827万の誇大広告コピー

    KY気味の老人特有の鈍感な共感性と独りよがりを駆使しているつもりなのか、メディアを生きてきたプライドが邪魔をするのか、あるいはまだ必要とされていると勘違いしているのか、早く引退すればいいのに欲が出たのか、引退前に一儲けを企んで、評論家・田原総一朗の最近出版された本が売れているらしい。購読対象は会員以外にありそうもないので、聖教にストレートに広告が掲載される。宗教を騙る悪徳商法そのものです。
    報道を仕切る影響力を、まだ持っていると考えるのも自由ですが、 Mr. Masaru Sato と同じように、池田先生に心酔するまえに、我が身の在り様に思いをはせつつ、世界の悲しみに涙を流したほうがずっと賢人に見えます。
    聖教に『創価学会』の広告が大きく掲載されて、読者の反響とコメントを読んで購読意欲が刺激された方も多いでしょう。わたしは人一倍本好きですが、ひねくれているので手に取ることはありません。創価のエージェントが公明党なのか、公明党のエージェントが創価なのか、よくわからなくなりましたが、著者が創価のエージェントであることは明白です。
    この広告コピーに827万世帯という創価の会員世帯が書かれておりました。昨年の11月ごろのことですが、聖教に堂々と数字が掲載されるということは本部も認めているのでしょう。でもはたしてこの数字を信じている人がいるのだろうかと、ふっと思った次第です。
    正確な数字なのかどうか、検証はできません。またよほどの幹部でなければ実態を知ることは不可能でしょう。あるいは、正確に近い統監上の数字かもしれません。その手掛かりになり、ひとつの物指しになるのが国政選挙の得票数です。
    創価では選挙になれば、最初にまずやるのが内部固めです。会員に総当たりし支持を訴えます。しかしすでに700万票を切っている状態なのに、このなかに、多少の外部票があるとすれば、内部票は恐ろしく少なくなります。子供の単独世帯はありえないので、少なくとも827万人の大人がいることを公式に認めているのも同然ですが、真実ではないでしょう。
    会員数について、以前会合で話題にしたことがありましたが、ほとんど関心がなかったことに驚きました。かえって「そんな小さなことを気にするのはどうかしている」などと牽制するように諭されたのです。ブロックや地区の減少はどうでもよいことなのかもしれないし、会員数など関心外のことなのでしょう。エゴイスティックな真意の会員像が垣間見れます。

    下記のグラフは、日本全体の世帯数と一世帯の平均人数を表したものです。
    1212181721.gif(Source:YAHOO!ニュース)
    良い意味でも悪い意味でも、創価は社会の縮図と言われますが、それは会員の構成が社会の各層に及んでいるからでしょう。主に中間層といわれる市民層は政治や経済の動向に大きな影響を与えますが、公明支持者の多くがこの階層に集中しております。
    827万という数字を掲載するからには、その数字の根拠を示し、疑問に答えていただきたい考えますが、おそらく組織の大きな急変がないかぎりあり得ないことでしょう。なぜ、正確な会員数をひた隠しにするのか不思議です。常に拡大しているとほらを吹いている手前、停滞している、衰退している、激減しているなどとは言えないのでしょう。あるいは幽霊会員や高齢で亡くなる会員が多いのかもしれません。高齢化は組織の老年化、マンネリ化と同じとわかったように言えばお元気な高齢者から不服や反論があるかもしれませんが、遅かれ早かれ、やがて来る老いとその先にある終活問題に、創価は次第に深く関わらなければならない。宗教団体としての社会的責任が問われることになるでしょう。尊厳ある死は、宗教の本源的な問題を有しておりますが、永遠の指導者は、自分の老いの姿を秘匿し続けております。何を感じていらっしゃるのか、どんな希望と悲哀を想うのか、会員には想像もつきません。

    このグラフからは多くのことが推測できます。顕著なのは、世帯数が増加しているのに世帯当たりの人数は減少していることです。東京などの都市部は、この傾向が著しく表れます。単独世帯が多く、孤立化の傾向は都市部だけに見られる傾向ではありません。人間関係が希薄になっていること。関わり合いを避け、コミュニケーションも築くことができずに断絶し、他者を思いやる尊敬も欠乏する。人間愛を渇望しながら、その愛情が信じられない。同時に孤立化は経済的な貧困を進行させ、コミュニケーション不足はヒステリックな社会不信を生む。

    827万世帯に、グラフに見られる統計上の一世帯あたりの人数をかけると、創価のほぼ正確な会員数?は算出されます。グラフは見にくいですが、総世帯数と世帯当たりの平均人数がわかります。簡単な計算をすると、
    ……………………………………………………………
    827(万)×2.47=2042.69(万人)
    日本の人口が1億2709万人なので、
    2042÷12709≒0.16×100=16%
    ……………………………………………………………
    人口比で16%の会員数とは甚だしいサバを読んだものです。10年前もほとんど変わらないアナウンスメントは、意図的な操作をしていること疑いありません。10年後も、変わらない数値が公表されることでしょう。
    宗教年鑑の宗門からの破門前と破門後の数字を比較するとおもしろい。
    平成7年の宗教年鑑では『日蓮正宗:576万人』、破門後の平成12年では『33.8万人』その差、542万人が創価信徒数と考えることができます。定期的な統監をやり実態を把握していながら、正確な数字を公表できない永遠の指導者をはじめ執行部の体質は、仏法者の正常さから大きく逸脱しており、異常です。
    2042万人から選挙権がない未来部を除外すると、ほぼ内部有権者数(NU)が出てきます。現在の未来部員は大変少なく、地区においては男女青年部ですら、めったに見かけることはありません。少子化が大きな影響を与えておりますが、その一方で、親世代から子世代に信仰の継承がスムーズに行なわれていないということ。幼年や未来部のとき入会した人達は大きな問題を抱えています。明快な信仰への動機がなく、意欲と闘志を維持できない困難さがあります。特に女子部の崩壊は、未来の創価の姿を暗示しています。
    食べられないくらい大盛り数値を、平気な顔で聖教に盛る厚かましさは、古典的な騙しのテクニックとも言えますが、それは会長だけでなく、取り巻く幹部、その精神的指導者である池田先生の長年の宗教活動が、自らの心理も自らに操作され、「正常性バイアス」という型にがんじがらめにはめ込まれているからでしょうか。
    仮に会員を2000万人と想定すれば、このグラフからは、会員数が増加すればするほど、社会の混乱が拡大していくようにも捉えられますが、そこまでは考え過ぎなのでしょうか。逆に、社会の混乱が信仰人数を増やすと言えるかもしれませんが、そのような時代や社会は、決して幸福ではなく病んでいる可能性もあります。
    国政選挙の得票数から推測して、542万人が妥当なところです。はじめからだます目的でなければ、2000万人などと吹聴する軽薄な宗教者はいないでしょう。信仰とは良心の代名詞であることを深く考えるべきです。血脈とは大聖人の意志を受け継ぎ、ありもしない数を誇るのではなく、御本仏のような誠実な言動を継承するということです。
    得票数という数を一つのターゲットにしながら、会員が創価全体に関心が薄いのは、現場仕事をこなすだけで精一杯という側面もあります。報告一つとっても、その煩雑さと細かさはヒエラルキーの頂点に立つ人間の不安な気持ちを表しているでしょう。すべてを会員の善意に依存しているため、教義と善意の啓蒙を一体化する指導方針が、恒常的に検討され続けていることは言うまでもありません。
    ついでに余計なことですが、財務について一言申し上げれば、財務人数150~200万人と仮定すれば、一人平均1万円の財務で150~200億円、2万円平均で300~400億円となります。一人平均額が1万円以下ということはありえないので、2万円前後と考えるのが妥当でしょう。おそらく聖教を含めた出版事業では、それ以上の営業利益があると考えるので、収支は一流大企業並みということになります。金銀に人間の欲望は集まるので、この潤沢さは何ものにも代えがたい功徳となりますが、運営者のマネジメントの立場になって考えれば、会員の善意の総決算の数字であることをよく理解したうえで、さらなる負担をどのように求めていけばよいのか、最も肝心なところだろうと池田先生から指南されたことでしょう。過去に確か、経営者を集めた会合で、日本を支配するような大言壮語を発したこともありましたよね。マイ聖教のような牽強付会のトリックを駆使して納得させる手法は、宗教指導者が考えることではありませんし、会員の無垢さがときには罪になることを自戒も含めて自省すべきと考えますが、風冴ゆ荒野に向かって叫ぶようなイメージとともに、何を言っても無力感を感じてしまいます。

    雑誌「ダイヤモンド」を読んでいたら、「日本の生産性は先進国(G7)で最下位」という記事がありました。これほど世にブラック企業やパワハラが溢れているなか、「生産性最下位」と聞けば、論理的に物事を考える人ならば、このような結論になるでしょう。

    『「これだけ労働者が血へどを吐きながら働いているのに生産性が低いということは、問題は労働者にあるのではなく、社会システムが狂っているからではないのか」
    だが、現実には、この狂った社会システムを維持するために、「外国人労働者」を大量に入れようなんて国策を推し進めていることからもわかるように、大半の日本人はシステムを「盲信」して、以下のような方向へ流れていく。
    「これだけ労働者が血へどを吐きながら働いているのに生産性が低いということは、問題は労働者にあるのではなく、生産性の定義や調査が間違っているのではないか」
    要は、常に「自分たちは間違っていない」というところからスタートするので、「耳の痛い話」は「デマ」や「日本には当てはまらない」と素直に受け取れないのだ』


    このような引用話と似た話が創価にはあります。正しいことをしていると繰り返し自分に言い聞かせて誓願し、政治(選挙)活動に過剰に入れ込んで殺気立つ。精緻なプランであっても、無駄が多い支援活動を展開し、自己啓発ともいえない、自己改革ともいえない、知らず知らずのうちに自分にノルマを設定し、F数だけを追う強制労働のような圧力と義務を感じている。その基本は、「正常性バイアス」であることを自覚したほうがよいでしょう。池田先生が作った公明党のための選挙運動という理由づけだけで、十分な動機となる正常性バイアスは、都合の悪い情報をシャットアウトしながら、自分だけは大丈夫と思い込み、判断の異常性の視点からも正常ではありません。国民目線に立ち、国民にだけ負担を押し付けない「身を切る改革」と立派なことを言っていたのに、消費税増税の前に議員定数を必ず減らすとした公約はどうなったのでしょうか。国民をバカにしている。
    12月27日の聖教の寸鉄に「C作戦から28年。学会は世界宗教に発展。日顕宗は信徒激減。正邪は厳然」とありました。激減しているのは創価も同じ。不都合なことを隠し、他に目をそらす巧妙な詐欺的要素にあふれている組織も、その結末が必ずあることを銘記しなければならないでしょう。

    「Web第三文明」に、『なぜ、これほどまでに強いのか?』と題した、書評「創価学会」が掲載されております。正当な学会論であるという宣伝と、自己弁護、自画自賛の評論ですが、取り上げられている過去の書物のなかに『信仰はどのように継承されるか』(猪瀬優理「北海道大学出版会」2011年)があるのには、少しだけ感心しました。読むために我慢を強いられる、このような学術出版に等しい書物を読む会員はおりませんが、札幌市周辺という限定はあるものの、創価の現状を客観的に知ることができる数少ない本とも言えます。
    信仰継承をテーマにして、これだけの調査はこれからも難しいかもしれない。自己を客観視できるメリットもありますので、信仰者にとっても有益な内容です。
    まとめることはほぼ困難ですが、抜き書きしながらできるだけ概略的にまとめてみようと思います。(「終章」p215~引用)

    ☆~☆~☆

    『創価学会は、混乱期にあった戦後日本の中で、これに翻弄される人びとを吸収して成長した宗教集団の代表例である。ここまでの成長を可能にしたのは、組織の柔軟性と「体制順応主義」と「成果主義」という基本姿勢である。この基本姿勢によって提案される創価学会の「幸福」のビジョンは、一九六○年代前後の高度経済成長期の成功イメージと合致している。また、創価学会の信念体系は個々の世俗的な日常生活に関する準拠枠組みには立ち入らないため、信者たちの自由な行動を許容すると同時に、日本における社会変動に対応することが容易であった』

    『創価学会の機関紙誌を資料として、世代間信仰継承のモデルを示した。
    戸田時代には、子どもの信心の明確なモデルは十分に作られていなかった。また、その信仰のあり方は、御本尊に祈れば功徳があるというダイレクトな現世利益主義であり、御本尊を信じなければ罰が当たるというダイレクトな厳罰主義であった』

    『池田時代は教団が安定期に入り、子どもと大人の峻別が必要になったため、教団は未来部組織の設置、創価学園の設立などを通して、子供たちを「教育する対象」として規定した。これは日本社会全体の近代化の歩みとも重なる過程である』

    『創価学会における信仰モデルでは、信仰継承の媒介として親子ともに「池田先生」を人物モデルとして用いている。ダイレクトな現世利益主義・厳罰主義は影を潜め、仕事や学業などでは祈るだけではなく自分で努力をして成果をあげるという自力志向を求めるモデルが形成される。成果を出すことは、「池田先生の御構想」を実現することにつながり、その期待に応えるものが真に信仰を継承した姿である』

    『信仰継承のあり方には男女で違いがみられること、また、肯定的な効果をより多く受け取っている人が活発な信仰活動をしている傾向が見出された。信仰継承に影響を与える担い手としては、親と教団が重要な位置を占めることも確認された。また、信仰継承の要因について、男性と女性では異なる特徴がみられた』

    『第一世代の信者には経済的・社会的苦労をしてきた人が多く、創価学会の信仰と組織が苦労を乗り越える支えになっていた。第二世代の信者も子どもとしてともに苦労を経験しているため、「信仰によって乗り越えた」という「肯定的な感情」を継続して持ち続ける場合が多い。しかし、第三世代の信者は、第一世代の生々しい苦労を目にしていないことが多いため、信仰の必要性を実感できず、一度組織から離脱する人や活動に不熱心な人も多いようである。また、教化や折伏についての考え方も、第一世代は強制的姿勢を持ちやすいが、第二世代、第三世代では強制度が低くなる印象がある。これは、世代の影響だけでなく、創価学会を取り巻く社会における親子関係の変化にもよるものかもしれない』

    『男性は仕事や学業での発心が多く、女性は家族的な問題で発心することが多いことが見られた。女性の場合は男性に比べて、職業的な達成よりも結婚や出産、育児を通して信仰を深めることが期待されている。女性の信仰上の人生モデルにおいて、未婚女性は過渡期の状態とみなされており、本格的な折伏活動などへの期待が薄い。それに対して、婦人部に所属する既婚女性は、創価学会活動の基盤を支える活動者、および、次世代再生産の担い手となる母としての役割が期待されている。つまり、「男は賃金労働、女は家事、育児」という日本社会を根強く貫く性別役割分業の影響が大きい。この点では、女性というジェンダーを引き受けた人は家族的役割を期待され、家族が創価学会員である場合には、家族関係を良好に保つために、創価学会への信仰を保持せざるを得ない側面が出てくる。この点が肯定的イメージをより強く意識する傾向と関連している可能性もあるかもしれない』


    『二世信者の増加は必ずしも教団の活力を低下させないと結論づけたが、子どもの育成を担当する部署では活力が低下している状況も推察された。活動的信者の中に二世信者が増加することは、組織の活力の低下にはつながらない。しかし、本来なら「信仰継承」を期待される名簿上の二世信者が信仰活動をしていない場合、名簿上の会員数に比して「活動家が少ない」という印象を活動的会員の間に作り出す可能性がある。この場合、活動者は名簿上に名前だけ載っている信仰心を持たない未活動家会員への家庭訪問を時間的・体力的・精神的な負担と感じることで次第に信仰活動に消極的になる、という悪循環が生じる可能性もありうる』

    『宗教集団は、局所的に家族的状況や家族間の変化に対して正当性を付与する新しい価値観の基準を提供する共同体として働く機能を持っている。新しい基準は、従来の、あるいは現行の価値規範と大きな隔たりがないほうが多くの人に受け入れられやすい。この点で体制順応的な特徴を持つ創価学会が「選択」しやすい宗教であった可能性がある』

    『家族の個人化が進んでいるといわれる現代社会において、新宗教への家族での入信は、「家」制度に代わる形での家族の形態・結束・共同体を維持する機能を果たしている可能性もある。地域や親族などの共同体的つながりが各所で途切れつつある状況において、親子を中心とする家族は個人化が進んでいるからこそ、最も重要な社会的紐帯となっており、それゆえに家族関係が緊張に満ちたものともなりやすい』

    『(調査票調査では)活動的信者の九九%以上が公明党支持者であった。現在では少し状況が変化している可能性もあるが、少なくとも二〇〇二年前後では、活動的信者であることは、公明党支持者であることとほぼ同じ意味であった。活動的信者にとっては、教団一丸となって国政、地方政治に影響力を及ぼすために選挙活動に励むことは、間接的な布教活動となっている。国政にも及ぶ影響力を仲間とともに生み出しているという実感は、創価学会全体を一つの大きな共同体と認識させる要因の一つともなっているだろう』

    『選挙活動は、その成功として当選という明確な成果が求められる、成果主義を標榜する教団と親和性が高い活動である。成果主義志向は創価学会に限ったものではなく、日本社会全体を取り巻くイデオロギーの一つであるため、この点も多くの人々に創価学会を受け入れやすくさせる要因の一つであろうと推測される』

    『創価学会においても、組織・制度化が進展するとともに、教団からのサービス提供を所与のものとして受け止める二世信者が増加していく。子どもの試験期間には会合を開かないでほしいと要望する保護者の存在は、その象徴である。教団はますますサービスの提供者となり、サービスの受け手である信者からのクレームを受けるリスクが高まっていく。このようなクレームについては、創価学会職員として給与を受けている人はまだ職務として受け止めることができても、無給で地域の幹部として活動している人にとっては、無償で行っている行動についてクレームを受けることは理不尽さを感じる場面も増えるのではないかと推測される。このようなクレームは、おそらく雇用状況の悪化により、増加する危険がある。地域の格差も大きいだろう』

    『本書では順調な世代間信仰継承を教団組織維持の要として論じたが、現役信者の地域における活動状況をみると、次世代育成の重要性が認識されていても、その達成に困難が予見される状況があることを示した』

    『(エホバの証人と対照した論文を示し)その意味では、エホバの証人の二世信者が脱会する際に被る問題は、創価学会の二世信者が脱会する際に被る問題と共通する面も少なくないと考えられる。もちろん、教団の教理や対外的な対応の違いなどから問題が生じる程度や質に違いが生じる可能性はあるが、宗教集団にとって「脱会」が好ましくない事態である限り、「問題」が生じないわけがない』

    『一度正式なエホバの証人となってから脱会する場合は「背教者」となり、エホバに忠実であれば与えられるはずの永遠の命を失った穢れた存在となってしまう。このことから、家族にエホバの証人を持つ二世信者が脱会する際には、家族の縁を切る覚悟をしなければならない。これは非常に重い決断となる』

    『創価学会は、基本的には体制順応的な価値観を持っており、経済的成功や職業的成功など一般社会における活躍は非常に肯定的に受け止められる。そのため、一般社会との乖離はエホバの証人ほど著しくない。この点では、エホバの証人が脱会する場合に被る問題と創価学会員が脱会する際に被る問題の質と量は異なるものになろう』

    『創価学会において子どもの「成長」が「信心を継承しているかどうか」「池田名誉会長を尊敬しているかどうか」で測られる側面がある。家族の絆の一要素として「信仰」が位置づけられることは悪いことではないが、仮に二世信者となるべき子どもがその信仰を受け入れられなかった場合には、その子どもが苦しい思いをせざるをえないであろうことは容易に推測できる』

    『一般に脱会に際して問題が生じやすい教団の特徴として、メンバーシップを厳密に考える傾向が強い教団、閉鎖性が高い教団、唯一無二・絶対の真理を持つことを強調する教団、リーダー層の権限が強い組織構造を持っている教団、教団外の一般社会との価値観に乖離が大きい教団、信者を過度の教団活動に引き込む組織体制を持っている教団、が挙げられる。創価学会の組織の特徴には、以上のうちのいくつかと重なる面がある。親が子の幸せを願って自分の持つ信仰を継承してほしいと期待することは親心ではあるが、子どもが自分自身の信念に従って親の信仰とは異なる考えや生き方をしていく自由は保障されるべきであろう。本書の事例では多様な信仰継承のありようが示されていた。したがって、脱会についても一面的なものではないだろう。いずれにせよ、創価学会の二世信者にとって「信仰継承しない」という決断が実質的にどのような意味を持つのか、実証的に検証する必要があるだろう』


    熱心な信仰という印象が強い、エホバの証人(www.jw.org)の名誉のために付け加えておきますが、世界的組織でありながら専従の職員がいないということ。すべて無償のボランティア活動で補われているために、既存の宗教組織の聖職者にとって、大変都合が悪い宗教であった可能性が高い。アメリカでは異端として扱われ、伝統的な倫理や信仰形態を破壊する信仰として「カルト」と呼ばれ忌避されました。宗教的な純粋さを求めるあまり、社会的な成功に関心が薄いようにも感じられますが、信仰の継続に困難さが生じたとき、経済的な日常生活の維持が難しくなる問題を抱えているように思います。でも、信者にしてみれば、そのようなことも承知のうえなのでしょう。
    わたし自身、エホバの証人の訪問を何度か経験しておりますが、全員が女性、落ち着きがあり服装等にも清潔さが感じられます。信仰は違っても、その一途さの報酬として、幸せになってくださいというのが、わたしの偽らない気持ちです。
    訴訟が多いというカルト的要素があるものの、政権中枢に影響力があるからだろうか、政教一致をはじめいわゆる創価学会問題についての話題が、以前と比較しても少ないように思いますが、最近、タカ派の保守的な雑誌に批判的記事が載ることがあるようです。憲法改正問題に消極的な公明党の姿勢が関係していると見ていますが、もともとの加憲論も後退しているのでしょうか。自衛隊を国軍として明記していただきたいというのが、多くの国民の本音でしょう。安保法制で集団的自衛権を限定で認めてから、次の課題は憲法改正よりありませんが、平和が担保されたなどと錯覚している恐ろしくお人好しの人間主義や軟弱な平和主義が、社会を戦争への危機に陥れようとしている。なお一般人も対象になる共謀罪の悪質性は再度議論する必要があるでしょう。牧口先生・戸田先生の獄中での辛苦を思い、宗教は危険というテロリスト同然の烙印を押される可能性が絶対にないと誰が保障するのでしょうか。

    一応会員ではあるけれど、積極的に活動に参加しない三世や四世会員が多いように思う。信仰に対して親のような強い思い入れがない。自分が創価学会員であるという自覚はあっても、どこかの会員サイトに会員登録している気分なのかもしれない。したがって、このような会員は勤行や唱題はほとんど必要性を認めません。信仰継承について、ファミリーシップな絆や伝統的な家制度を反映した厳格さは次第に薄れております。原則論で言えば、信仰者のための組織ですので、客観的な信仰調査を参考にしなければならないでしょう。
    この本には、信仰継承の具体的な例が掲載されております。読んでみると、身近にいる会員の姿に似ており、信仰継承のパターンが、創価の活動方針から大きく影響を受けていることがわかります。同じような心情になり、同じような感情を持ち、避けることができない人間関係のなかで、信仰への十分な動機を与えられる、あるいは信仰への幻滅を感じてしまう。スムーズに信仰継承する人とそのような肯定的な承認に至らない人の相違を、深く考える機会になるかもしれない。わたしたち会員は、自分の意志で、自分の行動で、自分の人生を築いていると思い込んでおりますが、つまり桜梅桃李という個性が強調されますが、信仰継承の過程が近似しており、何か大きな力に支配され左右されているような、漠然とした不安がわきおこる感覚になります。この本の書き方が類型的な表現なのかもしれないし、実際の信仰を経験していない研究者の評価、認識と分析だからかもしれません。でも、客観性という視点からとても価値があります。

    『創価学会』や、その他の類似の本は、アバウトな言い方ですが、正確性を欠いていると思います。そこで悩む一会員の思いすら、汲んでいないと考えるからです。これは『アンチ創価学会本』にも言えることです。十分な調査もしないで、少ない事実から感情的に断定してしまう癖があるからです。信仰は正しくても、組織は純粋さから傾斜の度合いを強め、理想から遠のき始めている、そのことを敏感に感じ悩んでいる人間がいることを知らない。少数意見が無視される組織は、唯一正しいと強く確信する独断性に溢れている。原則を歪めて、時代に合うとか合わないとか、そんな安易な基準が支配する。本幹で、信教の自由よりも、公明党への支援を、既定事実のように語ることにその姿勢が表れています。政党支持の自由が、創価の原則だったのではないでしょうか。こんなことを言えば、政党支持は強制ではなく自由ですと必ず言い張るに決まっていますが、それなら名ばかりの協議や検討で、専制と独断の創価全体の公明党支持承認や表明は行うべきではありません。政策を問わない支持など信仰でも師弟不二でもありません。見苦しいほどの保身と権力追随が公明党の本質です。

    致命的エラーになるかもしれない組織的な欠陥を、宗教ソフトと創価コンテンツの運営者は知ろうとしない。リスクマネジメントが特に意識され、会員が気づかないように、システムアーキテクチャが改変されているだろう。SOKAオペレーティングシステムも不変でなく、常にバージョンアップし上書きされている。わたしのようなアイロニカルなバグが気に障る。単純明快さが失われ、注意書きと禁止ルールのインデックスが増えるばかりです。

    Audiomachine - Leap of Faith



    ☆~☆~☆

    『Diversity』に取り上げていただきありがとうございます。
    絶えず意見を進化させ、リファインし、更新していくことはとても根気がいることですね。凡人と卓越した人々の違いは、その持続力なのかもしれません。
    希望をシェアできる人に巡り会いたい、そんな思いがいつも心の片隅にあります。


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