信仰継承

    お盆に久しぶりに友達と会い、時間を忘れて思い切りお話しました。5年前、思いがけなく折伏できた人で、とても性格が素敵な人です。
    3年前のことですが、創価の会則変更が行われたときを境に、問題児か不良娘のように、わたしは組織に楯突くようになりました。彼女にはとても申し訳ないことをしてしまったと後悔もし、正直に気持ちをお話しましたが、きっと不信も生まれるだろうなと覚悟しながら、自分の好きなようにしてくださいと言いました。でもそのとき、彼女はとてもうれしいことを言ってくれたのです。
    「わたしが入会したのは、創価や池田先生を信じて入会したわけではない。あなたを信じて、あなたが信頼できる人だから、入会したのよ。幸せになれると約束したんだから、最後まで責任持ってよね。わたしの幸せはあなたしだいなんだから。だからあなたについていくわ」
    そんな趣旨の話をしてくれました。これが男女だったら結婚していたかもしれません。そういうわけで、わたしには、自分だけでなく彼女の分も責任があるんです。でも幸福製造機があるから、大丈夫ですね。
    時々、女子部のときの部員さんにもお会いすることがありますが、皆さん遠くからでも声をかけてくれます。たまたま二人とか三人集まると近況報告に忙しく、賑やかな座談会のようになってしまいます。そんなとき女子部時代に戻ったような感覚になるのは嬉しいことです。

    わたしは三世です。わたしの両親は、基本的に子どもには不干渉です。幼いときは口やかましい一般的な親であったけれど、大学を卒業してから、自分の人生は自分で切り開いていきなさいと宣告されるように言われました。全部自己責任で、そういう基本スタンスは、子どもとしては大変ありがたいと思います。もちろん信仰もそのなかに入ります。創価をやめる気など毛頭ありませんが、自分の使命を確信し、先生がおっしゃられるように、人間も組織も改革こそ妙法の本質であると強く自覚し、自分に課していく姿勢に、わたしは少しも疑いを抱いておりません。

    真理は完全無欠でも、証明者はその実践過程でたえず間違いを犯します。また惰弱で意志薄弱で怠慢です。すぐ他者のせいにします。自分の正義を最上のものとして訴えて憚りません。釈尊が成道後、法を説くことを躊躇したのは、ひとえに救いがたいと思われる他者が存在していたからです。このような人々を救済していくためには、勤勉でなにものにも動じない意思強固な人格でなければなりませんが、熱心さのせいで反社会的な烙印をおされる可能性もあり、今や不軽の実践は難しい環境にあります。
    今までの創価史のなかで普遍的正義の発揚を見たことがありますか? 
    常識的といえばほとんど常識的な正義ですが、ときには非常識な正義を主張するたびに、さらに大きな正義を葬ってきました。これは熱心さというよりは信仰と知性の問題です。
    大御本尊も木だ。木はいつかは腐る、なんてよく言えますね。人間だって例外なく腐りますよ。でも腐ってもこれほど尊く唯一のものはありません。大御本尊が腐るというのなら、自分の命が腐ると言っているのと同じです。要は尊ぶ心が不在なのです。尊ぶ心・意志が信仰です。信仰者を尊ぶ行為が慈悲です。こんな簡単なことを理解できない人が、なぜ多いのか、わたしにしてみれば謎です。

    原理は不変でも、そのあらわれ方のバリエーションは多彩で、個人個人において無限の可能性があるでしょう。集団よりも個人の強調は、近年の創価の指導にもよくあらわれていますが、人材を各界に送り出し、創価の仏教運動への賛同を幅広く得ていく方針転換がありました。またグローバルな思想と人材確保こそ広宣流布への条件ですが、はたして外交オブジェクティブのコンプライアンスを確立しているのかどうか。今まで先生に全部頼ってきた重要なネゴシエーションも曲がり角にさしかかっています。
    人間革命思想は同時に社会革命思想ですが、世代を越えた、あるいは世代間に継承されなければならない戦略でもあります。その戦略は確実に成果を生み出し、社会に対し一定の影響力を及ぼす段階に入りつつあります。社会に対する有為な人材の育成は、創価の大きな使命でもありますので、池田先生のご指導は、多くの人々に希望と勇気を与えたということではないでしょうか。
    しかしその一方で、不満を持つ会員が増大しているのは、どうしてなのでしょう?
    統計的な調査では、創価に不満を持つ一世会員が比較的多いことがわかっております。
    その理由を列挙しますと、
    1.幹部の人間性に問題がある
    2.学活に費やす時間的負担が大きい
    3.組織中心主義的傾向に違和感を覚える
    4.聖教啓蒙に問題がある
    5.選挙支援活動に問題がある
    6.先生が特別視され過ぎる
    わたしから言わせれば、その他に、説明責任を果たさないという冷淡な対応もありますが、まっとうな常識ある人間が感じることは、誰もが感じるのですね。そしてこのような不満不信は将来、顕著なクレームとして顕在化すると考えられ、必然的に改革を余儀なくされるでしょう。また現場に問題がありながら、放置している幹部が多過ぎますが、あるいは問題を感じない鈍感さが幹部には必要なのかもしれません。

    未来部員への指導は、創価学園、創価大学への進学の奨励とリンクしています。未来部担当者は進学ブローカーみたいな役割を担っており、わたしが大学進学する以前から、「池田先生のもとへ」というスローガンが、未来部指導のメインでした。かつて池田博正副会長が未来部の責任者だったことは、将来を見据えた布石だったのでしょう。先生にとって、心から信頼がおける人間が、身内よりいないということでしょうか。師弟不二という立派な言葉が虚しく響いてきます。
    最近は、家族単位の勤行、座談会参加、本幹参加が特に強調されており、さらに未来部、未就学児童の未入会家族へ焦点を移し、重点的に取組む姿勢が打ち出されています。後継者の信仰継承が危機的状況にあることを物語っております。親子間はデリケートな問題ですので、深く立ち入ることはできません。正しいからといって受け入れられるとはかぎりませんし、執行部には相当の焦りがあるものと理解しています。

    わたしは、信仰継承がスムーズにいかなかった親の不幸な実例を、何度か経験してきました。どういうわけか、幹部であればあるほど、子女への継承率が低いのです。そしてそういう家庭は決まって、親子のコミュニケーションに問題があるのです。親の方に、生き方あるいは人生観に、自信がないのではないかと推測しました。父子・母子一体の成仏が、そもそも妙法の基本法理ですよね。
    現在の女子部の実状をみれば、どうして楽観的に考えることができるでしょうか。
    令法久住への熱い情熱とも言える「一人立つ」精神は、女子部にこそ求められています。

    わたしは結局、未入会の方と結婚しました。残念なことに、わたしのまわりの男子部のなかに、適当な相手が見当たらなかったからです。男子部は、言うことは勇ましいのですが、いつも群れていて「一人立つ」プランを、公私にわたって持っていません。または持っている人は稀です。また、「一人立つ」は、なにも信仰世界だけの話ではありません。社会的にもオリジナリティーがなければ「一人立つ」ことはできません。

    どうか、誰かを励ますよりも真っ先に、健気に奮闘する女子部員を精一杯励ましてください。わたしも経験しましたが、完璧にやろうと思えば思うほど、真面目にやろうと思えば思うほど、役職兼務の厳しさに涙を流しました。ほとんど無限に、次から次と問題が起きてくるのです。なんという苦渋に満ちた組織でしょうか。
    女子部の姿が、創価の未来を暗示しています。
    どうかひたむきな女子部を、やさしく労ってあげてください☆彡

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