中国宗教白書 2

    創価には現証第一主義という会員が多いと感じておりますが、もともと現世利益と、罰論に代表される不利益を強調する商売のような損得勘定の考え方を、宗教に持ち込むことの弊害があるように思います。日蓮が三証を宗教批判の最初の項目に加えたのは、宗教の論理的帰結であり、わかりやすい宗教理解のための体系の入り口のような位置づけです。何事も理解するためには手順が大切で、一つのメソッドとも言えます。
    現証は確かに重要ですので否定するつもりはありません。でも祈りがあるから宗教だというのと同じで、現証があるから正しいと結論するのも尚早と思います。田舎の道筋に佇むお地蔵さまを拝み、悩みや病気が解決したと信じている人に、それは本当の功徳ではないなどと言っても誰が納得するでしょうか。これに似た功徳体験は宗教と名のるものには必ずあり、創価だけ功徳があるわけではありません。宗教の目的をよく考えてみなければなりません。釈尊は苦行ではなくて、智慧によって解脱しました。また日蓮は、以信代慧と強調しましたが、信による智慧が覚者へ導くのです。信は必然的に行学に展開するものです。六根清浄も智慧の一部でしょう。また会員が強調する福運も広く深い智慧の構成要素でしょう。まず福運とは何かという命題から考えなければならないからです。もちろん経験則から自然と確信へいたる信仰者の喜びも、智慧の明晰な深化を表すものです。残念ですが、日蓮の論理に上書きして、日蓮のうえに位置するように書き換えられたのが創価の論理です。

    日本は仏教国ですが、アジアの小乗仏教の敬虔さは失われているようです。また、仏教以前の八百万の神々は、日本人の国民性と言えるほど、生活習慣と心理に深く定着していると思います。どのようなものにも神の存在を認め、やがて神は尊厳となり、寛容精神の基調になったと考えます。共同体としての適度な貞節と気遣いもあり、日本人は幸せな民族です。
    この記事のテーマである中国の宗教事情と民族性、政治と宗教の関係は単純ではありません。漢民族の一つのルーツは、道教にあると考えるのが妥当ですが、最近は、儒教社会主義という儒教と共産主義の合体を推進しております。
    儒教には、神や仏のような信仰対象がありません。生活倫理、礼儀や礼節といった社会規範、道徳といってもよいでしょう。漢民族の精神性を構成する重要な要素ですが、宗教ではありません。文化大革命の時代には批林批孔運動として、毛沢東の暗殺計画をした林彪と、儒教が封建制の象徴のように批判を受けましたが、近年になり教育理論・道徳倫理として再評価されました。優れた文化、貴重な古典としての重要性を認識したのでしょう。最近では、孔子学院、孔子平和賞など、孔子の名前が浸透しているようです。孔子学院は明確なプロバガンダ組織ですが、お金をちらつかせて教育機関を設立するという悪どさ。国際的な視野での教育の中国化の浸透をはかる企みです。初の留学生を受け入れた創価大学にないのが不思議です。また創立者が、ノーベル賞に対抗して作られた孔子平和賞を授賞しないのは奇妙なことと思わないですか、師弟不二の会員さま方! 平和に貢献した偉人を忘れているのではないでしょうか。
    「新・人間革命」誓願三十七(5月9日)では、会談した識者、各国首脳の氏名をリストアップし親しさをアピールしておられます。人生の総決算にふさわしい総括ですが、何がどう改善したのか、その結果も列記していただきたかったですね。大金を使った偉大な外交戦のレジメです。信仰者の戦野は世界ですが、青年部も著しく減少し、後に続く人間がいるのでしょうか、心配になります。

    道教は、土着の民間信仰の集大成です。この道教の特色は、多くの宗教が死や死後を問題にするのに対して、現世にこだわり利益追求に執着していることです。「錬丹術」は、この道教の宗教観をもっともよく表す言葉です。現世利益のなかで最高の利益は何かと言えば、不老不死の成就です。富が集中する権力者の悲願を実現するものとして成熟しましたが、生物の法則から逸脱しています。
    『煉丹術は中国古代の神仙思想より発展した道教の長生術の一部をなす。広義の煉丹術は外丹と内丹に分かれるが、学術的文脈においては煉丹術といえば一般に「外丹」のほうを指す。外丹においては丹砂(硫化水銀)を主原料とする「神丹」「金丹」「大丹」「還丹」などと称される丹薬や、金を液状にした「金液」が服用された。このようなものは実際のところ人体に有害であり、唐の皇帝が何人も丹薬の害によって命を落としたことが「旧唐書」「新唐書」に記されている』(「錬丹術」Wikipedia)
    不老不死を求めて、少なくとも5人の皇帝が早死したということですが、秦の始皇帝も有名ですよね。始皇帝も錬丹術で死期を早めました。現代では毛沢東が不老不死を求めました。
    権力者は、現世への執着が激しいようです。毛沢東の私生活を暴露した、スキャンダラスなノンフィクション「毛沢東の私生活」(文春文庫)には、人間離れした精力絶倫の姿が描かれています。その精力こそ、不老不死への飽くなき渇望と言えますが、革命を成し遂げた原動力でもありました。
    この共産革命は多大な犠牲を強いた。反革命分子として処刑されたのが87万人、「大躍進」政策による餓死者2215万人、「文化大革命」では13万人が処刑され、異常死が172万人。そのような悲惨な犠牲が重なるなかでも、毎夜のように若い娘とベッドをともにし、乱交パーティーを開きました。
    著者の李志綏(リチスイ)は、20年以上の長い間、侍医(主治医)を勤め、醜悪で下品な、知ってはならない指導者のプライベートな姿に、直に接することになります。この回想録は、当然のごとく、中国では発禁処分になっております。

    毛沢東の私生活『主席は一九五三年十二月に六十歳を迎えており、私がその二年後に主治医になったとき、自分の性的活動が終わりに近づきつつあるのではないかと恐れていた。すでにインポテンツを経験するようになっていたし、性欲の有無を健康に結びつけたりしていた。セックスを欲するかぎり、自分は健康だというのであった。私の前任者たちは漢方の処方による催淫剤、雄鹿の角から抽出したエキスを頻繁に注射したが、インポテンツは一向にあらたまらず、毛はそれをひどく気に病んでいた』
    『もっとも、主席は鹿の角のエキス使用には固執しなかったが、インポテンツ治療と長命持続のあらたな手をみつけるよう厳命した。この点でも、ほかの多くの問題と同様、歴代皇帝のやり方を毛は踏襲したのだった。中国の伝統的な初代皇帝であり、漢民族の始祖とされる黄帝は千人の生娘とまじわることで不老不死になったと伝えられている。それ以後の皇帝たちも性交渉の相手が大勢いればいるほど長生きできると信じてきた――「後宮佳麗三千人」と相成る次第だ。中国最初の統一国家を築いた秦の始皇帝は、毛沢東がよくこの皇帝に擬せられるのだけど、不老不死の仙薬を探し求めるべく道教の方士・徐副と五百人の童男童女を海外に派したと伝えられている。その伝説によると、一行の子孫が日本人なのだそうである』


    わたしの浅はかな知識で判断しても、「英雄、色を好む」という典型例であることは疑いがない。「後宮」の意味を考えると、江戸時代の大奥もその例なのかもしれない。子孫を得るということだけでなく、権力者の長命への願いが込められていたのかもしれませんね。もちろん、男性原理の最たるものであることも間違いなく、時代や思想の区別なくジェンダーへの支配願望は強いようです。

    『そのうち、主席のインポテンツ問題がもっとも頻繁に口をついて出るようになるのは、彼がまるで先の見えない政治闘争に巻きこまれた時期だということが判明する。一九六〇年代の初期に主席の権力があらたな高みに達すると、インポテンツの苦情が消えうせた。当時、江青(4番目の妻)とのあいだは性的にもこじれていたが、しかしベッドにつれこんだ若い女たちとのあいだではなんら問題が生じなかった――毛が歴代皇帝の先例にならって寿命にあらたな年を加算しようとするにつれて、つれこむ女性の数はふえていき、その平均年齢もだんだん若くなっていった。
    毛は不老長寿の秘薬を求めつつも、自分の寿命が特段に長くなることを心から信じて疑わなかった。青年時代に二百歳まで生き、三千里の激流にさからって泳ぐと宣言した対句の意味するところを彼は確信していた』

    心配事があるとダメなんですね。江青は悪女の代表みたいな女性で、猜疑と嫉妬に心が満たされ、ヒステリー症の興奮状態で権力を掌握しようと試みたが失敗。毛沢東の死後、死刑判決を受ける。夫が狂わせたといってもよいかもしれない。毛と関係した女たちはみんな人生を狂わせていく。

    『毛沢東の女たちは大半、はじめて彼のもとへやってきた時分には無邪気な若い年頃の娘であった。何年にもわたって、私は同じ現象がくり返されるのを目にしてきた。主席のベッドにつれてこられたのち、彼女たちは堕落してしまうのであった。毛の性的欲望と彼自身の性格がこの堕落を生む一因となった。権力がもうひとつの原因だった。(中略)
    数多くの無邪気な若い娘たちが毛沢東との関係を通じて堕落するのを見てきて、江青婦人の人生も似たような途をたどってきたのではないかと感じるようになった。おそらく江青も延安ではじめて毛と結婚した時分にはほんとうに心やさしかったのかもしれない。そしておそらく毛が、江青まで堕落させてしまったのかもしれないのだ』


    毛沢東の性的趣味は男性にまでおよび、ハンサムで屈強の若い警護官にマッサージさせ愛した。バイセクシュアルな性癖は、カリスマによくある傾向ですが、この不潔な年寄りは風呂に入る習慣もなく、歯磨きもしなかった。ベッドをともにする娘や警護官に体を拭かせた。あらゆる形態のセックスに興味を持っており、道教の性の手引書「素女経」を読みつくしていた。性病が蔓延し、毛は死ぬまで自分が保菌者であるという自覚がなかった。性病など病気のうちにはいらなかった。中国では、経典とは手引書のことなんですね。

    『毛は道教が説く性的実践の信奉者になったのだけれども、これは単に快楽のためにだけセックスを追求するのではなく、寿命をのばすためでもあるという言い訳にもなった。年をとるにつれて毛が帰依した道教の説くところによれば、男は「陰水」――「陰」の液体、つまり女性の分泌物――を必要とする。おとろえていく「陽」――男性の本領、精神的、肉体的力強さ、長生きの源泉――を補強するためである。「陽」づくりは健康と活力にとって不可欠だからいたずらに浪費すべきではない。したがって性交中に男はめったに射精すべきでなく、そのかわりに、女性である相手の分泌液から活力を吸収しなければならない。「陰水」を多く吸収すればするほど、男の本領は強化されるので、いきおい頻繁な性交が必要となる。主席は、同時に何人かの若い女とベッドをともにするのがなにより楽しく、そしていちばん満足した』

    こんなスーパーリーダーの実像は、本を読んでるだけで腹立たしくなるほど不快な気分になりますが、国民の間に広まっていたイメージは、まったく正反対の作られた姿でした。
    『毛沢東はこれまで、禁欲的な簡素な生活、模範的な清貧の生活をおくったと説明されている。死後に住居が公開されたとき、着ふるした衣服類やスリッパのたぐいが、民衆との接触をうしなわないために贅沢を犠牲にした証拠として一般に展示された。毛は農民の出であり、簡素の好みがあった。どうしても避けられない場合にかぎって服を着用し、それ以外は一日の大半をベッドですごし、バスロープしか身につけず、靴下もはかなかった。服を着る際には、着ふるしの服とくたびれた布靴を着用し、いわゆる「毛沢東服」の出で立ちになった。皮靴は正式の公的行事にしかはかなかった。きちんとした服装で執務する毛沢東の写真は、演出されたものである。じつのところ、執務はベッドの中か屋内のプール・サイドで行われたのだった』
    裸でベッドのなかというのは真実ですが、いかにもリーダーらしく分別をわきまえ、理知的で、中国的価値観の包容力にあふれた人物像は意図的に粉飾されたものだったのです。

    ニューズウィーク日本版(5・15)の唐辛子という皮肉なペンネームの、米中の貿易戦争を風刺したコラムに、次のような一文がありました。
    外国企業の技術移転を強いる非公式な行政指導について、
    『表面的に承諾はするが、実際の行動は違う。「手段が正しいかどうかは別にして、結果的に正しい目的さえ達成できればよい」という中国式論理だ。西側世界の契約精神とは全く無関係。何千年もの歴史の中から生まれてきたこの生きる知恵は、中国人の間でかなり根深い』
    手段を選ばず、目的至上主義は、現世利益優先のために手段の正当性を考えない体質と同じです。道教の思想は中国人の根底的な性格になっていると考えます。毛沢東も革命という目的を達成し共産主義の神になりました。生きている間、その淫らで不道徳な生活は単なる手段に過ぎず、鄧小平がのちに改革開放政策に踏みきったとき、国民も際限がない欲望を開放しました。物とお金、宗教的精神性が失われた唯物の手段が、世界を席巻する日が近いかもしれません。法と自由がある社会にこそ、健全な発展があります。一党独裁の腐敗体質は建国のときから、その中心となった人物の腐りきった体質に由来する。人間が求める素直でありながら妥協しない、生命肯定の思想が定着することの難しさを感じてしまいます。

    「宗教はアヘン」というイデオロギーは強く生きています。
    ジャーナリストの福島香織氏の分析はとても参考になります。
    (日経ビジネス)『4月3日に行われた国務院新聞弁公室による「中国の宗教信仰の自由を保障する政策と実践白書」発表記者会見をみると、宗教の中国化が何を意味するのか比較的詳しく説明されている。これは、1997年に発表された「中国の宗教信仰の自由状況白書」に続く二冊目の宗教白書となる。中国はすでに五大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥ教)人口が2億人をこえる宗教大国となり、それに伴い、共産党による宗教管理の強化が進められることになった。

    例えば国家宗教事務局は4月から党中央統一戦線部傘下に組み入れられることになり、党中央が直接、宗教工作を指導するかっこうとなった。元国家宗教事務局副局長の陳宗栄はこの機構改革について「我が国の宗教の中国化方向を堅持し、統一戦線と宗教資源のパワーを統率して宗教と社会主義社会が相互に適応するように積極的に指導することを党の宗教基本工作方針として全面的に貫徹する」と説明した。

    党中央統一戦線部とは共産党と非共産党員との連携、チベットや台湾に対する反党勢力への工作を含めた祖国統一工作を担う部署だ。宗教事務を祖国統一工作と一本化するということは、台湾統一問題とカトリック教、チベット問題とチベット仏教、ウイグル問題とイスラム教をセットで考えるという発想でよいだろう。つまり、それぞれ宗教へのコントロール強化によって、その信者たちの思想を祖国統一へのパワーに結びつけるのが中国共産党の任務、ということだ。逆にいえば、それらの宗教をきっちりコントロールできなければ、中国は“祖国分裂”の危機に瀕する、ということである。
    “宗教の中国化”とは“宗教の中国共産党化”あるいは宗教の“社会主義化”といえるかもしれない。だが、宗教の社会主義化など、本来ありえない。宗教を否定しているのがマルクス・レーニン主義なのである。共産党の党規約によれば、共産党員は信仰をもってはいけないことになっている。宗教が社会主義化するということは、つまり宗教が宗教でなくなる、ということだ。そもそもキリスト教の人道主義と、中国の一党独裁体制の実情は相反している』


    中国が滅ぶとすれば、宗教が原因になると思う。尊敬を学ぶ宗教心が復活するとき、人間を隷属させる社会主義は、その素姓の悪さから終焉のときを迎えることだろう。中国共産党に奉仕する宗教とは、どんなに無力で非人間的で凡庸な宗教なのだろうか。
    明らかになっているデータによれば、キリスト教徒は一億三千万人、将来世界最大のキリスト教国になると予測されております。イスラム教徒は一千万人を越えています。中国政府は膨大な数を恐れて弾圧を強めています。
    また、抑圧的な宗教政策、民族政策の失敗により、暴動が頻繁に起こっています。新疆ウイグル自冶区では、イスラム教徒による反政府運動が盛んです。ウイグル人は中央アジアに広がるトルコ部族の一部と考えられており、連帯意識が非常に強い。聖地メッカへの巡礼は制限されておりますが、観光名目で東南アジアに出国後、メッカに向かう巡礼者が増加し、公認の数倍に達すると言われております。メッカで教えに接すると、中国での中国化されたイスラムの教えと違うために疑問を持ち、反共運動に変化することを恐れています。
    チベット仏教については、その弾圧の激しさはよく知られたところです。中国政府のコントロールできない文化や宗教には、異常な恐怖心があるようです。過去にキリスト教系の新興宗教による太平天国の乱(1851年)が起きました。またウイグル周辺を中心に大規模な「西北ムスリム大反乱」(1862~77年)が起きました。有名な「義和団の乱」(1899年)もキリスト教に関係しています。清朝の時代ですが、多民族・多文化国家でありながら、漢民族文化への傾倒が行き過ぎて寛容性を失い、特に宗教に対して不信と弾圧で臨みました。
    1999年に「法輪功」が合法化を求めて中南海を包囲。座り込みをした信者1万人と言われておりますが、活動が禁じられて弾圧を受けました。現在の社会主義国家も漢民族国家ですが、漢民族に共通する宗教観は時代が変わっても同じです。中国に都合のよい宗教は、「中国化した宗教」です。「愛国愛教」という官製のスローガンが示すように、宗教のうえに国があり、国を愛せない宗教は弾圧の対象になります。キリスト教においては、現在非公認の地下教会があり、団結も強く、信者と政府の対立は先鋭化しています。バチカンと問題も抱えており、解決へ向けて交渉が行われているようですが、台湾との国交断絶という事態に発展するかもしれません。バチカンも、中国内の信者を無視できないことから、苦しい立場にあります。民主主義国家を捨てるべきではないとわたしは強く思います。([参考]平和外交研究所・中国とバチカンの妥協―台湾への締め付け強化)

    中国本土には創価の会員はいないことになっておりますが、グローバルな交流があたりまえになっている現在、いつまでそのような原則が維持されるのか、不確定です。香港には多数の会員がおり、返還から時間が経過するにしたがい、中国政府の介入も強制的なものに変化していくのではないかと推測します。中国の宗教問題は他人事でなく、会員を第一に考える理念と、創価の広布への本気度が試される避けがたいタイミングを迎えることになるでしょう。必ず切迫した危機に遭遇することになり、軟弱なリーダーばかりの創価では、生き残ることはできません。192ヵ国・地域に流布したなどと自慢している場合ではありません。
    そんな自慢のまえに国内の会員数を正確に言ってご覧なさい。隔月で統監しているのですから簡単ですよね。そんな勇気もないくせに、都合の悪い情報はシャットダウンして、自慢ばかりするとは師弟はやはり似るんですかね。


    See Me Fight (feat. Linea Adamson)
    Two Steps From Hell




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