アクティヴに、粘り強く

    11月にパソコンが壊れました。OSがVista だったのでサポートも終了しており、セキュリティ上のリスクがありましたが、特に問題があったわけではありません。10年前にたまたま店頭で衝動買いしたノートですが、動画編集もこなして今までよく持ちこたえました。
    ハードディスクにまだ余裕があったのですが、ある日どういうわけか容量がいっぱいになり、デフラグしても効果がありません。調べてみたら「低いパフォーマンスのシステムファイル」でいっぱいになっておりました。どういうことなのか、さっぱり理解できずに、思い切ってゲストアカウントを削除し再起動したら動かなくなりました。リカバリーしようかと考えましたが、パソコン自体のスペックにも時代遅れ感はいがめないので、Vista を生き返らせて何か意味があるのだろうかと考え、老人にムチ打つような気分になり廃棄することにしました。
    新しいパソコンは、日本のメーカーの直販サイトでカスタマイズして選びました。エクセルやワードも使っておりましたが、マイクロソフトは高価なのでやめて、互換性も保証し、以前使ったときも快適だったキングソフトを有料ダウンロードしましたが、まったく問題ありません。オフィスも何種類かフリーソフトがあり、使ったことはありませんが、信頼できそうなソフトもありそうです。
    数年前からHTTP~HTTPSへとセキュリティを強化したSSL化の流れがあります。このブログの管理画面は、すでにSSL化に対応しておりますが、ブログ画面をSSL化しました(SSL設定画面を更新するだけという手軽さ)。主要なブログサイトは同じような設定になっていると思いますが、はじめからSSL化を導入しているサイトもあるようです。
    現在はレンタルサーバーでドメインとメール管理をしておりますが、以前使っていたワードプレスも以外と簡単にSSL証明できるようです。もちろん無料のサービスが今では常識のようです。SSL化してもどれだけ安全なのかわかりませんが、鍵マークが付けば、サイトの訪問者には安心感があるでしょう。
    最近はセキュリティソフトも更新費用が高額になりました。前のパソコンで使っていた "ZERO" は初期費用だけで更新料がかかりませんが、10年間おもだったトラブルはありませんでした。また使い続けていたパスワード管理ソフトが一年更新に変わったのにはビックリ。MP3・ダウンロードソフトも購入はしたけれど、どういう手違いなのかわからないけれどライセンスキーが届かなくて、サポートにメールしたら2~3日後に英文メールで送られてきました。
    初期設定は上出来と自分に言い聞かせて、つぎに簡単なはずのインターネットの設定が、どういうわけかうまくいきません。モデムのPPPランプも点灯しない。結局プロバイダーに電話したのだけれど、混みあっておりますのでのアナウンスで随分と待たされて、やっとつながり、原因が判明。接続パスワードが間違っていたのですが、この接続用パスワードは、プロバイダーHPのマイページ用のログインパスワードと同設定されているなんて知らなかったという無知ぶり。セキュリティを考えてパスワードを変更したら、接続用も変更しなければならないということですね。
    最近は光回線とプロバイダーがセットになった光コラボレーションが主流なのでしょうか、電話したついでにプロバイダーから転用を勧められました。どうしようか、迷っているところです。

    ◇◇◇

    あっという間に師走も近づき、時間の流れも激流に乗った舟のようです。
    11月18日の聖教には、「新・人間革命」第30巻(下)が発刊されたことが、大見出しで掲載されておりました。その裏ページに、総県長会議での原田会長の指導が、表裏一体のように掲載されておりましたので、Ⅹdayまで現体制で行く方針らしい。
    原田会長の指導で一度も心躍るような感情を覚えたこともないので、今更読む気もないのですが、御本尊と沖縄のことに触れていたので関心がわきました。沖縄県知事選も今だに生々しく蘇りますが、特に創価公明の汚点になったことはしっかり記憶しておかなければなりません。

    今年の4月の同じ総県長会議では、
    『2010年6月、本部幹部会の前夜、池田先生から大変に大切なご指導がありました。
    「明日の本部幹部会については、弟子の君たちが、団結して、しっかりやりなさい。皆が、創価学会のすべての責任を担って戦う時が来ているのである。学会の将来にとって、今が一番大事な時である。
    ゆえに、私を頼るのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である。
    私は、これからも君たちを見守っているから、安心して、総力を挙げて広宣流布を推進しなさい」
    「弟子が団結をする」
    「弟子が全責任を担う」
    「弟子が師匠に頼らない」
    この3点こそ、池田先生が教えてくださった、「学会の将来にとって一番大事な時」の根本姿勢であります。
    この数年、取り組んでまいりました、教義条項をはじめとする「会則改正」も、世界教団としての根本規範たる「会憲」の制定も、全ては池田先生のご構想を弟子が実現しゆく戦いであり、だからこそ一つ一つ、全て先生にご指導を仰ぎ、ご了解をいただきながら進めていることは言うまでもありません。
    それは、「私は、これからも君たちを見守っているから、安心して、総力を挙げて広宣流布を推進しなさい」とのお言葉通りです』

    公明党の沖縄での惨敗も報告されたことでしょう。もはや自らの影響力も及ばない政治や選挙運動、統率できない勝手な会員が出てきたことを知ることになったでしょう。「平和な沖縄」を、どこかのスーパーのコマーシャルのように安売りして、基地を作ろうとする勢力を操ろうとする魔力も、池田先生の指示と了解があったのですね。総県長会議では大誓堂の常住御本尊にも言及しておりますが、「金剛不壊の大車軸」という戸田先生の言葉を紹介しながら、その思いはまったく軽視しております。この会長の言葉は、そのまま池田先生の大御本尊に対する侮辱の言葉なのでしょう。戸田先生の熱意に応えられて、時の法主が丹精を込めて、大御本尊の広布への魂をしたためられた行為を否定している。自分の言葉で語らないという責任の放棄。戸田先生への師弟を顕彰しながら自己礼賛と虚偽を繰り返す自己欺瞞。根本への迷いは致命的です。死を目前にした老人を語る言葉ではないですね。仏法の本義を逸脱し虚飾しかない人生には、悲しみより感じません。
    11月18日の聖教には来年の活動方針も掲載されておりますが、「平和・文化・教育運動」が半分を占めております。ノーベル平和賞を授賞したICANとの連携と協調、コラボとアシストを宣伝していますが、ほんとうは脇役ではなく当事者になり舞台に上がることを望んでいるのでしょう。世界宗教のブランドの獲得とステータスは宗教団体の野心としてふさわしいのかどうか。人類救済という妄想は、真実を隠ぺいする人々が、やがてたどりつく深刻な病です。
    まず過去の歴史の清算を実行しなければならないでしょう。不都合な事実をふくめて作り変えられた歴史の修復をしなければ創価は生き残れないでしょう。「小説・人間革命」はその意味で虚言小説かもしれません。意図的にフィクションをノンフィクションと思わせるところに宗教らしからぬ罪深さがあります。事実と真実は違うなどと、よく言ったものです。事実を伝えないで真実はありません。

    あるアンチブログを読んでいたら、興味深い本を紹介しておりました。
    「映像とは何だろうか―テレビ制作者の挑戦―」(吉田直哉著:岩波新書)
    の引用があり、決して創価内では話題にならないと思われる1950年代の草創期の創価、特に戸田先生の鬼気迫る姿がありました。
    買いたいと思い検索したら、アマゾン古本で¥1を最低にけっこう売られていたのですが、安すぎて申し訳ないような気分になり、100円のを注文しました。中古本なのに一度も開かれた形跡がないような新品の本が送られてきました。きっと買ったけど読む機会を逸してしまったのでしょう。
    著者の吉田直哉氏はNHKの著名なディレクターです。ウィキペディアに経歴があるぐらいですから有名なのでしょうがよくわかりません。この本はテレビドキュメンタリーの黎明期の苦労話が、きわどい体験として、あるいは迫真のインパクトで迫ってきます。またセンシティヴな感覚が読者の想像を刺激し現場にいる臨場感も感じられ、怖いもの知らずの勢いもあり、一気に読ませる面白さがあります。その最初の章が新興宗教の代表としてのカテゴリー、神聖さとは無縁な現世利益を求める宗教の俗っぽさが非日常のエネルギーに満ちている創価のカリスマ・戸田先生というわけです。客観視することに優れた才能を持っている、このような映像作家の語ることは、真実に迫り、核心をとらえる独特のキャパシティーがあります。

    『幕あきは教祖だった。
    飛ぶ鳥も落とさんばかりに教勢を拡大している新宗教の会長が、森羅万象を映像化しようと志した私の、最初の対象だったのである。
    そして、想像もしなかったことばかりが起きた。
    「グイッとあけな。グイッと」
    「……いえ、これから撮影……。仕事中ですから」
    「なにィ? それを言うなら、こっちだって仕事中だぞ」
    黒縁の眼鏡の奥からにらまれ、これはからまれる、と確信したがコップを手にするのも勇気が要った。尋常ならぬ量のウィスキーなのだ。
    こんなに荒っぽい飲みかたは見たことがない。角ビンのウィスキーを大ぶりのコップのふちまでドクドク注いで、申し訳のようにほんの少しのビールを垂らして割って、机の上に溢れさせるのだ。その濡れた机の上を、波を立てるようにさらにコップを押してよこして、飲め! とこんどは大声の命令である。
    縁側の籐椅子にただひとり坐って、親の仇のように矢つぎばやに酒をあおっているのは、創価学会第二代会長となって六年目の戸田城聖氏。(中略)
    一九五七年の十一月から放送をはじめるテレビドキュメンタリーのシリーズ「日本の素顔」の第一集のテーマを「新興宗教を見る」にきめ、さまざまな教団のさまざまな説法を記録することにしたその撮影の初日で、富士大石寺の日蓮正宗総本山を訪れたところであった。この夜、大講堂で行なわれる会長の法華経講義を、打ち合わせどおり所定の位置から撮影するからよろしく、という挨拶のため本部の建物へ行ったのだが、まさか戸田会長の前に連れて行かれるとは予想もしなかった。ましていっしょに酒をのむ破目になろうなど、思ってもみなかったのである。
    ひとくち飲んで不覚にもむせると、
    「グイッとあけな」
    と眼がすわっている。ビールをあおりながらウィスキーをストレートでのむのを、アメリカでボイラーメーカーと呼ぶ。というのはのちに得た知識だが、ビールとウィスキーの量がこの場合逆転しているのだ。いかに教祖でどんなに酒豪でも、酔わないわけがない』

    戦時中の逮捕そして獄中生活、事業の失敗など同情すべき人生の辛酸と波乱もありますが、豪気であるがゆえに不摂生、酒豪であるがゆえに酒浸り、アルコール中毒の典型的パターンです。
    一部の人間しか知らない人物像を冷徹にとらえております。アル中の菩薩がいても一向にかまいませんが、アル中患者の誇大妄想が、法華経の救済と合致したことを不思議に思えてなりません。苦悩の深い者が菩薩への資格を有するのかもしれません。あるいは冷静な判断や意思を失うことはなかったのかもしれない。「酒を浴びるほど飲む」という言い方がありますが、宿業も浴びるほど飲んだのかもしれない。仏道成就への戦いは熾烈です。
    この文章には少し腑に落ちない部分があります。富士大石寺に訪れた日と、本部に挨拶に行った日は別の日なのだろうか。きっと別の日なのでしょう。

    法華経講義の場面での戸田先生は、そのカリスマぶりを遺憾なく発揮しており、まるで演出された劇を見るようです。たぶん、酒の力を借りていたのでしょう。特異な人格が仏・菩薩の人格と同期し、見えない魔手と格闘している。長くなるので引用しませんが、貧乏人と病人のあつまりと揶揄された創価の草創期は、正視できないような社会の汚辱と矛盾とがそのまま教団を襲っています。
    『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり無間地獄の苦を救う故なり云云、涅槃経に云く「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」と云云、日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし』(御義口伝)
    創価の歴史は、けっして人間革命に描かれるような不道徳と不浄を除外したクリーンなドキュメントではありません。社会の矛盾がそのまま会員の生活と思考に反映し生死の間を彷徨っているのです。目をふさぎたくなるような現実と不都合な事実を克服してこそ、歴史の荒波に耐える強固さを得ることができると思います。会員は創価の聖典・現代の御書から、なにを学ぶのでしょうか?

    この本の白眉はインド編でしょうか。ガンジーが建国したとき目標として掲げられた一つに、国民病ともいえるハンセン病の克服がありました。この本ではレポートのように生々しく事実を報告し衝撃を与えています。フリーズして足がすくむほどの悲惨を目の当たりにして、地獄のようなハンセン病村で一人の日本人医師が活躍していたことを伝えていますが、突然の事故死とともに、今では忘れられているでしょう。
    ハンセン病事業に尽くしたキリスト教医師に神谷美恵子氏が有名ですが、数々の出版からうかがえる深い思考の跡は、宗派の相違には関係ないようです。アクティヴに、インデペンデントに、粘り強く考えること……それが信仰者の使命です。

    Clean Bandit - Rockabye ft. Sean Paul & Anne Marie

    潔く創価と決別した友人のために
    あきらめないで!




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    尊厳への道

    沖縄県知事選挙開票結果(9月30日)
     玉城デニー 394,768(得票率55%)
     佐喜眞 淳 315,621(得票率44%)

    接戦と思われましたが意外と差がつきました。沖縄の有権者の民意を尊重しなければならないでしょう。負けた佐喜氏も44%の得票率があり、支持した方々への配慮も必要です。勝っても負けても、同じ国土に住んでいるのですから、互いを思いやる気持ちも忘れてはならないでしょう。まず隣人と仲良くしなければ、解決できる問題も解決できません。政府には、憲法改正を含めた防衛問題の議論を早急に進めていただきたいというのが国民の意志です。
    以前は、公明党は改革のエンジンというふれこみで、ハト派とタカ派の中間で真のコンサバティブであるかのような印象を与えていましたが、あれも単なるキャッチに過ぎなかったのでしょうか。人気取りとまでいかなくても、ただの思いつきのような時流に乗ったアピールの軽薄さは、支持者の姿と酷似しているようです。
    「民主主義の精髄には宗教的要素がある」として、保身第一の聖職者を非難したホイットマンは、さらに続けてこう言った。「多くの教会や宗派など、また私の知っている気味悪い亡霊たちが、宗教を侵害している」(「民主主義の展望」講談社)
    また、池田先生は教条主義の宗門を想定して、ホイットマンの言葉を紹介しています。
    「自覚した魂が、さまざまな教会から完全に離脱した時こそ、真に〈宗教〉と立ち向かうことができる」(「創立者の語らい」Ⅳ)
    かつて宗門問題で苦しんだことを忘れ、創価教条主義が亡霊のように闊歩している。沖縄創価を分裂状態にするような支援活動は、民主主義の厳粛な公平性を侵害しています。信仰とは自由であること。善良な会員をアゴで指図する姿は、魔性の醜さを表わしています。
    「オール沖縄」完全決着と扇動したビラが(10月21日に投票が行われる那覇市長選挙)配布されました。少しは反省したのか分かりませんが、1日の夕方、訂正する文書が配布され、沖縄の地元のみで対応する旨の徹底があり、F報告は行わないというお知らせがありました。思い通りに動かない会員がいることを学んだのでしょう。創価サポーターの佐藤優氏に言わせれば、そんな輩は提婆達多のような反逆分子だそうです。もしかしたら、わたしもその分子の一人なのかしら。
    宗教の奴隷になってはならない。受動的な姿勢、多数派に同調する依存の傾向性、そのような怠慢の命を克服する運動こそ、信仰活動のパートナーシップであり、創造的な人間主義ではないでしょうか。政治に動員することによって社会貢献している、あるいは社会改革しているという錯覚は、巧妙に計算され尽くし、反発する前にどこかの誰かの野心に操られて説得されているのですよ。

    武力の行使は、決して宗教と無縁ではありません。平和運動に大きな主眼をおいている創価の対外的な活動は、反戦平和と題目のように自然と口から出てきますが、その反戦平和の具体的なイメージや戦略的な配置の姿が思い浮かべられません。日蓮の激しかった布教過程のなかでは、防御のための刀剣の準備があったものと思います。現在に敷衍して言えば、抑止力ということになるでしょう。抑止力というかぎり、ある程度の兵力と武器の準備が必要です。
    『涅槃経に云く・天台云く・章安云く・妙楽云く法華経守護の為の弓箭兵杖は仏法の定れる法なり、例せば国王守護の為に刀杖を集むるが如し』(「行敏訴状御会通」)
    教団と護法のための武器の保持を認め、安全保障のための準備を容認していますが、これには当時の日蓮が置かれた立場も考慮しなければならないでしょう。
    『彼(良観)の邪義を隠さんが為に諸国の守護・地頭・雑人等を相語らいて言く日蓮並びに弟子等は阿弥陀仏を火に入れ水に流す汝等が大怨敵なりと云云、頚を切れ所領を追い出せ等と勧進するが故に日蓮の身に疵を被り弟子等を殺害に及ぶこと数百人なり』(「同上」)
    このような死者数を数えた迫害を受ければ、自己防衛を真剣に考えなければなりません。抑止力とは無用な争いをできるだけ避けることなのです。仏教教団と兵力とは、意外と密接な関係があり、戦国時代にいたるまで僧兵が活躍しましたが、これも広い意味での自己防衛の形です。
    日本の防衛の中心である自衛隊は、憲法違反であるというのが定説です。自衛隊の存在を可能にしているのは、あくまでも政治的判断に委ねられているわけですので、いざというときの不安定さは常につきまといます。平和が武力によって担保されている時代は、不幸な時代と言わなければなりませんが、科学技術の進歩は、核という最終兵器を神のまえに捧げ、新たな信仰を作りあげました。世界はデンジャラスなシステムとして完成し、滅亡に怯えています。
    もしも、戦争になり、他国が核ミサイルで先制攻撃するとしたら、沖縄にまず照準をあわせるでしょう。なにしろ、島のあちこちに基地があるのですから、躊躇することはありません。返還前は、核も持ち込まれることもあったでしょう。防衛の要所として、沖縄への関心度は高まるばかりですが、そのぶんそこに住む人々にとっては、安全が犠牲になるということです。最近、横田基地周辺で、オスプレイ配備の危険性のニュースが注目されました。沖縄では毎日起きているトラブルです。本土では過去に、そのような基地問題を放置しておくことができずに、政治的に強制移転し、沖縄に押しつけました。沖縄の県民は、日本の国籍を持ち、公平にその恩恵を享受している国民なのでしょうか。
    1996年の第5回環太平洋シンポジウムメッセージのなかで、
    『いうまでもなく、科学技術の発展、なかんずく情報通信や交通網の拡充は、国家や共同体間の壁を急速に取り払いつつあります。
    しかしながら、その一方で、いわゆる「文明の衝突」の危機が増幅していることも、残念ながら事実であります。
    ますます相互依存を深める「地球隣人社会」を、いかにして、「摩擦」ではなく「触発」へ、「対立」ではなく「調和」へ、「破壊」ではなく「建設」の方向へ導きゆくか。
    ここに「生命の尊厳」を基調とした、新たな「地球市民」の倫理が要請される所以があります』

    対立と分断、それを生む創価と公明党の政治決戦なるものは、真に中道思想を反映しているのでしょうか。勝つことばかり強調し、まるでファイターのように傷つき、戦う相手のノックダウンを奪うまで、執念深く諦めることはない。池田思想の人間主義とは、理想から逸脱すると恐ろしく偏狭です。理念は生かされることなく対立を煽り、現場においては冷たい空論に過ぎない。「破壊」ではなく「建設」へと、そのような言葉は沖縄の人々にはどのように響くのだろうか。人間関係と信仰の理想を破壊している。対立し分断する原因を作っている創価の支援活動を、わたしは憂い嘆く者です。
    理想へのチャレンジは、思想の実現の過程で、注意深く慎重に行動しなければならないと思います。同じメッセージで「漸進性」を主張しているように、仏教の精神である調和の重要性を、地域社会に適合し、地域性を十分に生かしたうえで、対立に対抗する精神としてもう一度考えていただきたい。問題があっても、すぐには変わらないもどかしさはありますが、民主主義とは手間がかかる制度であり、緩やかにしか改革は進みません。漸進性こそ真の保守のものですが、その根底には懐疑主義的な人間観があります。だからこそ理性的不完全さを前提にし、信念を曲げないという宗教性が必要なのです。良識は経験知ですが、個別の意見に耳を傾けること。
    地域の複雑な事情を無視し、本部方針をおしつけるやり方からは、対立と分断が生まれるのは当たり前。苦しみに寄り添うことがない人間の本性が表れたと、わたしは理解しております。また、宗教的動機からの政治という現実改革は、純粋に不純を混ぜ合わせるようなものです。不純を濾過する力がない者が指揮すると、悲惨な結果に終わる。会員も不幸になります。

    ◇◇◇

    人権教育ウェブサイト
    が開設されました(9・21の聖教報道)
    また、「核兵器なき世界への連帯」展がモンゴル・ウランバートルと渋谷で開催されました。
    「7色に輝く女性展」は創価女性会館で開催され、先月で終了しました。ほとんど、先生のスピーチに登場する女性です。セクシャル・ハラスメントについての意識が低い創価内での問題は、そもそも創価の第一婦人として尊敬を集めている香峯子奥さまの古風な言動に起因していると思います。
    全国婦人部長のうえに位置しリスペクトを受けていると思われていながら、役職はなく、役職に付随している明確なインフルエンスもありません。また会合等のご指導やご意見が紹介されることはほとんどありません。夫にささやく力はあるのでしょうが、社会に開かれた視点を持ち、女性の立場から宗教へのアプローチや問題意識があるのでしょうか、尊敬に適う発言があるのも当然と思います。
    奥さまの本名は「カネ」と言いますが、香峯子と改名したのも、戸籍上の公式のものなのか分かりませんが、先生も改名しており、体面を飾る性格は、夫婦で似るものなのですね。その良妻賢母の美徳は、慎ましやかで従順で、自分から何かを提案し制度やしきたりや習慣を変えることはありません。
    現状肯定の行き着く先に、やがてレリジャス・ハラスメントへと発展し過大な負担と献身を強いられること。およそ人材の欠乏は、組織の人間関係や教義への共感性の欠落から生まれますが、リーダーの力不足が影響し、何でも宿命だと指導する宿命ハラスメントや、問題解決の唯一の方法は題目しかないという題目ハラスメントの定型的解答は新鮮さが失われています。つまり凡庸な仏法理解の手垢にまみれた表現を聞かなければならないときは、失望と悲観と落胆とため息があるだけ。

    このようなビデオ制作には、それ相当の資金を投入していると思われますが、財務の真心が活かされていることを祈るばかりです。人権という言葉も意味も学習することがない国や地域があることに、ただ驚きますが、もっと悲惨な境遇にある子どもや女性たちが、きっといるのでしょう。
    尊厳への道は、終わりがない果てしない物語です。奉仕し、従事している人々の忍耐強さには、深い敬意を覚えます。世界は不幸せに満ちています。

    A Path to Dignity: The Power of Human Rights Education
    (画面上の字幕のアイコンをクリックすると日本語訳が見れます)



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    「いくさやならんどー」 2

    わたしには、沖縄出身の友人も知人もおりません。また観光で沖縄を旅行し、自分の目で実際に美しい海や島を見たこともありません。9月16日の聖教に、粟国島で中学校教員をしている女性の体験が掲載されておりましたが、その記事に紹介されていた優しそうな婦人部員の背景に映る青い海を、わたしはしばらく見つめておりました。白い波と白い砂と透き通るような海の青さのなかで、笑顔の主人公はとても幸せそうに感じられました。
    グローバル・ウオッチの題名は、「ウチナーの心で育む 世界の"モデル地域"」
    何のモデル地域なのだろうと、読んでみると、「沖縄は世界で最初の広宣流布のモデル地域」という池田先生の言葉が紹介されておりました。「島チャビ(離島苦)」と言われる島特有の不便さのなかで、彼女はひたむきに頑張っているようです。このような純粋な一途さは、信仰者の特徴をよく表しているようです。
    「広宣流布のモデル地域」という言葉は本当なのだろうか。そのモデル地域で、なぜいつまでも解決できずに、基地問題があり、悩まし続けているのだろうか。

    毎日新聞社から出ている『大道を歩む~私の人生記録』シリーズ4巻は、Amazon で中古本が1円という安さです。誰も買う人がいないだろうと予想して投げ売りしているものでしょう。ゴミとして処分してもお金が掛かるし、まさか0円というわけにもいかず本屋さんを悩ます最悪の本。きっと、会員の本棚には、こんな本がどっと横たわっているのではないでしょうか。
    第3巻には、1992年の中東の旅が綴られており、エジプト・ムバラク大統領と親しく会見した様子が語られておりますので、おそらく、再版されることはないと思います。もともと売れそうもないのですから、無理ですね。
    この誰も読まないエッセーの第2巻のなかに、「世界のウチナーンチュ」と題して、沖縄のことが詳しく書かれておりました。1988年、沖縄訪問に際してのエッセーです。

    『太平洋戦争で唯一の地上戦の戦場となり、“鉄の暴風”が山河の形まで変えた地である。
    過酷な琉球支配の歴史も見逃せない。
    最も苦しんだところが最も幸せにならなければならない――。そのために、どんな努力でも払うのが、仏法指導者の役目と信じる。
    私は、いつもそんな思いで訪れるのだが、沖縄には悲惨や悲嘆を吹き払う明るさが、人にも自然にもあり、心が洗われる。

     沖縄には、文化的な懐の深さがある。
     すべてを包み込む、母の温かさがある。

    15世紀以来、琉球国・中山王は中国皇帝によって任命される形だった。これを冊封(さくほう/さつぽう)といい、首里王府が中国・明の使節である冊封使 (さくほうし/さつぽうし)を迎えて行なわれた。
    そのころの重要なキーワードは"迎恩(げいおん)"であるという。大事な使節を迎える際に、この言葉が使われた。"迎える恩"というところに、沖縄の心があるように思う。
    そして、武力を以てせず、歌舞音曲(かぶおんぎょく)という文化の力を以て、海を越えやって来た数百人にのぼる冊封使をもてなしたのである。
    復元された首里城の正殿に向かって左、北殿はかつて冊封使の接待に使われた建物である。
    王府の役人の床の間には、刀ならぬサンシンという沖縄独特の三味線が飾られていた。
    いわば、"文化立国"なのである。
    "迎恩"は、その後、広く庶民の間に、人々を迎える際の礼節として受け止められていった。こうした心豊かな伝統が沖縄文化を育み、沖縄精神の一つとなって今日まで受け継がれてきた。
    さすが"守礼の邦(くに)"である。沖縄を訪ねた人が感じる、なんともいえない温かさの所以が、ここにあろうか。
    沖縄の人々の心根の良さ、優しさは折り紙付きである。
    沖縄の人がよく口にする「チムグルサン」という言葉がある。
    チム=肝・心が、グルサン=苦しいという意味である。可哀想などといった一方的な、また高みから見た言葉ではない。
    憐憫の情ではなく、同じ目線に立ち、苦しみを共有する「同苦の心」である。思いやりにあふれた社会が、沖縄なのである』

    『ウチナーというのは「沖縄」のことで、ウチナーンチュとは「沖縄の人」。日本を「ヤマト」といい、ヤマトンチュといえば「日本の人」。
    もっともこの区別も、差別するためではなく、ウチナーンチュが広く人々のために働こうといった、自分たちを奮い立たせるニュアンスである。
    それは、牧口(常三郎・創価学会初代会長)先生が、日本の偏狭な精神風土として弾劾してやまなかった閉鎖的な島国根性ではない。沖縄は島国ではなく、まさしく海洋の国として、心を大きく外へと開いた地なのであろう。
    そんなウチナーンチュが海外の地に移住した時に見せる、環境への適応力、困難に対する強靭さや、助け合いの精神などは、沖縄社会のありようと無縁ではないようである。
    世界の各地で活躍する、沖縄から移住した人々、つまり"世界のウチナーンチュ"は、いろいろな文化の多様性を享受しながら、一方で沖縄文化の良さを失っ ていない。
    文化の差異がもたらす豊かさを知り、だからこそ自分たちの沖縄の文化を大事にして生きるのである。
    各地で歌い続けられ踊り継がれた島唄、そしてカチャーシーの踊り――。
    カチャーシーは、ブラジルのサンバのように、またたく間に、人と人を結ぶ。
    人生の四季折々に歌われ、国境・民族を超えて喜びの輪を広げている。
    南米をはじめ各地で、ウチナーンチュは同胞のみならず、その国の誰に対しても、困っているならば、ウチナーグチ(沖縄の言葉)で、サンシンをつまびきながら島唄を歌って励ました。手を取って立ち上がり、ともに歌った。
    言葉は通じなくても、真心が通じた。それは自国の文化の押しつけではなく、自国の文化による人類への貢献といえよう。
    自分の持っている文化的伝統を捨てることなく、しかも他者のためにつかう――。この「自他共の幸福」を願う特性が、ウチナーンチュには備わっている。
    それが出自を忘れることなく、しかも世界各地に溶け込むことを可能にしたと見たい。

    先の大戦では、実に県民の4分の1が犠牲になった。戦後の瓦礫の中から沖縄の陶磁器のかけらや、焼け焦げた紅型(びんがた:沖縄で発達した模様染め)の切れ端を拾い集め、バラックの粗末な小屋に展示した。連日、押すな押すなの盛況だった。
    人々は生き抜くために、自身の依って立つ文化的アイデンティティー(自己同一性)を必死に求めた。それは同時に、世界への貢献の心を求めたのであった。

    沖縄の料理といえば、有名なチャンプルーがある。
    いろんな身近な素材を一緒に炒める。ベースが素麺であったり、豆腐であったり、ゴーヤというニガウリであったりする。
    しかも家庭の、母の味だ。いろんな素材を混ぜ合わせ、それぞれの味を生かしながら一つの料理にする。
    沖縄の文化のチャンプルーには、ヤマトもあり、中国もある。韓・朝鮮半島もある。アメリカもラテンアメリカも、ヨーロッパもある。
    それらがウチナーと渾然一体のハーモニーを奏でる。
    "チャンプルーの心"の根底には、他者を持て成してやまない、他者の喜びを我が喜びとし、他者の苦しみに同苦するウチナーの心があろう。それは 若夏(うりずん)の太陽のようにまぶしい』


    そして、南米で活躍する会員の姿を紹介し、海外移住の逞しい沖縄人の先駆者でもある、"県移民の父"と尊敬される当山久三氏の功績を描いて、世界に通用する沖縄の文化的国際性を強調する。

    『沖縄の先人たちは、サバニという小さな舟で海に勇敢に漕ぎ出して、黒潮に乗って、ジャワ、スマトラまで、縦横に駆け、いち早く交易圏をつくり出してきた人々である。
    15世紀末の大航海時代に進出したポルトガルやスペインによって、この大交易時代は終わるが、ウチナーンチュにとって、海はゆく手を阻む"壁"ではなく、未知の世界を開いてくれる"道"であり続けた。
    ニライ・カナイ――。幸せは海の向こうからやってくるとする思考も、外を恐れない心を育んだのであろう。
    歴史的に見て、沖縄の海外移住は"県移民の父"といわれる当山久三(とうやま・きゅうぞう)にさかのぼる。
    明治政府は、沖縄において江戸時代の旧慣を温存した。
    琉球王府と薩摩藩の支配にあえぐ人々の暮らしは、形こそ変われ、そのまま残った。世界に類例を見ない悪法とされた"人頭税"もそのまま残った。
    地租改正がなされたのは、本土に遅れること36年。衆議院議員選挙も長く行なわれなかった。
    沖縄の人々は、意見を言う機会さえ奪われ続けたのである。
    不況の波は 容赦なく襲い、米はもちろん、食べるイモさえなく、人々は、慎重に調理しなければ命にかかわるソテツで飢えをしのいだ。世に言う"ソテツ地獄"である。
    当山は、自由民権運動に挫折した後、沖縄の窮状を救う現実的な方途として、移住に情熱を燃やし、今から百年前の1899年に、自身の出身地である金武 (きん)村をはじめとする26人を、最初の移住団としてハワイへ向かわせている。
    自らも4年後には、第2回の移住者を率いてハワイへ渡航。現状を視察している。
    彼はその心意気を、こう詠んでいる。
     「いざ行かん 我らの家は 五大州(=5大陸)
      誠(まこと)一つの 金武世界石(きんせかいいし)」
    なんと気宇壮大な歌であろうか。
    事実、沖縄からの移住者は、五大州を家として誠一つで働きに働いた。
    今日の世界での活躍の礎石は、百年前につくられたのである。
    第2回の移住で、金武村からハワイへ渡航した人を祖父に持つ沖縄の友によると、サトウキビを刈り取り肩に掛けて運ぶ重労働で、祖父の右耳は真下へ完全に折れ曲がっていたという。それほど懸命に働いた。
    沖縄には、古来"ユイマール"という助け合いの形態がある。ユイ=結び、マール=回る、である。つまりサトウキビの収穫時や田植え時などの農繁期に、地縁・血縁でグループをつくり、順番に農家を回って共同作業をした。
    こうした労働交換の伝統が、世界各地へ移住した後も、県人会を通して受け継がれていった。海外の灼熱の大地に鍬をふるいながら助け合い、苦しみを共有す ることで乗り越えていったのである。
    もちろん単なる形式ではなく、助け合いの精神の大切さを、沖縄の人々は体で知っていた。
    台風がよく来た。自然の猛威の前に、ひとたまりもなく畑はやられる。嵐が去ると、牙を剥いていた海は やがて凪となり、静かな豊饒(かりゆし)の海が眼前に広がり、海の幸をもたらしてくれる。
    じっと耐え、助け合っていけば、いつか乗り越えていける――。この楽観主義に立たなければ、明日を迎えられなかった。決して絶望しない強さ。それが沖縄の人にはあった。
    今や移住百年で、ウチナーンチュはブラジルで日系人の約1割を占める8万人――。ペルーでは日系人の半数をはるかに超える4万5千人。アルゼンチンでは約3万の日系人の7割が、沖縄出身である。

    移住先で過酷な試練をはねのけたウチナーンチュの"一人立つ強さ"は、絶望的とも見える困難を乗り越え、各地で勤勉と努力の実証の華を咲かせていった。 ウチナーンチュには、何よりも"人間としての強さ"がある。
    特別な後ろ盾や地位がなくとも、一人ひとりが、原体験から平和の尊さを妥協なく叫び続ける。
    戦前、沖縄の小学校では沖縄の方言を使うことを禁じられ、もし使うのを見つけられると、罰として首に「方言札」を掛けられた。
    自らを蔑視させられた忌まわしい過去――。この経験から、人権の擁護には己を賭して立ち上がる。誰を頼るのでもない。いわれなき差別を本然的に許さない……。
    この地で仏法流布が着実なのは、一人ひとりの自立の基盤をより強め、一人立つ心を涵養する仏法の精神が、強き"ウチナーの心"と響き合うからであろうか。
    一時的な流行や権威・権力の介入を嫌い、草の根の動きを見定め、良いものは良いと認める、沖縄人の平等で鋭い眼力からであろう。
    もちろん、その陰に、我が沖縄の同志たちの尊き献身があることは言うまでもない。
    ――5年ぶりの沖縄訪問で、私は語りに語った。
    法華経には、三変土田の原理が説かれる。
    国土の宿命は、人によって転換される。
    まさしく立正安国論に仰せのごとく「国は法に依つて 昌(さか)え法は人に依つて貴し」である。
    また、「一切の事は国により時による事なり、仏法は此の道理をわきまうべきにて候」である。
    郷土の発展は、そこに住む一人ひとりの向上と活躍による。社会と国土の繁栄の根本道である妙法で自身を磨き、日本一、世界一の理想郷を築いてほしい ――と。

    海外貿易が盛んなりし頃、首里城正殿(せいでん)に掛けられた巨鐘(きょしょう)には「万国の津梁(しんりょう)となし、異産(いさん)至宝 十方刹(せつ)に充満せり」と刻まれている。
    国際交流がもたらした至宝は、文化の差異を認め合い、多様性の中に豊かさを見い出して"世界市民"として生きる"沖縄の心"に他ならない。
    沖縄こそ万国の津梁・懸け橋となり、世界へ優れた文化・英和意識を"発信"しゆく大いなる使命を持っている。
    ウチナーンチュが、いよいよ真価を発揮する舞台こそ、21世紀である』


    池田先生の沖縄の知識は相当のものですが、内部アンチと悪口や陰口を言われているわたしが言えば、アンチの方々から、代作なんだからなどと批判されてしまうのでしょうか。「小説・人間革命」には、自己プロバガンダの部分が多いと感じますが、師弟不二を強調するわりには、弟子の心配りや思いやりに不満を感じていらっしゃるのかもしれません。ともかく、エッセーは優れております。

    大河ドラマの「西郷どん(SEGODON)」の前半のハイライトでは、愛加那との出会いや別れの他、風俗や文化、サトウキビ産業や薩摩藩との従属的関係に、大変興味が刺激されました。実際は、奄美大島を統治する琉球王につながる家系らしく、貧しい農家という印象ではないらしい。西郷隆盛が生きていれば、琉球も違う歴史をたどっていたかもしれない。
    人頭税は過酷な支配の象徴のような税制で、20世紀初頭まで残っていたと言われております。
    沖縄の一部に独立を主張する根強い勢力がおられますが、沖縄の歴史を知れば無理もないと思えてきます。強圧的な迫害を受けて、生きる場所を求めることで移民も盛んに行われたのでしょう。
    悲惨な歴史の頂点を極めたのは、第二次大戦のアメリカ軍上陸の戦場となった沖縄であったことを、わたしたちはよく理解する必要があるでしょう。科学的で合理的な技術で制御された、物量を投じて発展した大量生産の時代は、大量殺戮の時代でもあるのです。それ以上に、生命尊重の思想が風化し、その脈々としたエネルギーを失う時代でもあるのですね。
    戦後の沖縄において、政治が果たした役割は、きわめて悲観的で限定的な制約がありました。防衛という大義の影で、犠牲を強いられてきた沖縄県民の姿に同情しない日本人がいるのでしょうか。漸進的な変革を望む宗教指導者は、理念を語り、提案ばかりして会員を誘導し、結局は政治的権力で強行する無責任さです。世俗的な駆け引きの手先となっても、会員のナイーブさは盲目という無垢のなかにあります。なぜ大きく目を見開いて、自分を縛っている目の前の問題を見ないのでしょうか。

    公明支持者のなかで、基地問題への対応で、意見が割れ対立しているということをお聞きしました。そもそも宗教組織であって、政治組織ではないのですから、意見が割れても不思議ではありません。むしろ、いろんな意見があって健全です。信仰組織にまで対立が持ち込まれることに、創価は不寛容な組織に変容しつつあることが窺うことができるでしょう。政党など、どこを支持してもよいと思いますが、過去に、戸田、池田先生がそうご指導されてきたのではないでしょうか。
    「核も基地もない平和で豊かな沖縄」
    そう書いたのは「人間革命」ですが、沖縄の人々の願望を適切に表しているでしょう。池田先生は、御本尊についても会員を欺きましたが、基地問題についても、沖縄の人々にも顔向けできないような都合のよいことを言い続けてきたのではないでしょうか。公明党を使って、さらなる苦痛を与えようとしています。悲しいことですが、創価を滅ぼす因を作っているように思われる。今では会員の前から姿を消して大文豪気どりでいるのに、ノーベルメダルは贈られましたが、ノーベル賞はとれなくて残念でしたね。
    「新・人間革命」について、2001年の12巻終了時点で、次のように思いを語っております。
    『大デュマの大著で知られる「モンテ・クリスト伯」は、もとは新聞の連載小説で、たまたま一日でも休むと、パリ市民はもちろん、フランス全土が陰鬱な気分に陥ったという。作家冥利に尽きるというものである。
    「戦争と平和」のトルストイは、大作の完成に五年をかけた。
    「レ・ミゼラブル」のユゴーは、初稿を執筆後、十二年の中断があったが、再び執筆を開始して、二年で出版している。これら大作家は、八十歳を超えても、なお生き生きとしてペンを執った。ゲーテしかりである』
    (大道を歩む・第三巻:平和への叙事詩「新・人間革命」)
    文字通り、大作家と大作品をならべて、おだやかに対照しているところが、誇大妄想的な自己顕示があるでしょう。こういった文章は「人間革命」のなかでも随所にみられますが、不自然さがないばかりか、繰り返されると説得力があります。
    別の個所では、真実を書き綴りゆくとして、次のように語っております。
    『「新・人間革命」には、いかなる名誉も求めず、いかなる報酬も望まず、ただただ仏法広宣に、力強く気高く生き抜いた地涌の群像が描かれていく。後世の人々が、この民衆の軌跡のなかから、未来の指標を引き出していかれんことを願いつつ、私は筆を執り始めた』
    『第二次世界大戦の悲劇に塗炭の苦しみを味わいながら、冷戦が激化し、いっこうに戦火が止むことがない世界には、人間の業火が燃えさかっていた。出口を見いだせない人類の苦悶を真っ正面から見つめ、一つの回答を示そうとしたのが、この主題であった』

    会員の皆さまは、名誉も報酬も求めていませんが、リーダーはどうなのでしょうか。階級が上がるたびに欲深くなるようです。中国共産党と同じです。昨今は終活が流行しているようですので、あの世に持っていかれない余計なものは整理したほうがよいかもしれませんね。死に勝る主題はありませんし、生の総括としての人間主義も正念場を迎えます。【生と死の永遠の激闘】壮大な構想と壮大な着想と壮大な物語に圧倒されます。

    ◇◇◇

    この記事の目的である『いくさやならんどー』のなかから、一人の体験を紹介します。どれほどの真実が表現されているのか、血の涙という言葉がありますが、苦しみの極限に衝撃を受け、その数奇な運命に絶望感だけがあふれます。
    「平和への願いをこめて」という全20巻シリーズのなかの一冊・『いくさやならんどー』は、婦人部の総力が結集された反戦出版です。84年の出版ですが、婦人部平和委員会が編纂した貴重な証言集であり、その後の反戦・反核展や国連軍縮キャンペーン、平和講演会へと発展していくアクティビティーの自信と信用となり、社会参加へのベースとなりました。

    okinawa-02.jpg『「母の遺言」:T・O(47歳)
    沖縄戦終焉の地・島尻で、私は両親を失いました。姉と私と弟は、不思議にもあの激戦の最中、バタバタ死んでいく人達の中から生きのびることが出来たのです。
    飛行機の爆音と共に「助けてくれ!」と叫んだ母の声。避難先の東風村(こちんだむら)の壕の前で無惨にも母は両足を付根からもぎ取られていました。母に泣きすがる私達。父も瀕死の母を前に、なす術もありませんでした。
    「父ちゃんがいるからなんにも心配はないよ、三人で力を合わせて生きて行きなさい。母ちゃんがこれからいうことをよく聞きなさい。意地チリヨー(勇気を持て)、誠(マクトウ)シヨー(誠実であれ)、人(チユ)ヌ手(テイ)ヤカインナヨー(他人に依頼心を持つな)」
    母はそういい終わると息を引き取りました。父も間もなく艦砲射撃で脇腹をえぐり取られ死去しました。
    終戦後、収容所から住みなれた地へ返された私達は、両親が残してくれた僅かばかりの畑を耕して野菜などを作りました。午前五時に起き、学校へ行く前に十二キロ離れた市場へ売りに行きます。毎日の生活は厳しく世間の冷たさもいやというほど味わいましたが、多くの方の親切に支えられたことは生涯忘れません。「意地チリヨー、誠シヨー、人ヌ手ヤカインナヨー」苦しかった日々に私達姉弟を勇気づけ励ましてくれたのは、母のあの言葉です』


    長大な小説を描く人よりも、意識も遠のくなかでの必死の言葉の真実と、愛情、慈悲深さに心が動かされます。現在の沖縄の諸々の問題を見透かしているかのように励ます姿は、子を思う親の心情というだけでなく、人間の生き方の指針を、命と引き換えに伝えているようです。沖縄にあふれるヒューマニティーは、例えようのない苦しみから生まれるのでしょうか。
    ウチナーンチュには、その子どもたちも孫たちも、悲しい歴史を刻んだ島も、かつて真紅に染まった海も、灼熱の砲弾の炎におおわれた空も視界も、唯一のものを失い続ける世界の中心で、どこよりも誰よりも、平和で争いがなく、今まで以上に幸せでありますように、それがわたしの願いです。

    Rebirth - Two Steps From Hell


    abc-0112.jpg

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    「いくさやならんどー」 1

    『内戦の中、ある母に――
    「おまえはどの党を支持しているんだ?」
    「知りません」
    「おまえは共和党か、王党か? どっちについているんだ?」
    「わたしは子どもたちについています」』

    (ヴィクトル・ユゴー作「九十三年」から)

    「君が世界を変えていく」(池田大作・朝日出版社)にまとめられたエッセーは、聖教に掲載されたものです。ユゴーの貧しい者への慈しみを紹介した一節は、革命とヒューマニズムという小説の主題を感じさせます。ユゴー自身、過酷な環境におかれても、不屈の魂で自らの人生を総括しました。
    「もう殺戮はたくさんだ!」と題されたエッセーのなかで、悲惨なエルサルバドルの内戦を語りながら、次のような戸田先生の言葉を引用しております。

    『私は「感傷的な話」をしているのではない。母と子を救えと叫ぶのは、感傷ではない。「国際政治の現実を知らない、きれいごと」でもない。反対に、これほど現実的な話はないと信じている。この現実を救うために、あらゆる知恵をしぼるのが、真の政治だと信じている。
    創価学会の戸田第二代会長は、私の師匠である。師の会長就任は、五十年前の一九五一年。朝鮮戦争(韓国動乱)のさなかであった。就任に先立つ臨時総会で、先生は言われた。
    「朝鮮戦争の勝敗、政策、思想を、今ここで私は論ずるものではありませんが、この戦争によって、夫を失い、妻を亡くし、子を求め、親をさがす民衆が、どれほど多くなっているか、それを嘆くものであります」と。
    「昨日までの財産を失って、路頭に迷い、悲しみ苦しんで死んでいった人もいるでありましょう。なんのために死ななければならないのかと憤りつつ、死んでいった若者もいるにちがいありません。私はなにも悪いことはしなかったと叫んで殺されていく老婆もいるでありましょう。また、親とか兄弟とかが、この世にいることを不思議がる子どもの群れも、あるいはできているかもしれません……」
    「彼らのほとんどは、共産思想とはなにか、国連軍がなぜやってきたのか、何も知らないにちがいない。お前はどっちの味方だと聞かれて、びっくりしながら、ごはんが味方で、家のあるほうへつきますと、平気な顔で答える情景もあるにちがいないと思うのであります……」と。
    恩師の心は、常に、最も弱き立場の人の上にあった。
    この一点から発想しなければ、大地から足が、ふわふわと離れた机上の議論だと思っておられた。
    そういう、民衆を忘れた議論は、冷たい観念の刃で、民衆を切り捨て、切り裂いていくことを見抜いておられた』
    (「もう殺戮はたくさんだ!」)

    「小説・人間革命」の連載が終了しましたが、特に感慨はありません。基本的にフィクションであり、また先生の決意小説であり、菩薩像の一つの姿であり、励ましの小説でもあります。また、良い意味でも悪い意味でも、宗教教団の歴史の捏造という、決してやってはならないことをやりながら、真実をアピールするやり方は、会員のみに受け入れられる書き方でしょう。9月の本幹で「真実」と「事実」は違うと語っておられました。アーカイブからランダムに選ぶわけではないでしょうから、この放送はきっと、事実と違うという言い訳の理由付けが目的なのでしょう。池田先生のご指示があったのでしょうか。事実を意識的に歪めている時点で真実は失われると思う。「小説・人間革命」を象徴的に言い表しているようです。それに比べれば、上記のエッセーは、中、高校生から幅広い青年層を対象にしたものと思いますが、良質の出版であることは疑いありません。
    ものの見方について、次のような優れた表現もありました。
    『だれもが自分に問うてみる必要がある。
    自分は、与えられたイメージを「うのみ」にしているのではないか?
    不確実な情報を吟味もしないで、そのまま受け入れているのではないか?
    しらずしらずのうちに、偏見に染まっているのではないか?
    そもそも自分は、どれだけ事実を知っているのか?
    自分で確認したか?
    現場に行ったか?
    本人に会ったか?
    その言い分を聞いてみたか?
    悪意の「うわさ」に踊らされているのではないか?
    こんな「自分との対話」が大事ではないだろうか。
    「自分は、自分で気づかない偏見を、いっぱい持っているにちがいない」と自覚している人のほうが、「自分には偏見など少しもない」と思いこんでいる人よりも、異文化との対話もスムーズに進むだろう。
    自分を見つめず、自分と対話しなくなった人は、独善的になる。一方通行の道路のようになる。話を聞かない。対話もできない。
    平和のための「対話」。その出発点は、謙虚な、「自分との対話」なのである』


    偏見や先入観を持たないこと。仏教の優れた「内面を観ずる」方法は、行動を公平に評価するために有効ですが、実際に活用するトレーニングを行わなければならないと思います。信仰は最良の自己再生の心理過程をたどりますが、言いかえれば内面への深いアプローチが信仰ということ。「自己との対話」は真摯でなければできません。少なくとも、言い訳して自分さえ欺き、他に目をそらさせようとする信仰者は、妙法の正直捨方便の姿ではありません。偏見や先入観は方便に含まれるでしょう。
    仏教の平和思想のバックグラウンドに、「一切衆生悉有仏性」という言葉があります。生命の尊厳を説く仏性論と、仏国土論の理想社会の実現は、創価の平和思想の根本です。現実への果敢なアプローチは、やや疲労気味に意識が混迷していますが、それは中心をなす御本尊や三大秘法の教義に普遍性が感じられなくなったからでしょうか。柱がなくなれば家も傾きます。
    日蓮の「立正安国」は正法に帰依することを前提にしているのか、していないのか、議論の余地がありますが、現在の平和運動の基本は、悲惨の二字をなくすと宣言した、戸田先生の理念にあることは言うまでもないことです。「小説・人間革命」が沖縄で執筆開始されたことはよく知られておりますが、たぶん、池田先生は沖縄の風土にそうしなければならない理由を感じられたからでしょう。
    沖縄は、第二次世界大戦の唯一の地上戦が行われた舞台です。その国土の宿業ともいえる貧困や戦火の繰り返しは、地政学上の要所としての重要性もあり、悲惨な歴史から逃れることができない必然的な悲しみがありました。大海にある島は、紛争や戦争の舞台になりやすいことは、少し考えればわかります。戦略上の拠点を築きやすいこともありますが、島であるがゆえに征服されやすいという欠点もあります。東シナ海と太平洋を分ける線上に位置し、尖閣諸島問題をはじめ多くの領土問題を抱えていることは周知の事実です。このような複雑さは地理的な利点が国家利益に直結するからです。
    沖縄はその複雑さのなかで、いつも揺れ動いてきました。そしてそのたびに争いが起き、島民に犠牲が強いられたのです。平和を願うなら、まず沖縄からと考えるのも、その歴史を知れば、沖縄の民の人の良さとおおらかさに日本人の原風景を見ると同時に、平和を強く望むのも当然のことなのです。

    創価では、反戦平和の具体的活動を粘り強く推進してきましたが、その多くは池田先生の平和提言や著名な平和活動家などとの対話から、その範囲を広げてきたものです。核兵器廃絶への国連をはじめ国際的なロビー活動は民間組織として顕著ですが、一朝一夕に信頼が高まったものではありません。
    その反戦平和の中心となって活動している主体は青年部ですが、現在では小じんまりとした縮小傾向にあり、その原因として、なにより人材不足が響いています。婦人部は、創価の草創から弘教の主力を努めてきました。平和運動も草の根の地道な活動を土台にしながら、活動の幅を広げてきました。女性の視点から平和運動を論じ行動する必要性は、女性の社会参加の観点からも大切なことですが、創価婦人部は着実にその困難な足跡を積み上げてきました。わたしが各年代の婦人部に接してきた感覚では、20~30年前に最前線に立っていた婦人部が、ずっと問題意識があったように思う。現在の婦人部の主力はまるで、意志不在の選挙要員に成り下がっているように思えて、どうしてそのようなレベル低下を招いたのか、信仰そのものに問題があるように思えて仕方ありません。
    そのなかで特筆すべき活動に、反戦出版を通して、戦争体験を歴史の証言としてまとめたことです。第三文明社からの出版は、絶版になっているようですので、非常に残念です。貴重な証言集は二度と編むことができない無二のものと認識しておりますが、多くの市民に読まれ、その価値を認められてこそ、創価の平和運動も社会の底辺に定着するものと思います。
    創価も教義上の問題を抱えておりますが、明快さが不足したその曖昧さは致命的な欠陥になる可能性があります。世界宗教と広言し、その賛同者を求めていく創価の平和運動は、他宗教の共存と共有、仏教がキリスト教やイスラム教と共存できるのかという難しい問題があります。そのためには対話が欠かせませんが、対話力に秀でたリーダーがいるのだろうか、悲観的な情勢だけが頭をよぎります。

    「小説・人間革命」の終了で、一つの区切りがつきました。現代の御書とか、教科書というわりには、会員の原動力になっていない気もしますが、学習意欲にも末法的な減衰感に似たものがあるのかもしれません。感じ方はいろいろなのですから、読んで生命力が弱くなる悪循環もないとはいえません。唱題して疲れる場合もあるし、深く集中しなければ血液も浄化されません。わたしの場合はスピリチュアルな感度が磨かれません。題目の数を自慢する人がおりますが、自慢しただけ、生命は負の方向に傾いていくでしょう。自己顕示欲と「慢」という意味をよく知らなければなりません。
    現代の御書などという形容を聞くと愚かさより感じませんが、先生の側近からそのような発言があることに、信仰では冷静さは実現しにくいものという感慨を抱いてしまいます。自己啓発は、客観的な自己診断が必要です。過剰な形容は間違いの元。
    「人間革命・13巻」に返還前の沖縄が描かれております。
    『沖縄の問題は、山本伸一が最も胸を痛めてきたことの一つであった。
    彼は、佐藤・ジョンソン会談の三ヵ月前にあたる、六七年(昭和42年)八月の第十回学生部総会で、沖縄問題について、次のように言及していった。
    「日本の一部である沖縄が、戦後二十二年間もアメリカの統治下に置かれてきたことは、沖縄の百万島民はもちろんのこと、日本人全体にとっても、忍びえないことでありました。
    したがって、名実ともに、沖縄のすべてを日本に復帰させることは、現地住民の悲願であるだけでなく、日本国民全体の願いであります。
    現在、沖縄は、米軍の施政下にあり、現地の人びとは、日本人として平等の人権が尊重されず、普遍的な国民福祉の享有が、できない現状であります。のみならず、沖縄に軍事基地が置かれている事実は、日本の運命、世界の平和にとって、大きな脅威であり、核兵器の持ち込みは、日米間の友好関係を促進するうえに、大きな障害となっております。
    私は、この沖縄の現状を改善していくために、次のように主張したいのであります」
    そして、「施政権の即時全面返還」「核基地の撤去」「通常基地の段階的全面撤去」を訴えたのである。また、産業振興対策を強力に推し進めていくために、「沖縄経済総合開発調査会」「沖縄総合開発銀行」の設立等も提案していった。
    彼の提案は、これまで沖縄に何度も足を運び、その現状を見て、さまざまな人びとと対話を重ねるなかで、練り上げてきたものであった。
    核も、基地もない、平和で豊かな沖縄になつてこそ本土復帰である――それが、沖縄の人びとの思いであり、また、伸一の信念であった。
    「本土復帰」という住民の悲願の実現を盾に、核兵器や基地を沖縄に背負わせるとするならば、かつて沖縄を本土決戦の"捨て石"にしたことと同様の裏切りを、政府は重ねることになる』


    聖教に連載されたのは2002年のことですので、16年前の「人間革命」ですが、山本伸一がいかに沖縄を考えているかというパフォーマンスに満ちております。「核も基地もない平和で豊かな沖縄」どこかで耳にしそうなフレーズが、どれだけ沖縄の人々を裏切ってきたのか。政治家と違い公約でありませんので好き勝手なことを言えるわけです。あたかも、沖縄の救世主のような振る舞いですが、どこまでも自分で自分を誉める自己評価のレベルを出ていません。
    裁判まで発展した普天間基地移設問題は、2016年12月、最高裁で判決があり県の上告を棄却しました。国の勝訴が確定はしたものの、この裁判を提訴した国交大臣が、皮肉にも公明党・石井啓一大臣です。そして、与党としての公明党を強力に支援しているのが創価なのです。その創価の理念の体現者が先生であり、「核も、基地もない」と適当なことをいって沖縄の人々を喜ばせ、新たな基地を造ることに賛成しているのが公明党の支持者なのです。
    民主党政権のとき、後先を考えず「最低でも県外」と無責任な発言をした鳩山元首相と、立場は異なりますが、責任を取らないことでは同じです。また、中国のたびたびの領海侵犯を危惧し、防衛上の必要悪として基地容認する本土の会員をよく見かけますが、沖縄の人々に言わせれば、本土都合の上から目線というところかしら。日米地位協定はもちろん日米安保条約そのものの見直しが必要です。池田先生も「人間革命」で提案しておりますが、「基地の段階的全面撤去」という具体的な進展はあったのでしょうか。そもそもその具体的な案を持っているのでしょうか。言うだけ言って後は政治の仕事だと、いつものように逃げるのでしょうか。沖縄の人々を悩ませている日米地位協定について、公明党の発言や提案は何かありましたか?
    創価と公明党、現在はほとんどダブルスタンダードで動いています。創立の理念は失われておりますが、どういうわけか、会員の公明支援の縛りは強くなっているように感じられます。その矛盾をなんとも思わない会員は、政策については何も考えていません。基地があることによって、今までの数々の悲劇に苦しむ沖縄の人々に寄り添い、平和な島にしていくという具体的な解決の進展もなく、却って政治的対立の真正面に立って争う公明党を、一体会員はどのように考えているのだろうか。沖縄の宿命転換は成就されるのでしょうか。
    大御本尊の不受持を決定し会則変更したときも、執行部は、池田先生の考えを忠実に実行したと思われます。一方で肯定し、他方で否定する。そのような行為は半狂人であると牧口先生が言われておりましたが、とどのつまり、その矛盾を放置するいい加減さは、魔の所為にあたるのではないでしょうか。あるいは、沖縄の解答不能な問題を都合よく活用し、会員の正義心を煽って選挙運動に動員し、政権内に勢力を拡大しようとする意図も、今となっては分別があるのかどうかさえもわからない先生を、巧妙に利用しているということなのでしょうか。それも、それらも妙法の正しいメソッドなのですか?

    わたしの非政治的頭脳で考えて提案すると、
    一つには米軍基地の整理統合、縮小。
    二つ目には防衛問題全体を議論し、憲法改正を含んだ自衛隊の整備、米軍撤廃を実現し、自衛隊に段階的に肩代わりさせる。
    自分の国は自分で守るという大前提に立ち、その上でアメリカとの安保条約を見直し、安全保障を考えていく。アメリカに全面的に頼り、またはその核の傘に入り、抑止力を拡大する現在の考え方は、遅かれ早かれ放棄しなければならないでしょう。

    知事選が13日に公示されました。「オール沖縄」が支持する候補は、ある意味、複雑な沖縄の歴史を背負った人かもしれませんが、自由党出身であり、金権政治の洗礼を受けた小沢一郎代表の影響が心配です。わたしの杞憂であればよいのですが、政治家の原点、清潔で質素なプライベートであっていただきたいと考えます。沖縄にこそ、そのような政治家が必要です。
    また、一部の革新系の勢力は、身体に染みついた反日イデオロギーは簡単に払拭できません。沖縄の独立中立の選択は、どこまでも理想論であり、現実的でありません。却って貪欲なナショナリズムの餌食になり、再び紛争に巻き込まれる事態になるでしょう。そのような脅威が決して幻想でないことは、沖縄のそもそもの不幸であり、宿命とも言えるものです。

    前知事・翁長氏は知事になる前は、沖縄の自民党の中心にあり、とても保守的な政治姿勢の持ち主だったと思います。わたしの個人的感想を言えば、知事選に出馬するとき、それまでの人生を180度転換させる決断があったのではないかと思います。真の保守は歴史から学び、歴史の修正をはかっていくところですが、これはときには、イデオロギーの堕落と批判を受けることがあります。主要な論点である基地問題を、今まで通り国政の言うがままに受け入れることができないという結論は、歴史修正主義の一つの教訓から導きだされたものと理解します。沖縄を思う心情に溢れていますが、本土の人々には理解されなかったという寂しさがありました。安倍首相には、敵と味方を峻別する独特の勘があります。この政治家の性格が悪く働く方向に、森友問題や加計問題があります。辺野古に新基地は造らせないという翁長知事の強硬な態度は、沖縄関係予算の減額という報復で応えました。
    人生には、他人の理解が得られなかったとしても、潔く方向転換する瞬間があるのではないでしょうか。変節したのではありません。理想のために、来た道とまるで風景が違う、これから行こうとする道を選択したのです。苦渋の選択と表現したければそれでもよいでしょう。沖縄のために勇気を持って踏み出そうとしたのだと、わたしは考えます。
    そんな翁長氏を、売国奴とか、左翼とか、中国のスパイなどと軽薄な批判を繰り返してきた自称愛国者のなかに、会員が入っていないことを願うばかりです。
    コンサバを自認しているわたしですが、真の保守政治家に出会うことは稀なことと考えております。日本の安全保障を理解したうえで、沖縄のあるべき姿を苦悩し模索した政治家は、時間が経過すればするほど歴史のなかで輝き続けることでしょう。

    沖縄の経済は、主要な産業が観光に偏っているために公的支援が欠かせません。離婚率の高さの原因に経済的問題があると考えるのですが、児童の貧困率も高く、子育て・教育インフラの整備、社会全体の活性化が早急のテーマです。
    選挙を左右するのは浮動票の動向であることは、どの地域でも変わりありません。その浮動票のなかに、多くの女性票があると思います。防衛問題や基地問題は、女性にこそ考えていただきたいというのが、率直なわたしの意見です。また、基地問題にバイアスがなく、固定観念もなく、イノセントでフェアネスな若者世代にこそ、ピュアな発言と意思表示を期待します。
    現実的に基地が存在し、今すぐ撤去できないなら、その他の生活に直結する諸問題に目を向け、そのサービスを堂々と政治家に要求していただきたい。政治は、あなたやあなたの隣人やあなたが所属するグループや会社のためにあるのですから。主義や思想も大事ですが、それ以上に、毎日の生活が安心であり、安全であることを、誰しも望むのではないでしょうか。

    Okinawa war 1945 4 沖縄戦カラー映像(注意:残虐な場面があります)


    沖縄戦のフィルムが多く公開されておりますが、わたしには正視に耐えません。
    アメリカ軍が上陸した沖縄本島西南部・嘉手納湾一帯は米軍艦船で海が見えなかったとも言われています。1600余隻の艦艇とともに、制空権、制海権も奪われ、日本軍にすれば絶望的な戦況だったということです。また攻めるアメリカ軍も、第二次大戦のなかで、最も激しく過酷な戦場だったとも言われ、精神的な異常に陥る兵士も多くいたということです。そしてなにより、無力な沖縄県民を巻き込んだ戦闘が繰り広げられたこと。
    沖縄返還後も、占領状態は実質的に続いていると認識してもよいでしょう。アメリカ軍基地の70%が沖縄に集中している現実は、快く肯定するような正常範囲であるはずがありません。
    沖縄の人々の悲しみは、とても深く、つらいものであることを、戦争を体験していないわたしたちのような世代は、機会があるごとに考えなければならないでしょう。さらに戦争被害者であると同時に、加害者でもあることを忘れてはならないでしょう。暴力否定の十分な認識と学習と行動が、創価の新たな世代に必要です。安易な政治支援をしている場合ではありません。


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    法華経弘通の偉大さ

    『創価学会と日蓮仏法と活動』というブログに、「嘱累品」についての記事が掲載され興味がわきました。コメントしようと考えて、書き始めたところ、長くなり過ぎ、投稿するためには不適切と思われましたので、自分のブログに掲載することにしました。できれば、事前に当該記事を読んでいただければよく理解できると思います。

    ◇◇◇


    管理人さま、法華経に関して、誰もが思う疑問を記事にしていただきありがとうございます。

    植木訳の「法華経」は、大学時代に学生の身分にしては高価だったのですが、出版されてすぐ買い求めました。その後普及版も出版されたようですので、機会があったら注文したいと思っております。
    それ以来わたしは、法華経はもっぱら植木訳を基準としております。このような優れた研究が、創価内でも採用されることを願うばかりです。偏向なく公平に、優秀なものは採用し向上の糧にしていただきたいというのが、賢明な会員が考えることではないでしょうか。
    管理人さまの思考過程は当然のものと思います。よく熟読されており、疑問をおろそかにしない姿勢に学ばせていただきました。日蓮の御言葉を引用するまでもなく、「学」こそ信仰者の実践の芯になり動機になるものと常日頃感じておりますが、会員の間では、その意欲も減退しているように感じられ、会則変更や教義の深化に対する問題意識や情熱も劣っているように思います。
    普及版が出版されたとき、ほとんど同時に、対談「ほんとうの法華経」(ちくま新書)も出版されました。読まれましたでしょうか?
    この本は、法華経訳本とセットになっていると考えたほうがよいと思います。この対談の相手である橋爪大三郎氏は知られているように著名な社会学者であり、宗教にも強い関心を持ち、対談相手として申し分がないように思います。法華経に関して、新しい知見を展開している植木氏に、質問したいことを質問しているというふうな初心者的趣きもあって、植木氏から納得する回答を引き出しているところにおもしろさがあります。いくら訳本でも原典を理解するのは難しく、卓越した熟達者の解説が必要です。また、法華経は最良の信仰者のためのラーニング経典とも言えるでしょう。
    嘱累品第二十二」で本来は終わっているはずの法華経も、その後の六品を加えることによって法華経全体の主題と論点に曖昧さが逆に追加されたようにも思います。管理人さまが指摘されるような疑問が起きるのは当然ですが、法華経の内容の重要な意味も明らかになるような気もします。法華経に一切の無駄はないということと、考えれば考えるほど深い意味があるということです。
    法華経は、弘教する法と弘教する人間が揃わなければ、結局は弘教できません。弘教する人間がどのような人間なのか、法を付属する意味はそこにあると思いますが、別付属と総付属の二通りの違いがなぜ必要だったのか、その相違を知ることによって、釈尊滅後の法華経弘通の偉大さと困難さが明らかになります。

    わたしが説明するよりも、「ほんとうの法華経」から引用します。
    植木:神力品では、お釈迦さまが久遠以来教化してきた地涌の菩薩に限って付属されました。しかし、地涌の菩薩以外の菩薩たちが取り残されています。そこで、彼らに嘱累品の冒頭で付属がなされます。中国では、前者が本門の教えによって化導され、後者が迹門の教えによって化導されてきた菩薩という意味で、それぞれ本化の菩薩と迹化の菩薩と言われます。また、前者が特定の菩薩に限定して付属され、後者が総体的に付属されていることから、それぞれ別付属と総付属と呼ばれました。
    橋爪:でも、その解釈の根拠は、経典のどこにも書いてないじゃないですか。
    植木:そういう言葉はありませんが、話の内容から分類したということでしょう。
    橋爪:具体的には、釈尊が右手を取っていますよね。《それらのすべての菩薩たちを一まとまりに集合させ、神通の顕現によって完成された右の掌で、それらの菩薩たちの右手をとって、その時、次のようにおっしゃられた》とあります。「それらのすべての菩薩たち」というのは誰ですか。ここには地涌の菩薩は入らないんですか。
    植木:地涌の菩薩の付属はすでに終わっていますから、入る必要はないと思います。
    橋爪:では、地涌の菩薩以外のすべての菩薩、ということですか』


    何を付属したのか。
    橋爪嘱累品って短いですよね。四頁しかない。ここでは、何を付属したんですか。(中略)ここは、法華経を弘めることを付属していませんよ。釈尊はここで、阿耨多羅三藐三菩提を弘めることを付属していますが、法華経以外の経典にも、阿耨多羅三藐三菩提は出てきます。ここでは、何を付属したのかわからない。上行菩薩に付属した内容と、善男子に付属した内容は違うんですか。
    植木:法華経の弘通ということでは同じだと思います。その内容は、別付属では、(中略)すべてのブッダが獲得した究極を要約した法門、すなわちエッセンスを弘通することを付属しています。それに対して、この総付属では、「この上ない正しく完全な覚り(阿耨多羅三藐三菩提)」の弘通を付属している。抽象的な表現で、その具体的内容がわかりにくいのですが、次に《この如来の知見と卓越した巧みなる方便に達して、この如来の知見と卓越した巧みなる方便を求めてやってきた》人びとにこの法門聞かせるべきだとあることからすると、巧みなる方便によって弘通することを付属しているように思える。
    橋爪:ということは、別付属と総付属では、内容に違いがあるということですね』


    菩薩が弘める法華経の違いはどのようなものか。
    橋爪:同じ法華経でも不惜身命で頑張って弘めなさいというのと、相手の能力を考慮して巧みなる方便を用いて弘めなさいというのでは、違うじゃないですか。地涌の菩薩のほうが、ハードルの高いことを付属されているんですか。
    植木:そうなりますね。地涌の菩薩の場合は、一番困難なことを付属されています。これまで、滅後の弘教を名のり出た人たちを整理すると、①自ら「サハー世界(娑婆世界)以外で」と条件を付けた人たち、②国土を指定せずに弘教を誓った人たち、③サハー世界で弘めると言ったけども、釈尊に退けられた人たち、④菩薩たちを退けた後で呼び出された地涌の菩薩たち――といった四段階にまとめられます。後になるほど、困難な条件を担うことになります。
    橋爪:地涌の菩薩が法華経を弘めるのは、娑婆世界ですか。
    植木:はい。①の菩薩は、「ただサハー世界以外で」と自分で条件を付けていたから、サハー世界以外ででしょうね。③は他の世界からやってきた菩薩ですが、サハー世界で弘めると言って退けられました。もとの自分たちの世界に戻るしかないでしょう。
    橋爪:じゃあ、地涌の菩薩と、その他の菩薩では弘める場所が違う。後者のほうが、軽めの任務なんですね。
    植木:そうなりますね。中国では、地涌の菩薩と、他の菩薩を区別するのに、弘教を担当する時代にも違いをつけました。それは、正しい教えが存続している正法時代、正しい教えが形骸化した像法時代、正しい教えが失われてしまった末法時代の三つです。後のなるほど悪条件になります。時代と世界の違いを合わせると、サハー世界の末法時代がもっと厳しく、次にサハー世界の正法・像法時代、次はサハー世界以外という順になるかと思います。従って、地涌の菩薩は、末法におけるサハー世界を担当するということになります。
    橋爪:でも、ちょっと苦しまぎれな感じがしますね。法華経の本文を読む限り、そう考えなきゃいけないというわけでもない』


    時代を経過すると宗教哲学も細分化をまぬがれず体系化していきます。滅後の時代区分はその典型ですが、地涌の菩薩の使命を強調するために、困難さのレベルを最高度に設定します。不幸なことは、そのような時代区分の根拠が宗教特有のものであっても、不思議と時代相を反映していることです。たとえば、武器や暴力といった生命否定の道具や手段が、精緻を極めて高度に発達。最終殺人兵器・核兵器の恐怖に喘いでいる現実は、仏教の時代区分とリンクしているでしょう。他者への慈しみと、他者との平和的関係が失われる時代なのです。
    また、本化と迹化の菩薩も、娑婆世界に共存共生していると考えることも可能です。妙法を中心軸にして、より近いところに地涌の菩薩のポジション、その外周をその他の菩薩のとりまく世界を想像できます。他宗教や無信仰の人々でも、菩薩的生き方をしていらっしゃる方は多くいると思われます。「自解仏乗」と説かれるように、高度な知性と献身的な行動にあふれた尊敬できる人々は、案外身近に存在するかもしれません。全体と部分という見方を敷衍すれば、たとえ部分観であっても妙法を活かす方法であるなら、社会変革の十分な動機になりえる力になるということです。迹化から本化へ、本化から迹化へ自由に行き来し、方便が秘妙方便と開かれるように、本と迹の共同行動が、真の平和を創造できるパラダイム転換になるかもしれません。他宗教の者であっても偏見や固定概念で判断しては、可能性の芽を摘むことになります。
    引用した文章の最後に、橋爪氏が述べているように、法華経には柔軟性があると思います。読む人によって、感じ方に相違が出てきて、答えが決してひとつではないというところに、人間とその行動を信じた肯定的な信頼感が醸成されます。万人性と謳われる所以です。そして、一時的に拒否しても、やがて法華経の万人を受け入れる包括性に、次第に魅かれていくことでしょう。日蓮仏法も法華経があればこそですが、解釈の多様性は、日蓮に固定的に依拠するものではないように感じております。また、学術的アプローチだけでなく、信仰者としての実践的チャレンジによって個人の生活上、あるいは社会への貢献を通じて、法華経の深いアダプタビリティ(適応性)と受容力がクローズアップされる時代が来るかもしれません。

    右手を取るのは、インドの習慣も影響しているかもしれませんが、詳しいことは推測する以外にありません。でも、誰かを励ますとき、手を取り、瞳を見つめ、相手を揺さぶるように、励ますのではないでしょうか。仏が全菩薩に法を付属し、「頑張るんだよ」と励ましている様子を思い浮かべることができます。手を取り合うことは、とても人間的行為であり、連帯を感じることでもあり、相手を気遣うことでもあり、決意を伝えることでもあるのです。うれしいことがあれば、手を取り合って祝意を伝えるのではないでしょうか。また承諾の握手でもあります。少なくとも、前向きの親愛の情感を伝える行為ではないでしょうか。
    頭に手を乗せる行為も、親が子どもを養育するような優しさがあります。菩薩の優秀さは釈尊の自慢なのです。親が子どもを自慢するような慈愛があります。法華経はとても人間的な経典なのですね。
    また、法華経には直接的な表現を避けている場合もあり、なぜそのような表現になったのかを推測する必要もあると思います。社会的背景や法華経を説くことの制限もあり、抽象的、あるいは思わせ振りな表現も必要だった背景を考えなければならないと、植木氏は述べております。このような言葉の制限は、第二次大戦時の牧口先生が、個人的な手紙をはじめ講演や指導、行動の意味をストレートに伝えることができない制約があったことを思い出させます。
    混乱と統制の時代に、法を弘める困難さを考えなければなりません。平和な時代にあって、命も危ぶまれる社会の脅威を想像することは知識としてはあっても、痛みをともなう実体験としての感覚を想像することは難しいように思います。法華経の流布は、傑出し忍耐強い菩薩でなければ、社会に広く安定して説くことはできないということを示しているように思えます。創価は強い使命感が薄らいでいるように感じておりますが、リーダーの不在はやがて、法を説く喜びと感動の不活性化、イベントの慣習化へと転落し、儀式化することでしょう。


    以前、大乗非仏説の記事も読みました。大乗非仏説か、非大乗非仏説かという二者択一のような問題設定の仕方は、ほぼ一般的な問題設定でもありますが、わたしは、法華経は釈尊と菩薩の師弟の共作のように思えて仕方ありません。その根幹となる思想は、万人に仏性を認める仏のものですが、しかし実際に経典の一字一句を書き表していったのは、実践に裏付けられた弟子たちの努力があったのではないでしょうか。事理の観点から見れば事の法華経は弟子が担うということ。植木氏も、法華経を説く一団は、非主流派であり、迫害を受けたと書いております。不軽菩薩は誰でもない、実際に法華経を説き苦難に襲われた弟子たちのことなのだと考えるようになりました。そしてきっと、乗り越えたのでしょうが、そのような苦労があっても、長い間に腐敗し衰退をまぬがれませんでした。純粋さに不純が混ざり、許容できないところまで変容していくプロセスは、時代や地域に関係なく方程式のようなものです。法が普遍的でも、安定し永続的に続いていく集団や組織は皆無なのです。


    長文になっても書く意味が十分にあると勝手に思いました。
    信仰の真実と喜びを開拓できれば、人間としても成長できるのではないかと、求道者の姿勢をいつも考えます。煩悩の大地を割って登場する地涌の菩薩は既成概念を打ち破る力強さがあり、罵倒と誹謗と暴力が嵐のように襲いかかろうとも不退転の不軽菩薩には、人間への肯定的な、どこまでも無限の信認があります。苦難であろうとも、新しい世界を創造するそのような挑戦の姿こそ、法華経が伝えたかったことなのかもしれません。
    創価のなかでも友好的で有意義な対話ができることを、お祈りしております。



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