であるご本尊にまったく興味を失ったかのようです。惑わし、偽り、欺くという魔のキャラクターから言えば、先生はその一番の過ちを犯しているかもしれません。
    リーダーの不明瞭な姿勢は、無責任の批判も免れませんが、将来に悔恨を残す深刻な状況にもなりかねません。教義上の矛盾は、組織の内部分裂に発展します。鉄桶の団結も教義と道理に支えられています。先生が一番よくご存知のことです。
    大雑把に、祈りが宗教と定義すれば、それは万人が理解し実践できる法に支えられていなければなりません。「即」とは直観の論理であると思います。仏に帰依し、祈りの行為のなかに含まれる内的変化と確信を表すものと思いますが、わたしにはまだ、それを説明し納得していただけるような知識も経験もありません。

    『蓮子(れんし)の泥に堕するは、諸悪に同じて更に病行を修するを誓う』(法華玄義・レグルス文庫)とあるように、泥沼のような社会に飛び込み、現実から離れず、苦しみを共有しつつ祈り行動する。活用の仏教は、自由自在な智慧に基づく主体者になることを促しています。
    しかし、創価青年部の最前線の現状は、やり甲斐があるというようなレベルを越えていると感じています。実際の部員数のわりに、真面目に組織活動している部員さんが圧倒的に少ないからです。それなのに、結果の持続と成果の催促。何かが大きく間違っていると思います。こんなこと、わたしのグチですね。でも、異端に見られているわたしのブログだからいいの。


    「逆襲される文明」日本人へⅣ・塩野七生(文春新書)からの引用 
    『一神教と多神教
    日本人の多くが抱いている、「宗教はイコール平和的」という思いこみは捨てたほうがよい。宗教とは、それが一神教であればなおのこと、戦闘的であり攻撃的であるのが本質である。平和的に変わるのは天下を取った後からで、それでも他の宗教勢力に迫られていると感ずるや、たちまち攻撃的にもどる。そして代表的な一神教は、キリスト教とイスラム教とユダヤ教。
    戦闘的で攻撃的なのが一神教の本質だが、それも彼らにすれば当然なのだ。一神教は、ただ一人の神しか認めていない。ゆえに他の神を信仰する人は真の教えに目覚めない哀れな人とされ、布教の対象になる。だがそれでもまだ目覚めない者は救いようのない『異教徒』(つまり敵)と見なされ、殺されようが奴隷に売られようが当然と思われていた。
    一神教には、異教徒以外にも異端がいる。「異端」とは、真の教えには目覚めていたのだがその後誤った方向にずれてしまった信徒を指す。異教徒が「家の外の異分子」ならば、異端は「家の内の異分子」。イスラム教の側から見れば、キリスト教徒の欧米人もキリスト教徒ではない日本人も、異教徒であることでは同じなのだ。イスラム世界の内でも、シーア派にとってのスンニ派は異端で、スンニ派から見ればシーア派のほうが異端になる』


    聡明な歴史家はこの文章の後に、
    『この一神教の対極にあるのが多神教である。古代のギリシャやローマの人々も多神教徒だったが、現代の多神教国は日本だと思う。(中略)
    ローマ人の「寛容」の精神とは、他者が最も大切にしている存在を認めることにあったからである。日本人だって、お稲荷さんを信じていない人でも境内に立つ狐の像を足蹴にしたりはしない。真の意味の寛容とは多神教のものであって、一神教のものではないのである』

    他宗の仏壇や神棚を謗法払いとの理由で破壊し、あるいは火をつけて燃やした。狐なんてさわるのもいかがわしく、足蹴にして掘った穴のなかにほうりこんだ。日蓮正宗と創価の過去は、実に排他的、しかも暴力的です。塩野先生が知らないだけ。
    ISISが彫像や美術品を、ためらいもなく破壊したけれど、創価の狂信者は神社の鳥居を見ただけで、寒々とした気分になり鳥肌が立つ。あそこには諸天善神ではなく魔が棲みついていると信じているからです。理性をなくすと、何からなにまで、善か悪かに分類したくなってきます。宗教的悪感情は、理性の隷属と常識の非常識化を求めるようです。

    『西洋史上の見事な果実であるルネサンスは、何よりもまず反省から始まった。一千年もの間神さまの教えのとおりに生きてきたが、あれでよかったのだろうか、という疑いを抱いたことから始まったのである。華麗な絵画彫刻や地球を一つにしてしまった大航海は、その反省の後で新しい生き方を求めた人々による成果である。一方、反省することを知らないと、不都合なことが起こるや責任を他者に転嫁するようになる。他者に責任を転嫁していては、自力での前進は望めない』

    自戒も反省もない、また他者への謙虚な姿勢も感じられない幹部会員には、何かを期待しても虚しくなるだけ。世界宗教への道程は考えうるかぎり困難です。
    妙法はどちらかといえば一神教に近いと思う。それは唯一実在の仏身が宇宙の法であることからもうかがえます。言うなれば一神教にたいして一仏教(一仏乗)、汎神論にたいして汎仏論という大乗仏教の前提からも言えるのではないでしょうか。
    この一仏教は、他の神々を教主として一切認めないことから、テロすら日常茶飯の頑迷な保守主義が集う原理主義者を、友好的、平和的に克服していくことは不可能と思えるのですが、気の抜けた楽観主義者は、楽観的過ぎて弘教の至難さを想像できないことでしょう。苦の集起するところで、軟弱な菩薩でも法を説くことが可能でしょうか?
    不軽の本当の試練はこれからですが、果たして今まで、一人でも本物の不軽が現れたのか疑問です。過去は現在以上に、非人間的な過酷な問題に晒されてきましたが、ほとんど武力という戦闘的力によって解決してきました。不軽のような理想は、願望を強く表現した経のなかだけの切ないストーリーなのかもしれません。


    Never Give Up On Your Dreams
    Two Steps From Hell





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    自分の道を見つけること

    東洋の智慧を語る『現今、西洋においても、「知」のパラダイムの転換がおきつつありますね。たとえば、「機械的世界観」から「生命的世界観」へ、「要素還元主義」から「全包括主義」へ、「不連続な自然観」から「連続的自然観」へなど、いずれも、東洋の総体概念に親しい方向性をもっております。
    そして、社会、経済、科学、技術等の多くの分野で、エコロジー、ゆらぎ、自己組織化、ホロン、ホメオスタシス、シンビオシス(共生)など、万物の「共生」を志向するキーワードが用いられ始めました。
    新しい「世界の秩序」も現象がはらむ統一性と多様性を同時に理解できる総合思考モデルを根本に構想していかなければなりません。
    私たちは、一見、矛盾する要求に応じていかなければならないのです。すなわち、一つの地球文化を築く一方で、多様なる地域文化を発展させていく必要があるのです。
    情報と資本のグローバル化が急速に進行する現在の世界では、西欧的な価値にもとづく単一性が強まり、同時に、そうした流れに乗り切れない国々や地域が疎外され、差異が分裂を引きおこしております。
    しかし、どの文化も、異文化と出会うなかで、新しい創造を行ってきました。とくに近代においては、「欧化か、土着か」「進歩か、伝統か」といったジレンマに真摯に対峙することが、文化創造の主たる原動力となってきたのです。
    その意味では、「文明の衝突」という事態は、あらためて驚くようなことではありません。とくに東洋は、そうした衝突を乗りこえる豊穣な「智慧」を培ってきたのです』


    『東洋の智慧を語る』(2002)
    季 羨林(北京大学教授)
    蒋 忠新(中国社会科学院教授)
    池田大作


    先生の論文や対談集の重要性について、会員がまず知らなければならないわけですが、十分に内容を熟読し、その素晴らしさを理解している人がどれだけいるのか疑問がないわけではありません。会合等で幹部から解説していただいたことは一度もありませんし、平和団体としての学会の在り方について、そろそろ発想のコンバートが必要なときにきているのではないかと考える次第です。当然と言えば当然ですが、先生のみがはるか先に進み、会員はついて行くだけで精一杯という気がしないでもありません。中心幹部でも読んでいる人は少ないということでしょうか。きっと活動が忙しすぎるのでしょう。
    先生はいつでも、事象として、世界を取り巻く諸問題の根本的な原因を明らかにし、正しい仏教実践者の行動と洞察から導かれた人間の生命傾向に言及しながら、ベースになる視点と問題の輪郭をクリアに提示してくれます。こんなことを言うのは、傲慢な言い方だと誤解をされそうですが、先生の知性が多くの困難を乗り越えて、鍛えられた机上の理論でないことの証明だと考えます。
    宗教は元々閉鎖的な側面を、その内部、教義に持ち合わせており、そのこと自体、何ら不思議ではありません。そもそも哲学は、日常から離れた形而上的思唯に支えられており、人間の行動を律する規範を定義するためとはいえ、雑多な問題で頭を悩ます生活のなかでは、身近な腹を満たす経済問題と違い、日常的意識の範疇からは遠い。
    宗教は、誰にでも可能な実践方法の探求と提示、倫理面での正当性、さらに大乗仏教にみられるような他者共存の寛容性が、その核心ともいえます。より良く生きるための指針です。御書にもある通り日々月々新たに確信を深めていくことは、宗教の真髄です。「革新」と「確信」が同音なのは、不思議ですね。

    創価の巨大宗教教団としての世論での評価は著しく偏ったものです。政治をはじめ文化的な面においても、影響力を無視できない存在であるにもかかわらず、全く否定的な、そして攻撃的な論調が目立つことに、正当な知識人は違和感を持つと考えます。そして会員がまるでロボットのように、教団に奉仕しているかのような捉え方、百人や千人ではない膨大な会員を擁している教団内部で、会員が意志を持たない操り人形のように、生活を犠牲にしているのではないかといった風評、また先生に対するスキャンダルをでっち上げて、その人格を裁判官になったかのように断定する不見識な所業、どれをとっても一般会員の信仰履歴のなかでは納得に程遠いものです。メディアにおいてもしかりです。
    信仰は自由な精神の発露であり、強制されたり束縛されたりするものでないということが分からない偏狭な考え方。会員は自由な信仰について、人一倍敏感であり、また個人的な問題に対し、多くの解決の方途を提供してきた確信があり、それは教義上からも導かれる正しい結果でもありましょう。
    いくら立派な宗教といえども、結果が伴わない信仰は、宗教の資格が欠落しているのであり、混乱を招くことはあっても、宗教的使命の実現は困難です。でもそのように考えるのは信仰者の独りよがりかもしれません。いろいろな考え方があり、無信仰であっても、信仰者は寛容でなければなりません。
    宗教的使命ということで言えば、きょうの聖教(16日)一面に、12日の来日以来やっと、ICAN事務局長の交流行事を報道、創価青年部が参加したことを伝えました。一般ニュースとしては取り上げていましたが、消極的報道に終始することに違和感がありました。創価は、国内的に核兵器禁止条約の調印に反対している政党を強く支持していることから、総体的に控えめな報道です。平和団体としての創価の勢力スケールがわかります。純真なピースオーガナイズではないという後ろめたさが垣間見れます。行事の内容はわかりませんが、一般紙を読むかぎり、北朝鮮の核ミサイルや中国のルールを無視した軍事的脅威に触れないのは残念です。もちろん聖教やSGIが問題提起するはずはありません。
    青年部の皆さんは、このような矛盾を、そのまま放置することがないように、宗教的信念を再認識、再確認していただきたいと思います。一貫性を保持することの大切さ、矛盾を放置しない重要性、行動を起こす必要性を、師弟を通して学んだのではないでしょうか。誠実であることが、信仰者としてのなによりの矜持です。現在のように、プライドを失った幹部は社会悪に等しく、将来、創価の精神運動衰退の元凶になる可能性が大きい。拡大も縮小も急に訪れるものではなく、その引き金となる問題の端緒は、いつも目の前にあります。信仰動機の弱体化・無力化は、いくら師弟不二を強調しても止めることはできないでしょう。形骸化が時間とともに進行するように、心の問題としての白法隠没の危機は、現代にこそあるのです。

    寛容は他者共存のキーワード。妙法信仰の肝要であり、菩薩の最重要の徳目に上げることが、これからの世界に最も必要なこと。
    『二十一世紀に入ってからの世界は、キリスト教とイスラム教という二大一神教同士がにらみ合い、互いに相手に負けまいとして声を張り上げ、しかもそれでも足りずに腕力を競い合うという、やっかいな状況になりつつある。このような時代には、一神教徒でないと肩身が狭いような思いになったとしても無理はない。しかしほんとうに、それには確かな根拠があるのだろうか。
    もちろん、自分たちの信ずる神以外の神は認めないからこそ一神教徒である人々にすれば、古代ローマの三十万どころか八百万という日本の多神教は宗教ではないと言うだろう。
    だがこの考え方はあくまでも、宗教は一神教しかないと思う人の考え方である。
    しかも、一神教と多神教のちがいは、一人と多数という神の数にあるのではない。最も本質的なちがいは、一神教には他の神々を受け容れる余地はないが、多神教にはあるというところにある。要するに、他者の信ずる神を認めないのが一神教で、認めるのは多神教なのだから。
    そして、ここが最も重要な点なのだが、信仰という行為が多くの善男善女にとって大切なことである以上、他者の信ずる神の存在を許容するという考え方は、他者の存在も許容するという考えと表裏関係にあるということである。
    これを、多神教時代のローマ人は、「寛容」(クレメンティア)と呼んでいた』

    ***塩野七生「日本人へ」文春新書


    ♡♡♡♡♡♡♡♡クールでゴージャスなテイストに憧れているわたしは、人生も行動も考え方も人づきあいも、クールでいながらハートフルなプレゼンスでありたいと切に願っているのですが、現実はプログラムをダウンロードするように簡単にはいきません。人間だから何事も、プラン通りにいかないのが世の常というものですね。

    わたしたちは自然と言葉を覚えます。幼児における言葉を覚える過程を追体験したいと思っても無理な話です。それと同じように大方の人は自覚する年令に達するとまわりに音楽があることを知るのです。音楽がある生活が当然と思って何も違和感を感じないのです。音楽はたぶん人間の本能の特別な場所で生きるための潤滑剤として作用しているに違いない。
    音楽から受けた感情変化を言葉で表現することはとても難しい。ときには意味のない感嘆詞のみの表現になりかねません。だからというわけではないのですが、音楽を聴いて、考えて、音楽から修得した語彙を、わたしは命のように大切にしたいと考えるのです。ハッピーで美しい人生を神様が与えてくれて、その上に音楽までもが、ドレスのようにゴージャスにわたしを飾ってくれるのであれば、季節の変わり目にあるいはアバンチュールな出来事の後に、悲しみの涙を流した後でも、恋人のように音楽に添い従い愛していきたいと思うのです。音楽の聴き方にマニュアルはありませんが、音楽から得るものはどれだけ人生を豊かにしてくれるか、わたしは疑ったことはないのです。
    音楽はわたしの言葉< Music is my language>わたしの命の言葉。

    高揚とした気分と、厳かな深い癒しの音に、至福のときを、過ごしてくださいませ。汚れることを恐れず、果敢に挑戦する女性に贈ります。天から純白の雪が舞い降りてくるような、歌姫の崇高な願いを聴いてください。
    願いごとが叶おうと叶うまいと、明日も生きていかなけばなりません。
    でも目を閉じてわが身を振り返れば、精一杯にやってきた自分自身を褒めてあげましょう。
    そしてまた、元気を出して明るく一歩を踏み出しましょうね。
    長い長い道のりが、まだこれからも続くのですから。


    So I Could Find My Way
    Enya





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    母であることの喜びと悲しみ

    Enguerrand Quarton
    The Villeneuve-les-Avignon Pieta
    g_01111.jpg「ピエタ」とは「哀悼」とか「慈悲」を意味するという。息絶えた我が子キリストを、聖母マリアが膝の上で抱き、嘆き悲しむ姿です。右にマグダラのマリア、左に聖ヨハネ、左端に描かれた寄進者の姿。15世紀フランス・ゴシック様式の最高傑作とされるこの作品は、1801年に、アヴィニオン近郊のヴィルヌ-ブの教会で見つかりました。アンゲラン・カルトンの名作と言われています。膝の上にキリストを抱く聖母のテーマは、中世絵画の普遍的な題材ですが、静謐ななかに深い悲しみが描かれ、キリストとマリアを、より人間的な身近な存在に感じることができます。このような人間の悲しみの姿は、キリストの死後も多くの人が経験してきましたが、暴力と無知の野蛮な行為は、地上から決して無くなることはありません。


    ******************


    『布団の上に寝かされた多喜二の遺体はひどいもんだった。首や手首には、ロープで思いっきり縛りつけた跡がある。ズボンを誰かが脱がせた時は、みんな一斉に悲鳴を上げて、ものも言えんかった。下っ腹から両膝まで、墨と赤インクでもまぜて塗ったかと思うほどの恐ろしいほどの色で、いつもの多喜二の足の二倍にもふくらんでいた。誰かが、
    「釘か針かを刺したな」
    と言っていた。
    ……ああ、いやだ、いやだ、あの可哀相な姿は思い出したくもない。思い出したからって、どうしてやりようもない。
    よくまあわだしは、気絶もしなかったもんだ。それどころかその時わだしはこう言ったんだと。
    「ほれっ! 多喜二! もう一度立って見せねか! みんなのために、もう一度立って見せねか!」
    ってね。多喜二のほっぺたに、わだしのほっぺたばくっつけていたと。わだしは多喜二が死んだと思いたくなかったのね。ほんとに生き返って欲しかったのね。
    けど、多喜二は死んだ。指はぶらんとするほど折られても、足はぶすぶす千枚通しで刺されても、多喜二は、守らねばならない秘密は守ったんだと。そう言って、党の人たち、みんなほめてくれたの。でもほめられんでいい。生きていてほしかった』

    小林多喜二は、「蟹工船」等の小説で、官僚と警察権力を背景にした資本家の、社会的不正と戦うプロレタリア文学作品を発表しましたが、昭和8年逮捕され、その日のうちに拷問により虐殺された。享年30才。昭和8年と言えば、日本が国際連盟を脱退し、天皇神格化、思想統制、軍国主義の波が押し寄せ、戦争の泥沼へ突き進む時代でありました。
    多喜二の母を描いた三浦綾子の「母」を読みました。権力の不正と戦い献身的に民衆に尽くし、共産主義に殉じた多喜二の人間性と、母親セキの愛情と悲しみを描く。

    『「多喜二、苦しかったべなあ」
    「多喜二、せめて死ぬ時だけでも、手を握っていてやりたかった」
    「多喜二、わだしはお前を生んで、悪いことしたんだべか」
    とか、
    「多喜二、お前、死んでどこさ行っているんだ」
    とか、独り言言っているの。
    多喜二が死んでから、わだしはいつのまにか、
    (神も仏もあるもんか)
    という気持ちになっていた。ほんとに神さまがいるもんなら、多喜二みたいな親思いの、きょうだい思いの、貧乏人思いの男が、あんなむごい死に方をするべか。たとえ警察で誰かが多喜二を殴ろうとしても、首ば締めようとしても、錐(きり)で足ば刺そうとしても、神さまがいるならば、その手ば動かんようにして、がっちりとめてくれたんでないべか。それを見殺しにするような神さまだば、いないよりまだ悪い。わだしは腹の底からそう思ったもんね』


    小作農に生まれ、13才で嫁ぎ、6人の子供を育て、貧困のなかでも明るさを失わなかった母は、素朴な愛情を持ち、平和的な人間でありました。多喜二の行動を理解するために、共産党にも入党した。晩年キリスト教を信仰し、キリストの処刑の絵を見て、多喜二の姿と重ねる。

    『それからね、死んだあと、むごったらしい傷だらけのイエスさまば…イエスさまば…お母さんのマリアさんが、悲しい顔で抱き上げている絵があったの。手と足に穴があいて、脇腹に穴があいて、血が出て、むごったらしい絵なの。
    わだしはね、多喜二が警察から戻って来た日の姿が、本当に何とも言えん思いで思い出された。多喜二は人間だども、イエスさまは神の子だったのね。神さまは、自分のたった一人の子供でさえ、十字架にかけられた。神さまだって、どんなにつらかったべな。
    だけど、人間を救う道は、こうした道しか神さまにはなかったのね。このことは、いきなりすっとはわからんかったども、イエスさまが、
    「この人たちをおゆるし下さい。この人たちは何をしてるか、わからんのですから」
    って、十字架の上で言われた言葉が腹にこたえた。わだしだって、多喜二だって、
    「どうかこの人たちをおゆるし下さい」
    なんて、とっても言えん。
    「神さま、白黒つけてくれ」
    ってばっかり思ってた。近藤先生(牧師)は、
    「神さまは、正しい方だから、この世の最後の裁判の時には、白黒つけて下さる。お母さん、安心していていいんですよ」
    って、わだしの手を取ってくれた。そん時わだしは、なんかわからんが、神さまってかたが、わかったような気がしたの』


    マリアから始まる母の苦しみは、信仰を抜きにしても、母としての共通の悲しみ、慈愛のあらわれでしょう。母のために平和を、母のために争いを無くし悲劇を根絶しようとする人間主義こそ正しい。どんな死でも意味があり、死の姿に生きた人生が凝縮される。
    母・セキは多喜二の死に関与した人々を許し、生命の尊さと母であることの喜びと悲しみを積極的に甘受したのだと思う。
    生きることは、悪を許し、無知なる人々を許すことなのだと、キリストから教わりました。
    小説を読みながら、多喜二の唯一の尊い命の重さと苦しみ、母の優しさ、悲しみがわたしの肌を刺すように感じられ、ぽたぽたと止めどなく涙が落ちた。暴力は決してなくならない。人間はどうして同じ過ちを繰り返すのだろうか? その悲しい宿命を思うと、どこまでも続く深い闇を見ているようで、救いがたい気分になってきます。
    暴力は許すことができない。でも、暴力をふるう人間も、暴力によって自らの心を激しく傷つけていることを思うと、無知という暴力の犠牲者なのではないかと思えてくる。無知とは無明の一変異です。


    開目抄に『既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は・しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひ・わづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし』
    如説修行抄に『竜口の頚の座・頭の疵(きず)等其の外悪口せられ弟子等を流罪せられ籠に入れられ檀那の所領を取られ御内を出だされし』
    聖人御難事に『同文永八年辛未(みずのえひつじ)九月十二日佐渡の国へ配流、又頭(くび)の座に望む。其の外に弟子を殺され、切られ、追出、くゎれう(過料)等かずをしらず。仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず。竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし』
    上野殿御返事(梵帝御計事)に『日蓮が弟子にせう(少輔)房と申し・のと(能登)房といゐ・なごえ(名越)の尼なんど申せし物どもは・よく(欲)ふかく・心をくびやうに・愚癡にして・而も智者となのりし・やつばら(奴原)なりしかば・事のを(起)こりし時・たよ(便)りをえて・おほ(多)くの人を・おと(落)せしなり』
    兄弟抄に『始は信じてありしかども世間のをそろしさにすつる人人かずをしらず、其の中に返つて本より謗ずる人人よりも強盛にそしる人人又あまたあり、在世にも善星比丘等は始は信じてありしかども後にすつるのみならず返つて仏をはうじ奉りしゆへに仏も叶い給はず無間地獄にをちにき』
    辧殿尼御前御返事に『弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり』
    新尼御前御返事に『かまくら(鎌倉)にも御勘気の時・千が九百九十九人は堕ちて候人人も・いまは世間やわ(和)らぎ候かのゆへに・くゆる人人も候と申すげに候』

    これらの御書からうかがい知れることは、大聖人への激しい弾圧は弟子檀那にまでおよび、なかには所領を追われ、牢に入れられ、殺された者もいるということです。また、退転した者のなかには、信仰を捨てるだけでなく、多くの人を道連れにして退転していった。1000人のうち999人も退転した。99.9%の信者が信仰を捨てたことを、誇大に伝えていると考えがちですが、きっと正確な表現なのでしょう。つまり、ほとんどすべての信者が退転したということです。封建時代のこと、拷問といった暴力的な過酷な取り調べが当然のようにあったことでしょう。
    創価教育学会が壊滅的な組織破壊を受けたことが思い起こされます。権力による思想統制の過程で、多喜二の身のうえに起きた拷問、というより権力による公然な殺人といった過激な取り調べが、普通にあったということ。そのような環境で、信念を貫き通すことがいかに難しいことであったか。自身の死だけでなく、家族にまで類は確実におよび、家族に対して責任を負わなければならないということが、どれほど辛いことであったか。
    もしも、わたしが同じ環境に置かれたら、きっと耐えられないと思う。大聖人の御言葉はとても厳しく胸に迫ってきます。
    多喜二の母は、キリストとその母・マリアと同じ悲しみを共有していると思う。母として耐えられない、子どもの惨たらしい死を経験し、生涯をかけてその呪縛からの解放を望み、恨むことから人間愛に深く到達した。
    このような心の遍歴は、信仰者でなければ不可能。クリスチャンであっても、苦しみを乗り越えた母は、清らかな聖人の心を持っています。澄んだ心境の清純な信仰は、仏教徒であっても難しい。耐えることと許すことは表裏のように一体なのですね。


    思想あるいは哲学と行動は、一致していなければなりません。しかし、日蓮信徒になったからといって、すぐに日蓮仏法の真実の法を体現できるとは思えません。経験と研鑚の積み重ねのなかで、真理に近づいていくものと考えます。「即」論を強調する妙法であっても、病気が即治癒し、貧乏が即解決し、菩薩として即誓願の立場を自覚できるものではありません。
    日蓮の非暴力については、煩雑になるので避けます。大聖人のご一生が平和思想と行動に貫かれていたことは言うまでもありません。それを詳しく論証することも、研究者ではないわたしたち一般会員にも十分可能でしょう。
    概して、孤高の反体制者といった日蓮のイメージが定着しているものと思いますが、そうすれば日蓮仏法者の平和運動も反権力闘争でなければならないように思えてきます。
    わたしは、牧口先生も戸田先生も信仰の深化とともに、主張も変化していったものと考えます。戸田先生の獄中での悟達は、そういう意味でも捉えられると思います。
    信仰者の反戦活動は、殉教的な兵役拒否、体制批判に限られるものではありません。それぞれの立場で個人が判断することだと考えます。日本に懲役制はありませんが、軍隊が武力を行使していくことを前提にし、単に自衛のための大義があったとしても簡単に覆るものと思います。自衛戦争が自衛外戦争に拡大していった例を何度も経験してきました。戦争の危機は現在も、世界のあらゆるところに存在しますが、平和な日本もいつまでも平和とは限りません。
    真の不戦の思想的原動力としての日蓮仏法は、法の力で生命の奥底を変えていき、コントロールが難しい人間の感情を制御し、仏教が説く「不殺生戒」の現代的意義に十分応えるものと思います。

    会員の皆さまは、疑うことを知らない純真さです。
    師の命と同等のものである創価の組織と同化している会員は、宗教の一般的使命である奉仕精神を体現しています。常に他者のために尽くすことを最良の徳性と考え、信じているのです。
    不疑と疑の相克ともいえる現代にあって、善を願い、断念することない辛抱強い意志の継続は、貴重な精神運動として正当に評価されるべきです。
    ただ、わたしは、教義とともに信仰への確信を左右する情緒的純粋さにおいて「永遠の少年・少女」のような、成人らしからぬ未成熟さを、その行動と判断パターンに見てしまうのです。創価にも問題があるのです。それを知ろうとしない子どものような無邪気さは、大人に守られた子どもの幸福感と同じようなものです。
    師弟不二は、師という精神の母胎で安心することではありません。師の思想から飛び出して、世間の荒波を越えることです。さらに衰えた師を導くことです。わたしにとって、信仰の自立と自我の確立は同じ意味を表します。客観的視点を失わず、深い自覚が必要です。


    Ave Maria
    Olga Szyrowa





    母よ あなたの思想と聡明(かしこさ)で
    春を願う 地球の上に
    平安の楽譜(しらべ)を 奏でてほしい
    その時あなたは 人間世紀の母として 生きる
    その時あなたは 人間世紀の母として 生きる
    Mother, with your ideas and wisdom,
    I hope you will perform a melody of peace on the earth,
    Where people look forward to the arrival of spring.
    Thus, you will become the mother of the Century of Humanity.

    作詞・山本伸一の「母」の曲は、母の強さと精神の健康さを謳います。誰もが共感できる美しい言葉は、聡明であることの素晴らしさと大地のような豊かさを感ぜずにはいられません。父に対する思いと母に対する思いは当然違うものかもしれませんが、母に対する賞讃は、「母」の曲のように、普遍的なものとして会員の間では定着しているでしょう。わたしはそのことに異議をはさむつもりは毛頭ありません。人間関係が希薄になりつつある現代に、傷ついた自己を省みて、魂の蘇生する場所を求めるとしたら、それは母という還るべき優しきふるさとなのかもしれない。
    しかし、否応なく母子関係にも変化をもたらしている現代の精神の荒廃は、会員といえど、母に不信と不敬の気持ちを持つ人も少なからずいるのではないかと考えるのです。母である前に、一人の人間として尊敬できる人でなければならないと、わたしは言いたいのですが、それは父もまた同じです。

    トインビー対談で、池田先生は次のように言われています。
    『そうした女性本来の、生命の尊厳を守り、育み、大事にしていくという特質は、それ自体、人類にとり、人間社会にとってきわめて普遍的な重要性をもっているといえます。女性が狭い個人的愛から、そうした、世界へ開かれた普遍的な愛に根ざして進んでいけば、私は、それが、地道ながらもきわめて大きな、反戦平和への潮流になっていくに違いないと思います。そして、女性がこの本来的な自らの使命に生きるところに、真実の女性解放があると信ずるのです』

    父母を憎み、和解できない会員もいるでしょう。そういう人にとって、この「母」の曲はどう響くのだろうかとときどき考えます。どんな素晴らしい曲であっても、万人が共感することは不可能です。そしてそういう傷ついた人に、聖人君子のような「母を尊敬しなさい」などと、心の声に耳を傾けないで、通り一遍のリプライや上から目線の指導をすることほど、愚かなことはないでしょう。そういう人は、妙法を猥雑なアンモラルなものにしていても気づかない。また、宿命などと冷酷な宣言をして、何も感じない人間だけにはなりたくありません。


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    母の肖像

    人生は何と短く儚いのであろう。わたしは厭世主義者ではありませんが、人生は谷を渡る一陣の風のように、あっという間に過ぎ去って行く。100年経ったら、残っているのは、僅かな記憶と真実の言葉だけであろう。そして古びたポートレート。

    パール・バック「母の肖像」(「新潮文庫」村岡花子訳)からの引用。
    この作品は、数十年間中国にキリスト教伝道をした宣教師の妻として、故国から離れて暮らした女史の母を描いたものです。透徹した愛情と、母に代わり自己表現を試みた崇高な叙事詩、文学的生命が溢れた感動的な生活記録です。


    IMG_thumb1.jpg『もし母がその理想としていたところを基準として生涯を評価したなら、自分の一生を失敗と考えたであろう、と私は想像する。あるいは、その生涯の首途(かどで)において、既に終局を見届けることができたとしたら、確かに失敗だと叫んだにちがいない。複雑を極めた母の性格のうちの、清教徒的一面の深いあこがれであった神への追求は、遂に満たされなかった。鋭敏で実際的であった母の心には、美を愛し、不可知のものを夢見る人であった。
    病めるもの、牢獄にあるものを訪れ、寡婦みなし子を憐れみ、飢えたるものを養い、悲しむものと共に泣き、喜ぶものと共に笑いながら、それでもなお足らずとして自責悔悟の念に苦しむ人々があるが、母もまたその一人であった。求め求めた神の前に立つとき、みずからの足らざるを悔いながら、へりくだった心で
    「主よ、いつ私はそれらのことをあなたのために致しましたでしょうか?」と恐る恐る尋ねる人がある。こういう人に対してこそ神は、
    「彼らになせるは、我になせるなり」と答えるであろう。
    しかしながら、よしんば母自身は失敗だと思うにしても、彼女をめぐって生活していた私たちにとっては、何と素晴しい生活であったろう』



    音楽を愛し、聴きながら涙する母。新しい時代の抵抗精神を持っていた娘パールに諭すように言いました。
    『音楽には相当に知的な理解は持っていたが、母にとって、音楽というものは、常に本質的には一種の感覚であり、情緒であった。私が生意気ざかりの青春期にはいった時分、母のこの傾向にどうも辛抱できないことがあった。彼女は偉大な音楽を聴くと必ず涙を流さずにはいられなかった。苦痛の涙ではない、あまりにも鋭敏に、興奮しやすくつくられている心は、音楽の美を冷静に享楽することができないほど、速やかに共鳴して涙がほとばしるのであった。若い娘の高慢から私は言った。
    「泣かずには聴けないんだったら、聴きに行かなけりやいいじゃありませんか」
    母はじっと私を深い眼つきで見ていたが、やがて口をひらいた。
    「お前には分からないよ。まだ分からないよ。分るはずがないよ。まだ人生を知る時間を与えられていないんだもの。いつかはお前にも、音楽は技巧やメロディーだけでなくて、人生そのものの意義であり、限りない悲しみと、堪えられない美しさとを持つものだということを悟る日が来るだろう。その時にはお前にも分るよ」』



    少女時代から求めた神のしるし。そして母の信仰に対する姿勢は、宗教的権威から極めて自由なものでありました。
    『最も楽しい瞬間にも母は自分の霊魂のことを忘れなかった。歓楽の絶頂に在って、友だちは彼女の冗談やしゃれに笑いころげている最中に、あたかもつめたい手が心臓の上にすうっと載せられたように、驚愕して考える。
    「私の永遠の霊魂はどうなるのであろう?」
    家の中の仕事をしながら、ふと眼をやった庭の風景の美しさに打たれて、天国という所はもっと美しいのだろうかなどと思うと同時に、鋭い痛みがずきずきと胸を襲って来て、
    「でも、私はまだ救われていない・・・一体私は天国へ行けるのだろうか?」
    そういうことを考えずにいることはむずかしかった。日曜日には教会堂での長時間にわたる礼拝、家庭では朝夕二回の祈祷、牧師は穏やかではあっても、肺鮒をえぐるような質問をする。父と母は、子供たちが全部「救われて」会員になるようにと熱望している。これらの事柄がみんな一緒になって彼女を圧迫して不幸にする。
    けれども母を神に駆り立てたのは、地獄の恐怖ではなかった。私は母が何ものをも恐れたのを見たことがない。母の意思に反して強制できるほどに、怖ろしいものとして地獄の有様を描写し得る人があったろうとは、私は一瞬間も信じない。否、母は善良になりたいとの熱望に燃えていたのである。私たちにもしばしば諭して言ったことがある、
    「善良であることは美しいものですよ。善い人におなり。地上で一番愛すべきものは善良の徳です」と。
    母が神を求めたのは、それが善良になり得る唯一の道だと聞かされたからである。神から離れての人間の善良は「汚れたる衣」のごときものだと聖書は言っている。
    神を求める不安のために、青春時代は不幸だったと、母は私に語ったことがある。友だちの中でももっと心持の単純な連中は次々に「回心」して、聖餐式に列した。けれども、反抗心と苦悩にさいなまれながら、母は小さな教会堂で聖餐のパンと葡萄酒の前に頭を振った。自分をも他人をも欺きたくない。彼女は祈りに祈りを重ねた。
    当時の母の日記に次のように書いてあるのを私は発見した。
    「十二から十五になるまでのあいだ、私は一週間に何回となく納屋のうしろの林の中に行き、ニワトコの茂みの中の窪地に身を投げ伏して神にしるしを求めて祈った・・・何でもいいから私を信じさせるしるしを求めた。時にはヤコブのように、神がしるしを与えたもうまではその場所を去らないと誓ったことさえあった。けれども、しるしは遂に来なかった。牝牛の頸の鈴の音が夕暮を知らせた。牝牛は乳をしぼられるために戻って来る。私も家に帰って食卓の用意をしなければならない」
    幾度か彼女は日曜学校の受持教師で牧師夫人のダンロップ夫人のところへ煩悶をうったえに行った。温和で静かなダンロップ夫人は、この情熱的な、正直な少女を「まっすぐ救いに導く」ために力を尽くした。
    「そのまま、神様に身を捧げるんです・・・それで充分なんですよ」夫人には、この色のくろい一本気な少女の心はよくは理解ができなかったけれど、可愛い可愛いの思いで一点張りの心を声音にこめてこう言うのだった。
    「あなたの心を神様に差上げるんです。何にもむずかしいことはないじゃありませんか。ね、そうでしょう?」
    けれども少女ケアリ(母)はそれ以上を望んだ。
    「私は神様が確かに私を受入れて下すったということを知りたいんです。私は捧げることはできます。だけど、なぜ神様は受入れて下さらないんでしょう? なぜ、受け入れたというしるしを見せてくださらないんでしょう?」
    これはダンロップ夫人の分別以上の質問であった。「何でもいいから、神様に身を捧げなさい。それだけでいいんですよ」と、繰返して言うよりほかはなかった。
    その数年はケアリにとって、嵐にもてあそばれている歳月であった。神の存在を認めることのできない絶望は、しばしば彼女を反対の方向へ駆り立て、無反省無軌道な放縦と享楽へ躍り込ませた。時には、身内に沸き返る青春の血の恐ろしさを自覚し、救われる見込みのない悪人は自分だと思うこともあった。自分のうちに欲念がめざめて来るのが恐ろしかった。
    この頃の母は色の浅黒い美しい娘で、年よりは成熟しており、ユーモアに富んだ、よく笑う娘であったが、また一方には、どんなに騒ぎ興じている時にも真面目さを失わなかった。赤い唇、匂やかな頬、栗色の髪が房々と「滝のように」流れていた』
    『母はまちがっていた。アンドリュー(父)は彼の説教をどんなふうにでも手伝われたりすることは望んでいない。自分の説教に満足しきっているし、妻の助言などというものにはいささかの期待も懸けていない。彼女の好む讃美歌などは父には無意味に思われ、陽気すぎると言うのだった。恐るべき地獄が、この世のむこうに口をあいて待っているのに、この世の喜びや美などを歌っているのはもっての外である。
    その上に、パウロの神学の、女は男に従属すべしという思想がしみ込んでいるアンドリューは、母が家庭を治め、子供を産み、彼のために日常の用事を弁じてさえいればよかったのだ。「男は女の頭なり」男を通じてのみ女は神に近づけると聖書は教えた。母が力の及ぶ限り、教会で婦人たちに教えるのは宜しい。すべての人の信仰と知識を試験し、教会員として受入れるや否やを定めるのは彼でなければならず、それは神の祭司たる自分の特権であり、その決定は絶対である。
    父のこの気持を見て取った母の心中には、抵抗の血が湧き立った。善良な聖者であるが故に結婚したこの男性の本質を、今はじめて知ったような気がした・・・自分に対しては善良そのものであるが、心は狭く、利己的で、専横なのだ。何たる妄言であろう。女に生れたゆえに、神に直接行けないそうだ。大抵の男よりも自分の頭脳のほうが明敏で鋭利で透徹しているではないか? 神とは、アンドリューの神のごとき、そんなものであろうか? 豊かな頭脳と肉体とこの二つの賜を両手に持った母は、それらが喜び受けられることを子供のように信じ切って、捧げたのだ・・・その贈物は無用のものとして投げ返された。母は今にして初めて真剣にアンドリューの心の本質にふれたのを自覚した。
    心に深い致命傷を受けたこの婦人の姿を描き出すに忍びない。自分から意識した言葉としては決して誰にも口外しなかったこの時期の母の生活に、解剖のメスを入れるには、私はあまりによく母を知り、あまりに親しく結びつけられている。確かに私たちは知っていた。時には制しても制し切れぬ痛ましい、烈しい言葉が母の口からほとばしり出たこともあった。けれど母は決して出放題にそういう言葉を吐いたのではなく、あとではいつも深く悔いていた。
    女性に酷なる時代・・・宗教的生涯を歩もうとするすべての者に峻厳だった時代に、生れ生(い)で育てられて来た母としては、結婚の常道から離れようなどとは思いもよらなかった。いかに相剋する夫婦であろうと、いかにその結合が空虚な殼であろうとも、いかに内面生活が相隔たっていようとも、外面のつながりは断つべきではなかった。いかなる強い愛の結合よりもなお一層強いものは宗教と義務の鎖であった』


    『神への瞑想と布教のことに気を取られている彼(父)は、妻の同伴を求めることを忘れており、気の強い母もまた自分から決して口に出さなかった。もろもろの天を貫き、神を把握することができながら、自分の側に息づいている気の強い、孤独の婦人の存在に気がつかないとは、父も珍しく人間ばなれのした人物だったと思う。父から見ればケアリは単なる女でしかなかったのだ。私は母の性情がすっかり曇りを帯びてしまうのを見て以来、聖パウロを心底から憎んだ。聖パウロの神学は過去において、私の母のような、自尊心の強い、自由を愛する女性の多くを、単に女であるというだけの理由で、どれだけ呪って来たであろう。すべての真実なる女性は彼が女の上に加えた束縛のために彼を憎まねばならぬと私は思う。この新しい時代になって聖パウロの権威が弱くなったことを、私は自分の母の名において、喜ぶ者である』

    『神のことはほとんど口にしなかったけれど、聖書を読んでいる母の姿はうら淋しかった。老年のしのびよって来るのを感じながら、みずからの生涯に計画したことを何一つ成就しなかった母は、再び昔の神を追求する心に返りつつあったのだと私は思う。しかも神はこの長い年月の間に一度として母に明確なしるしを示さなかった。新聞や雑誌で心惹かれた詩の切抜きをはさんだので、母の聖書は厚くなっていた。大部分は短い、悲しい詩やあるいはその愛する自然を歌ったものであった。母が死んでから私はそれを全部読んで、この頃の母の心の琴線に触れる思いがした。幼な子の死や故郷から流離した人々をうたった詩や、未だ神を見た者はない、ただ信仰によってのみその存在を悟らねばならぬと書いてあるものばかりだった』


    「母の肖像」のなかで重要なテーマを占めるのは、夫婦の相容れない相克でしょう。
    神に仕える聖職者としての父は、信仰に厳格であっても、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。信仰が自発的な意志=自由を土台にしたものであるにもかかわらず、形式的な解釈や教理から脱した論理的思考への可能性を閉ざしても、疑問に感じない夫。教条的な原理原則に束縛された、形式的な説法といった権威のなかで、自由な精神が失われいく。
    本来の闊達な生命の躍動が得られない形骸化した活動は、我々学会員も経験しています。宗門の恐ろしいまでの時代性への無理解は、あらゆる宗教が陥ってきた創造性の欠如というものです。 真の宗教心は創造性から湧き上がってくるものなのです。
    弛みない求道者であったパールの母は、波乱の生涯で明確な「神のしるし」を見ることはできませんでしたが、夫よりはずっと神に近かったと考えます。神の代名詞は、自由の実現ということだからです。
    妙法の信奉者は、同じ苦労の果てに「しるし」を見ることが可能でありましょう。日常の雑多な些事、悩み、人間関係の行き違いなど、わたしたちを路頭に迷わすものは数限りなくありますが、考えることを諦めない賢明な迷者であり、求道者であれば、真理も灯のように虹色の光を放ち、待っていてくれると信じます。
    わたしたちが誰かに与えることができるものは、財産や名誉でなく、信仰者としての姿勢そのものに価値を見出だす変革の思想に外なりません。それは父母から子に伝える最も重要な生き方のマニュアルというものかもしれません。

    ピューリタンであれ、ブッディストであれ、信仰者としての姿勢は変わるものではないでしょう。信仰はどのような境涯に達しようと、常に疑いが内在しているのです。絶対という言葉を簡単に使うことを躊躇せざるをえず、絶対に対する概念の把握ほど難しいものはありません。妙法で難信難解と説かれるのはそのためであり、自分で気づかなくても無邪気さのなかの邪気のように、そして一本の刺のように、疑いは誰の心の襞にも突き刺さっているのです。信仰とはこの棘を絶えず意識することなのです。何も悩まない会員に時々出会いますが、そういう人に限って正義や悪、血脈や師弟だのと、口角に泡を飛ばして声高に叫ぶ。わたしには狂信者にしか見えません。人間や世界の仕組み、信仰や仏の存在がそんな単純なものなのでしょうか。
    信仰とは聖なるものに近づくことであり、同時に不正と不公平の泥沼に足を踏み入れることであり、相反する心の葛藤に苦悶することです。実際、アンビバレントな感情の克服こそ至難な業はありません。それは人間の本質と信仰の基本に、深く関わっているからです。

    親の娘に対する愛情は、息子に対するそれよりも単純なような気がします。それはいずれの親も、子どもに対する感情は変わらないのかもしれませんが、「子供たちこそ私の最大のロマンスだ」と、パールの母が言ったように、森の奥の大樹のようなドッシリとした確信で、複雑な心奥を照らす光のような明瞭さで、愛情のほとばしりがあるように感じます。そしてどのような親であっても、ずっと真金のぬくもりのように変わることがないと、聖なるものに誓って言えるのではないでしょうか。

    妙法に対し、あるいは会員に対して、盲信とか、あやつり人形のような洗脳という言葉の評価は、人一倍信仰と自由に関して、敏感なアンテナを所有している会員には、全く的外れの指摘に外ならない。個人の内面であれ人間関係であれ社会のルールであれ、「信じること」のメカニズムを全く理解していない人が言うことです。信じることは最も高貴な行為であると同時に、勇気のいる行為であることを知らねばならないでしょう。
    また、人生において、少しでも意味あるものに出会いたいと考えるなら、献身と諦めない心を持続する信じる行為は、自己のなかにいるもう一人の最良の友として力強いパートナーシップを発揮してくれることでしょう。

    *20世紀を生きたアメリカの女性作家パール・バック。
    『大地』『母の肖像』などの作者として有名な彼女は、自らの母をこう讃えた。
    「母はどんな場合にも恐れたことがない」
    「(母は)微笑を惜まない」
    そして、「(母は)最後まで若々しい精神を持ちつづけ、不屈不撓、寛大」であったと。
    まさに創価のお母さんの姿である。

    (「第14回本部幹部会 第一回全国婦人部幹部会 でのスピーチ」2008・01・16)

    スピーチは、ケアリ(母)が信仰に深く悩んだことを言わない。神の伝道師のように悩み、神の給仕のように人々に尽くしたことを説明しないで、娘が自画自賛する母の姿の一部分だけを強調して紹介している。この本はアメリカ的理想主義の影響がある文章なのです。
    不勉強な婦人部は、自らの姿を重ねて、信仰は違っても女性として共通していると錯覚し誤解しています。自己否定寸前まで落ち込みながらも、強い意志で自己を励まし続け、信仰を求めた深い愛情と人間性を思い描くことができない。そして、その人道的慈愛は、賢明な娘に受け継がれました。親は口だけでなく、その生き方、姿を示して子どもを諭さなければならないことがよくわかります。悩む親の姿も、子どもにとって立派な教師であり続けると同時に学習の最良のテキストなのです。
    その後、娘は耐えられない悲しみに出会います。そのとき、母の生き方が心のなかにあったからこそ、荒れ狂う大地のうえでも強く生きることができたのだと思います。
    この小説で描かれるケアリの夫は、宣教師でありながら、信仰に凝り固まった盲信者。人間性を自由にする信仰の意味を、全く理解していない。神の概念を理解していない。日常生活も閉鎖的で、恐ろしく教条的。このような姿は大石寺の僧侶像とイメージが重なりますが、最近は創価の執行部にも同じものを感じています。先生が著しく指導力を無くしていることが原因と思われますが、それに乗じて、都合の良い解釈を作り上げ、正当化している幹部がいるのでしょう。会員は賢くなければ、賢い信仰を続けることができなくなるでしょう。会員の善良さも、思索した善良さでなければなりませんね。

    2日のお誕生記念日が過ぎたばかりなのに、こんなことを言うのもなんですが、先生がお亡くなりになれば、必ず先生原理主義がはびこります。師弟不二なのですから、そのご指導を永遠に原理としていくことは弟子の努めですからね。推理力でカバーしながら、または新たな解釈を作り、先生の本意はこういうことなのですと、原理主義者は語るだろう。本意などという言葉はあてになりませんよね。本意の本意、さらに深い本意などと三重にも重なった本意が勝手に作り上げられ、永遠の指導者の三重秘伝抄も編纂されることでしょう。
    疑うことを知らない純粋な会員さまに、わたしのような不純な会員が遠慮しながら申し上げますが、こんなもっともらしい指導が出てきます。つまり、聖教にも、会合でも紹介されなかった先生のご指導、限られた幹部より聞かなかったご指導、秘密にしておいた大事なご指導、ということで、今までと真逆のもっとらしい指導が必ず登場することでしょう。わかっていながら警鐘を鳴らさない先生、注意喚起をしない先生、会員のことを本当に考えているのか、疑問です。どうか創価を愛していらっしゃるのなら、パール・バックがわが子のために生涯を尽くしたように、遺言ではっきりと明言して下さい。愚かで自分勝手な弟子ばかりなのですから。


    Colors of Love
    Thomas Bergersen






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    さいわいを万里の外よりあつむべし

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    ~★*:..☆゚~ 5ab.jpg ~★*:..☆゚~

    今正月の始に法華経をくやうしまいらせんとをぼしめす御心は木より花のさき池より蓮のつぼみ雪山のせんだんのひらけ月の始めて出るなるべし、今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし、影は体より生ずるもの法華経をかたきとする人の国は体にかげのそうがごとくわざわい来るべし、法華経を信ずる人はせんだんにかをばしさのそなえたるがごとし


    ~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~★*:..☆゚~


    帰省すると、なんとなくダラ~ンとして、しまりがなくなってしまいますね。わたしったら、テレビを見ながら大口あけてバカ笑いしているのだから。いつもと違う非現実的な時間進行のようであり、夢のなかにいるような気持ちになります。楽するって楽でいいな~って、ほとんど思考停止のような状態、お酒が入って目が回ると思考輪廻状態でした。
    たっぷり野菜や鶏肉、シイタケ、お豆腐など細かく刻んで煮込む郷土の大海(だいかい)料理で、日頃の野菜不足を補充。だいたいその家の一番大きなお鍋で作る大海は、お祭とか季節のイベントがあるときには、欠かせない定番郷土料理です。お雑煮、あんもち、黄粉もちのお餅バージョンは大好きなので、食べ過ぎにはご注意っていうところかしら。帰省の間に顔もふっくらしたような、余計な脂肪がついたような、体が重くなって、帰ったら何か言われそうよ。いつもと同じパターンですけど。

    新年勤行会に参加しながら、ふっと感じたのは、創価の会館のネットワークの凄さ。公共機関や経済活動以外を除けば、全国の主要都市や町を結ぶネットワークは、創価だけかもと思い当たりました。大震災のときも、いち早く機能したことは言うまでもありません。建物は愛されて使用されてこそ意味があります。また時代に即した機能を付加するのも、これからの大切な見直し作業でしょう。欧米では教会が町の中心に位置するように、地域の伝統行事と精神的平安、人のつながりに重要な役割を担っています。信仰が結ぶ会館ネットワークは、会員の皆さまの使命感的奉仕に支えられていますので、悪しき運用は決して行ってはならないし、無理を押しつけてもなりません。なにしろ、会員の浄財で建てられたことを忘れてはなりませんね。

    創価は以前から、一枚岩のようなイメージで言われています。これは良いイメージではなく、他を寄せつけない悪い意味で用いられているようです。集票マシンと集金システムのクローズアップです。組織であれば指揮系統が存在し、明確な意思決定ラインが組み込まれています。組織って生き物と同じで、重要な神経回路が手足を動かしているわけです。
    創価を疑い深く見る人からすれば、まるで意思を持たない会員が、愚かな民として操作され、均質的に教育を施され、コントロールされ、経済的にも身体的にも犠牲になり、会員はその愚かさに気づこうとしない。
    さらに、不可能と思える陰謀が計画され、日本を乗っとろうとしている。自己中心的な論理で強固な共同体を作り、宗教組織とは思えない脅威を社会に与えている。創価に対する批判は、驚くほど類型的で、想像力がないものばかりです。組織のなかで息をする人間が対象になっていませんので、会員からすれば大変な違和感を感じる批判でもあるのです。
    第二次世界大戦のとき、日本国民は神道の思想的崇拝のもとでカルト化しました。神聖な国家は、国民の生命を要求する権利を持ち、支配の理想は聖なるものにすべてを委ねること。苦難が続けば続くほど、聖なるものの救済が価値を増す。当時、神道のみ正しく、他の宗教は聖戦遂行のために邪教と断定されました。伝統仏教は釈尊の精神を忘れ、反戦に対し、その役割を放棄しました。明治期、僧侶が身分から一職業になったことから、僧侶といえども兵役の義務を負わなければならない立場になり、出兵し武器を取って敵と交戦することの正当化を余儀なくされました。もともと国家の庇護のもとにあって、権力の手先に甘んじてきたわけですから、仏教の精神や教義よりも、自己保身、あるいは生活手段として冠婚葬祭用の宗教労働だったのです。葬式仏教という言葉が端的に表しています。
    大石寺一門も同じ。大聖人のご一生を貫いた立正安国とは、つまり革命精神ということ。遠い昔のことではなく、近代史のなかで、一度でも命を懸けて布教したことがありましたか?

    日本人は無宗教であることが、公平な市民として認知される条件のようです。その反面、儀礼やしきたりを好む国民性は、無定見に民間信仰を容認します。宗派に関係なく四季折々の行事や祭りに、信仰と無関係な生活習慣として参加します。信仰に対するこの無頓着さは、宗教的活動の厳格さより、地域的つながりを優先する古い共同体意識からくるものと思います。草創期に、狭い村落において、創価学会員がよそ者扱いされたのは、その典型例ではないでしょうか。ひどいところでは、村八分まであったとか。普遍宗教に馴染んだことがない国民性がよく表れています。
    民間信仰や長い歴史のなかで儀式化された既成仏教には、なにより曖昧な教義が準備されていました。末法における仏教の形骸化が、明治から現代にかけて明確に現れている時代はないのです。他者救済という難事が、この曖昧さから成し遂げられるわけはありません。信仰は大切であると言いながら、教義には厳格さを求めないのです。このような道徳的気風は、現在でも健在です。創価においても、御本尊にこだわらない価値観として生きています。教義なんて、あってないようなもの。
    戦後、日本人は宗教への警戒心から、創価のような一枚岩の団体を拒絶してきました。少なくとも、権力機構に組み込まれているメディアやジャーナリズムは、問題の本質に目を向けることはなかったと言ってもよいでしょう。また戦後の反アメリカで統一された学生運動からは、挫折を経験した左翼系市民運動家が誕生しました。彼らが戦後著しい発展を遂げた宗教を忌み嫌った一つの理由は、宗教指導者がカリスマ性を有していたこと。さらに、宗教に対して全く無自覚、無認識であったこと。現在の政治指導者層の多くが宗教心を省みない、かつての市民運動家であることや、保守と言いながら、戦前回帰のような、神道への傾斜を公言するようなスタンスは、なんとも皮肉なことであり、不気味です。
    宗教心という言葉は死語に近いし、不合理なドグマを背負っているように思われているから、尚更です。したがって、無宗教を誇ることになるのですね。宗教心とはつまり、政治家に最も必要な慈悲の概念で説明されるものですが、長期的ヴィジョンもない不透明な政治改革・行政改革とやらのツケに、これから国民は長く苦しめられることになりそうです。戦後の政治家の怨念は簡単に晴れることはないでしょう。
    また宗教の正邪を教義で判断するなど一般人には至難の技。あえて難解なことに挑戦しなくても普通に生きていけるし、不都合はないし、悩むこともないし、友だちだってできるし、努力しだいで幸せだって十分に満喫できるっていうもんです。
    こんな質問もありそうです。
    「絶対的幸福を実現した人はいるのですか?」
    「実現できないものを理想とするのは、矛盾しているのではないですか?」
    「絶対的という基準はどういうものですか?」

    カリスマとは、ウェーバーが指摘した非日常的な資質のことであり、それは革命的エネルギーに満ち溢れている資質のことです。革命に挫折した者が、一方で順調に帰依者を増やしていく姿を快く思わず反感を抱くのは当然のこと。社会を導こうとしているカリスマは、一体どのような方向へ進もうとしているのか。宗教に無理解な市民に得体が知れない不安が不気味に広がり、批判せずにはいられなくなるのです。反体制の人間が拠り所とする革新的思想は、今は、保守とも言えない非革新に成り下がり、だらしない革命ごっこを演じています。宗教は、混乱した世界に積極的な秩序を与え、老朽化した既成秩序を変革していく精神の復興エネルギーです。彼らに欠けていたものは、苦難と救済、大衆の幸福の意味を問うことでした。これは宗教が問い続ける真理への成就過程と一致します。つまり宗教オンチは政治オンチという、あからさまな歴史的事実に出会っただけなのです。
    オウム事件以後、マインド・コントロールとカルトという言葉がセットになり、創価に対し使用されてきました。実は無自覚な宗教心という歴史問題に視点が欠如しているために、マインド・コントロールを受けてきたのは批判中毒の自分たちなのですが、当然、冷静を装いながらムダ口を繰り返し、ますます自己を欺く神経症的破綻を招くのは必然の成り行き。人生は道理であって、道理は自己に忠実でなければ実現できません。

    ともかく、波乱含みの昨今、何が起きてもおかしくない時代ですので、気持ちをしっかり持って、きっちり前を向き歩いて行きたいと思います。
    政治も宗教も、マジでリカバリーが必要ですね。
    適当な、ほどほどのおつきあいのほど、お願い申し上げます。


    ☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆


    ヒルティの『幸福論』(岩波文庫)からの引用ですが、やや断定過ぎるきらいはあります。
    『現代の無信仰の代表と、われわれが根本的にちがう点は、本来、次ぎのようなわれわれの主張にある。すなわち、人間が一般に人間的な利己主義しか知らず、とりわけ、自分自身のまったく動物的な天性しか知らない場合よりも、たとえ対象の理解をあやまった信仰にもせよ、よしやごく低級な種類の信仰にもせよ、やはり信仰を持ったほうが、人間にとってはよりよきことであり、その精神的発達により多くの希望が持てる、とわれわれはいうのである。
    この謎のような人生をのり切って行くには、おもな道はおよそ四つしかない。宿命論か、克己主義か、利己主義か、信仰かである。

    近代の克己主義はカントの倫理学体系であろう。世間の人たちが,ヘーゲルの単なる形式主義や、シェリングの象徴圭義や、ショーペンハウアーの厭世観や、ニーチェの狂暴な無神論から、よりすぐれた思想に立ち帰ったならば、また同様に、ゲーテのたんに美的な自己満足も大多数の人々にとっては不可能であり、すべての人にとって不満足なものだということを、これまで以上に世人が悟ったならば、そのあとで、カントの倫理学体系はきっとふたたび前面に浮かびあがってくるにちがいない。

    われわれは誰でもが・・・考えながら、あるいは知らず識らずのうちに・・・上のどれか一つの道を歩くのであるが、しかしその結果はそれぞれ違ってくる。
    第一の道はひとを鈍感にし、第二の道は冷酷にし、第三の道は邪悪にする。ただ第四の道だけが、この世で可能なかぎりひとを善良にし、かつ幸福にする』

    第一の道・宿命論は医学・医療技術の進歩で大胆に解決される可能性があります。倫理的課題を克服すれば、万人がその厚生の有益な恩恵に浴することができるでしょう。それでもなお、未解決な問題は依然として残り、より根本的な環境と自分の関係性、他者との関係性、家族のなかの自分の存在、あるいは親子関係、生命そのものへの発生のメカニズムなどの問題、つまり生命の起源についての難しい問題。でも、宿命論は人間が生み出した単なる妄想の可能性もあります。すべて科学的説明が可能な問題なのかもしれない。こんなふうに自分で書いていながら、わからなくなってくる科学的素養の無さに驚きます。
    未来には、宿命論は仏教の中心思想から除外されるかもしれません。さほど重要でない教義の一部に追いやられるポシビリティーは確実にあるでしょう。
    克己主義とは禁欲主義のことですが、戒律主義的思考の中心をなすものでしょうか。求道者の生活姿勢はストイックに見られる場合がよくありますが、自分の人生、生活範囲に関心が集中し、他に興味が及ばないという自分中心主義。妙法を信仰していても、こういう人は見かけます。クソ真面目な人に多いようですが、別な言い方をすれば、正義や悪、師弟などの言葉に反応する自意識過剰のナルシスト。正義という鎧を着た自己愛。自分との関係度合いによって、ときに冷酷な態度をとることに躊躇しません。
    より良く生きることは、利己主義を克服努力することではないでしょうか。エゴイズムであるところから、排他主義に陥る可能性もあります。生来人間は利己主義の可能性を多分に持っていることを考えると、反対の利他主義は、努力し学んで身に付けるものなのかもしれません。万人に対する利他主義は法華経に通底する思想ですが、自他共にの幸福主義こそ、創価が啓蒙しなければならない人間主義でしょう。創価は、この普遍的な「自他共に」という部分を変質させる教義の改変を行っていく気配があります。
    信仰はある意味、人間と社会に対するオールマイティーな実践哲学です。宗教がなければ信仰もありませんが、理論だけでは宗教とはいえません。実践面を強調したのが日蓮大聖人です。実践理性を説いたのはカントですが、道徳的にも倫理的にも、関係性のなかで、行為の真実を探求する姿勢を保持する者が、理想的信仰者です。祈りは真実に近づく行為です。その祈りが『幸いを万里の彼方から集めてくる』ものなのでしょう。祈りは情感溢れる実践理性です。
    100年後、200年後、創価は生き残っているだろうか?
    法華経すら、仏教の発祥地において生き残ることができませんでした。民衆の支持がなくなれば、正しい宗教も生き残れません。創価には歴史改竄、歪曲の罪があります。必ず歴史の神から報復を受けるでしょう。思想や哲学などは、優れたものであったとしてもエッセンスより残らない。未来の民衆の機根は、現在の人間主義を既知のものとして、さらに新しく優れた思想を求めることだろう。創価から、新しい創価が生まれることを望みます。組織も一新されて、古びた老人の手から、青年の若々しさ、溌剌さが漲る体制を取り戻したい。栄光とは青年のためにある言葉です。


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