さいわいを万里の外よりあつむべし

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    今正月の始に法華経をくやうしまいらせんとをぼしめす御心は木より花のさき池より蓮のつぼみ雪山のせんだんのひらけ月の始めて出るなるべし、今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし、影は体より生ずるもの法華経をかたきとする人の国は体にかげのそうがごとくわざわい来るべし、法華経を信ずる人はせんだんにかをばしさのそなえたるがごとし


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    帰省すると、なんとなくダラ~ンとして、しまりがなくなってしまいますね。わたしったら、テレビを見ながら大口あけてバカ笑いしているのだから。いつもと違う非現実的な時間進行のようであり、夢のなかにいるような気持ちになります。楽するって楽でいいな~って、ほとんど思考停止のような状態、お酒が入って目が回ると思考輪廻状態でした。
    たっぷり野菜や鶏肉、シイタケ、お豆腐など細かく刻んで煮込む郷土の大海(だいかい)料理で、日頃の野菜不足を補充。だいたいその家の一番大きなお鍋で作る大海は、お祭とか季節のイベントがあるときには、欠かせない定番郷土料理です。お雑煮、あんもち、黄粉もちのお餅バージョンは大好きなので、食べ過ぎにはご注意っていうところかしら。帰省の間に顔もふっくらしたような、余計な脂肪がついたような、体が重くなって、帰ったら何か言われそうよ。いつもと同じパターンですけど。

    新年勤行会に参加しながら、ふっと感じたのは、創価の会館のネットワークの凄さ。公共機関や経済活動以外を除けば、全国の主要都市や町を結ぶネットワークは、創価だけかもと思い当たりました。大震災のときも、いち早く機能したことは言うまでもありません。建物は愛されて使用されてこそ意味があります。また時代に即した機能を付加するのも、これからの大切な見直し作業でしょう。欧米では教会が町の中心に位置するように、地域の伝統行事と精神的平安、人のつながりに重要な役割を担っています。信仰が結ぶ会館ネットワークは、会員の皆さまの使命感的奉仕に支えられていますので、悪しき運用は決して行ってはならないし、無理を押しつけてもなりません。なにしろ、会員の浄財で建てられたことを忘れてはなりませんね。

    創価は以前から、一枚岩のようなイメージで言われています。これは良いイメージではなく、他を寄せつけない悪い意味で用いられているようです。集票マシンと集金システムのクローズアップです。組織であれば指揮系統が存在し、明確な意思決定ラインが組み込まれています。組織って生き物と同じで、重要な神経回路が手足を動かしているわけです。
    創価を疑い深く見る人からすれば、まるで意思を持たない会員が、愚かな民として操作され、均質的に教育を施され、コントロールされ、経済的にも身体的にも犠牲になり、会員はその愚かさに気づこうとしない。
    さらに、不可能と思える陰謀が計画され、日本を乗っとろうとしている。自己中心的な論理で強固な共同体を作り、宗教組織とは思えない脅威を社会に与えている。創価に対する批判は、驚くほど類型的で、想像力がないものばかりです。組織のなかで息をする人間が対象になっていませんので、会員からすれば大変な違和感を感じる批判でもあるのです。
    第二次世界大戦のとき、日本国民は神道の思想的崇拝のもとでカルト化しました。神聖な国家は、国民の生命を要求する権利を持ち、支配の理想は聖なるものにすべてを委ねること。苦難が続けば続くほど、聖なるものの救済が価値を増す。当時、神道のみ正しく、他の宗教は聖戦遂行のために邪教と断定されました。伝統仏教は釈尊の精神を忘れ、反戦に対し、その役割を放棄しました。明治期、僧侶が身分から一職業になったことから、僧侶といえども兵役の義務を負わなければならない立場になり、出兵し武器を取って敵と交戦することの正当化を余儀なくされました。もともと国家の庇護のもとにあって、権力の手先に甘んじてきたわけですから、仏教の精神や教義よりも、自己保身、あるいは生活手段として冠婚葬祭用の宗教労働だったのです。葬式仏教という言葉が端的に表しています。
    大石寺一門も同じ。大聖人のご一生を貫いた立正安国とは、つまり革命精神ということ。遠い昔のことではなく、近代史のなかで、一度でも命を懸けて布教したことがありましたか?

    日本人は無宗教であることが、公平な市民として認知される条件のようです。その反面、儀礼やしきたりを好む国民性は、無定見に民間信仰を容認します。宗派に関係なく四季折々の行事や祭りに、信仰と無関係な生活習慣として参加します。信仰に対するこの無頓着さは、宗教的活動の厳格さより、地域的つながりを優先する古い共同体意識からくるものと思います。草創期に、狭い村落において、創価学会員がよそ者扱いされたのは、その典型例ではないでしょうか。ひどいところでは、村八分まであったとか。普遍宗教に馴染んだことがない国民性がよく表れています。
    民間信仰や長い歴史のなかで儀式化された既成仏教には、なにより曖昧な教義が準備されていました。末法における仏教の形骸化が、明治から現代にかけて明確に現れている時代はないのです。他者救済という難事が、この曖昧さから成し遂げられるわけはありません。信仰は大切であると言いながら、教義には厳格さを求めないのです。このような道徳的気風は、現在でも健在です。創価においても、御本尊にこだわらない価値観として生きています。教義なんて、あってないようなもの。
    戦後、日本人は宗教への警戒心から、創価のような一枚岩の団体を拒絶してきました。少なくとも、権力機構に組み込まれているメディアやジャーナリズムは、問題の本質に目を向けることはなかったと言ってもよいでしょう。また戦後の反アメリカで統一された学生運動からは、挫折を経験した左翼系市民運動家が誕生しました。彼らが戦後著しい発展を遂げた宗教を忌み嫌った一つの理由は、宗教指導者がカリスマ性を有していたこと。さらに、宗教に対して全く無自覚、無認識であったこと。現在の政治指導者層の多くが宗教心を省みない、かつての市民運動家であることや、保守と言いながら、戦前回帰のような、神道への傾斜を公言するようなスタンスは、なんとも皮肉なことであり、不気味です。
    宗教心という言葉は死語に近いし、不合理なドグマを背負っているように思われているから、尚更です。したがって、無宗教を誇ることになるのですね。宗教心とはつまり、政治家に最も必要な慈悲の概念で説明されるものですが、長期的ヴィジョンもない不透明な政治改革・行政改革とやらのツケに、これから国民は長く苦しめられることになりそうです。戦後の政治家の怨念は簡単に晴れることはないでしょう。
    また宗教の正邪を教義で判断するなど一般人には至難の技。あえて難解なことに挑戦しなくても普通に生きていけるし、不都合はないし、悩むこともないし、友だちだってできるし、努力しだいで幸せだって十分に満喫できるっていうもんです。
    こんな質問もありそうです。
    「絶対的幸福を実現した人はいるのですか?」
    「実現できないものを理想とするのは、矛盾しているのではないですか?」
    「絶対的という基準はどういうものですか?」

    カリスマとは、ウェーバーが指摘した非日常的な資質のことであり、それは革命的エネルギーに満ち溢れている資質のことです。革命に挫折した者が、一方で順調に帰依者を増やしていく姿を快く思わず反感を抱くのは当然のこと。社会を導こうとしているカリスマは、一体どのような方向へ進もうとしているのか。宗教に無理解な市民に得体が知れない不安が不気味に広がり、批判せずにはいられなくなるのです。反体制の人間が拠り所とする革新的思想は、今は、保守とも言えない非革新に成り下がり、だらしない革命ごっこを演じています。宗教は、混乱した世界に積極的な秩序を与え、老朽化した既成秩序を変革していく精神の復興エネルギーです。彼らに欠けていたものは、苦難と救済、大衆の幸福の意味を問うことでした。これは宗教が問い続ける真理への成就過程と一致します。つまり宗教オンチは政治オンチという、あからさまな歴史的事実に出会っただけなのです。
    オウム事件以後、マインド・コントロールとカルトという言葉がセットになり、創価に対し使用されてきました。実は無自覚な宗教心という歴史問題に視点が欠如しているために、マインド・コントロールを受けてきたのは批判中毒の自分たちなのですが、当然、冷静を装いながらムダ口を繰り返し、ますます自己を欺く神経症的破綻を招くのは必然の成り行き。人生は道理であって、道理は自己に忠実でなければ実現できません。

    ともかく、波乱含みの昨今、何が起きてもおかしくない時代ですので、気持ちをしっかり持って、きっちり前を向き歩いて行きたいと思います。
    政治も宗教も、マジでリカバリーが必要ですね。
    適当な、ほどほどのおつきあいのほど、お願い申し上げます。


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    ヒルティの『幸福論』(岩波文庫)からの引用ですが、やや断定過ぎるきらいはあります。
    『現代の無信仰の代表と、われわれが根本的にちがう点は、本来、次ぎのようなわれわれの主張にある。すなわち、人間が一般に人間的な利己主義しか知らず、とりわけ、自分自身のまったく動物的な天性しか知らない場合よりも、たとえ対象の理解をあやまった信仰にもせよ、よしやごく低級な種類の信仰にもせよ、やはり信仰を持ったほうが、人間にとってはよりよきことであり、その精神的発達により多くの希望が持てる、とわれわれはいうのである。
    この謎のような人生をのり切って行くには、おもな道はおよそ四つしかない。宿命論か、克己主義か、利己主義か、信仰かである。

    近代の克己主義はカントの倫理学体系であろう。世間の人たちが,ヘーゲルの単なる形式主義や、シェリングの象徴圭義や、ショーペンハウアーの厭世観や、ニーチェの狂暴な無神論から、よりすぐれた思想に立ち帰ったならば、また同様に、ゲーテのたんに美的な自己満足も大多数の人々にとっては不可能であり、すべての人にとって不満足なものだということを、これまで以上に世人が悟ったならば、そのあとで、カントの倫理学体系はきっとふたたび前面に浮かびあがってくるにちがいない。

    われわれは誰でもが・・・考えながら、あるいは知らず識らずのうちに・・・上のどれか一つの道を歩くのであるが、しかしその結果はそれぞれ違ってくる。
    第一の道はひとを鈍感にし、第二の道は冷酷にし、第三の道は邪悪にする。ただ第四の道だけが、この世で可能なかぎりひとを善良にし、かつ幸福にする』

    第一の道・宿命論は医学・医療技術の進歩で大胆に解決される可能性があります。倫理的課題を克服すれば、万人がその厚生の有益な恩恵に浴することができるでしょう。それでもなお、未解決な問題は依然として残り、より根本的な環境と自分の関係性、他者との関係性、家族のなかの自分の存在、あるいは親子関係、生命そのものへの発生のメカニズムなどの問題、つまり生命の起源についての難しい問題。でも、宿命論は人間が生み出した単なる妄想の可能性もあります。すべて科学的説明が可能な問題なのかもしれない。こんなふうに自分で書いていながら、わからなくなってくる科学的素養の無さに驚きます。
    未来には、宿命論は仏教の中心思想から除外されるかもしれません。さほど重要でない教義の一部に追いやられるポシビリティーは確実にあるでしょう。
    克己主義とは禁欲主義のことですが、戒律主義的思考の中心をなすものでしょうか。求道者の生活姿勢はストイックに見られる場合がよくありますが、自分の人生、生活範囲に関心が集中し、他に興味が及ばないという自分中心主義。妙法を信仰していても、こういう人は見かけます。クソ真面目な人に多いようですが、別な言い方をすれば、正義や悪、師弟などの言葉に反応する自意識過剰のナルシスト。正義という鎧を着た自己愛。自分との関係度合いによって、ときに冷酷な態度をとることに躊躇しません。
    より良く生きることは、利己主義を克服努力することではないでしょうか。エゴイズムであるところから、排他主義に陥る可能性もあります。生来人間は利己主義の可能性を多分に持っていることを考えると、反対の利他主義は、努力し学んで身に付けるものなのかもしれません。万人に対する利他主義は法華経に通底する思想ですが、自他共にの幸福主義こそ、創価が啓蒙しなければならない人間主義でしょう。創価は、この普遍的な「自他共に」という部分を変質させる教義の改変を行っていく気配があります。
    信仰はある意味、人間と社会に対するオールマイティーな実践哲学です。宗教がなければ信仰もありませんが、理論だけでは宗教とはいえません。実践面を強調したのが日蓮大聖人です。実践理性を説いたのはカントですが、道徳的にも倫理的にも、関係性のなかで、行為の真実を探求する姿勢を保持する者が、理想的信仰者です。祈りは真実に近づく行為です。その祈りが『幸いを万里の彼方から集めてくる』ものなのでしょう。祈りは情感溢れる実践理性です。
    100年後、200年後、創価は生き残っているだろうか?
    法華経すら、仏教の発祥地において生き残ることができませんでした。民衆の支持がなくなれば、正しい宗教も生き残れません。創価には歴史改竄、歪曲の罪があります。必ず歴史の神から報復を受けるでしょう。思想や哲学などは、優れたものであったとしてもエッセンスより残らない。未来の民衆の機根は、現在の人間主義を既知のものとして、さらに新しく優れた思想を求めることだろう。創価から、新しい創価が生まれることを望みます。組織も一新されて、古びた老人の手から、青年の若々しさ、溌剌さが漲る体制を取り戻したい。栄光とは青年のためにある言葉です。


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