SGI提言…核問題について 2

    SGI提言の後半部分。
    三項目の地球的課題の解決のための提案のなかで、第1の提案は核兵器の問題についてです。
    南アフリカ共和国の例を紹介しながら、非核兵器地帯条約の先駆けとなった中南米のトラテロルコ条約は、人権の理念と分かちがたく結びついて誕生したこと。
    『南アフリカ共和国はデクラーク大統領が議会演説でアパルトヘイト(人種隔離)の廃止を約束した翌年(1990年)から、核兵器の解体に着手しました』
    第33回SGI提言、また英文エッセイ「明日をみつめて」(「北極の非核地帯化」の実現を)で南極条約についてふれておりますが、これは世界の非核兵器地帯の条約の一つです。

    ラテン・アメリカおよびカリブ地域における核兵器禁止条約(トラテロルコ条約)
      発 効:1969年
      加盟国:33ヶ国
    南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)
      発 効:1986年
      加盟国:13ヶ国
    東南アジア非核兵器地帯条約(バンコク条約)
      発 効:1997年
      加盟国:10ヶ国
    アフリカ非核兵器地帯条約(ペリンダバ条約)
      発 効:2009年
      加盟国:54ヶ国署名、40ヶ国批准
    中央アジア非核兵器地帯条約(セメイ条約)
      発 効:2009年
      加盟国:5ヶ国
    モンゴル非核兵器地位
      1998年 国連総会で一国の非核兵器地位を全会一致決議
    南極条約
      発 効:1961年
      加盟国:5核保有国をふくむ53ヶ国 

    非核兵器地帯条約に批准加盟している国は100ヶ国以上であり、長期的視点に立てばその流れを止めることはできないでしょう。
    現在、北朝鮮の核の脅威について、どういうわけか、北の独裁者の心変わりなのか、進展の可能性を示しております。今まで何度も裏切られ、裏切りの系譜を脈々と受け継いでいる国家ですので、簡単に信じることはできませんが、恒久的な核廃棄へのプロセスを確認できるほど対話が進められることを切に望みます。
    また9日の報道によれば、米朝の首脳会談が実現しそうです。驚くべきスピードで情勢が進んでいますが、もしも順調に非核化への道筋を決めることができればトランプ大統領にノーベル賞という話も出てくるかもしれません。劇的に世界を変える力を持つのは、やはり政治家ということなのでしょうか。
    池田先生が公明党を手放せない理由が分かるような気がしますが、信仰の目的は、人間内面の変革を重視し、無限の智慧の可能性に目覚めるものですので、世俗的な栄誉を望むのは宗教家らしくないとも言えますが、政治的影響力を保持したい欲求があるのでしょう。私的な宗教的動機を公的な政治的目標に置換して、権力と宗教の一体化を、無意識のうちに合理化しているのかもしれない。「政治と宗教」という著作もありましたね。政治への興味は強くあったようです。しかし、自分のための報奨を求めるのではなく、常に利他を重んじる心がなければ信仰ではありません。

    第38回・SGI提言(2013.1.26)では、戸田先生の「原水爆禁止宣言」に言及した後、北東アジア非核兵器地帯について論じています。この北東アジア非核兵器地帯のアイデアは、オリンピックを契機に対話の方向に進展した北朝鮮と韓国の非核へ向けた行動に表れています。国連という国際的な交渉の場で信頼を得ることができるのか、今後、北の独裁者の本当の知性が試されることでしょう。誠実でなければ瞬く間に最悪の関係に逆戻りする。
    『核兵器についても、広島や長崎の人々が自らの被爆体験を踏まえ、「どの国も核攻撃の対象にしてはならない」「どの国も核攻撃に踏み切らせてはならない」との二重の誓いをメッセージとして発信してきたように、核兵器による惨劇をなくす挑戦の最前線に日本が立つことを望みたい。
    具体的には、日本が「核兵器に依存しない安全保障」に舵を切る意思を明確にし、「地域の緊張緩和」と「核兵器の役割縮小」の流れを自ら先んじてつくり出していく。そして、北東アジアに「非核兵器地帯」を設置するための信頼醸成に努める中で、グローバルな核廃絶の実現に向けての環境づくりに貢献すべきであると思うのです』

    この北東アジア非核兵器地帯条約について、「核兵器と原発」から詳しく引用すれば、次のような重要な視点と提案を知ることができます。以前からその構想は認識されており、核兵器が悪の烙印を押されたことから、核兵器所持の罪悪感をさらに高めていきたいものですが、市民意識の向上と連携が大きな鍵をにぎることになるでしょう。SGIが国連の現場で行っている啓発のための展示や諸行事は地道な足どりですが、重要な意味を持っています。
    特に若者への啓発と啓蒙は運動の継続のためにも重要です。でも創価の青年部員の問題意識は高いのでしょうか? 宗門批判ばかりしてないで世界に目を向けたら、生き方も、信仰の取り組み方も、公明党支援や政治への意識も変わっていくことでしょう。
    『「核の傘」に依存する日本は、核兵器禁止条約の交渉に参加しないままに終わった。その理由に挙げられたのが、現在の北東アジアの緊張関係、特に北朝鮮の核の脅威である。(中略)
    このままでは、北朝鮮の核・ミサイル開発は止まりそうにない。北朝鮮の核開発は、基本的には米国の脅威に対抗しているので、米国の脅威がなくならない限り、核開発は止まらないだろう。したがって、北朝鮮問題を解決するには、核問題だけでなく、地域の安全保障全体を考えなければいけない』
    その一つの提案として「北東アジア非核兵器地帯設立への包括的アプローチ」です。
    その実現プロセスは
    『まず非核保有国として、日本と韓国、そして核を放棄した北朝鮮(必ずしも今すぐ核廃棄する必要はなく、核兵器解体のプロセスを検証するしくみを作る)の3ヶ国に対し、米国、ロシア、中国の3核保有国が「消極的安全保証」を約束する。
    また、米国は北朝鮮に対して、「朝鮮戦争の終結」と「軍事的脅威を与えない」約束をする。さらに、核問題以外の地域の安全保障問題を議論する「北東アジア安全保障協議会」のような機関を常設する。このほかに、エネルギーや宇宙技術へのアクセスも保証することで、参加への動機づけを増やす。これが「包括的アプローチ」と呼ばれるものである』

    実現への課題は多く、具体的成果を得ることは不可能な状況に悲観的になりますが、南半球をほとんどカバーする現在締結されている非核兵器地帯条約は、不可能な交渉から始まったことを忘れてはならないでしょう。
    もし北東アジア非核兵器地帯条約が成立すれば、アメリカの核の傘への依存は必要がなくなり、日本も日本独自の核廃絶に向けた外交を展開することもできるでしょう。

    また日本は、核兵器の脅威と同時に拉致被害の解決なくして、北朝鮮との和解は難しいと思います。人道的見地、人権の回復は平和問題と大きくリンクしています。拉致被害者への国民の同情は、とても切実なものですが、それは家族が理不尽に引き裂かれる苦しみを他人事と思えないからです。拉致当時、まだ中学生だった横田めぐみさんの可愛らしい写真などが報道され、幼い少女はどんな恐怖をおぼえたのか。わたしは泣き叫ぶイメージが浮かび、身震いするほど辛くなり、憤りが収まることはありません。そんな北朝鮮の非道を簡単に許すことができないというのが国民感情と思いますが、問題を解決し、少しでも拉致被害者を癒すことができるなら、核問題も解決の兆しが見えてくるかもしれません。このような悲惨な問題は過去にも多くありましたが、不幸は当事者にとって唯一ものであるということを忘れてはならないでしょう。苦しみは最終的に個人的なものであり、その解決と支援には同苦の精神が必要です。 

    ハンナ・アーレントの「他者を圧倒する自由意志」について、理解しにくい言い回しがありますが、そもそも、生命それ自体に具わる自由自在な境涯としての輝きと、思想としての自由の違いを考察しなければなりませんが、圧倒的自由意志という意味のなかに、人間の悪の側面、負の断片が具わるという人間不信が影を落としているような気がしないでもない。核は圧倒的軍備であり、その残酷な軍備拡張は国民の自由意志によって支えられていることは言うまでもありません。戦争をすれば人間の命が失われるだけでなく、国家経済の破綻の危機も受け入れなければなりません。非生産的な兵器の拡大は、経済を圧迫することはいちいち説明しなくても分かるでしょうから、安全保障という観点から、広域の非核兵器地帯の設定は、経済的にも有効ということになります。
    北朝鮮との対話の機運が高まるなかで、読売新聞の解説ページには『朝鮮半島情勢「最悪のシナリオ」は』と題して専門家の意見が載っておりました。
    『米国や日本は、北朝鮮に対し、「完全かつ検証可能で不可逆的な」非核化を求める方針を堅持している。経済制裁の国際包囲網を強め、非核化実現へ最大限の圧力を維持していく構えだ。韓国や中国などとの連携も引き続き重要だ。
    ただ、圧力には限界がある。このままいけば、近い将来、核ミサイルで周辺国を威嚇する北朝鮮とこの地域で同居する現実に、日本は直面せざるを得ない。
    日本はどうすべきか。岡本氏(岡本行夫氏)は、「米国と組み、圧倒的な報復能力を備えるしかない。北朝鮮に核ミサイルを使わせない能力が必要だ」と述べ、敵基地攻撃能力の保有も検討すべきだと指摘する』


    「圧倒的報復能力」とはまさに、戦争を前提とした選択の余地がない軍事力。「他者を圧倒する自由意志」の登場に、旧来の核の傘への依存神話の呪縛はなかなかとけないように思います。過去にあった北朝鮮の、ギャグコントのような騙しのテクニックに、子犬のように引っかかるトラウマを思い出すのでしょう。今度騙されたら、トランプはジョーカー札を切るに違いありません。でもそうなれば、ただ事ではすまないでしょう。
    世界の危機は常にあります。今月に入り大統領選をまえにして、ロシアのプーチン大統領もアメリカに対し敵意をむき出しにしました。
    欧州や韓国で進むミサイル防衛(MD)配備に対抗して、MDでの迎撃が困難な大陸間弾道ミサイル(ICBM)など、新型の戦略兵器開発に成功したことを強調しました。アメリカもすぐに反応し、国務省は記者会見で不快感を示しました。
    ロシア国民も独裁者に慣れているのか、プーチンの支持率は高いようです。しばらくプーチン時代は続くものと思われます。プーチンは謀略的体質を意識的に引きずり、政治的な敵対者を暗殺する闇のネットワークを握っている可能性があります。ロシアという凍てついた大地の権力者は、動物的狂暴さと腹黒さがなければおさまらないのかもしれない。北方領土返還もほとんど無理なように感じる。日本の政治家は四島一括返還にこだわりますが、何でもきれい好きな清潔さを信条とする国民性は、このような交渉事にも駆け引きの明瞭さを求めるようです。相手は恫喝や脅迫、威嚇を常套手段にして百戦錬磨の外交を得意としているのに、日本の政治家は自分の非力を自覚していない。
    このロシアと同じような新型ミサイル兵器について、防衛省の防衛研究所は中国の安全保障レポートを発表しており、多弾頭型のICBMの配備が始まれば、中国側の先制攻撃でアメリカのICBMを破壊できる体制が整うと分析しています。
    ロシアも中国も北朝鮮も、独裁者の支配国といってもよいでしょう。国家主席の任期撤廃を受けて習近平の神格化が始まろうとしています。共産主義者はなぜ神を否定しながら、自ら神化することに邁進するのか、わたしには理解不能です。米中露による三つどもえの新たな冷戦構造ができあがりつつあります。
    世界の混乱は激しくなることはあっても治まることはありません。創価の地道な戦いは、当然なこと先生の構想実現のために行動を起こすものです。SGIは核兵器禁止条約の早期発効と普遍化の促進を目指し、「核兵器廃絶への民衆行動の10年」キャンペーンの推進を表明していますが、早期発効と普遍化というテーマは広く認められているものです。
    多くの市民努力に立脚した永続的な運動として継続していかなければなりませんが、日本においては、青年部の取り組みが創価内の狭い範囲に限定されやすいことなど、課題が多くあります。傑出したリーダーの不足、人材欠乏の淋しい現状があり、世界宗教と自慢する根拠も失いつつあります。まず、年寄り会長から交代すべきでしょう。

    なぜ先生は自分の業績をアピールすることを、何度も繰り返すのでしょう。冷戦時代のソ連と中国の間に立って、国家的危機を回避した功績とパフォーマンスを強調したいのでしょうか。何度も聞きましたよね。もう少し謙譲であっていただきたいと思うのですが、勝ち負けばかり気にする創価では、慎み深さは必要ないのかもしれません。創価の記念日も、そのレジェンドぶりが神聖な物語のように繰り返されますが、飽きませんか? 人間の一生の華やかな面ばかり強調して、誰にもある負の結末をすっかり消し去っています。勝ち負けの基準では自然とそうなるのです。

    また日本政府に対して、核兵器禁止条約への参加の先頭に立つべきと提言しています。本年4月からNPT再検討会議の準備委員会が行われ、核軍縮に関するハイレベル会合が5月に開催されることをふまえて
    『その意味で、唯一の戦争被爆国である日本が、次回のNPT再検討会議に向けて核軍縮の機運を高める旗振り役になるとともに、ハイレベル会合を機に核依存国の先頭に立つ形で、核兵器禁止条約への参加を検討する意思表明を行うことを強く望むものです』
    公明党の議員さん、大事なところですので、無視しないでくださいね。創立者が懇願しているのですから本気を出すときではないでしょうか。公明党が与党になってから、貧富の格差が広がりました。特に、年金100年安心プランと消費税増税を主導しましたが、政治家の見通しの甘さによって、じわじわと社会保険を含む公的税負担が増加の傾向を示しています。支持者や党員の方々は、ほとんど何も考えないので無頓着ですが、それもやがて生活が困窮逼迫すれば、会員からの支持も失うことでしょう。衆院選で票を減らしたこと、必ず理由があるのですよ。憲法改正の前に、核兵器禁止条約参加のルートを確保してください。北朝鮮の対話路線も見えてきました。今が最大のチャンスですが、国会は森友問題で明け暮れていますね。政権の末期症状に引き込まれないことを祈ります。
    会員の皆さまは口を開けば師弟不二と興奮しながら絶叫しますが、残念なことにSGI提言は読んでいません。読んでいても考えません。幹部になればなるほど忙しくて読めませんので、先生がいくら訴えても、薄情な弟子は知らん振り。それとも、核禁止条約への強いアピールも適当なポーズなのかしら。整合性が問われていますもんね。師弟がいかに形ばかりのものか、そのいい加減さに、わたしはうんざりです。


    息をすることは生きているということ。生存の権利を認めることが平和の基本。


    Breathe (Extended RMX)
    Two Steps From Hell & GRV Music





    ◇◇◇


    最近、聖教の体験記事に末期ガン患者の独白のような記事が掲載されておりました。そのなかで、仮にガンで逝ったら、負けなのか、という言葉がありました。死因のトップがガンの時代に、また病気で死ぬことがなぜ負けなのか。簡単に勝ち負けの基準を持ち出す癖がついているのです。この方は、わたしなどよりずっと信心の先輩でいらっしゃいますが、宿命転換について、長い信仰生活の間にどのように考えられたのか疑問に思います。トインビー博士はバランスシートと表現しましたが、その対照表は人体という生命のどこにあるのでしょうか。そして貸借を宿命というのなら、どのようにして生命に刻まれるのでしょうか。万人が納得する科学的検証が必要なのです。それが普遍妥当性ということです。
    考えないで漠然と生きるのも自由ですし、自暴自棄になるのも自由ですし、願兼於業と考えて自らを鼓舞するのも強制されるものではありません。いくら親しくても他者であるかぎり深く内面に立ち入ることはできません。それでも、会員であれば自らの慈悲心を強く掲揚しつつ、心からの励ましと行動で事態の変革に努力し、とても重要な責任を果たしてきたのではないでしょうか。末期ガンであっても誇れる自分がいます。他者を大切に考え行動してきた自分がいます。死は苦痛があっても苦しみではありません。
    目覚めてから寝るまで、勝ち負けの評価基準が頭をよぎるのが、会員に染みついた生活習慣。生きるということは結末よりもその過程が大切なのであり、結果に捉われるのは本果妙の生き方。信仰に生き抜いてきたその確信こそ誇れるものです。
    人間は永遠に生きることはできません。いつか必ず死の瞬間を迎えるからこそ、人間主義は貴く、気高く、価値があるのです。でもいつも勝ち負けのご指導をする池田先生も、今は闘病されていると思いますが、ときどき聖教に掲載される写真では生気が感じられません。ただの老いの姿とは思えませんが、会員の前に明快にすることを避けているようです。昔のことは微に入り細に入り語り尽くされておりますが、年をとると隠したい衝動にかられるようです。老いを嫌悪しているのでしょうか。かつてのご指導は全部自分に返ってきます。本末究竟等ということは、平たく言い換えれば一貫性ということです。

    第38回・SGI提言(2013.1.26)に紹介された釈尊の逸話を引用します。
    『他の人々の老いや病気を忌み嫌う心
    時代状況は異なりますが、仏法の成立にあたって、その出発点に横たわっていたのも、“さまざまな苦しみに直面する人々に、どう向き合えばよいのか”とのテーマでした。
    何不自由のない生活が約束された王族に生まれた釈尊が、若き日に出家を決意するまでの心境の変化は、四門出遊の伝承に凝縮した形で描かれています。しかし釈尊の本意は、生老病死を人生に伴う根本苦として、無常をはかなむことにはなかった。
    釈尊は後に当時の心境について、「愚かな凡夫は、自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している――自分のことを看過して」との思いがよぎり、病や死に対しても人々が同じ受け止め方をしていることを感じざるを得なかったと回想しています(中村元『ゴータマ・ブッダI』、『中村元選集[決定版]第11巻』所収、春秋社)。
    あくまで釈尊の眼差しは、老いや病に直面した人々を――それがやがて自分にも訪れることを看過して――忌むべきものと差別してしまう“心の驕り”に向けられていたのです。
    であればこそ釈尊は、周囲から見放された高齢の人や、独りで病気に苦しんでいる人を見ると、放っておくことができなかった。
    それを物語る逸話が残っています。
     ――一人の修行僧が病を患い、伏せっていた。
    その姿を目にした釈尊が「汝はどうして苦しんでいるのか。汝はどうして一人で居るのか」と尋ねると、彼は答えた。「私は生まれつき怠けもので、[他人を]看病するに耐えられませんでした。それで今、病気にかかっても看病してくれる人がありません」
    それで釈尊は「善男子よ。私が今、汝を看よう」と述べ、汚れていた敷物を取り換えただけでなく、彼の体を自ら洗い、新しい衣にも着替えさせた。
    その上で釈尊は、「自ら勤め励みなさい」との言葉をかけ、修行僧は心も身も喜びにあふれた、と(玄奘『大唐西域記』水谷真成訳、『中国古典文学大系22』所収、平凡社)。
    思いもよらない献身的な介護もさることながら、釈尊が他の健康な弟子たちにかけるのと何ら変わらない言葉を自分にもかけてくれたことが、尽きかけようとしていた彼の生命に“尊厳の灯火”を再び燃え立たせたに違いないと、私には思えてなりません。
    その上で、この逸話を、他の経典における伝承と照らし合わせると、もう一つの釈尊の思いが浮かび上がってきます。
     ――釈尊は、修行僧の介護をした後、弟子たちを集めて、次々と尋ね聞いた。その結果、修行僧が重病に苦しんできたことも、どんな病気を患っていたかも、弟子たちが以前から承知していたことを知った。
    にもかかわらず、誰一人として手を差し伸べようとしなかったのはなぜか。
    弟子たちから返ってきた答えは、修行僧が病床で語っていた言葉の鏡写しともいうべき、「彼が他の修行僧のために何もしてこなかったので、自分たちも看護しなかった」との言葉だった(「律蔵大品」から趣意)。
    この答えは、現代的に表現すれば、「日頃の行いが悪いから」「本人の努力が足りないから」といった自己責任論に通じる論理といえましょう。それが、修行僧にとっては運命論を甘受する“あきらめ”となって心を萎えさせ、他の弟子たちにとっては傍観視を正当化する“驕り”となって心を曇らせていた。
    そこで釈尊が、弟子たちの心の曇りを晴らすべく、気づきを促すように説いたのが、「われに仕えようと思う者は、病者を看護せよ」(前掲『ゴータマ・ブッダI』)との言葉でした。
    つまり、仏道を行じるとはほかでもない。目の前で苦しんでいる人、困っている人たちに寄り添い、わが事のように心を震わせ、苦楽を共にしようとする生き方にこそある、と。
    ここで留意すべきは、そうした過程で尊厳の輝きを取り戻すのは、苦しみに直面してきた人だけでなく、その苦しみを共にしようとする人も同時に含まれているという点です。
    生命は尊厳であるといっても、ひとりでに輝くものではない。こうした関わり合いの中で、他者の生命は真に“かけがえのないもの”として立ち現れ、それをどこまでも守り支えたいと願う心が自分自身の生命をも荘厳するのです。
    また釈尊が、先の言葉で「われ(仏)」と「病者」を等値関係に置くことで諭そうとしたのは、病気の身であろうと、老いた身であろうと、人間の生命の尊さという点において全く変わりはなく、差別はないという点でした。
    その意味から言えば、他人が病気や老いに苦しむ姿を見て、人生における敗北であるかのようにみなすことは誤りであるばかりか、互いの尊厳を貶めることにつながってしまう。
    釈尊の思想の中で「法華経」を最重視した日蓮大聖人は、「法華経」において生命尊厳の象徴として登場する宝塔の姿を通し、「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」(御書740ページ)と説きました。
    つまり、宝塔を形づくる四つの面は、生老病死に伴う苦しみを乗り越えていく姿(四つの相)をもって輝きを増すのであり、一見、マイナスでしかないように思われる老いや病、そして死さえも、人生を荘厳する糧に昇華できる、と。
    生命の尊厳といっても、現実のさまざまな苦悩を離れて本来の輝きを放つことはできず、苦悩を分かち合い、どこまでも心を尽くす中で、「自他共の幸福」への道を開く生き方を、仏法は促しているのです』


    仏教の精神、ホスピタリティーな信仰の原点を感じます。この区切りの表題に「自己責任論の驕りを打ち破った釈尊」とありますが、自己責任論を振りかざすと弱者をいじめる驕りになります。特に福祉などを扱う政治の世界では禁物ですが、自由な意志で開始する信仰は、他者への働き掛けやサポート、エンカレッジメントにいたるまで自己責任で行うものです。そのうえで、自己犠牲に等しい他者の苦痛を和らげる努力、不幸に対する同情心を持ちながら、普遍的な慈悲心を涵養していく誠実さに、信仰目的があるのではないでしょうか。苦即楽の妙法こそ尊厳の真髄です。


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