牧口先生の反戦 1

    11月18日は 牧口先生のことを、いつも思います。
    殉教について、深く考えます。

    歴史はいつも勝者の歴史です。勝者の都合がよいように書き換えられるのが、わたしたちが学ぶ歴史であることは常識です。創価にあっても、都合の悪い歴史を隠蔽することなく、客観的視点に立った歴史認識が、創価の普遍性を高めるものだと思います。一般会員にすれば過去のことなど、たいして気にかけていません。少し虫に食われていたり穴があいていても、おおよそ、道理で編まれた大きな風呂敷に包まれた平和団体であれば、それで十分なのです。しかし創価大学を中心とする歴史研究者の皆さんは、そういうわけにはいかないでしょう。文献からすでに多くの事実を知り、明らかにしていると思いますが、なぜ大胆に論文を公表しないのか不思議です。
    歴史は積木と同じでなないでしょうか。毎日、わたしたちは一個一個の積木を積んでいるのです。その一個の積木が、他と調和することなく不安定であれば、いつかは崩壊します。たった一個のパーツによって、すべてに影響を及ぼしかねません。創価の未来は青年のもの。青年らしくどこまでも率直で清くいたいという願いを、裏切ることがないようにしていただきたいと思います。

    「人間革命・第7巻」で戸田先生のご生涯を展望し、次のように書かれています。

    『戸田城聖の全生涯を、つぶさに展望するとき、彼の原点ともいうべきものを、一体、どこに求めたらよいのかとなると、にわかに判定は下しがたい。
    彼は、教育者でもあったが、いわゆる世間並みな教育者ではなかった。事業家でもあったが、いわゆる事業家ではなかった。宗教家でもあったが、通例の宗教家からは、遠いところにいた。また、民衆指導者でもあったが、それは破格な民衆指導者であった。
    彼の存在は、これらの世間並みな範疇を破ったところに、その独創性を深く持していたのである。こうした独創性が、どこから生まれたかとなると、人は天与の才能や、性格に帰したがるが・・・その天賦の資質を思う存分に発揮させたものは、いったい何であったかに思いをいたすとき、戸田城聖という一個の人間における原点に近づくことができるように私には思える。
    独創性とは、人真似を許さぬところのものである。そして、未聞のあるものを生むところの力である。特徴などという安易な解釈が、色を失うところにあるものだ。特徴のある人間は、なるほど無数にいるが、真に独創的な人間は、まことに稀である。また、その独創的な人間が、一事を成し遂げるかどうかとなると、更に稀であるといってよい。
    戸田城聖は、人真似の及ばない完璧な独創性をもっていた。この独創性が、いつ、どこで、力となって確立されたか、それを果てまで追究していくと、どうしても、あの獄中の、崇高にして峻厳な一瞬を見のがすことはできない』


    戸田先生は、分かりやすくダイナミック、人間的魅力に満ちた傑出した指導者だった。民衆を包みこむ大きな人格は、過酷な獄中を生き延びた体験に支えられたものだと思います。創価は、三代の独創的指導者によって、現在があります。次世代のリーダーもまた、破格な行動哲学を持ち、民衆を愛し、創造的言葉を発する人間でなければなりません。
    戸田先生は、牧口先生を述懐し、次のように言われています。

    images11.jpg『私が先生のことを申し上げると、話が尽きなくなります。なぜなら、そのころ叱られていた連中の大将だったからであります。私と先生の仲は、親子といおうか、師弟といおうか、いい尽くせないものがある。私は、先生の本当のものを知っていた。<中略>
    私は、先生とはまったく違う。先生は、理論の面から御本尊を信じ切っていました。私は、実証の面、功徳の面で信じている。
    先生は謹厳実直だったが、私はルーズだ。先生は目白に、私は目黒に住んでいた。先生は非常に勉強家なのに、私はさっぱり勉強せぬ。また先生は酒は飲まないが、私は大酒飲みだ。
    これだけ、まったく正反対の性格でありながら、先生と私の境地は、ぴったり一致していた。私の思想内容は、先生からたくさんいただいている』

    創立者としての牧口常三郎は、明治人の気骨を漂わせた風格ある先生でした。激しい改革への情熱を持つ厳父でありながら、ことのほか優しい市井の宗教教育者でもありました。その清廉な魅力と業績は、創価の父としていつまでも光り輝き、語り継がれていくでしょう。創価がこれから、どんな困難な時代を迎えようと、原点として忘れてはなりませんね。

    高校生のとき、創立記念日特集の聖教記事のなかで、わたしは始めて、戦中戦後の学会史を知りました。聖教は、毎日でなくても読んではいたし、そういうことを知る機会はそれ以前にもあったと思うのですが、関心があまりなかったというか、わたしも学会3世の平均的な姿勢を外れるものではなかったように思います。
    そのとき読んだ牧口先生と宗門のやりとりのなかで、疑問に思った文章がありました。

    『昭和18年6月に学会の幹部は登山を命ぜられ、「神札」を一応は受けるように会員に命ずるようにしてはどうかと、二上人の立ち合いのうえ渡辺慈海師より申しわたされた。
    御開山上人の御遺文にいわく、
    「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」
    この精神においてか、牧口会長は、神札は絶対に受けませんと申しあげて、下山したのであった。しこうして、その途中、私に述懐して言わるるには、
    「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、おそれるのである。いまこそ、国家諫暁のときではないか。なにを恐れているのか知らん」と。
    まことに大聖人のご金言は恐るべく、権力は恐るべきものではない。牧口会長の烈々たるこの気迫ありといえども、狂人の軍部は、ついに罪なくして罪人として、ただ天照大神をまつらぬという“とが”で、学会の幹部21名が投獄されたのである。このとき、信者一同のおどろき、あわてかた、御本山一統のあわてぶり、あとで聞くもおかしく、みるも恥ずかしきしだいであった。牧口、戸田の一門は登山を禁ぜられ、世をあげて国賊の家とののしられたのは、時とはいえ、こっけいなものである』
    (創価学会の歴史と確信)


    『一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである』という言葉が納得できませんでした。わたしは、この初歩的な創価の歴史の一歩を、何も疑問に思わず通過していくまわりの人を、うらやましいと思いました。なぜ、わたしはつまずいているのだろう、なぜ疑問に思わなければならないのだろう、と自分の信仰さえ疑いたくなるような思いに駆られました。 一宗とはつまり、日蓮正宗のことであり、しいては日蓮仏法のことと解します。宗教は、国家という小さな枠を越えた普遍性を持っているのではないでしょうか。その日蓮仏法が滅びても、国家が滅びるのを嘆くとはどういうことなのでしょうか?
    信仰は滅びても、日本国は滅びてはならない、という意味にしか考えられかったからです。「一国が滅びることではない。一宗が滅びることを嘆くのだ」と言えば、納得できたかもしれない。父に恐る恐る聞いたら、よくそういう疑問に行き着いたねと褒めてくれた。こういう質問をする相手は、母にするより父にするにかぎるよね。母は深く考えることをしないから、つまり戦争反対ということよと結論だけを言って、説明がないまま終わってしまう。
    わたしはそれ以来、しっくりいかないものを胸に納めて、考え続けてきたといってもよいのですが、こういう疑問を言う人は、今まで出会わなかったので、わたしだけだろうかと思ったりする。でも、疑問を持ってよかったと思う。当時の異常な集団ヒステリーのような独特の天皇観、愛国思想について、知ることができたからです。
    「小説・人間革命」で、山本伸一は、戸田先生と始めて出逢ったとき、愛国者と天皇観について質問しています。当時の青年にすれば、国家と国民のあるべき関係について、多くの問題意識があったと思いますが、軍国主義から民主主義へ、天地がひっくり返るような社会変化のあとで、明確な答えを出す人間がいなかったのではないでしょうか。

    第二次世界大戦は、明治維新の尊皇攘夷が、形を変えて昭和に復活したとも言えなくもありませんが、元々、天皇を中心とした政治体制は、日本人にとって親しみやすいものでした。儒教的忠義心と国家神道の国体精神は、民族を形作るルーツのようなものです。柔軟な進取の国民性が活発だったのも、民族のアイデンティティーが、しっかりあったからとも考えられます。島国根性と蔑まれることが多いのですが、民族の独自性こそ誇りにすべきです。戦後教育は、戦争の反省から、この民族の独自性をかぎりなく薄めるものだったのではないかと思います。それがよかったのかどうか、わたしにはわからないけれど、世界市民としての自覚とのバランスが大切なのではないでしょうか。
    言葉が通じない他民族の侵略と国家の興亡は、陸続きの大陸では頻繁にありました。日本が侵略しにくい島国であったことも、大聖人の世界観に影響を与えていると思います。同じ日本人に迫害を受けたことは、強い主張と教団を作る上で好都合だったようにも思えてきます。仏法流布が国土を選ぶことは仏の基本的信念、つまり仏の生命に内在する法則のようなものです。
    明治の信仰者には、宗派は相違していても、ある意味心情のどこかに通底した志向があったように思います。それは、天皇を中心とした日本の歴史と国柄への尊敬です。明治維新は日本的な革命ですが、その革命を経験した社会の絶対的理念ともいうべき存在が天皇でありました。それは人と法が一体の宗教的概念にも等しい存在で、おかすべからざるものでありました。普通の宗教はほとんど人法体一で、宗祖あるいは指導者はその教義を体現しています。それと同じく、天皇は日本国そのものであり、国家の根本的精神を具体的に表出していました。

    父親の答え。
    「一宗が滅びることを言っているわけではない。一宗と一国、どちらが大事かというような考えでは間違った解釈。なにより、国が滅び、民衆が苦しむのを嘆いているのだ。妙法の目で見れば、国が滅ぶのがわかっているからだ。大聖人の仏法は決して滅びない」
    強い信仰のある者が、創価の期待を背負って答えている。

    わたしは今は、父親とは違う考えを持っています。
    一宗は滅びても、日本国は滅びてはならない。牧口先生の言葉を、素直に、そのままの意味に解釈しています。
    世界大戦時代、英米に日本は決して負けてはならない。靖国に参拝し勝利を祈りました。天皇に忠誠を誓いました。
    戦争に勝利するためにはどうすればよいか?
    日蓮が説くように、天照大神に祈念しても、日本は救われない。妙法を忘れて諸天善神に祈念しても、却って国難に遭うばかり。
    そのような固い信念と信仰のなかで、妙法に殉じたのは当然のことかもしれませんが、決して不戦を訴え、平和を指導し求めて軍国主義と対立したわけではありません。牧口先生のご子息は軍に徴収されて戦死しました。真に平和を求めるのなら兵役拒否という選択もあったと考えるのですが、選択で苦悩した形跡も 抵抗した様子もありません。
    先生の逮捕前に盛んに行われていた大善生活実証座談会では、戦意高揚を図るとともに、戦争勝利を訴えています。こういう資料の分析や研究は、創価が進んでやらなければなりませんが、聖教やその他の出版物を見る限りたいへん消極的です。歴史の凝視を避けているとしか思えません。創価は、平和団体という評価の定着が、覆ることを恐れているのかもしれません。甚だ都合が悪い事実を隠すという行為は、創価に限らずよく見られますが、その点、キリスト教の各宗派は真摯に自省しています。歴史を侮るものは、歴史から反省を迫られる日が必ず来るでしょう。仏教者自身が信じているように、因果応報の理からは逃れることはできません。善の宿業、悪の宿業、負の宿業も同じです。


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    大善生活実証座談会の記録が残っています。
     大善生活実証録(第五回総会報告)
     http://www.butujoji.jp/hashaku/antiwar01.htm

    第五回総会記録

     創価教育学会第五回総会は、昭和十七年十一月二十二日東京市神田区一ツ橋教育会館に於て開催された。出席会員は約六百名、午前十時宮城遥拝、黙祷の国民儀礼の後、稲葉理事による学会綱領の高唱があり、ついで左記順序によって議事を進めた。別室の広間には創価教育指導法を指導原理として得られた児童の成績品と、華道部員の手になる生華の作品が陳列され、正午の休憩時間には同広間は観衆で満たされた。午後は先ず役員並びに委員の紹介に始まり、再び会員の体験発表あり、之が終るや牧口会長の講演に移り、最後に戸田理事長座長となって全員座談会を開き、真剣なる質疑応答があった。ついで生活革新クラブ員全員登壇して、クラブの歌を斉唱し、吉田理事の指導にて遠く戦野にある牧口会長令息洋三君をしのぶ軍歌を高唱し、厳粛な会場に一抹の和気を送り、最後に西川理事の閉会の挨拶あり、次いで牧口会長の発声にて、聖壽の萬歳を三唱し奉って午後五時過ぎにめでたく散会した。
     本総会は前総会と比較して第一に出席者数に於て二百名近くを凌駕し、講堂の二階までを使用するの盛況であった。前回より開催時期が遅く些か秋冷を覚えたが、会員は終始熱心に傾聴し登壇者の発表内容も飛躍的に充実し、音声また低きに瓦る者殆んど皆無といふ状態で、他の会合に見ざる模範的のものであった。亦別室に於ける教育研究部の成績品発表や、華道部の作品展覧も世上一般のそれと趣を異にして、正直捨方便の実証といふことが出来た。即ち、成績品は巧拙共に少しも手を加へぬまゝの発表で、しかも指導法の要領を観衆に会得せしめるための説明を附したる等、回を追って著しい進歩を遂げ、価値創造の精神を実験証明して余すところがなかった。
     これを要するに本総会は実業家の営業成績の報告、国民学校教育実験成績品の陳列、創美華道部の速成的生華の展覧と共に、即身成仏の例証としての人格を提示した上、それ等の由来した根本原因の体験談の交換をなすのを目的とし毎回飛躍的な向上進歩を実証する集会ゆゑ、利、善、美に亘る価値創造の実験証明総合展覧会と謂ふことが出来よう。



    開会の辞

     本日は誠に御多忙の際に、かくも多数の御出席を得た事は、主催者側として欣びに堪へない次第である。本総会の目的は吾等の法華経の実験証明の集録と大善生活法の研究である。
     大東亜戦争も一週年の垂んとして、
     陛下の御稜威の下、我が陸海軍将兵が緒戦以来、赫々たる戦果を挙げてゐる事は、吾等の衷心より感激に堪えない次第であるが、然し一方世界の様相は層一層混乱の一路を辿るのみで、修羅地獄とはかう云ふ事を云ふものとの実感を与える。
     我国としても、もう寸毫の妥協も許されず、勝つか負けるかの一事のみ、否、断じて勝つの一手あるのみである。この渦中にある日本の大国難に際し、殉国の大精神にして世界の指導理念は何であらう。法華経である。法華経精神である。否、法華経の実践、即ち我が学会の提唱する大善生活のみである。
     我が創価教育学会に於ても、会長牧口先生には、この一大憂国運動に、挺身されてゐるは、又宜べなるかなと肯づかれる。御高齢にも拘らず、日夜の御苦労は全く超人的で、却て身近にある幹事の私等が案じ申上ぐる次第である。此処にも大法に生きる強い姿をはっきりと教へられる。
     この先生の御指導下に、戸田理事長以下、四千の我等学会員が、この半歳にどんな生活証明をなしたであらうか。どれだけ御国に尽し得たであらうか。
     この実験証明の披露と検討を、本日は午前午後に亘りゆっくり諸君と致さうではないか。
     救国の大理想の本に我等が職域奉公の生活法を究めようではないか。一言以て開会の辞とする。
     本日のすべてに就いて、批評なり又意見なりありましたなら、備付の用紙に御認めの上、忌憚なき御投書をお願ひする。



    会員体験発表第一部

    大悪人が大善人となる

     私は世界一の大善人であり、世界一の大善生活を行ってゐるものである。
     私が、こんなことをいふと、この一老人を見て、あの男は何をいふか。気でも狂ったのではないか、と云はるるであらう。
     しかし、私の考えは、絶対に間違ってゐないと思ふのである。これは牧口先生の言はれたことを、そのまま云ってゐるにすぎないのである。牧口先生に教へられたことを、その通りに信じて、云ってゐるのであるから、牧口先生の申されたことが、間違ってゐなければ、私の云ってゐることも、絶対に間違って居らないのである。従って私は少しも気なんか狂ってゐないのである。その私を気が狂ってゐると見る人があれば、その人の方が気が狂ってゐるのである。
     大悪思想とは何か、聞くも恐ろしい共産主義思想である。私は、英、米の自由主義、個人主義思想にかぶれてそれに負けて、共産思想にかぶれた、おそろしい悪魔の生活に入ってゐたのである。それを懺悔して、今、大善生活人になってゐる。そしてこの世界の大悪思想を撲滅して、世界の人を大善人にしてやることを、自分の仕事としてゐるのである。ですから、私は大善人で、この私の生活は、大善生活であるのであります。
     私が、この大自覚に入ったのは、今もいふ如く、牧口先生の教へを受けるやうになってからのことである。(以下、省略。)

     私の願ひは、一身一家ではない。この世界の大動乱の中にあって、この世界に皇道を宣布し、世界中の大悪思想を撲滅し、世界中の人を大善人とし、大善生活に入らしめなければならぬと思ってゐる。
     英、米の自由主義、個人主義、利己主義の思想はもとより、世界のすみずみまで、蝕んでいる共産主義思想を撲滅することが、吾々のつとめである。この大悪思想は、大東亜戦下、御稜威によって、次第にそのかげをひそめつつあるとはいへ、これは、武力だけでは、撲滅しつくすことはできない。
     殊に共産思想は、われわれ大善生活の真向の敵で、これを根本的に掃蕩しないかぎり、大善生活は、その真の価値―――利、善、美の極地を発揮することは出来ないと思ふのである。(以下、省略。)



    全員座談会

     戸田理事長座長となって司会し、次ぎの議題について研究する。
     一、退転防止の現状並に対策
     二、国家観念の問題

    (中略)この時、牧口先生も関係者の一人として神社問題について次ぎの通り説明される。

    【牧口先生】 この問題は将来も起ることと思ふから、此際明確にして置きたい。吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異るのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは「よくぞ国家の為に働いて下さった、有難うございます」といふお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与え下さいといふ祈願ではない。もし、「あゝして下さい、こうして下さい」と靖国神社へ祈願する人があれば、それは恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違った話はない。天照大神に対し奉っても同様で、心から感謝し奉るのである。獨り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝し奉ってゐるのである。萬世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち、天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる今上陛下に凝集されてゐるのである。されば吾々は神聖にして犯すべからずとある「天皇」を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。「義は君臣、情は父子」と仰せられてゐるやうに、吾々国民は常に天皇の御稜威の中にあるのである。恐れ多いことであるが、十善の徳をお積み遊ばされて、天皇の御位におつき遊ばされると、陛下も憲法に従い遊ばすのである。即ち人法一致によって現人神とならせられるのであって、吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる。天照大神のお札をお祭りするとかの問題は萬世一系の天皇を二元的に考え奉る結果であって、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である云々。

     これにて座談会を閉ぢ、岩崎氏の緊急動議で出征中の牧口洋三氏のため「生活革新同盟の歌」を合唱、次いで吉田春蔵氏の軍歌独唱があって閉会の辞に移る。


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    上記の牧口先生の座談会での指導や会員の発言は、現在の会員には受け入れがたい内容です。こういった記録が、どれほど残っているのか、おおいに興味があるところですが、戦中の弱小一教団の書物や記録は紛失している可能性が高く、創価の軌跡をたどり、証明するのは困難かもしれません。だからといって、不確かのまま、疑わしいままにしておくことはできません。歴史認識こそ、発展の基礎であることを銘記すべきです。過去を見つめることができない人間は、未来に本当の自分自身の姿を想像することはできないでしょう。

    なお近年、多くの資料が発刊されていますが、貴重な本もあり、個人として購入するには難しいところあり、図書館等を利用すれば閲覧できると思います。ともかく、信仰者の最も必要な徳目に正直さがあると考えますが、歴史の真実をそのまま受け入れる正直さが、信頼を得る確かな信仰のあり方と考えます。


    Changing Heart - Audiomachine





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    創価教育学会本部関係者の治安維持去違反事件
    [創価教育学会本部関係者の治安維持去違反事件検挙]

    東京都神田区錦町一ノ一九所在創価教育学会は、昭和三年頃現会長たる牧口常三郎が芝区白金台町小学校長退職後〔ママ〕、当時本名の盲信中たりし日蓮正宗(静岡県富土郡上野村大石寺を本山とす)の教義に特異の解説を施したる教理を創案し、知人たりし小学校教員等を糾合して創設せる宗教団体なるが、

    会長牧口を中心とする関係者等の思想信仰には幾多不逞不穏のものありて、予てより警視庁、福岡県特高課に於て内偵中の処、牧口会長は信者等に対し「天皇も凡夫だ」「克く忠にたどとは天皇自ら言はるべきものではない。教育勅語から削除すべきだ」

    「法華経、日蓮を誹誘すれば必ず罰が当る」「伊勢神宮など拝む要はない」等不逞教説を流布せるのみならず、客年一月頃以降警視庁当局に対し「創価教育学会々員中には多数の現職小学校教員あり且其の教説は日蓮宗に言ふ曼茶羅の掛幅を以て至上至尊の礼拝対象となし、他の一切の神仏の礼拝を排撃し、

    更に謗法払ひと称して神符神札或は神棚仏壇等を焼燬撤却し、甚しきは信者たる某妻が夫の留守中謗法払ひを為したる為離婚問題を惹起せり」等婁々投書せる者ありて皇大神宮に対する尊厳冒涜並に不敬容疑濃厚となりたる為同庁に於て、本月七日牧口常三郎外五名を検挙し取調べを進めたる結果、更に嫌疑濃厚と認めらるる寺坂陽三外四名を追検挙し(別記参照)引続き取調べ中たり。

    [創価教育学会々長牧口常三郎に対する尋問調書抜粋]


    【検事・問】創価教育学会の指導理念及目的は。

    【牧口・答】創価教育学会の目的は規約要項第二条に、本会は日蓮正宗に伝はる無上最大の生活法たる三大秘法に基き教育、宗教、生活法の革新を図り忠孝の大道を明らかにし以て国家及び国民の幸福を進めるを目的とす、と書示して置きました。

    日蓮正宗の三大秘法とは本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目の事でありまして、それは法華経の寿量品の文底秘法の大法と日蓮聖人は申されて居ります。此の三大秘法は本門の本尊である曼陀羅に総ての人が帰依する事に依って具現する事になります。

    現在の様な末法の世に於ても、又法華経を読誦せずとも本尊曼陀羅を信ずる事に依って何人も即身成仏する事の出来る秘法でありまして、私の創価教育学会は、此の秘法の本尊と、我々人間の生活と関係があるか無いかを認識させる手段として、人間生活には此の本尊に帰依する事に依ってのみ安定が得られ、幸福が招来し価値を現実に実証し得ると言ふ事を感得せしむるにあるのであります。

    私の価値論は日蓮正宗の本尊に帰依すること、具体的には創価教育学会に入会する事に依って、本会の信仰が人生生活と如何に関係が大きいか、価値が大きいかを判定認識せしむるのが指導理念でありまして、人生生活の全体主義的目的観を確然と把握せしめ、本尊の信仰に依る異体同心、共存共栄の生活を体得実証せしむるにあるのであります。

    故に本会に入会するに非らざれば、個々の生活の幸福安定は勿論得られませんし、延いては国家社会の安定性も得られないと私は確信して居ります。故に本学会の目的とする処は日本国民の一人でも多く本会に入会せしめて日蓮正宗の信仰を基礎とした私の価値論を認識把握せしめて、人生生活の安穏幸福を招来せしめるにありますが、価値論の教義的具体的指導理論は後で詳細に申上ます。


    【検事・問】 会員獲得の手段方法に就ては。

    【牧口・答】 学会に入会せしむる手段方法と致しましては、本会に入会して信仰すれば現実に如何なる現象が生活面に直に現はれるかと言ふ事の実例を会員全体が夫々自分の知人縁故関係を辿って宣伝折伏するのであります。

    折伏と言ふ意義は、此の信仰を勧めるに就ては必ず反対があるけれども、其反対を押切って信仰せしめよと言ふ事で、此の態度を強く自覚しませんと広宣流布の実効を収める事は出来ません。

    宣伝折伏の方法には文書に依る場合と口頭を以てする場合があります。文書に依る方法としては、昭和七年十二月頃から「新教材集録」を発行し其後「新教」と改題月刊として継続致しました。其後之を更に「教育改造」と改題して出しましたが、之は時習学館より出した月刊雑誌で、それに私の価値論を執筆した程度であります。

    単行本として「創価教育学体系」を第一巻より第四巻迄発行致しました。其他昭和十七年八月と十二月に第四回総会記録、第五回総会記録を「大善生活実証録」と題して、各約一千部位を発行して配布致しました。機関紙としては昭和十六年七月より翌十七年五月迄月刊として毎回約一千部「価値創造」の題目で出版配布致しました。

    口頭に依る宣伝折伏の方法としては前に申上げた通、会員各自が知人縁故閑係者を辿って、所謂個人折伏する事と、大衆折伏の座談会を毎月各地で約二十回位ずつ開催致しました。其他一般的のものとしては昭和十五年十月以降総会を六回開催して居ります。

    学会内部の統制強化策として幹部会を毎月一回開催し又退転防止委員会といいふ名目で会員の防止策を協議して居りました。

    以上申上げた方法で獲得した会員は日蓮正宗系の寺院である。杉並区和田本町九八〇 歓喜寮(昭和七年頃から)、城東区砂町教会(昭和十二年頃から)、向島言問橋 本行寺(昭和十五年頃より)、豊島区池袋三ノ七三〇 常在寺(昭和四年頃から)の四ケ所に於て授戒し、御本尊を授けて居ります。

    斯様な方法をなぜ私が採ったかと申しますと私は正式の僧籍を持つ事は嫌ひであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従って日蓮正宗の純教義的な形に嵌った行動しか出来ません。私の価値論をお寺に於て宣伝説教するわけには参りませんませんので私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採り入れた処に私の価値論がある訳で、此処に創価教育学会の特異性があるのであります。


    【検事・問】 日蓮正宗は如何なる教義信条を持つ宗教団体なりや。

    【牧口・答】 日蓮正宗所以の経釈は法華経八巻二十八品と、無量義経一巻、普賢経一巻と、宗祖日蓮聖人の御書きになったものを纏めた例へば日蓮聖人御遺文等を土台にして居ります。

    其の他に大石寺には他派に知られていない、未発表の宗祖の文献や法主から法主への口伝が残って居るようでありますが、其文献等も基礎になって居ります。

    日蓮聖人御遺文月水御書の中には、法華経二十八品の中でも特に勝れて居るのは、方便品第二と寿量品で他の余品は皆枝葉であると仰せられて居りますので、此二品は本山でも重要として朝夕一般信者にも之を読まして居ります。

    重要な所以は法華経二十八品中、後の十四品を本門の十四品と称し、其中でも寿量品が一番肝要で、他の十三品は枝葉であり、此法華経は抑々本門が元であって、其垂迹を迹門と言ひまして、二十八品中前の十四品がそれであります。

    さうして此迹門の中でも方便品は一番肝要で、他の十三品は枝葉であると言はれて居ります。

    要するに之を要約しますと、法華経の真髄は本尊たる南無妙法蓮華経に統一される訳でありまして、それに帰依する以外に他の一切の礼拝信仰宗派を認めませんのが日蓮正宗の建前であります。


    【検事・問】 法華経を最初に説いたのは誰か。

    【牧口・答】 法華経を最初に説かれたのは釈尊であります。釈尊は今から三千年前に印度に生れ、十九歳の時出家となり三十歳にして成道し、それから「華厳経」「阿含経」「方等経」「般若経」と四十二年間に亘って説かれました。

    此の時代は人々の知識の程度に応じて、次第に教へを進められたので、未だ出世の本懐たる法華経を説かずに、それ迄の準備として右の経を説かれたと覚へて居ります。でありますから此の四十余年間の経を「随他意の経」とも言ひ、又所謂声聞縁覚に対する方便経とも称し、未顕真実の時代と申して居ります。

    其後七十二歳から八十歳迄八年間に亘って、初めて天地宇宙の大法たる法華経を説かれましたが、此法華経を「随自意の経」と申しまして、真実の仏の御心を説かれ尚後世の為めにも意を用ひられて法華経の真髄を抽出した処の「妙法蓮華経」の五字を御弟子中最も因縁の深い上行菩薩に伝授し、後世の人々を救ふ様に指導せられたのであります。

    故に前者の「随他意の経」は網に例へたら個々の網の目であり、後者は網の目が集った処の所謂大網であると、日蓮聖人の御書に説いてありまして、全く其通りだと信じて居ります。


    【検事・問】 法華経は何時頃から日本に説かれる様になったのか。

    【牧口・答】 百八十五種も印度語仏教の支那訳があるそうでありますが、其中晋の時代に羅什三蔵と言ふ人(支那六朝時代に鳩摩羅什と言ふ英僧)の訳が一番正しいと言はれて居ります。

    何故にそれのみが正しいかと言ふに、自分は僧となっても体は穢れて居るが舌だけは穢れぬ、正直に虚言を言はぬ、それは証拠に依って顕はす外に途は無い、自分が死んだら体は焼けても、舌だけは焼けぬと常に高座から説教しました時に、人々は常に願はくば羅什の後で死にたいと言って居た位でありましたが、

    果して羅什三蔵の死んだ時には舌だけは明煌々として日光を欺く程で、青蓮華の上に輝いて居たので、他の翻訳は捨てられ羅什の本だけが正しいと伝へられ、日本に於ても桓武天皇の御臨場された高尾の法論に於て、奈良六宗の高僧と伝教大師との最後の論争が解決され、それに依って叡山に迹門の戒壇が勅裁に依って建立されたと申されて居ります。

    法華経を正式に日本に伝へられたのは、伝教大師で支那の天台大師の伝統でありますが、其前二百年前に聖徳太子様の御代に百済より伝はり、太子様は法華経を中心として、維摩経(男)、勝鬘経(女)を添へて国民の帰依する経と定められたと覚へて居ります。

    或は又恐らく神代から日本国民に法華経が伝へられたものであらうとは文殊支利菩薩が竜宮を無数に教化したと法華経の堤婆達多品に出て居りますのと、日蓮聖人の御義口伝には、神代に既に伝はったとあります。日本精神と法華経とが全体観に於て一致し、然も其全体観も西洋の全体主義と言ふ空虚観とは趣きを異にし、全体が生きるのみならず、其の所を得せしめるといって、部分も個体も全体と共に生きるのが日本精神の真髄たる所の源でありはせぬかと思ひます。

    印度や支那やビルマ等に小乗仏教(戒律)、権大乗(法華経以前の空観にして現実の生活には無閑係の観念論)が残って居るのに、独り日本国にのみ法華経の広まって居るのは、日本の国民性に適するのと其源の遼遠なるとに依るものと存じます。

    兎に角法華経は東の島国たる日本に於て広まり、日蓮聖人が其の第一の導師たる事は法華経の中に予言せられてあります。


    【検事・問】 然らば其法華経とは如何なる教へなりや。

    【牧口・答】 法華経方便品第二の中に、仏嘗て百千万億無数の諸仏に親近し尽くして、諸仏の無量の道場を行し………其深未曾有の法を成就す、と四個所に亘って道法の最大最上を賛嘆されてあります。

    釈尊が三十歳で悟りを開き、大法弘通に乗り出されてから四十余年後に初めて法華経を説かれましたのでありますが、其時今迄の説き来った教へは本当の教へではない、之から説く法華経こそ自分の本当の精神であり教へであると申されましたので、前の四十余年の教へは基礎的未顕真実の教へであります。

    故に法華経は三千年前釈尊に依って説顕せられたのでありますが、法華経に所謂仏法は決して釈尊に依って造作せられたものではなく、無始無終にして、始めなき久遠より終なき永劫に亘り常に流動しつつ絶へず一切の森羅万象を活躍せしむる処の法、其れ自体に相応すべく行事する事が仏法であり、妙法であります。

    而して其の無始無終の法をば開悟せられた時と機に適合すべく説顕し給ひ、一切衆生を救済し給ふ処の教へ其ものが仏教であり、法華経は実に此の仏教の最大根本経典であり、法華経中心主義こそ仏教の極意であると確信致して居ります。故に「法華経は一法なれども時に依り機に随ひて其行万差なるべし」と仰せられて居ります。

    釈尊入滅後の事に就て、法華経の中には正法時代と像法時代、末法時代の三つに分けてあります。釈尊入城後の五百年間は未だ其数へが立派に行はれて居る時代でありますから此時代を「解説堅固の時」と申し其次の五百年間は釈尊の教も逍々衰へて禅定が盛んになって来た時代でありますから之を「禅定堅固の時」と言って此の一千年間を「正法時代」と名付け共に未だ釈尊の教へが立派に残って居る時代であります。

    次の一千年間を像法時代と言って前半の五百年間は禅定もすっかり衰へ切って、反対に経文を読誦し学問を励んだ時代でありますから「読誦多聞堅固の時」と名付け、後半の五百年間は堂塔伽藍を造営すると功徳があると考へて、至る処に寺院を建立するに至りましたから、此の五百年間を「多造塔寺堅固の時」と名付けて釈尊の精神は全く消へ失せて僅かに其形式を伝へて居るに過ぎない時代であります。

    第三は正法、像法の二千年間を過ぎた所謂末法万年の時代で各勝手気侭に争ひに耽って居るから「闘諍堅固の時」とも言ひ、又釈尊の教への全く消滅した時代でありますから「自法隠没」とも申しまして、全く濁悪雑乱の時代で又此の末法時代の初期五百年の間に法華経は広まると予言されて居ります。

    其処で此の法華経を私共の生活に実証して見ますと、人間の生活の最も価値のある無上最大の法を大成されたものと解されます。薬師如来を医学博士に例するならば、凡ゆる方面の人類の総ての進化の結果の体系づけられたもので人間生活法の体系であり、さうして生活法の学だけではなくて生活カの内在して居る道法で、釈尊が大敵に敗けずに生活を遂げて人間の達し得べき最高の理想を示して人間の生活目的を明かにし、且其実現の手本を自ら具現されたのが所謂「仏」と言ふものであらうと存じます。

    二十八品中前の十四品の迹門は人生に対する経の価値を賛嘆し、後の十四品の本門は之に至った由、来を説明されたものと存じます。要するに因果の法則を説明し且つ実証されたもので、

    善困は必ず善果━━┓
             ┣━因果の法則
    悪因は必ず悪果━━┛

    で未来の生活方針が定まると共に、過去に於ける悪因に脅やかされる現実生活の悩みは、懺悔滅罪と言ふて本心から悔悟すれば其罪は自ら消滅することは司法裁判と同様であります。仏法即世法と言ふのは此の事を意味して居ります。但し世間法は必ずしも善困は善果とならず反対の結果も生ずるのでありまして其処に人間が歪曲せらるるに至るのでありまして、私は次の様な分類に依って比較する事が出来ると思って居ります。

    (一)人間本心の素直なる「正直捨方便」の法則に従ふ因果の法則が、法華経の説く所=因果倶時、直達正観の大善生活の法則=本因本果の法則。

    (二)世間的合法的生活の因果法則=世間の毀誉褒貶を恐れて思ひ切った事の出来ぬ小善生活の法則=遠因遠果、近因近果の法則=釈尊の爾前経、迹門経。

    (三)本心の法則も世間的の義理人情も顧みず各自の我侭気侭の生活法則=因果の法則も無視した外道の生活。

    要するに法華経は天地間の森羅万象を包摂する処の宇宙の真理であり、我々人間生活の行動規範たる根本的大法である事は実証に依っても明瞭でありますし、私の価値論も之に依って生きるのであります。


    【検事・問】 法華経と日蓮聖人の閑係は。

    【牧口・答】 法華経は一面釈尊在世結縁の人間の成仏法であると共に二千年以来の末法の予言書であります。

    濁悪の所謂末法の世に於ける人々を救済する為めに生れたのが日蓮聖人であります。日月の光明の諸の幽明を除くが如く此人世間に行して衆生の闇を滅すと言ふ経文がありますが、日蓮聖人が末法の世に出て衆生を済度する事に就ての予言であります。

    正法像法の時代に於ては経、行、証の三つがあった末法の世に至っては経のみあって行、証共になくなって結局法華経の価値は失墜してしまったのであります。

    故に末法の世に於ける人々を法華経に依って救済する為めに大導師として建長五年四月二十八日房州清澄山に於て「南無妙法蓮華経」と唱へて立宗開教せられたのが日蓮聖人であります。

    前にも申上げた通り日蓮聖人は上行菩薩の再誕として末法に入りてより百七十一年の貞応元年二月十六日に日本国に出現されたのでありますが、上行菩薩即日蓮聖人と言ふ事になります。

    さうして日蓮聖人は全世界の人類が即身成仏の素懐を遂ぐる大導師となり、法華経の行者となって只管法華経の真髄たる本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇の三大秘法の具現に当たられたのであります。

    本門の本尊と言ふのは曼陀羅の事で、文字の上から言ひますと本尊の二字は大法の根本であるから尊いものであると言ふのと、本から尊むべきものであると言ふのと、本の侭の尊き姿と言ふのとの区別があります。結局信心の上からは、本尊とも曼陀羅と言ふも同一であり、信仰礼拝の目的対象であり、仏様であり仏様其物であります。

    此の本尊観には霊格と人格との両面があります。即ち法の本尊と人の本尊であります。法の本尊と言ふのは真如、真理に相当し、一念三千の不思議の境界で、之が妙法の曼陀羅で其姿を文字に顕はして真中に「南無妙法蓮華経日蓮」と書いて之が中心となり、其周囲に十界の代表者の仏菩薩から世界を守る神々妙法を伝へて来た人々迄も並べて、中心となる仏の霊格を示し中心の光明に照らされて皆仏となるべき事を示したのであります。

    次に人の本尊と言ふのは、法報応の三身が互に融通する上での自受用報身如来であり、久遠の知徳を表面として、内面では法身仏と応身仏とも交渉する夫れが末法には人格者としての日蓮大聖人を信じ奉って木像にも絵像にも作って、尚生きて居られる如く敬ひ奉るのであります。

    此の自受用身の人格に妙事の三千の法が具って居る処が人即法の本尊であり、三千の法に自受用身の具って居る処が法即人の本尊であり此の互具一体の処を人法一個とも一体とも申して私達の帰依する仏様であります。

    本門の題目と言ふのは、妙法蓮華経の五字に南無と言って帰妙する依止する万事御願ひするの意を顕はす印度の梵語を加へたものであります。此の五字は法華経の題号でありますから、寿量品の文底に沈めてあって久遠本仏の微妙の知恵であります。

    本門の本尊は御本体で動くものではないから、其の本体から出て動く作用が知恵即本門の題目であります。

    此の二つは仏の方から言へば御一身其侭の境(本尊)、知(題目)私たちの方で言へば信心修行で入るべき境(本尊)、知(題目)であります。

    それで身心を投げ出して御願ひする即ち経文の一心に仏を見奉らんと欲せば自ら身命を惜しまざれ(不自惜身命)とある意味を纏めた南無の二字を妙法蓮華経の頭に置くのであります。

    さうして信行具足の上に境知冥合した処の信知は世界の所有の知恵の上位にあるもので、又如何なる世間の学問知識にも適当さるべきものであります。

    本門の戒壇と言ふのは、久遠の大昔から変わり無しに続いて居る道徳の結晶とも言ふべき本門の本円戒を伝へ授くる儀式の場所であります。

    戒と言ふ事は其の姿形や品数や本体やが、何様にも成って居りますが、悪い事をせぬのが一般の例で小乗戒では在家の持つべき五戒(不殺・不盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)の例の如きで、壇と言ふのは本尊仏を安置する処で戒壇は概念の上からは、虚空不動的の戒の相であるが、信心から言ふと広宣流布の時の戒壇堂であります。

    宗門では富士山麓の大石寺に戒壇堂を建て、一大仏教都を建設しようと言ふのが宗祖の願望であり、又私たちの願望でもあるのであります。

    其地割等は公にしてありませんが、開祖日興上人より代々の法主へ口伝せられて其伝統は法主の腹中に存する事と思ひますが、其戒壇の建立される場所は「天母原」と後世に言って居ります。

    但し戒壇堂に安置すべき御本尊は弘安二年から五年の間に於て和泉公日法と言ふ人が楠の六尺、四尺の大きな板に彫刻して大石寺の寺宝として蔵してあります。

    此の戒壇に就て、事相に顕はるる戒壇堂と、義理の上で戒壇と思へるものとの二つがあります。事相の堂は将来広宣流布の時即ち一天四海皆帰命法の社会が実現した時に勅令で富士山下に建ち、上は皇帝より下万民に至る迄授戒すべき処でありますが、先ず夫れ迄は本山の戒壇本尊安置の宝蔵が其の義に当るのであります。

    三大秘法とは以上申し上げたとおりでありますが、此の宗旨たる三大秘法を証明するには、最も必要な五つの大綱の法門があります。

    之を三秘五綱とも、或は三紀五網とも称し、其の五つとは教・機・時・国と教法流布の前後の五個条に依って、経を選定せよと日蓮聖人は言はれて居ります。

    即ち一に教を知らねば宗旨の三秘が立たぬ、二に機を知らねば折伏逆化の方法が分らぬ、三に時を知らねば正・像・末の三時の布教が分らぬ、四に国を知らねば我国より此の三秘の大法が広まる事が分らぬ、五に教法流布の前後を知らねば浅きより深きに進みて当時は実大乗法の三大秘法に限る事が分らぬと言ふ事を仰せられて居ります。

    既に法華経が先祖に入って居るのに、それ以下の価値しかない低級の経を流布する事は出来ないと言はれたのは之であると思ひます。


    【検事・問】広宣流布とは如何なる意味なりや。

    【牧口・答】広宣流布と言ふ事は、末法の時代所謂現世の如き濁悪の時代に其濁悪の時代思想を南無妙法蓮華経の真理に依って浄化する事で、宗祖日蓮聖人の教へに、上は陛下より下国民に至る迄一人も残らずに従ひ、南無妙法蓮華経に帰依する様になった時を広宣流布と称し、共時初めて一天四海皆帰妙法の社会相が具現するのであります。

    此の時には国の政治、経済其他総てが妙法蓮華の真理に依って行はれる事になります。其の真理は其の時の正統の法主から直々に陛下にロ伝されて施政される事になりますから、真実の法華経の社会国家が具現するのであります。

    之が宗門の願望であり又私達の願望であり理想とする国家社会であります。

    【検事・問】 末法時代は万年として万年後の社会は如何様になるや。

    【牧口・答】 末法万年後の社会は未開顕の事に属しますが、口伝に依り法主から法主へ伝へられて居りますのは、恐らく本尊を守る処の正統の御法主の時代になるのではないかと思ひますが、確然とした事は分りません。


    【検事・問】 法華経の真理から見れば日本国家も濁悪末法の社会なりや。

    【牧口・答】 釈尊の入滅後の一千年間を正法時代、其後の一千年間を像法時代と称し、此の正法像法の二千年後は所謂末法の時代で法華経が衰へ捨てられた濁悪雑乱の社会相であります。此の末法の社会相は全世界は勿論日本国に於ても同様の事でありまして、斯る状態は法華経に予言せられてある通であります。

    事実日本に於ても斯る濁悪の末法社会が現はれて居ります事は、史実の証明する所でありまして、七百年前に日蓮聖人が上行菩薩の再誕として東の島国日本に出現せられましたのも島国日本は法華経弘通の中心でありながら謗法国の最たるものとして国家国民を折伏教化に努められた結果、凡有迫害圧迫を被られて居るのであります。

    ※此の時押証第七号「日蓮聖人御遺文」を提示す。

    此の御遺文の最初に立正安国論があります。其の五頁の終り頃から六頁に亘って若し国王有って無量世に於て施、戒、慧、を修すとも我が法の滅せんを見捨てて擁護せずんば是の如く種ゆる所の無量の善根悉く皆滅失して其国に当に三つの不詳の事有るべし、一には穀貴、二には兵革、三には疫病なり、一切の書神悉く之を捨離せば其の王教令すとも人随従せじ常に隣国の為に侵尭せられ暴火横に起りて悪風雨多く暴水増長して人民を吹漂せば内外の親戚其れ共に謀反せん、其王久しからずして当に重病に遇ふべし寿終るの後大地獄の中に生ぜん乃至王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡守・宰官も又復是の如くならん。

    と書示してありまして、例へば国王陛下が法華経の信行をなさいましても此の法が国内から滅亡するのを見捨て置いたならば、軈て国には内乱・革命・飢饉・疫病等の災禍が起きて滅亡するに至るであらうと仰せられてあります。

    斯様な事実は過去の歴史に依っても、夫れに近い国難が到来して居ります。現在の日支事変や大東亜戦争等にしても其の原因は矢張り謗法国である処から起きて居ると思ひます。

    故に上は陛下より下国民に至る迄総てが久遠の本仏たる曼陀羅に帰依し、所謂一天四海帰妙法の国家社会が具現すれば、戦争飢饉疫病等の天災地変より免れ得るのみならず、日常に於ける各人の生活も極めて安穏な幸福が到来するのでありまして之が究極の希望であります。

    つまり日本国の政治・経済・文化其他全部が法華経の真理に則って行はれるのが理想でありまして、一天四海帰妙法の理想社会の建設に外ならないのであります。

    此の時が初めて王法が仏法に冥し仏法が王法に合し、王臣共に本門の三大秘法を拝する王仏冥合の時でありまして、正義道徳の最大最高を理想とする日本帝国も法華経も不二一体のものと信じて居ります。


    【検事・問】 王仏冥合一天四海帰妙法と言ふ事は、上は陛下より下国民に至る迄日蓮正宗の本尊に帰依することなりや。

    【牧口・答】 左様であります。今迄申上た通り、陛下も国民も一人残らず日蓮正宗の御本尊に帰依する事であり、久遠本仏の御心に従って国家が治められる様になる事であります。


    【検事・問】 陛下が御本尊に帰依されて、其御心に従って国家を御治めになると言ふ事になると、陛下の御自由の御意思が阻害されはせぬか。

    【牧口・答】 左様な事にはならないと思ひます。私は学会の座談会等の席や又会員其他の人に個々面接の際度々、陛下の事に閑しまして、天皇陛下も凡夫であって、皇太子殿下の頃には学習院に通はれ、天皇学を修められて居るのである。

    天皇陛下も間違ひも無いではない。明治初年に明治天皇に山岡鉄舟は随分御忠告をして間違ひを指摘されたそうである、と話した事がありますが全く其通りであります。然し、陛下も久遠本仏たる御本尊に御帰依なさる事に依って、自然に知恵が御開けになって、誤りのない御政治が出来る様になると思ひます。

    御信仰遊ばされる事に依って、自然に御心が御開きになるのでありますが、唯本仏の真理を体得される事に就て正統の御法主の指導を御受けになる事があるかも知れません。


    【検事・問】 被疑者は学会の会員其の他に対し教育勅語の「克ク忠ニ」と言ふ事を天皇陛下が臣民に仰せられた事でないと説明して居るが、如何なる理由なりや。

    【牧口・答】教育勅語の中に、親に対しては「父母に孝ニ」と明示してありますが、陛下御自ら臣民に対して忠義を尽せと仰せなられる事は、却而陛下の御徳を傷付けるもので、左様に仰せにならなくても日本国民は陛下に忠義を尽すのが臣民道であると考へます。之は私が法華経の真理から左様に悟って居るのであります。


    【検事・問】 平重盛は親に孝ならんと欲すれば君に忠ならず、君に忠ならんと欲すれば親に孝ならずと被疑者は説例して居るが、之に対する所見は如何。

    【牧口・答】 平重盛の親に孝ならんと欲すれば君に忠ならず、君に忠ならんと欲すれば親に孝ならずと言ふ事は、有名な話で私は之を時々説いて居ります。重盛も非常に悩んだとの事でありますが、私は忠と孝とを二元的に考へる事は対立して両立しないと思ひます。

    故に我々国民は之を一元的に考へて、親に孝行すればそれが君にも忠なる所以だと思ひます。教育勅語の「克ク忠ニ」は「君ニ」と改正追補すべきものと思ひます。会員其他に対して左様に指導して来て居ります。


    【検事・問】 大日本帝国憲法と法華経の大法とは如何なる関係に立つや。

    【牧口・答】 憲法は現世に於ける処の日本国を統治する法でありまして、陛下が御定めになった所謂法律でありますから、外国の様に革命が起きて国王が変る様な事はないにしても、政体が変って将来憲法も改正されたり廃止される様な事があるかも知れません。憲法は大法の垂迹であります。

    然るに法華経の法は宇宙根本の大法でありまして過去・現在・未来の三世を通じて絶対不変万古不易の大法であります。其時代々々に依って改正されたり廃止されたりする法律諸制度とは違ふのでありまして、終世変らざる処の人類行動の規範を示顕せられてあるのであります。

    故に此の大法に悖る事は、人類としても将又国家としても許されない事で反すれば直に法罰を受けるのであります。又此の大法が広宣流布され一天四海帰妙法の理想社会(極楽浄土・寂光土)が具現した暁に於ては現在あるが如き法律諸制度中一部分のものは変更される様な事になるかも知れません。


    【検事・問】 法華経の信仰をすれば無病息災の生活が出来るや。

    【牧口・答】此の信仰に入れば不思議に病気も治り、幸福な生活になります。極めて旺盛なる生活カを培養する事が出来ますので、病気の毒素などは忽ち滅失して健康体になる事が出来ます。直に現証利益が現はれるのであります。


    【検事・問】 御本尊と所謂日本の神々との関係は如何。

    【牧口・答】 日本に於て言ふ処の八百万神に対しては、全日蓮宗内に於て昔から議論のあった処で、之が日蓮宗派が分裂するに至った動機になって居ります。

    ※此の時押第十二号「日蓮宗綱要」を提示す。

    此の綱要の二十一頁に、

    「此硬軟分離の始は神天上の解釈で善神が社殿を捨て去った跡に悪鬼が代ってる神社ぢゃから参詣無用と言ふのが硬派の議論で宗祖の御義に順ってをる悪鬼が代って居ても法華の行者が法味を上ぐれば善神は喜んで社殿に還るから参詣しても宜いと言ふのが軟派の説で宗祖の御義には悖るけれども世間には折合が善」と書示してありまして、此の二様の気風は宗祖日蓮の御遷化前から潜かに起きて遂に分裂しましたのであります。

    日蓮正宗は、初めから此の硬派の旗頭で「神天上」とは各神社に祭られた神々は天へ上って社殿は空虚になって、其の代り悪鬼が後に入って居るから、参詣する必要はなしと言って神社参拝を拒否して居たのであります。伊勢の皇太神宮に対しましても、同様の意味で天照皇太神は天へ上って後は空虚で悪鬼が入替わって居るから、そんな処へ参拝する必要なしと言ふのであります。

    之は本尊に帰依しながら他の神仏を拝む事は謗法になりますので、宗門では謗法を強く戒めて居ります処から、左様な理屈を付けたのであると思ひます。

    私の伊勢皇太神宮に対する観念の真意は矢張り其処にあるのでありますが、左様に説いては世間の誤解を招く慮れもありますし、問題を起しますから私は学会員に対しては天照皇太神、天皇と言ふ二元論でなく天皇一元論を樹てて居ります。

    即ち天照皇太神は御皇室の御祖先でありますから、其御神徳は歴代の天皇の御位に継承されて現在では、今上天皇陛下に悉く伝へられ、それが御稜威として現世に輝き下万民を照し幸福なる生活が出来る所以でありますから、憲法第三条にも「天皇は神聖にして侵スヘカラス」と御定めになって居るのであります。

    故に私達は忠孝の場合と同様一元的に「天皇一元論」で天皇陛下を尊崇し奉れば伊勢の皇太神宮に参拝する必要なしとの信念で来ました。天皇陛下を尊崇し奉れば天照皇太神も尊崇し奉る事になります。所謂敬神と祈りとを区別して信仰の対象を定める事が生活上大切な事と思ひます。

    過去の功徳功労を感謝し奉ることと其の上に報恩の誠意を現はすと共に、其れを身に行ふのみならず未来に希望を申し上げて祈りを為す事の二階扱がそれであります。「心だに真の道にかなへなば祈らずとても神や守らむ」と日本国民の古来よりの信念は現在の生活に於て各々国民が誰でも実証して疑ふ能はざる処であります。

    天照皇太神に対し奉って今上陛下より特別の仰せがある者は別として我々国民が直接に御祈願の途は、今上陛下を通じ奉らねばあり得ない訳と存じます。感謝以上の御奉公の途も然りと存じます。天皇陛下の御稜威は文武百官の機関を通じて、国民の安全幸福に現はれて居ります。万一足らない所があれば議会其の他の機関に依って出来るのであります。

    果して然らば我々は現在の天皇陛下以外にどなたに対し奉って祈願すべきでありませうか、但し尊敬、感謝の誠意を凡ての神々に怠ってならぬ事は知思報恩こそ人間の途であるが故であります。

    畏くも陛下におかせられても、御病気には医師の申上げを嘉納して御全快を図られざる能はずと同様、御病気になられない法等の御生活の法を御採用になり、因果の法則に御従ひ遊されなければなりません。

    若しも其の根本大法が御明らかにならせ給ふならば如何に御安泰に国家が繁盛し、国運が隆昌になり、桓武天皇の永暦の御代が再現されます事でありませうかと存ずる次第であります。

    天照皇大神に対する私達の観念は、只今申上げた通でありまして、宗祖日蓮聖人以来宗門が採用して来た謗法折伏の信念は誠に強烈なもので、他の神宮神社や他宗信仰に就ても前と同様の観念でありまして、殊に他宗派信仰の謗法を折破する為めに念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊等の格言を極言せられたのであります。


    【検事・問】 折伏、謗法とは如何なる事か。

    【牧口・答】 《折伏》
    人に教ゆるには硬軟二つの方法を使ひますが、普通は自分の態度は柔和で相手が何んな事を仕向ても決しで怒らないで、言語を優しくして気長に教へ説いて相手方を自然に納得せしめて引き入れる所謂「摂受」の方法があります、此の方法は普通宗門でほ採って居りません。然し折伏と言ふ事は前にも(第五回尋問)申上げた通、相手方の反対を押し切って信仰せしめる事で、法華経特有の言葉であり方法であります。

    末法の世に生を受ける者は、世間一般の習慣に支配されて知らず識らずの内に根性が歪められた結果、事法華経に関する限り名前を聞いただけで反対し、怨嫉み認識しない中に評価し悪口し擯斥して信じないのみか、反感を抱く事は経文の予言通りであります。

    「彼が為めに悪を除くほ即ち彼が親なり」と大慈悲の親心を披瀝して信仰心を起させてやらねばならぬと説かれて居るので、彼の考への間違ひを破折して、本心を覚醒させる事を意味して居ります。

    末法の悪・国家時代に於ては摂受の如き生優しき手段では到底駄目でありますから、例へ相手が反対しても、それを押し切って信仰に導入しなければなりません。

    併し宗門で教化に用ふる折伏は重に言論で裂くも破るも伏するも皆思想的であり、精神的でありますから、肉体を損なふ事はありません。それでは徹底をせん事もありますので硬教育には拳骨の必要もある如く、御釈迦様の涅槃経中の有徳王が覚徳比丘を守護して悪僧悪俗と戦はれた事宗祖の本尊抄の中の賢王と成って愚王を誠責すと言はるる処には国家の兵権を行使しても、悪王謗国を責むる折伏する事を言ってあります。

    極端かは知らぬが、茲に折伏の徹底を見るのであるが之は仏法守護の大任に当れる国権者の事で兵権を持たぬ腕力に乏しい今日の組織宗団では不可能の事に属します。


    【牧口・答】 《謗法》
    謗法と言ふ事は法に背き又は法を謗る事であります。ロに出して言ふ許りでなく、腹の中で善くないと思ふたり、顔を顰めて嫌がったり、怠けたり解け無かったりする事が皆謗法であります。

    人間の本心は因果の法則に従って生活するのが当然であり、然らば不幸は免れ幸福に暮せるのであります。世間的な毀誉褒貶等に気兼して悪くはないが、善もしない所謂世間並に暮せばそれで足れりとして、小善に止まり甚しきに至っては法律に触れさへしなければ何をしても良いと言ふ生活を総て謗法と申します。

    勿論大小無数の階級があります。小悪でも地位が高まれば其害毒は多いから謗法の罪も大なりと申して居ります。況んや地位の高いものが大法に背くに於ておやであります。又法を司る司法官が法に背くと同様に仏法に背くを大謗と申します。


    【検事・問】 謗法払とは如何なる事か。

    【牧口答】謗法払と言ふ言葉は、仏立宗で使って居る言葉で私たちの方では仏立講と間違へられる慮れがありますから謗法払と言はずに信仰雑乱を来すものは取り払へという表現で指導致して居ります。結局は信仰の邪魔になるものをすっかり取払って、綺麗さっぱりになるのでありますから、謗法払と同じ事であります。宗門では謗法と言ふ言葉は使用して居ります。

    創価教育学会の信仰指導の根本観念は前に申上げた通至上最高絶対無二の久遠本仏である処の本門の本尊に帰依するのみでありまして、それ以外の如何なるものをも信仰の対象として礼拝する事は、所謂信仰雑乱を来す結果となりますから、絶対に之を排斥拒否して居るのであります。

    故に私は会員に対しては勿論折伏して新たに入会する者に対しても、学会の信仰の統一上従来の信仰対象の一切を取払ひ焼却し或は破棄しない者は必ず現証が現はれ、法罰に依っていろいろな不幸災難が起るべしと忠告し折伏して居ります。

    さうして折伏折破された者は、従来の信仰の対象一切を自ら取払ひ焼却等する者もあり又学会員の折伏者に依って取払ひ焼却等する事もあり或は私(牧口)自ら之を取払って焼却等したものもあります。

    此の為に学会関係の各地で警察問題を惹起し取調べを受けた事がありますのは前に申上げた通であります。


    【検事・問】 取払ひの対象となるものは如何なるものなりや。

    【牧口・答】 取り払ひ撤去して焼却破棄して居るものは、国家が隣組其他夫々の機関或は機会に於て国民全体に奉斎せよと勧めて居ります処の伊勢大廟から出される天照皇太神(大麻)を始め明治神宮、靖国神社、香取神宮等其他各地の神宮・神社の神札、守札やそれ等を祭る神棚及び日蓮正宗の御本尊以外のものを祭った仏壇や屋敷内に祭ってある例へば荒神様とか稲荷様、不動様と言ふ祠等一切のものを取り払ひ、焼却破棄さしています。

    就中天皇皇太神宮の大麻は、最近殆ど何れの家庭でも奉斉して居りますから、一番取払ひの対象になって居ります。取払ひ撤去の趣旨はそれ等のものを各自が家庭内に奉斉して信仰の対象と為す事は御本尊の信仰を雑乱する事になり、謗法になりますのと一面に於ては天照皇太神宮の大麻等を家庭内に奉斎する事は前に申上げた理由から、却而不敬に当りますから撤去するものであります。

    勿論之等の神宮神社仏寺等へ祈願の為参拝する事も謗法でありますから、参拝しない様に、謗法の罰は重いから、それを犯さない様に指導して居るのであります。以上申上げた謗法を犯す事は現証利益と反対の結果を来し、仏罰を被るのであります。


    【検事・問】然らば被疑者が、皇太神宮の大麻や其他の神札等を撤去、撤却したものは何程位あるか。

    【牧口・答】 創価育学会の会員は全部で現在一千五百名位あります。之等の会員は全部私の指導に依って直接私からや或は学会員から又は会員各自が伊勢の皇大神宮の大麻其の他の神宮・神社の神札・御守・神棚等を撤去焼却したものであります。

    其の中で最近私が直接手を掛けて取払ってやったものはありませんが幹部の者が取払って焼却等したもので記憶して居りますのは寺坂陽三が本年四月頃折伏した、日本橋区江戸橋二丁目料理店川島源造、小石川区春日町軍人家族(大佐出征中)今村武雄夫人と北村宇之松が本年五月頃、小石川区柳町(停留所前)弁護士遠藤一と中垣豊四郎が昭和十七年十月頃、蒲田区糀谷町三ノ七四五工場主鈴木幸に、更に幹部ではありませんが林茂が本年三月頃、品川区大井坂下町二七二二会社員川端審三、本年五月頃其知人の木下某等があります。

    私の直接指導に依って皇大神宮の大麻や其他の神宮・神社仏閣等の神札・守札・神棚等を取壊し焼却した者は現在迄で五百人以上あると思ひます。

    〔昭和一八年八月分〕


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