世界広布の旭日

    わたしはずっとお聞きしたいと考えておりました。
    あなたは、あなたの信念を補強する新しい見解を身に着けることができたのですか?
    自分が岐路に立ったとき、その判断を確実にしてくれる新しい知識や学びを得ることができたのですか?

    わたしはあなたの新しい見解や知識の披瀝を望んでいるのです。
    そうでなければ、つまらない対話になることを避けることはできないでしょう。
    何も意見がないというのであればそれも一つの見解ですが、わたしとは相容れません。何事も見解なしなどということはありえないことですし、風になびく葦のように日和見であってはなりません。わたしたちは御用聞きでないのですから、ご都合主義であってはならないのです。現在の創価は、ご都合主義のところが多分にありますよね。

    釈尊の時代も大聖人の時代も現在も、悲惨な混乱した世界という意味で全く同じです。
    またそれぞれの時代に、仏の遺産相続者・仏弟子同士が争っているということも全く同じです。そしてその仏弟子たちがそれぞれ自分たちの正義を主張し、決して譲ろうとしないことも全く同じなのです。
    追随する師弟なんて何も意味がありません。何も解決してくれません。師弟を強調する前に、師弟関係の功罪を検証すべきです。面従腹背など信仰者がとる行動ではありません。不義と戦うのが信仰者です。師の無謬を信じるのは勝手ですが、人間主義が妙法の解釈として適切なのか、あまりにも人間行為に敷衍し肯定的に解釈したいために、妙法の高貴さを失い、逆に妙法の低俗化に拍車をかけているのではないでしょうか。
    もちろん、こういうことは今まで宗門と争い、現在も口汚く罵り合っている事柄ですので簡単ではありませんが、冷静な眼差しで理性的に考えることが必要であることは疑いがありません。

    宗門との混乱と争いは、影のように宗教に常に纏わりついている "世俗化" という問題です。普遍的原理をあらゆるものに適応させたいという人間の本源的欲求のあらわれです。先生が人間主義を意識し始めたときより、宗門との差異が拡大し始めるとは、なんと皮肉なことなのでしょう。伝統的信仰が、そのドグマをもって新しい信仰者を圧迫している。仏法的ヒューマニズムが伝統的教義と相容れない部分があることを切実に思索し克服しなければなりません。それが妙法の栄華ということです。日蓮仏法の世界宗教への道は、とても険しく興廃に彩られている。繁栄があれば衰退もある、仏法を貫く鉄壁の原理です。
    「法」は、時代とともに人とともに、必ず深化し広がるものです。仏教史は再解釈の歴史でもあったからです。そしてときに革命的に変化する。「人間主義思想」がその好例です。しかし混乱も同時にやってくる。新しい世界観は新しい言語で語られるからです。
    したがって不変の真理・大御本尊がなければ、正しい信仰、初期の信仰形態はいつか失われてしまうのです。大聖人が三大秘法を定義し、一大秘法を根本としたのはそのためです。
    正しいものを正しく伝える難しさは、御在世の布教から、未来がいかに困難であるかを想像されたのでしょう。大聖人の危惧はどこまでも正しい。今までどれほどの妙法喪失の危機に襲われたことでしょうか。現在もその危機に襲われている。
    宗門は僧の特権を振りかざして民衆から離れ、創価は宗教商売を熱心にアドバタイズメントし、金儲けに狂っている。お金で支配しようとしている。大御本尊よりお金が大事らしい。知らないのは会員だけ。師は信受しないと宣言し、弟子を道連れにするつもりなのでしょう。どうして人間は晩年になると愚かになるのでしょうか。名誉欲は人間を恐ろしい虚栄の動物に変えるのですね。
    真実は、大聖人を捨てて新しい宗派を作ったということ。新しい宗派なのですから、教義も新しく定義すればよいということです。御本尊や血脈にこだわってきた今までの努力もご破算になるということ。バカバカしいほど明快です。
    会員も何も考えない愚かさを仏教史に刻むことになるでしょう。人間主義の核心である「賢明」という言葉が虚ろに響いてまいります。

    わたしたちは思想家である前に、信仰で生命を開く者であることを忘れてはならない。思想家としては批判者であっても、信仰者としては純粋性を追求する求道者でなければなりません。本質を見抜く聡明さ(六根清浄)が信仰の功徳であると学習しましたね。信仰者にとっては究極問題である法と御本尊を見間違ってはなりませんし、仏教史のなかでも僧と在家が背離するという特別な悪世なのですから慎重でなければならない。
    『普遍的原理』と『世俗化』について、先生はどこまで気づかれているのか、また深く考えていらっしゃるのか、わたしはとても知りたい。また仏法者の人生晩年のドキュメントとして、生老病死の四苦から決して逃れられない姿を通して、その偽らざる胸中を知りたい。師であろうとなかろうと一人の人間として共感したい。もしもわたしが納得する苦悩ならばその思いを共有したい。正しい言葉を語ることはとても苦悩することでもあるのです。ブッダの苦悩・大聖人の苦悩は、正しい言葉を語り行為の責任を果たすための苦悩なのです。また苦悩は自己啓発のための一つの源泉です。苦悩なくして幸福もありません。
    『法界に有りとある一切衆生の受くる苦悩をば、釈尊一人の長者に帰す』御講聞書
    苦悩を積極的に享受する者が精神の長者なのです。

    信仰者は唯一自由な生命の法の支配をうけますが、師という権威の束縛からも自由であることは言うまでもありません。また妙法ヒューマニズムは人間の善性も悪性もリアルに見つめるリアリズムが基礎でなければならない。
    大聖人が未来永劫を見通したように、妙法の新しい解釈は普遍的でなければならない。妙法の中心となる重要語句の使い方もまた普遍的ルールのよらなければならない。そのことをどれだけの人が真剣に考えているのでしょう?
     
    2月19日の「創価新報」にT副会長のインタビューが載っておりました。
    これはどうしてもメモしておきたいので記しておきます。
    『世界広布の旭日』などと仰々しいタイトルをつけるのが新興宗教らしいオーバー表現ですが、信仰の絶対観に由来しているので、否定すればするほど反抗心が旺盛に湧き上がってくると思われるので、きっと師ゆずりなのでしょう。

    広布といえば何を弘めるのか。御本尊と妙法への正しい信仰です。以前も引用しましたが、宗門から破門というショーのようなイベントがあったとき、池田先生は切羽詰まった言葉でこのようにコメントしたことを記録しております(池田大作全集・第79巻)

    SGI代表勤行会・平成3年(1991年)11月18日
    『創立以来61年。これまで、私ども創価学会は、どこまでも「御本尊根本」で前進してきた。ただ「広宣流布」のために、戦ってきた。この軌道は、今も、また永遠に、寸分たりとも変わることはない。

    「御本尊根本」について、少々、述べておきたい。日蓮大聖人の仏法の根幹は、「三大秘法」であり、その根本中の根本は「本門の本尊」である。
    日蓮大聖人が、弘安二年(1279年)十月十二日に御建立になられた、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊こそ、「本門の本尊」であられることは、いうまでもない』


    第四十九回本部幹部会・平成3年12月8日
    『「一閻浮提広宣流布」に進んでいるのは学会である。ゆえに、学会の「信心」こそが、「一閻浮提総与の大御本尊」に深く通じ、大功徳を頂戴してきた。その「信心」あるかぎり、だれ人も大御本尊と私どもの間を "切る" ことなど、できるはずがない』

    「できるはずがない」と言いながら、切った。「信心」がないから切ったのだろう。そう考えないと話の筋が通らない。宗門は信者を無慈悲に切りましたが、創価も報恩を仇にして、大御本尊を切った。仏法者とはテロリストのように命が荒廃した者をいうのだろうか。

    『ともあれ、わが創価学会、SGIの同志の皆さまこそ、永遠に大御本尊をお守りしゆく「使命の仏使」であられる。その皆さまに、大御本尊の加護は絶対と確信していただきたい。信心とは、道理のうえに立った「確信」であり、その確信が一生成仏の因となる』

    「道理」とは都合の良い言葉ですね。道理の根本を否定しても道理のうえに立っていると主張できるのですから、「確信」はどのような裏付けがあるのでしょう。「永遠に大御本尊をお守りしゆく」という使命も、ただの言葉遊びに過ぎません。

    沼津文化会館を初訪問・平成3年12月26日
    『大御本尊は「一閻浮提総与」の御本尊であられる。全世界の民衆のために与えられた御本尊であられる。
    ゆえに「全世界への道」を開きに開いていくことが、大御本尊を真に奉じゆく実践となる。現実に「道」が開かれてこそ、大御本尊と世界の民衆が結ばれる。日蓮大聖人の「一閻浮提総与」との御心を実現しゆくことになる。
    この「世界への道」を開いたのは創価学会である。
    「道を開く」と、ひと口に言っても、なみたいていの苦労ではない。歴史的に仏教と無縁の国もあれば、敵視している地域もある。文字通り、命がけで開いてきたのである。
    (中略)大御本尊への「信心の大道」を、世界に開いた功徳は大きい。「信心」さえあれば、世界のどこにいても、大御本尊に通じていくからである』


    大石寺は謗法の山と化したことを理由に、創価では信受しないとしました。「信心」は大御本尊に通じないとの真逆の見解同様ですが、冷静になって考えてみれば、宗教特有のドグマに浸って疑問を感じなくなっていた会員の姿があります。
    未来部のとき、目には見えないけれど、電波が飛ぶように御本尊に通じていくと教えられましたが、証明できないこのような神秘性は信者にとっては当然のこととして受け入れられ、霊的な雰囲気を漂わせていたことは否定できません。不可能を可能にするような非日常が精神論としてまかり通り、精神論はやがて感情論(熱狂)に昇華し、矛盾している事柄も全く問われないという不都合が生まれます。
    選挙活動に見られるように、創価は、人間が誰しも持つ熱狂への性向を巧妙に利用しています。冷静な自己は、信仰には必要ないのかもしれませんが、熱狂であることの結果として、冷静に自己批判する人間は組織に受け入れられません。
    信仰とは日常生活のことであり、常識的、理性的な行為の積み重ねであり、学業や仕事を通しての生産活動に誠実に向き合い、実直に努力していく姿勢・生き方が信仰そのものであるというふうに、わたしは理解を深めてきました。御本尊は自己の姿を写す鏡であり、同時に信仰者としての成長を自覚できる対面教師の役割も果たしますが、その根本が大御本尊であることを、先生のコメントははっきり断定しています。大御本尊を拒否するという矛盾も、熱狂者にはどうでもよい問題の一つなのかもしれません。
    女子部のとき、ベテラン婦人部幹部から、大御本尊にこだわるわたしに、まるで得意のレシピでも諳んじるように、「時代遅れね」と言われたことを忘れませんよ。よほど自分の信心がまっとうだと勘違いされてるようですけど。

    「御本尊根本」「御書根本」という2つの命題は、会員に課せられた人生問題同然ですが、決して変容することがないと思われた信仰の中身が変化しようとしている。師の衰えは、創価のあらゆるものへの劣化へと進行しているようです。命題にたいして、まず言葉ありきで既成事実を作り、後付でその理由を考えるのが宗教官僚の特徴です。

    創価新報のT副会長は、こなれ過ぎた死語を連発します。聞きあきましたね。
    『大聖人の御遺命である世界広布の大道を開くためには、旧態依然とした宗門の権威主義・教条主義や、大聖人の仏法に違背する形骸化を打ち破る必要があった。第2次宗門事件の本質とは、大聖人の御遺命である一閻浮提広布を実現すべく世界宗教に飛翔するための「宗教改革」であり、その戦いを通して学会は「大聖人直結」「御書根本」の信心を確立したのである』

    形骸化などという言葉は簡単に使用すべきではありません。創価は形骸化していないなどと誰が確信を持って言えるでしょうか。30年も経てば形あるものは何もかも古びてしまうのに、心はさらに老い、その妙法のスピリッツも継ぐ者がいない。一人立つ勇者、インディペンデントな行動力を持った者は皆無なのに、その現実を認めることができない。永遠の指導者は、「永遠」と規則に定められたときから形骸化している。

    「御本尊根本」がいつのまにか、「大聖人直結」に変わっている。「大聖人直結」って、H会長が否定した電源と端子の関係のように、大聖人という電源に直結していると言いたいのではないでしょうか。でも 「師弟」 というコンセントから充電しなければならないという非直結のルールが決められております。師弟という絡まったコードが必要なのです。もしも形骸化を強調するのであれば、知らずしらずのうちに劣化しているコードのヒビ割れがそうでしょう。

    形骸化にこだわって言えば、釈尊も日蓮も、形骸化という「過去」を超越している。釈尊・日蓮というプライベートな名前が普遍的な「人」を代表している。「人法一箇」という妙法の真実こそ、混乱した世界に必要とされるファクトはないでしょう。既存の、また過去の、宗教・哲学の不揃いの人と法が問題解決の方途を閉ざしていました。人と法が一致するという法理に未来の光明があります。
    それは現実と理想の一致です。「九界即仏界」あるいは「仏界即九界」です。「出世間」からの「出世間」という二重の選択です。
    それはどの宗派も陥った俗と聖の対立、在家と聖職者の対峙と確執、普遍的法理への解釈の多様性に対する容認と寛容。絶対という特殊性と万人に適用される一般化という問題。
    創価も宗門も立ちはだかる壁のまえで身動きが取れない。僧俗和合は、釈尊以来の、教義とコネクトする重要問題であり、また人法の問題でもあるのです。口答えするから傲慢、世界宗教を目指す野心的とも言える在家の首を切れば、それで終わりと考える宗門の冷酷さは、大聖人系譜のものではありません。

    広宣流布の根本は「師弟」ではなく、「御本尊」であることは、信仰者であれば自明の理。巧妙に「師弟」が「御本尊」に取って代わり、「師弟」が本尊に祭り上げられている。
    『師弟の道とは、弟子が師の生き方を継承する道にほかならない』
    大聖人への敬慕も感じられず、その魂も継承していないのに、よく師弟とか言えますね。
    マニュアル通りの、なんの味もしない言葉を羅列して恥ずかしくないですか。

    大聖人直結なら、御本尊を単なる紙切れ同然に扱っても、直結だから少しも問題はないという自堕落なご都合解釈に行きつくのでしょうか。まだご存命なのに、師の言葉はすでに改竄され同時に風化していく気配が察しられます。
    師&弟子とは、組織維持のための、過不足もなく丁度よい確認のためのパスワードのようなもの。賢明な弟子とは師を葬ることなのですね。池田先生も戸田先生の御本尊への思いを、最後は捨ててしまわれましたから、師弟不二とは師を捨てることなのだと、物分りが悪いわたしも、師を見習いやっと理解しました。

    Dirk Ehlert - 'Elements' by Dos Brains

      Choice of Anna
       Tracklist :
       00:00 Elevation
       04:29 Excelsior
       09:05 Love
       13:29 Higher Hopes

    。*:..。o☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*


    P.S.
    3月中旬、全国的に会合等の自粛が発表されていたのに、座談会のFAX連絡があったのにはびっくりしました。一瞬フェイクかと思いましたが、「時節柄、打ち合わせに変更します」という追加FAXがありました。会合がないと組織が壊滅状態へとエスカレートしていく危惧が大いにありますが、家庭訪問も断られ、コミュニケーションが途絶えた組織も、社会における市民生活同様に、コロナ禍による変容を余儀なくされるでしょう。今こそ知恵を出すときですが、命令がないと動けない人間は創造的な変化を受け入れることができないでしょう。人間関係においても信仰活動のあり方を変えていくという難題は、創価が生き残れるかどうかの瀬戸際にあります。
    それと、連絡手段としてのFAXも止めていただきたいというのが率直な意見です。いろいろな通信方法があるのに、いつまでアナログなのでしょう。一人ひとりが紙資源を節約したら、どれほど環境問題に貢献できるかわかりません。SGI提言で環境問題を取り上げているのに、会員はきっと読まないのですね。小さなことでも自分に何ができるのか、それを検討するのが信仰者ではないでしょうか。ペーパーレスに挑戦してみませんか?
    問題意識の低下は、身近な信仰に関わる問題への無関心とイコールです。「男女平等」を理想としながら、ジェンダーへの議論を閉ざしているのは、創価の悪しき習慣のひとつです。一人ひとりが強くジェンダーへの問題意識を持たないかぎり、世界宗教への道はありません。環境問題も同様です。
    座談会へのお誘いは、もちろん公衆衛生上、潔癖と清潔を信条とするわたしは、コロナクラスターへの危険に恐怖を感じておりますので、参加するはずがありません。スルーというのが、不まじめ会員の答えです。

    余計なお世話かもしれませんが、StayHome ですので、Stay を Study に変えて、参考にトインビー対談を引用しておきます。
    『トインビー:あらゆる種類の組織の存在理由は、その成員である個々の人間の福祉にあるとのご意見に、私も全面的に賛成です。制度の維持や拡大のために、人々の福祉を二の次にしたり犠牲にすることは、制度と人間の適正な関係を転倒させることにほかなりません。そしてまた、これはわれわれが常に警戒を怠ってはならない悪です。なぜなら、制度の管理に責任をもつ権威者というものは、その成員の福祉に制度を奉仕させるのが本来最大の義務であるにもかかわらず、常に制度の維持という、付随的で当座だけの義務を優先させたいという気持ちになりがちなものだからです。
    (略)
    池田:そうした組織悪を防ぐには、組織が人間のためにあるのであって、人間が組織のためにあるのではないという前提に立ち、成員一人一人が、組織の目的と現状が合致しているかどうかを常に判断できる英知、そして必要とあらば現状の改革に取り組む判断力、実行力をもつことが大切でしょう。
    しかもこの組織と人間という問題が、今後ますます人間にとってその幸・不幸に密接に結びつく、重要な課題となっていくことは確かでしょう。(略)』

    「二十一世紀への対話(上)p314-315 聖教ワイド文庫」

    45年前の、人間主義への確かな胎動が感じられる対話ですが、現在も実現していないようなので残念です。ジェンダーも環境問題への低調な取り組みも組織悪です。


    mrran-0125.jpg
    【 All Entries 】
    【 New Entry 】
    【 Comments 】
    <>+-
    RSS of the latest comments
    【 Archive 】
    【 Category 】
    【 BlogMURA 】