人間革命という概念

    小説・人間革命も新しい章が始まりました。
    はじめに、マルチン・ルターにふれているのは、創価の宗教改革をイメージしているのかもしれません。神と人間の間に介在物があり、免罪符や聖職者の取次が必要という教会権威を強調していますが、正宗宗門や法主と二重に重なってきます。腐敗した教義、権力に取り憑かれた哀れな姿、一方で権力を恐れる臆病な相貌、世俗化した儀式と僧侶は、宗教と信仰者の堕落を象徴しています。無知とエゴイストの成れの果ての醜い形相です。法が立派でも、腐った人間がそのまわりを取り巻いていては、信者が苦しむだけ。腐った果実からは腐った種しか産まれません。腐った人間からは、腐った法しか生まれません。
    宗教に権威など必要ないという、至極当然のことが改めて思い起こされます。特に権威に従順であるという日本人の特質は、思想や哲学より根底的な文化的社会的資質として形作っているように思います。会員の、社会の改革者としての先生への尊敬度合いがとても強いのも、その反動のようにも思われます。先生への賛同と支持を通して、社会批判を実現しているのかもしれません。
    政治や学術には必要かもしれませんが、仏や神は権威を欲しません。必要だというのなら、その宗教は偽宗教であり、詐欺的宗教であることを心にとめておくとよいでしょう。この世のなかには、詐欺のように善人をだます宗教は数えきれないほどありますが、真実の宗教はたったひとつです。

    新・人間革命から引用します(第19巻:陽光)
    『たとえば戸田は、あの獄中にあって、「仏」とは「生命」であると悟達し、やがて仏法を生命論として展開していった。これによって、仏法は現代を照らす、生きた人間哲学としてよみがえったのだ。
    また彼は、信仰の目的である「仏の境涯」に至ることを、「人間革命」と表現した。
    この「人間革命」という、新しい概念を導入したことによって、仏教界で死後の世界の問題であるかのように言われてきた「成仏」が、今世の人間完成の目標として明確化され、深化されたのである』

    新しい概念の導入で真理の枠が広がることに、わたしはとても賛成ですが、土台となる法を誇大解釈したり、否定したりという、教義が根本から改変されるような変更には、とても抵抗を覚えます。そのような例は多いのですが、これは伝統的宗教から独立するときの一つの過程なのかもしれません。特殊からの一般化、別してが総じてに変化して一般化の道をたどるという妙法のプロテスタント化。凡夫は仏であるという妙法の飛躍を応用しているんですね。

    大白蓮華1月号の御書講義<p34>で、「人間革命」という言葉が、南原繁博士の講話からの借用であることを認めています。南原博士は内村鑑三の弟子の一人で、45年から51年まで東京大学総長を勤め、戦後の混乱期において民主的大学の建設と運営を受け持ちました。前任者の矢内原忠雄博士も無教会主義者であり、キリスト教会が国家の承認監督する統一団体に統合されるなかで抵抗し続けました。一時公職を追われながらも、国家主義と戦い平和主義を貫いた。キリスト教のなかで平和主義を貫いたのは、無教会主義と少数のキリスト主義者だけでした。内村鑑三の預言者的性格が、大きく影響しているように思われます。なおこのテーマは、わたしには魅力的に映りますので、創価の反戦の歴史と対比して少し勉強したいと思う。牧口先生には、日蓮主義を基本としたナショナリズムへの賛同の疑わしさがあります。無教会主義も似かよっていて、内村鑑三が生涯の目標とした「ふたつのJ」の影響があるように思います。

    人間主義を理解するキーワードは、「非暴力」と「調和」だと思います。
    広宣流布を破壊する仏敵には決して妥協してはならないと、先生は機会あるごとにご指導されております。日蓮の排他主義がときどき問題になりますが、法華経では悪人への厳しい指弾とともに成仏の可能性を随所で説いています。
    安楽行品ではじょじょに誘引する摂受が説かれ、常不軽菩薩品では妥協しない折伏が説かれ、方便品で生命の尊厳性を説いたにもかかわらず、陀羅尼品では法華経無理解者に対して排他的な言説が見られます。提婆達多には未来成仏を約束し、不軽菩薩に迫害を加えた男女にも更生の可能性を示しました。
    大聖人は『願わくは我を損する国主等をば、最初にこれを導かん』(顕仏未来記)と言われています。法の流布を懐疑的に攻撃してくる敵対者を、最初に救済すると断言されています。
    大聖人は戦う寛容主義者でした。大聖人が戦ったのは、法華経誹謗の非寛容な思想に対してです。念仏の他力主義は人間の主体性を失わせ、真言の神秘主義は人間とかけ離れた超人的仏が中心であり、禅宗は日常性を軽視する傾向があり、律宗の戒律主義は他律主義であり、法華経から見れば、それぞれが人間性の可能性を否定する思想でした。このような思想は形を変えて現在でも生きているのであり、それが根源的な悪であることは、わたしたちが十分学んだところです。生命の自在さを本源的に否定する反人間主義といってもよい思想への戦いは、創価のリーダーに継承されています。
    人間主義は自由自在にすべてを生かす智慧であり、変化と多様性を硬直的にとらえる思想ではありません。現実に即し、自他ともに幸福を実現していく実践的方法です。
    自分を捨てて他人に献身するのではなく、また自分の幸福を優先する独善やエゴイズムでもなく、他者共存と生命の全体性を信じる中道思想。人間の主体性の理想を説く中道こそ人間主義の要です。先生のすべてを生かす哲学と実践は、実は社会のあらゆる分野において、パラダイム転換を迫っているのです。
    先生が多くの称賛とともに無理解の非難にさらされるのは、すべてを生かす全体性という思想の巨大さを理解できないためと思われます。悪も善も、否定も肯定も、差別も平等も、排他でもなく包括主義でもなく、妙も不妙も調和していく、それが法華経の真髄であり、人間主義の姿です。
    組織批判をして、それを最後まで貫き、組織を新しく作りあげた人は皆無です。でも無駄ではありません。法華経においてどのような意見でも無駄ということないのです☆彡

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