女性と詩心

    5月3日という創価にとって象徴的な日に、聖教に、「使用済み核燃料の行方」と題するインタビューが掲載されています。「核分裂性物質に関する国際パネル」(IPFM)フランク・フォンヒッペル共同代表(プリンストン大学教授)ですが、どのような組織なのか、わたしは定かでありません。プロフィールも記載されておりますが、ホワイトハウスでも仕事をしていたようです。良心的科学者です。
    北朝鮮の核放棄の交渉も現実的になり、核への関心も強まっていると考えておりますが、原発の使用済み核燃料の再処理によって増え続けるプルトニウムは、核兵器の原料になることは前回の記事で書いたとおりです。核燃料や放射能が単に健康を害するというような問題ではなく、国土を半永久的に汚染し生存の権利に影響を及ぼしかねない重大性を、わたしたちは経験したのではないでしょうか。これは他者の問題でなく、自分や家族、その子孫にまでリスクを背負う、現在の最重要の未解決問題なのです。
    また核兵器の脅威と非人道性をアピールし認識していながら、なぜ核の傘の依存を拒絶できないのか、特に日本は唯一の被爆国なのに、国際的な場で核禁止への問題解決に主導できないのか。未曾有の災害と被害を経験したわりには、国民の意識が低いのではないでしょうか。

    (分離プルトニウムの保有量)
    軍事用(トン)非軍事用(トン)
    ロシア   94.00   89.40
    米国   38.30   49.30
    フランス    6.00   63.40
    中国    1.80    0.03
    英国    3.20  106.20
    イスラエル    0.88
    パキスタン    0.22
    インド    6.19    0.40
    北朝鮮    0.03
    日本     47.90
    ドイツ    1.80
    その他の国      2.40
    合 計  150.60   360.80

    軍事用とは核兵器内にあるか、核兵器に使用する目的の分離プルトニウム、及び将来に軍事利用の余地を残したまま貯蔵している分離プルトニウム。
    非軍事用とは、民生用原子炉の使用済み燃料から分離したプルトニウム、及び兵器用としては余剰と公表されたプルトニウムのこと。
    日本は、国内に10.8トン、国外37.1トン(英国20.9トン,フランス16.2トン)。六ケ所村の大規模再処理工場(ウラン800トン/年)が運転許認可申請中。
    長崎大学核兵器廃絶研究センターのHPには、次のような解説がある。
    『濃縮度20%以上のHEU(高濃縮ウラン)とプルトニウム(Pu)は、直接兵器に利用可能であるので、「兵器利用可能物質(Weapons Usable Material: WUM)」または「機微な核物質(sensitive material)」と呼ばれ、特別の防護・管理体制が必要である。IAEA(国際原子力機関)はウラン235が25キログラム、あるいはプルトニウムが8キログラムあれば核爆発装置が作成可能と考えている。
     最初の原子爆弾である広島原爆には64キログラムの高濃縮ウランが、長崎原爆には6キログラムのプルトニウムが含まれていたと推定される』

    単純に、日本のプルトニウム保有量から核爆弾の数を推定すれば、
    47900(kg)÷6=7983.3
    長崎級の製造可能な原爆数は恐ろしい数になります。このプルトニウムは核抑止力として保有していると見ることもできます。こういう事態を、異常と感じるか、正常の範囲と考えるか、それぞれの感性ですが、わたしは数年前に見たビデオ、黒澤明監督の「生きものの記録」を思い出します。核への不感症が正常なのか、恐怖を感じるのが狂気なのか、わからなくなってきます。これは、環境に適応するとか、順応するとかという問題ではないと思いますが、核保有国が日本周辺に存在することの重大性を、また平和を脅かすクライシスを見つめなければならないでしょう。他者への共感性を喪失し、攻撃的な自己防衛の姿を異常と思わないところに、仏教が説く末法の悲劇性があります。不信とエゴイズムに支配されているのです。恐怖が日常茶飯事となり、生命軽視の深刻さを増しています。平和を望みながら武力を準備するダブル・スタンダードに気づかなければならないでしょう。
    なお、「生きものの記録」は興行失敗に終わり、黒澤作品のなかで唯一の赤字作品だったそうですが、わたしは名作と確信します。三船敏郎の名演技が心に残ります。
    (長崎大学核兵器廃絶研究センター)http://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/recna/

    長崎大学核兵器廃絶研究センターでは、「北東アジア非核兵器地帯設立への包括的アプローチ」と題して提言が掲載されております。長文ですが、NPT再検討会議に関心がある方なら必読です。北朝鮮の核放棄への米朝の交渉が迫っておりますが、日朝韓、さらに中国や東アジアに参加を呼びかける非核地帯への選択が最善と思います。でも、柔軟な外交力と不屈の精神を堅持した交渉人が必要ですね。政府と公明党が主導する間に合わせの「賢人会議」では、国際的な影響力も実行力も駆使できません。

    生活に忙殺されて、このような諸問題に対し、知らず知らずのうちに無関心になってしまいます。仏教徒であることを自覚し、信仰の必要性を主張して、人間主義の普遍性を実行する意志はありますが、妙法の万能主義に懐疑的な思いを抱くような非力と弱さを、わたしは感じてしまいます。創価は国内において、会員のパブリックな挑戦を軽視しているように思います。信仰は個人的な利益優先の偏頗な思想なのでしょうか。むしろ、実践的知的リーダーがいないと言えば適切かもしれません。創価の役職というヒエラルキーが、責任職と言いながら、自発的な喜びが希薄になりつつあるのではないでしょうか。従属的拘束という信仰のトラウマを感じ、組織のあいだで問題を抱えているわたしが言うことではないですね。
    同じ3日の聖教での体験記事に深い感慨を抱きました。母子の強さは祈りの賜物と思いました。盲目と病のハンデを背負いながら、誰よりも心は開目であるという、信仰のエッセンスを体現しているようです。「女性は太陽」という変わらない真理と称賛を、笑顔のなかに感じられ、命をいたわり、強く抱擁したいと思うほどの、幸と喜びに恵まれることを祈らずにいられません。父(母)子一体の成仏は、母子一体の菩薩のことです。
    苦しんだり、悩まない菩薩はいませんが、問題があるのに関心を持たず、考えることもせず、組織のドグマを信仰と思い込んでいる信仰者は、菩薩とは言いません。こういう本当のことを遠慮なく言うものだから、わたしは嫌われるんですね。

    きょう(4日)の聖教には、サーラ・ワイダー博士へのインタビューが掲載されておりました。以前、対談集(「母への讃歌」潮出版社)を出版され、とても女性らしい視点から語る、暖かい慈愛に満ちた対話がありました。今回のインタビューで印象に残ったのは、次のようなところです。
    『初めて女性学の講座を教えた時、古の哲学者から近現代の平和指導者まで、世界の"偉人"と呼ばれる人物の言葉にも、女性を軽視する表現が含まれていたのです。
    いずれの時代、いずこの場所も、この蔑視の風潮と無縁ではありません。
    現代にあっては、世界各地の女性が、ラディカル(radical)な抵抗と主張に立ち上がるべきであると、私は考えます』

    ワイダー博士の指摘もあるように、ラディカルには根源的というような意味も包摂されていることから、共に生きる意味と連帯を問いかけています。博士からは急進的過激さの有様は消滅しているようです。優しいこと、柔軟でやわらかな思考、すべてを受け入れる多様性を認める強さが女性にはあるでしょう。地道な草の根運動は根気も必要ですが、なにより目的の明示と持続という挫けない精神が、実現への大きなエネルギーになるものと思います。力を誇示したり、数を競ったり、暗黙のうちに見返りを期待したり、他者への同情を欠き本質へのアプローチを見失いがちな急進主義こそ、女性が最も嫌う思想です。感情的な見方や意見に陥りがちな女性の特質を考えると、一般に「鳥の視座」と言われる客観性、つまりは普遍性を強調する信仰を保持している幸福を十分考えなければならない。信仰から、社会の不正義と不合理を俯瞰する賢明さを養っているのです。

    詩心をテーマにした対談のなかで、特に詩人について語った部分を引用させていただきます。
    『ホイットマンが愛した”草”のイメージは教訓に満ちていて、私たちを元気づけてくれます。
    草は世界中のどこにでも育ちます。砂漠でも、平野でも、湿地やツンドラの地でも――。ホイットマンは、草がいかにありふれたものかを知っていました。しかもそれは、なんと強靭なことか。”草の葉”は一つ一つが別々ですが、それらは入り組んだ根っこでつながり、根が葉に生命を与えて、成長を可能にしているのです。草は大地から生い立ちますが、その大地は、あらゆるものに触れ、あらゆるものから触れられるのです。
    ホイットマンは、こうした比喩を通して、注意深く一つ一つの”草の葉”をしっかり見つめながら、同時に根本では、すべての他者と、また世界そのものと相互につながっている――そう感じ取るようにと私たちに促しているのです』

    『エマソンは、詩人について語るとき、彼らを「自由解放の神々」と呼びました。これは、私のとても好きなフレーズです。
    まず、最後の言葉に注目してください。詩人を「神々」と呼ぶとは、どういうことなのでしょうか? 人間に全能の資質を付与しているようで、危険に聞こえます。しかし、エマソンのいう「神」の意味がわかれば、別の可能性が見えてきます。つまり、詩人とは、極めて創造的な力を体現するものであり、しかもそれは一人の孤立した個人ではなく、すべてを一つに結びつける”オーバーソウル”(宇宙の生命の根源をなす「大霊」)の、より大きな発露としての創造の力を体現しているのです。
    次に、「自由解放」という言葉に注目すると、詩人とは何をするものかがわかります。詩人は、人びとを「自由」にするのです。そうすることで、詩人は私たちの中でそれぞれ異なった現れ方をする”創造的な力”を表現することができるのです。
    あらゆる健全な社会にとって、詩人は必要欠くべからざる存在であると、私は思います。詩人は人間が秘めている創造的な力を輝かせ続けるだけでなく、さまざまな形での多彩な表出をも促してくれるのです。もしも、詩人を沈黙させるなら、それは私たち人類全体を沈黙させることになるでしょう』


    日常の雑多な瑣事と家事をテキパキと手慣れた熟練さでこなし、現実の問題を片付け、家族を鼓舞し、桜梅桃李の原理を十分に理解しながら、個性を発揮し、多様性の尊重と差異を認める女性ならではの慈しみが、これから最も必要とされる行動なのではないでしょうか。そして、その求心力と影響力が、創造性と詩心が凝縮された、理想のオーバーソウルなのではないでしょうか。
    人間生命の砂漠は、いつも渇ききっています。しかし、優しき魂の詩の世界は、やがて内なる精神の変革を成し遂げ、母のように豊かに、砂漠を平和の緑野に変えていくでしょう。詩心とは、旅する美しい心のロマンです。

    Journey (Ready To Fly)
    Natasha Blume





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