菩薩の本質

    ネット世界ではアンナと可愛く名乗ってますが、証明できないことを言うのもどうかしてますね。リアルな実像は反抗的との評価もありますが、細部にこだわらないわたしとしては、おおむね良い評価と満足しています。善良な集団での最低評価ほど、聞きごたえがあり、読みごたえがあるドラマティック・ストーリーはありませんね。
    冒険はいつも最悪条件から始まるものです。極悪や無責任な評論家、他に追随するだけの能力しか持ち合わせていないその他大勢の大衆と無害なオーディエンスは、どこの世界にもおります。そしてヒーローやヒロインの顔をして、紅潮しはにかんでいます。このような人々のジャッジや鑑定は、参考にすらなりません。

    実生活での仕事や学業などにおける評価は大切ですが、信仰上における評価はさほど気にかける必要ないと考えるようになりました。信仰でなくても最良の結果を望むのが行動の帰結というものですが、成果という言葉に言い表わされる結果など、組織の都合以外なにものでもありません。マイ聖教に多くの会員が疑問を持ち始めているのに、十分な根拠を示さないままです。啓蒙のおしつけは偽善の影絵のような厚かましさ。美しいけれど、光に照らされれば、はかなく消える、サプレッション(抑圧)の詐術です。

    指導性は簡単に言えば哲学です。それは自由選択を前提にしたものでなければならないと思います。わたしがこういう指摘をすると、今まで自由だったし、これからも自由だというオウム返しのような答が返ってきます。創価に限らず、組織に加入すれば、誰でもそれなりの自分の居場所と自由な発言権を得たいと考えます。その権利の前提となるのは、活動家であるかどうかということです。
    マイ聖教は、活動家と認知される名札のようなものですが、そのように活動家の定義を誘導してきたのが、今までの指導であったこと、悪しき習慣の正体は単に部数減への恐怖以外にないこと、それにともなう宗教団体としての経営的経済的理由があるからと思います。自由は、自由を誇称しながら無言のうちに、心や気持ちを束縛し、負担をかけることではありません。
    大事なのは個々の意思であり、信仰への情熱であり、確信であり、不完全人間が不完全評価をしても意味がありません。創価の中心者である年長者は、必然的に生活知恵があり、経験から複雑な正邪や善悪の区別を知っていますが、一方で、保守的になるがゆえに、賢明でない打算的な評価法も選択します。地位ある者は特にそうです。面倒なことは避けたいと考えるし、波風を立てなくても組織は十分機能していると思うのです。

    創価のなかにも幸せでない人はたくさんおります。その原因となる苦の実体と、自分を縛る旧価値観からの解放、善悪の弁別、問題解決への心的アプローチの論理的、具体的説明をすることなく、ただ一様に宿業論でかたづけてしまう愚かな指導が見受けられます。それは、自分の言葉で語らない聖教コピーの凡庸な幹部の指導力と、社会一般に経済的困窮が深まるなかで、世俗的な価値判断の影響をうけて、信仰上の確信が薄らいでいるからだと思います。信仰に必要なのは、新しい自分を発見することであり、オリジナルな想像力を発揮することです。

    宗教の絶対性への帰順は、会員の熱心さと純真さに支えられた活動が、組織への当然の献身と考えることから始まります。
    それが実は、自由を奪う贖罪というものだと知れば、理性をマヒさせる宗教性は、ただ従うこととする悪の側面がおのずと見えてきます。布教も会員の経済的支援も、善意と正義が合体した強固な釈尊以来の伝統的使命に支えられていることに、つつしみ深い感謝が忘れられている。
    厳格な修行を求めた原理主義者・提婆達多は、師の化導の本心を知らず敵対しましたが、戒律もまた方便であることに気づかないまま、手段の目的化というスパイラルに陥りました。同じように宗教団体においては、成果という言葉はこの手段の目的化と同義語でしょう。また、サンガ内の階級化が仏道を曇らせる原因になることも、釈尊はよく知り抜いていました。階級化とはつまり教義の独占化であることを、宗門問題ではからずも経験しました。以前、創価でも主師親の三徳具備の池田先生という指導がありましたが、師弟関係を腐らす無盲目な礼賛は神格化と同じということ、法に依らず、人に依る行き過ぎた解釈が、教義の独占化ということです。
    宗教であれ政治であれ、唯一者の独裁は競争と破壊という精神の退廃をすすめるだけ。「価値判断能力の衰弱」(ニーチェ)は過剰な賛美のうえにベールを被って鎮座します。時代趨勢に対しての鈍感さ、ある程度の信者を獲得すると保守的なサンガ維持に転じることなど、昔も今も変わらないのです。

    人間の無謬性などありえません。正しい法を生活規定にしていても、誰でも間違いを犯すのです。正しい容器(善)を所持しながら、濁った水(悪)をそそいで疑問に感じないのです。大聖人ですら、長く激しい闘争のあとで、「其罪畢已」と自らの宿業を認められました。消し難い正法誹謗の罪を背負った者が、どうして無謬であるなどと言えるでしょうか。
    釈尊が洞察した通り、人間だけでなく、組織も渇愛の欲望で苦しむなんて、妙法においても戒律が必要なのではないでしょうか。妙法が最高智であれば、自己規律も最高規律でなければならない。さらに末法が貪欲と五濁の悪世なら、利己的現世利益主義と少欲知足は正反対の姿勢ではないでしょうか。宗門に対し少欲知足でないと批判するなら、学会僧(職員)も組織もまた、少欲知足でなければならないでしょう。
    『法師とは五種法師なり功徳とは六根清浄の果報なり』(御義口伝)
    見えない心を見抜き、心の声を聞き、正しい判断ができる功徳は、誰もが望む信仰のエッセンスです。
    会員の心を知らないということは、一体、どこから変化し、道を間違い、どこから堕落したのでしょうか。創価はいつから、正しい判断を躊躇するようになったのでしょうか。
    仏教の民衆化は、二千年前も今も、在家信者の願いです。その在家が帰依した大乗思想は、方便の無限拡大を招きながら複雑な理論へと発展し、発祥地において滅びるという歴史に出会いました。平易な祈りと生活知恵を求めた民衆のための教育的救済法でありながら、結果として民衆遊離というジレンマに陥った歴史の教訓は、同じ過失をおかす危険を絶えず内包していることを教えています。釈尊が説いた仏教思想は、「苦を滅す」というシンプルなものだったのではないでしょうか。その目的である自己救済は、釈尊の時代も現代も変わりなく難しい。


    ♡思慮に富みながら偽善的な、論理の撞着にも目もくれずに、言いたいことを遠慮なく言えるのがネットの熱狂世界です。したがって適度な冷静という自己コントロール力も必要と考えております。
    そんなネットでも、根気よさと情熱があれば適時な話題とテーマを提供することができます。種々の混乱が錯綜している時代に、問題意識の共有はとても大切なことと認識していますが、同志というのは、問題への関心と洞察を補うあう相手と思います。キーワードは、ソフトパワーと対話です。このような言葉のチョイスは適切ですし、仏教の理念にも適うもの。
    このブログがやわらかな議論と品のある喜びに満たされますように。
    主張しながら譲り合う謙譲の人々が、正常な信仰者のイスに座ることができますように。
    悪の支配を防ぐために、信仰と理性の勝利のために、改革が苦難にあふれていても、恐れるものではありません。

    組織悪は、組織が必ず持つ属性と思いますが、一方で組織がなければ広布も進展しません。有能な管理者が必要ですし、その指導者は創造力豊かな人格者でもなければなりません。世界を再構築する原理を知った者の宿命ですね。先生は多くの模範を残されてきました。そのなかでも、対話者としての姿勢に学ぶことが最大のものかと思います。慈悲の心が蘇るような啓発と示唆に富む貴重な対話の財産を、心して学ばなければならないでしょう。
    先を見通す力は賢人のみに与えられた徳性。智慧の守護者でもあり、未来を予言した釈尊は、末法の人間主義者にもあわれみと称賛を惜しまないでしょう。変革は受け継がれてこそ成し遂げられるもの。困難な現代にあって、聖者の思いが叶えられますように祈りを捧げるだけです。そして尽くすだけです。

    確信が他者を動かすことは、わたしたちはよく経験しています。また信仰への確信が得られるかどうかが、信仰者の立場から言えば、きわめて重要であることも知っています。そのために日々苦労しているといってもよいかもしれません。
    確信への道程は個人的差異があり、それぞれ理性的、経験的、直観的なものとして得られます。しかし大小の強さの違いがあり、揺るぎない確信は簡単に得られるものではありません。
    わたしたちは成功より失敗から多くを学びます。慈悲深きご本尊さまは、試行錯誤するための失敗を必ず与えてくれます。それは試練とか困難とか受難とかを通した失意と言われるものです。立ち直れないほどに打ちのめされることです。このときの自己の弱さの自覚が、確信のつぼみとなります。確信は弱さを経た花なのです。自己存在をありのままに肯定した土壌から恵まれる花なのです。
    失敗を経験しなかった人は信用できません。また失敗を他者のせいにする人も信用できません。懸命な人ほど失敗を経験するのは、道理が道理を証明するようなものです。目的を持ち、自己解釈に楽観主義の知的な教養を身につけた信仰者は、内省的なまなざしで自己を励まし、限界状態を越えていきます。
    わたしたちの信仰への真の確信は、成功や功徳の成就からではなく、失敗や迷いを通した反省や克服のなかから得られるものです。辛い経験に負けないという精神の持続性が、確信を不動のものにする聡明なる信仰者の唯一の基礎的資質です。それが菩薩の本質へ直結している回路だと思います。菩薩はときには失敗者であり、その失敗の本質を見抜き克服していく成功の成就者でもあります。

    わたしたちはいつも誰かに励まされ、また誰かを励まそうと努めています。心からの励ましの言葉が、自分と他者の境界を取り除くことを多く人は知らない。意識しない。失敗や迷いの渦中にあっても、身を投げ出すような励ましは、自らの心も励まし、他者とともに自らの運命を切り開く原動力にもなるのです。だから失敗を恐れてはならない。困難をともなった迷いを避けてはならないことを、わたしはかつての部員さんだった人や、志が高い女性の皆さまに深い情感をこめて訴えてきました。
    困難は、ただの困難でしかない。困難を苦しみと捉えるのは、根源的煩悩である三毒の一つ・癡(ち)に翻弄される姿です。癡は渇愛とも無知・無明とも言われ、釈尊出家の中心動機をなすものと思われます。

    不信と疑いで孤立化し分断される世界のなかで、人間関係も水のように薄められる殺伐とした時代に、テクノロジーと非人間的な功利性を信奉した管理者さえも管理される社会で、希望を失わず生きていこうとする健気さは、まるで苦行者を連想させる姿です。仏教の基本である因果応報が自己責任倫理であっても、現代ほど、人間が人間の心を信じる信頼関係が危うくもろいものはありません。釈尊の対機説法は方便であったかもしれませんが、適切な言葉を選び励ますことでもありました。不信の世界にこそ励ましの言葉は必要であり、またそれは、人間関係を効果的に蘇生させる確信の言葉と言えるのではないでしょうか。
    か弱き自分が、自らに課した運命に決して負けないためにも、自他ともに輝く確信の励ましが、わたしには必要不可欠なのです。


    ♡19日から早速、選挙シフトになりましたね。会員の皆さまには、支援活動に入る前に、自分に問いかけていただきたいと思います。なんのために支援するのかと。また生活に直結する政策の中身の検討も必要です。
    他人に任せてはダメです。また無関心もダメです。何も考えずに言いなりになり、賛同するのは最悪です。
    北朝鮮の核脅威が強まるなかで、きょう(9月20日)の聖教に掲載された先生の寄稿(国際メディアIDN)では、目の前の恐怖についてまったくふれられていません。北朝鮮の豚のように太ったロケットマン(国連総会での金正恩に対するトランプ大統領の揶揄)が、銃を構え、トリガーに指を掛けているかもしれないのに、その危うい現実を無視しています。自分が創立した与党である公明党が、核禁止条約加入に反対しているのに、その現実と理想の乖離を少しも認めようとしません。会員もこのことをまったく話題にしないのはどうしてでしょう?

    別の視点で言えば、先生と会長等の執行部の間には、意思疎通が欠けているかもしれないと想像できます。永遠の指導者などと馬鹿らしいほどに祭り上げられ、神格化されて、こういったメッセージより、自分の意見を表明できないのかもしれない。カリスマであるがゆえの悲劇でしょうか。公明党を完全に切り離してしまえばいいのに、今となってはそれも自分の力ではできない状態です。自分が作り上げた組織に首を絞められるとは、なんとも悲しいですね。
    公明党の創立の理念は、すでに失われております。それでも疑問に思わず、盲目的に支援するのは、会員の盲目的信仰と盲目的師弟礼賛が、深く心を占領しているからです。恐ろしいですね。

    わたしはメッセージを読みながら、デジャヴ感に襲われました。
    2015年1月、SGI提言が発表されたとき、「イスラム国(ISIS)」の日本人人質事件は、悲劇的な結末が予想される絶体絶命の危機に見舞われていました。その理不尽な暴力に怒りを覚え、なんとしても助かってほしいと祈るような気持ちで報道に接していたのが、多くの国民の偽らざる心境だったでしょう。
    提言のタイトルは「地球上から悲惨の二字なくす」とありますが、悲惨が緊急事態同様に目の前にあるのに気づかないのです。今そこにある危機を一顧だにしない姿勢、他者に寄り添う感受性をなくした鈍感な指導者の姿があるばかりです。鈍感さも度が過ぎると大きな犠牲に見舞われます。今回の寄稿も同様です。何度も頭上をミサイルが飛んでいるのに、危機感を覚えないのですね。
    釈尊は、高邁な理論や理想を語るよりも、眼前の今ある苦しみに集中しなさいと説きました。大聖人も難の渦中にあっても、信者の苦しみに即座に答えました。悲しみに涙を流し、苦しみに同苦し、取り除き、励ますことが菩薩の使命であり本質であることを、誰よりも理解し、実践していたからです。

    このたびの急展開の衆議院選挙。戦争への備えと戦争回避の道を模索しながら、公明党議員に厳しく問い直してください。
    政治家はいつも、口先だけの立派なことを、保証もないのに臆面もなく言いますが、多くの憲法学者が憲法違反だと認識している自衛隊と憲法の関係について、ぜひ次世代に先送りしないように矛盾を解決していただきたいと思います。公明党の覚悟のなさが、国民に大きなつけを残し、取り返しのつかない不幸へつながる可能性も否定できません☆彡


    冷たい風が吹いても顔をそむけない
    傷ついても倒れない
    なにがあっても倒れない
    希望を捨てない
    長い人生、誰かにすがりつきたくなるような辛いときもあるでしょう
    倒れないファイターを歌っているエンカレッジ・ソング
    何度もくりかえし聴いていると涙がでてくる
    自分のために戦う
    愛する人のために戦い続ける


    The Boxer : Simon & Garfunkel





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    ♡Comment

    蓮香 | URL | 2017.09.21 16:41
    午睡で見た夢の中には3人の男達がいた。爬虫類に似た目を持った総帥と呼ばれていた年老いた男、30代半ばの覇気のない男、そしてキューピー人形の面立ちをした初老に差し掛かった男。3人の男で初めに声をあげたのは30代半ばに見える男だった。
    30代半ばの男;提言完成いたしました。これから師匠にみていただいて御裁可を頂きにまいりたいのですが、お取り次ぎをお願いいたします。
    総帥:そうか完成したかご苦労だったな、原稿をみせなさい。うん、うん、なかなかよくできているな、これでいい。
    30代半ばの男:総帥、私は畏れ多いのです。わたしのような若輩者が書いた稚拙な文を師匠の名で世にだしていいものなんでしょうか。それに総帥の誰も傷つくことのない文に纏めるというお申し出で書いたこの文では師匠がずっと言われていたことと矛盾が出てしまいます。そのことにきづかれたら師匠は嘘つきだと言われかねないと存じます。私は自分の筆で師匠の晩節を汚すことになりかねないことが怖いのです。それに、何故、総帥や事務長が師匠の代理で提言をだされないのですか。ご高齢の師匠に代わってと言われて異議を唱える者なんていないと思います。何故なんでしょうか。
    総帥:君は臆病だねぇ、師匠は自分の名前を使ってどんどん書きなさいと言われたじゃないか、君の書いた文が師匠の名で出るんだよ名誉であっても恐れることではないよ、師匠は何があっても全てを自分の責任だと自覚なさってるよ。師匠は弟子から守られようなんておもってないよ。それにね、私や事務長が提言を出したって誰もありがたがってなんてくれないよ、師匠の名前がついてるから効力が発揮されるんだよ、師匠がご存命中はせいぜいお名前を使わせていただこうじゃないか、なぁ事務長。
    総帥から事務長と促されたキューピー人形の面差しの男は30代半ばの男を睥睨して声をはりあげていった。
    事務長;何を今更言ってるんだ。1度ついた嘘は最後まで突き通すしかないんだ。

    ここで私は午睡から目覚めた。この夢は何かを暗示していたのだろうか。
    アンナ | URL | 2017.09.22 14:09
    ありがとうございます。
    おもしろく読ませていただきました。
    文章もなかなかですね。
    わたしは風刺はとても好きです。
    このブログ自体が風刺みたいなものですから、これからも批評の文章を磨いていきます。
    宗教の信念、純粋性、高潔性、一途さ、善悪への限りないこだわりとか、なにもかも偽物の人間が集まっているのかもしれません。
    まじめに生きたり考えたりすることや、選挙に目の色を変えることや、創価の信仰自体が、ジョークなのかもしれませんね(言い過ぎかしら?)
    蓮香 | URL | 2017.09.22 21:31
    私のつたない文に過分のお言葉を頂き恐縮です。
    これからもアンナさんの少々辛辣で切れ味の良い投稿を楽しみにしております。
    アンナ | URL | 2017.09.23 15:18
    どうしてあのような文章を思いつくのか、きっと蓮香さまは、現状に満足しないセンシビリティー に優れた人なんですね。

    創価が停滞し、あるいは後退している原因は、執行部の老齢化にあります。会長も理事長も、創価をだめにしている張本人です。仏法の本義から言えば、不正義の重罪犯です。

    コメントありがとうございました。
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