The End of The World

    美しい窓には、rose-001.jpg
    美しい朝の光がさしこむように、
    美しい心には、美しい愛の光がさしこむ。
    そして幸せの光がおとずれる。

    わたしはあなたのなかに、美しい心を見る。
    姿勢を正して歩く姿は、瞳が輝き、活き活きとしています。
    波のように障害をのりこえていく柔軟な思考。
    諦めないということは賢明さのあらわれ。
    大きな包容力と優しさに包まれて、安心感と安らぎを得る。
    わたしがあなたのためにできることは、深い愛情と眼差しでこたえること。

    楽しいことばかりではないわ。
    つらいことがあって、
    ふたりをつなぐ鎖を断ち切る何者かがいたとしても、
    わたしは信じている、あなたの帰りを。
    遠くからでも見ることができる、屋根の上に大きな旗を掲げて、
    あなたが帰るべき家があることを。

    愛とは聖なるもの。
    精神の高揚をうながすもの。
    楚々として力強く、
    二度と得ることができないふたりの魂の共鳴。愚かであってはならない。
    目先のことだけにとらわれる、浅はかな人間には、幸せの階段をのぼることができない。
    指の間から乾いた砂が零れ落ちるように、幸せをつかむことができない。
    川に浮かんだ木の葉のように、哀れな人生は願い下げよ。
    わたしは何も恐れていないわ。
    たとえ順風が吹かなくても、
    舵をきって船長の役割をはたし、自分の人生行路をのりきっていくだけ。
    荒波を越えていくだけ。

    清らかな泉のように
    強い鋼のように
    なめらかな陶器のように
    透明な水晶のように
    美しい魂を持った自分を発見したい。


    ❖❖❖


    なぜ太陽はまだ輝いているの
    なぜ波は浜辺に打ち寄せるの
    知らないのね
    これが世界の終わりだってことを
    あなたがもう愛してくれないから
    世界の終わりだってことを

    なぜ鳥たちはまだ歌っているの
    なぜ星は空で輝いているの
    知らないのね
    これが世界の終わりだってことを
    あなたの愛を失ったとき
    世界は終わったということを

    朝、目が覚めて思う
    なぜすべて前と同じなの
    わからない わからない
    どうやっていつものように
    暮らしが続いていくのか

    なぜ私の胸はまだドキドキしたままなの
    なぜ私のこの目は泣いているの
    知らないのね
    これが世界の終わりだってことを
    あなたが別れを告げたとき
    これで世界が終わったことを





    感傷的な詩句、メロディーが胸をうち、涙が溢れそうになる。
    わたしは失恋らしい失恋をしたことがないので、というより、恋愛経験自体が少ないから、青春の淡い恋に憬れたりする心理も影響しているのかもしれない。
    俗に言う世紀の恋って大変そう。でも、小さい恋にも小さい恋の大変さがあって、純な想いを貫くみたいな健気さは、それなりにエネルギーが必要なことだと思う。でも結局、次第に打算的になり、汚れていくのよね。
    先のことを考えると不安な気持ちもないわけでもない。清楚で美しい心であらねばならないとの考えが、いつもわたしのなかにあります。その理想とする先に、以前は奥様がおられたのは女子部であれば当然のことだったかもしれない。どのような人なのか、知らないからこそ想像力を働かせ、古風でひかえめな生き方にあこがれるのかもしれない。


    イマジネーションを刺激されて作った詞


    The End of The World
     この世の果てまで Ⅱ

    世界が終わったとしても
    私はまた悲しい心で旅立つわ
    波うち際に立って
    花輪を投げて
    別れを告げるわ
    悲しい私に別れを告げるわ

    世界が終わったとしても
    私はまた思い出といっしょに旅立つわ
    あなたのことは忘れない
    ときめいたことも
    夢見たことも
    傷ついた私に別れを告げるわ

    世界が終わったとしても
    私はいつもの笑顔で旅立つわ
    緑の野に立って
    空の雲に
    旅立ちを告げるわ
    新しい私と旅立ちを告げるわ


    ❖❖❖

    あなたに出会ったときのこと
    小春日和の新鮮な風が
    背を押すように吹いて
    どういうわけか
    なつかしさを感じました

    はじめての出会いなのに
    忘れられない面影が
    ろうそくの火のように
    心に灯ったようでした

    その思いは陽炎のように
    はかなく消えるものではなく
    記憶のなかの閉ざされていた一頁を
    開いた出会いだったのかも知れません

    わたしは思ったのです

    幾世代もの古びた書架から蘇って
    再び書き加える二人の物語なのではないかと
    わたしたちは何度も出会い
    別れをくりかえし
    光が朝を呼び寄せるように
    魂が魂を呼び寄せて
    目では見ることはできない
    過去からの約束だったのではないかと

    時代が変わっても
    男女の思いは同じ
    愛し愛されるこだまのような響きは
    誰が用意したものでもなく
    二人が求め望んだ
    切なる願いであったのだと
    過去世からの偽りのない誓いなのだと

    だからわたしは思うのです

    これから二人が
    山を越え谷を越えて行かねばならないとしたら
    試練があるとしたら
    かたく手をつなぎ
    ともに涙するいたわりと
    ともに喜ぶ思いやりがあれば
    勇者のようにまた
    戦いの記念碑を作ることができると


    ❖❖❖

    野に咲く花のように
    清楚な美しさが目を引く
    過酷な四季の天候にも耐える
    雑草のような強さ
    あなたの残像が
    麗しい風景のなかで微笑んで
    わたしを見つめています

    あなたに出会ったときから変わりました
    いろいろと考えることも多くなりました
    うわついた気持ちではなく
    愛することや
    生きることの意味を
    しっかりと考えることができました

    美しい愛のフィギュア
    理想を求める努力と知性がその形を決める
    愛の深まりのプロトコル
    人によってそのプロセスは百人百様

    愛は万人に与えられた宝
    蘇生の水
    嵐の海の灯台
    不幸の星に向かって射る狩人の矢

    わたしは白い綿毛のように純になって
    ひたすらに愛することが
    旅のキップを手にすることだと気がつきました

    わたしは今いる地平から
    大鷲のように自由に
    愛の大空に飛翔するのだと
    束縛のない心の自由に
    満たされています

    愛がすべてを変えたのです


    If You Love Me (Really Love Me) - Brenda Lee




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    香港クーデター

    過去のことなど、よほどのことがないかぎりすぐ忘れてしまう現代人の特徴的性分と傾向性は、アップデートを拒絶した脳のメモリー領域の飽和状態を示しているのではないかと考えたりもします。一年前のこともすっかり忘れているので、問題の分別も経過の見透しもありません。もちろん、自己批判を兼ねた自己評価です。

    一年前の11月15日のロイターニュースは、アメリカの強い決意を示す内容だった。
    『ペンス米副大統領は15日、シンガポールでの東南アジア諸国連合(ASEAN)の各国首脳との会談冒頭で、インド太平洋地域において「帝国や侵略」は存在しないとの考えを示した。
    ペンス氏は、インド太平洋地域で大国と同様に小規模の国も繁栄し、主権を確保し、それぞれの価値に自信を持ち、共に成長することができると強調。中国に言及はしなかったものの「インド太平洋地域で帝国や侵略が存在する余地はないという認識でわれわれは一致している」と述べた。
    米国はこのビジョンを推進するため、インフラ部門への民間投資後押しや自由かつ公平で相互的な貿易の促進などを行っていると説明した。
    また、「北朝鮮に対する圧力」や「航行や飛行の自由を支持するための取り組み」、デジタル世界における東南アジア諸国の国境、領土、領海の安全保障を確保するための米国の決意を強調した。
    ペンス氏は10月初旬に行った講演で、対中強硬姿勢を鮮明にし、トランプ政権を弱体化させるような中国の「悪意のある」動きや南シナ海における無謀な軍事行動を強く批判した』


    アメリカのこの地域へのインフラ支援は、600億ドルの用意があることを表明。借金漬けにしながら乗っ取りを企てるような中国の支援のあり方を批判した。
    ペンス氏は一月前の10月に、トランプ政権の基本的な外交姿勢ともいうべき内容の演説を行っていますが、この重要な演説が大統領ではなく、冷静なペンス氏であることに救いがあるように思えます。平和への調停役にこそ、アメリカらしい自信をうかがい知ることができます。自国第一主義は、超大国には相応しくありません。誤解を生む派手なパフォーマンスのトランプ大統領ばかり目立ちますが、中国の覇権主義こそ、ナショナリズムにつながる自国第一主義というべきでしょう。人間をコントロールし、管理し牛耳り、君臨し従属させる非人間主義が、中国社会主義・共産党独裁の隠された正体です。

    「中国の人間主義」について、正確な洞察もなく手放しに賛嘆している池田先生の香港中文大学の講演があります。返還前の92年のことですが、返還後を期待してのことは言うまでもありません。理想主義者の言葉が、今では虚しく響いてきます。
    創価のHP(https://www.sokanet.jp/download/koen/03.pdf)にも掲載されているので誰でも読むことができますが、香港の混乱が第二の天安門事件に発展している現在においては、講演できない内容でもあります。

    一国二制度について、朝日新聞デジタルでは次のように説明されております。
    香港返還と一国二制度(2017年07月02日 朝刊)
    英国はアヘン戦争(1840〜42年)で清に勝って以降、段階的に香港を統治下に置き、1898年に香港全域を植民地とした。1980年代に本格化した返還交渉を経て英中両国は84年に共同声明に調印し、97年に返還することで合意した。香港では返還から50年間は、資本主義など中国本土とは異なる経済・政治制度を維持することが約束され、外交と国防をのぞく「高度な自治」が認められた。香港の「憲没にあたる香港基本法には、中国本土では制約される言論・報道・出版の自由、集会やデモの自由、信仰の自由などが明記されている』

    50年の半分も経っておりませんが、制度維持の約束は破られています。中国らしい虚偽と謀略テクニックですが、やがて信仰の自由も制限されることは疑いがありません。中国本土では宗教は弾圧対象です。
    聖教に、7月には遼寧省大連市・大連海事大学に「池田大作研究センター」、10月には河北省保定市・河北大学に「池田大作研究所」が設立されたことが報道されました。
    中国の池田研究は、体制への従順と忠誠を証明するひとつの公式な認可のようなものです。政権に逆らいませんという宣言のようなもの。人権を標榜し目的とする団体が非人権の思想に参意を示してもおかしいと考えない矛盾があります。人間なら二律背反の分裂状態に陥りますが、我慢強い仏法者は平常です。本音と建前が違うということでは、創価と共産ファシズムは相似なのかもしれません。表と裏が違えば二重人格です。思想がまったく相違するのに、行動はアナロジー。おもしろい研究課題ですね。

    92年の、香港中文大学での講演『中国的人間主義の伝統』では、最高客員教授の栄誉を授賞。現在の大学は混乱のただ中にありますが、最高の栄誉を受けた人は何も語ろうとしません。民主主義を見捨てております。法華経の精神である、「他者への貢献と尽力」を、「影響力の純粋な行使と活用」を良心的に試みることすらしないのはどうしてでしょう。
    法華経は行動哲学です。観念ではありません。他者の苦悩を共有することなのではないでしょうか。香港には多くの会員がいることでしょう。どうしてその混乱を見て見ぬ振りができるのでしょうか。一つしかない最高の栄誉を授賞しているのに、混乱時の行動は冷淡そのものとは、マキシマムとミニマムの折れ線グラフを見ているようです。
    口を開けば絵に書いた総論ばかりで、切実な個別の問題には関与しないという非リアリスト。生老病死は総論で語れるほどの大雑把な概念的問題ではなく、個々で相違するバリエーション豊かな人生問題なのですから、宗教家は夢想家ではなく実際家でなくてはならない。
    『湾岸戦争の勃発で明け、ソ連邦の消滅で幕を閉じた昨年は、世界史が、文字どおり、地殻変動ともいうべき大揺れを演じた1年でありました。よく"筋書きのないドラマ"といわれますが、ここ数年の国際情勢の動きは、どんな練達な歴史家の眼をもってしても、読みきれなかったにちがいありません。
    とりわけ、69年間にわたって続いてきたソ連邦のあっけない消滅は、ファシズムとコミュニズム(共産主義)という2つのイデオロギーが暴走した20世紀の幕引きを、何か象徴しているように思えてなりません。激動する時流は、私どもに改めて厳しく問いかけております。一体、イデオロギーのための人間なのか、人間のためのイデオロギーなのか――と』

    四半世紀前はソ連崩壊でも、今は中国というファシズムとコミュニズムの暴風雨が荒れ狂っております。コミュニズムは信仰否定の狂気です。尊厳に対する拒絶への強い意志です。
    香港が今後どのようになっていくのか、ニューズウィーク日本版の記事には適切な問題提起がある。
    『中国の指導層が基本法を廃止し、香港の指導層を直接任命し、司法の独立性を弱めまたは排除し、市民の自由を制限し、政治的な反対運動を抑え込もうとしていることは確かなようだ。つまり中国政府は、1997年に香港が中国に返還されたときに鄧小平が50年間維持すると約束した「一国二制度」モデルを事実上放棄することを決めたのだ』
    『中国は2003年、香港の立法会に国家安全保障法案を可決させようとした。しかし50万人を超える住民がデモに参加し、法案を撤回に追い込んだ。2012年には香港の歴史教科書を変更して「愛国教育」を導入しようとする試みが親と学生の抵抗に遭い、政府は引き下がった。
    中国政府が香港を完全に支配しようとすれば、さらに多くの、そしてさらに大規模な暴力が展開されるだろう。街は混乱を極め、統治が不可能になる』
    「香港の完全支配を目指す中国を、破滅的な展開が待っている」CHINA’S RISKY ENDGAME IN HONG KONG

    中文大学での講演は「中庸」という極めて中国的な儒教倫理に、仏教的概念である「中道」と重ね合わせ、人間主義なるものの正統性を強調している。中国に媚びを売る商売上手な性格は、創価の本質と断言しても言い過ぎではありません。
    第二の天安門事件で世界中から総スカンを食らった中国に、真っ先にご機嫌取りを敢行したのは池田先生です。事件で弾圧され殺された側に同情するわけでなく、その人権虐待と強圧的な政治に対して世界から批難される側を擁護する姿勢は、とても仏法者とは思えませんが、何より人間主義を標榜する法華経の精神を冒涜し誹謗している。
    天安門事件の翌年、1990年の第7次訪問では北京大学で講演しましたが、古代ギリシャのプラトンの教育法と対比しながら、それを上回るものとして中国伝統の教育法を普遍的なものとして絶賛しています。わたしですら読んでいて赤面しますが、それを聞いていた北京大学関係者は頭をあげられなかったことでしょう。その後の共産主義の愛国教育はまともではない。国民の意識を偏らせ、蝕み、その後の世界への悪影響は計り知れない。なにしろ、億単位の人間がいっせいに同じ方向に手を上げ、その手で石を投げ、口汚く罵り、破壊活動に邁進するのですから。政府も批判されると決り文句のように「内政干渉だ」と非常事態宣言のように最後の切り札をちらつかせる。この先通行禁止だから誰も通るなという独裁特有のジコチュー満タンの戦車に乗り込んで、道路の真ん中を塞ぎ砲身の照準を合わせている。

    『現在の中国に必要なのは軍事力強化ではない。環境問題をはじめ、少数民族の人権抑圧の是正、膨大な数に上る極貧層の救済、急激に進んでいる高齢化への対応、失速する経済の立て直し。優先すべきなのは、こうした困難な国内問題の解決だ。
    国内経済は米中貿易戦争で急速に悪化している。それ以前から減速傾向は顕在化し、2018年の成長率は28年ぶりの低い伸びにとどまった。雇用環境の悪化は社会不安を増大させ、政権批判が次第に強まっていくだろう。
    対外関係に目を向ければ、現在、アジアで最大の軍事的な脅威は中国だ。南シナ海では岩礁を埋め立てて、人工島を造成し、軍事拠点化を進めている。ここでは周辺国との関係が険悪化している。
    東シナ海では沖縄県・尖閣諸島の領有権を主張し、公船による日本の領海侵入を繰り返している。覇権主義的な中国の動きを巡って、国際的なイメージは悪化の一途だ。
    ニューヨークで開かれている国連総会で先週、諸外国から次々に懸念が表明され、中国の代表団は火消しに追われたという。各国は香港の民主化要求に共感し、少数民族の抑圧に重大な懸念を抱いている。中国に対する国際世論は非常に厳しい。
    国内融和と国際協調。中国に必要とされているのは、この二つだ。問題の平和的な解決を図りつつ、民主主義国家への緩やかな移行を目指すのが最も望ましい道だろう』
    「河北新報」10・2

    国連では6月、スーダン軍が民主化を求めるデモ隊を強制排除し多数が死傷した3日の事件については、事務総長が「市民に対する治安部隊の過剰な武力行使を強く非難し、集会や表現の自由を含むあらゆる市民の権利を守るよう、軍暫定政権に要求している」と語りましたが、天安門事件について感想を求められて「特にコメントはない」と答えました。事務総長の仕事は紛争解決の総括。国連予算の分担率が世界2位の常任理事国には、苦言を言い出しにくい。しかしそのうえで交渉しなければならない喫緊の諸問題について、リーダーシップを発揮する歴史的な役割があるのです。事務総長もまたネゴシエイターの一人でしょうが、一流ではないように思える。無力な国連に期待するのは難民だけかもしれない。
    最近、重大ニュースが発表されました。新疆ウイグル地区の強制収容所に関する中国政府内部からのリーク、内部文書。ヒトラーよりひどいジェノサイドが明らかになるのはいつごろのことなのでしょうか。池田先生はウイグル地区からも名誉称号を多く受けておりますが、知識人や大学関係者が捕らえられ拷問を受け無実で牢獄に繋がれている現状に、目を塞ぎ知らないふりをしている。今年のSGI提言でアカデミック・インパクトにふれておりましたが、「平和・紛争解決」「異文化間の対話や相互理解」のSDGsの目標について、創価大学も参加していることを力説していたではありませんか。紛争と差別のまっただなかにある大学に理解を示し、支援することが真実を愛する言論人の取るべき行動です。腐れた人間主義者は、"提言"や"永遠の指導"でもう大きな口を叩かないでください。
    共産党支配という古い秩序に挑戦している香港の変革のエネルギーこそ、「人間中心の多国間主義」を実現する最も近いアプローチだと思う。差異による排除を許さない行動が、自他共の幸福に展開していくことを願わずにいられません。

    ❖❖❖

    Ancient Order
    Anne-Sophie Versnaeyen,
    Gabriel Saban & Philippe Briand




    アンナの日記 ③

    2010.5.24 に書いた「不二の内界」と題する記事です。

    花の好きな娘がいた。
    バラを植え季節の花を育てて、花の香りのなかで暮らすことを夢見て、春に土を掘り返し、種を蒔いて愛しく育ててきたのです。
    去年の初夏のこと、麦藁帽子をかぶり、UVクリームの準備も怠りなく、花苗を植えていたら、見たことのない黒光りする長いものがスルスルと出て来ました。10㎝以上はある。
    幾何学的に規則正しく胴体がつながり無数の小さな足がせわしく動いている。
    まるで精緻に作られたロボット。
    「何だろう?」
    何にでも興味を示す娘は、考える間もなくハッと気がついた。
    「ム・カ・デ」
    娘はスコップを投げ出して、絶叫とともに腰を抜かしたのだ。

    初夏ともなればヒラヒラと美しい蝶が舞い、花の蜜を吸い、優雅な姿で娘の目を楽しませてくれる。それにしても脱皮する前の蛹はどうしてあんなに気持ち悪いのだろう?
    遺伝子のなかには進化の跡が刻まれているという。
    進化とはつまり、変身することではないのか? と科学に無知な娘は考えた。
    つまりつまり、生き物の変身願望が進化をうながしてきたのではないだろうか? と突飛なことを考えるのだ。まぁ~どうでもいいけど、あのムカデには二度と遭遇おことわり。

    グラム・ロックの先導者は、人間の奥深い変身願望を音楽のなかで実現したのではないだろうか。創造することとは、架空の別の自分になることではないのか?

    db-02.jpgデヴィッド・ボウイが、神託を受けたように作り上げたアルバム。
    彼の5thとなる傑作。
    セクシュアルな願望は、人間本能の根幹に関わっているように思えます。男女が一体になるという両性具備の姿は、グロテスクでありながら、生物の深遠な秘密を垣間見るようなエロティシズムを感じます。ロックにとって、エロティシズムほど重要な要素はないでしょう。パンクやメタルに顕著なように、その底に沈殿しているものは、紛れもなく巧妙に隠されたエロティシズムです。
    また深い音楽的カタルシスは、心という内面に火が熾るようなエロティシズムの熱いうずきが関係していると思います。
    アルバムのなかからじっと聴き手を見つめているボウイの中性的、ホモセクシュアルな外見に惑わされてはいけません。彼の真の才能は、エロティシズムを制御し昇華する知性にあります。彼は虚構や物語的コンセプトによって、変身願望をシアトリカルに演出しました。
    このアルバムは、美しき想像力の結晶であるばかりでなく、ロックが新たに踏み出したアバンギャルドな手法でもありました。したがって彼のグラマラスなパフォーマンスは、音楽を含めたアートであり続けると同時に、その後も多くのロッカーに大きな影響を与えることになります。全曲が佳曲です。ムダな曲はありません。素晴らしい!

    ジギーの夢は、ロックによる魂の救済ドラマとして、普遍の輝きをもって訴え続けるでしょう。鮮やかなアルバム・コンセプトと同じように、この未来に向けたメッセージは感性が編んだ、また透徹した知性のほとばしりの表れです。今こうして聴いても古さとは無縁の真のロックが鳴り響いています。確かにボウイは、このアルバム製作過程において神がかっていたと言えるでしょう。

    db-01.jpgボウイの端正な顔立ちに、ロックスターの自由な精神と知性がバランスした美しい姿を見ることができます。彼の進取の精神は、やがて様々なジャンルへの挑戦と現れて、先鋭かつエモーショナルな美しさで、独自のデヴィッド・ボウイ・スタイルとも言うべき実験を繰り返していきます。スーパースターでありながら決してそこにとどまろうとしない。現在の21世紀ロック・ジェネレーションは、彼の創造性と知性に学ぶべきです。試行錯誤を経ながら行動するアーティストのオリジナリティーに敬意を表すべきです。
    彼のオールキャリアを言及するのは難しく、それは紛れもなくブリティッシュ・ロックの奥深いエクセレントな側面をたどることにもなるのですが、これからも時代と年齢を加味したトランスフォーメーションを楽しみたいと思います。

    Soul Love



    ★2016年1月10日、18か月の闘病の末、肝癌により死去。69歳。
    独自の美学と大胆な音楽性に貫かれ、波乱と平和が同居した人生だったと思う。
    大の日本好きで知られました。日本文化に誇りを持ちたいと思う。



    旋律が浮かんで 頭のなかがいっぱいになり
    わたしは歌わずにいられない
    わたしが愛したもののために
    わたしを愛してくれたもののために
    旋律を 手でつかみながら 分け与えるように
    花束のようにいとおしく 美しく包んで 花輪を投げるように
    幸福という音楽を 未来の誰かのために
    音楽は調和の花束
    音楽は平和大使のように
    密やかに佇み愛の花のように優しい
    都市生活者の楽しみは
    何気に見落としていた道端のスミレに
    淡いピンクと白の繊細な色彩に
    春の芳香と暖光の輝きを見つけ出したとき
    小さな鉢に濃いピンクのプリムラの小花
    キンレンカと赤いチューリップの寄せ植えコンテナに
    たっぷり水をやり
    粗野で激しい世界のかたすみで
    魂の平安をもたらす聖人のなぐさめのように
    静かな息づかいで善の音楽を奏でる
    濃いグリーンの葉のうえで 光が遊び
    戸惑いとともに歓び 驚きとともに夢見るような
    思慮深い紫の矢車草が
    わたしに微笑みを贈ってくれた
    ときどき神は変身し
    ムカデになって娘を驚かす
    でもよく見てみなさい
    軽やかに動くムカデの足は
    リズム正しい律動の美しい骨格でできていることを
    その足は断固とした意志で土をつかみ
    憎悪も慈愛もなく
    ただ見事に進化の奇跡を表していることを
    不二の内界で生を謳歌し
    かわいらしい目で前方の
    外界の障害だけを見つめ続けている不思議な生き物であることを

    by Anna


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    アンナの日記 ②

    2010.5.28 の「桂冠詩人」と題する記事です。
    わずか9年前の記事ですが、創価の信仰の原点が変容し、質的な歪みが生じつつあることを誤魔化すことはできません。現在は、宗教団体としての経済的安泰と政治に著しく偏っております。宗教組織の経営基盤を動揺しない安定したものにするという考え方自体に違和感があると思う。内的要素は崩れ、まるで信仰の衰えと変形のバリエーションを経験しているようですが、老化とともに迫ってきた生命力の衰微に関係があるのかもしれません。
    会員は一つのパーツ、奉仕するコンテンツのような存在なのかもしれませんが、いくら謳歌を極めても、仏教の原則に立ち返れば、不変なものはなく、生まれるものは必ず滅びる。
    信仰という内発的喜びから、創価という道徳的ともいえる秩序を律しなければならないのに、ユングの「個人の徳性における前進」が置き去りにされ、個人のうえに組織が重しのように押しかぶされている。こんなことを真面目に考える婦人部がいないことが、本当に残念でならない。だからいつまでも、男女不平等というダブルスタンダードに矛盾を感じないのですね。現実は何も変わらない師弟不二論の限界が見えてきます。


    ❖❖❖


    彼女は歓びの幻

    ワーズワース

    私の眼に初めて映ったとき
    彼女は歓びの幻であった
    瞬間を彩るために送られた
    愛らしき幻のよう
    彼女の眼は黄昏に輝く美しき星のごとく
    またその黒髪も黄昏のそれかとまごう
    されどそのほかの身につくすべては
    五月とうららかな暁よりもたらされるもの
    つけまとい、人を驚かし、待ち伏せする

    躍る姿、陽気な像
    更に近づいて見ると
    幻のようで、まことの女
    家庭の動作は軽くのびやか
    足取りは乙女のみに与えられた自由さ
    過ぎし日の楽しき想い出と
    美しき未来の希望との入り交じれる顔
    人の情の日々の糧として
    あまりに輝やかしくも、また、善すぎもせざるもの
    また、一時の悲しみ、単純なるたくらみ
    賞讃、非難、愛、接吻、涙と微笑にもふさわしきもの

    いま私は静かな眼で
    彼女のからだの鼓動をながめると
    物思わしげな呼吸して
    生より死への旅路を辿るもの
    変らぬ理性、慎み深い意欲
    忍耐、深慮、力、熟練を備え
    警告し、慰藉し、支配すべく
    気高くも神により作られし完き女
    されどなお一つの霊で
    天使の光明にも似て輝かしい


    ワーズワース(William Wordsworth)は19世紀を代表するイギリスの詩人です。自然を愛し、自然のための、自然を歌った詩人。神秘的な自然の彼方に、魂のヴィジョンを見い出し、共感することへの陶酔と歓びを表現した。人間も自然の一部として歌われ、上記の詩では、懸命に言葉を探す姿を彷彿とさせながらも、驚きと慈しみに溢れています。夫人を歌ったものと言われています。
    ワーズワースは、1843年、桂冠詩人の称号を受けました。
    このような一流の詩人に触れると、語彙の豊富さ、イメージ力、批評力、普遍的思想が顕著に表れていることに、心地よい言葉の美しさを感じます。詩とは言葉の実験場であることを改めて感じますが、いつかわたしもこのような詩を書きたいと切に思いますが、才能のない者がいくら望んでも無理なことですね。

    池田先生は1981年、サンフランシスコでの第5回世界詩人会議で桂冠詩人の称号を授与されました。多くの詩業に対して顕彰されたものと考えます。ギリシャに淵源を持つ桂冠詩人の称号は、現在は、世界詩人会議あるいは世界アカデミーがその授与の権限を継承しているようです。世間でも話題にのぼることが少なからずありますが、どのような称号を授与されようと、また流行のように一時的にもてはやされようと、詩そのものの価値には何ら影響を与えることはありません。優れた詩は、歴史という淘汰を耐え抜き、生き残っていくと考えます。それは文学に限らず、音楽、絵画、その他芸術作品にも言えることで、厳しい歴史経過という批評には誰も太刀打ちできないのです。

    創価の民衆運動は現在、多岐にわたり、活動の最先端では多くの会員が苦労と喜びを甘受しています。運動体としてこれからも継続した発展を維持していくために、正しい情報発信と、世代を縦断した永続的な取組みが必要とされます。人間主義を標榜する民衆仏法には無冠がふさわしく、もしも勲章という栄誉を望むならば、歴史淘汰の厳しい判断から得られる正当な評価こそ、仏法者が望む勲章でなければならないと考えます。名誉教授をはじめ多くの顕彰を受けられた池田先生のご真意については、我々会員も熟慮しなければなりません。人間は一つの肩書きや名誉で判断する傾向があります。池田先生が常に言われているように、名誉や地位、物質的財産に価値を認める生き方ほど虚しいものはありません。これから世界宗教として、創価思想が定着していくためには、予想できないほどの困難があるものと思われますが、創価の民衆運動に理解を示し、支援する人々の協力が必要不可欠です。先生が受けられた多くの顕彰は、そのときに力強いパスポートになるものと考えます。創価が目指すアドバンスメントの重要なファクトあるいはアイテムとして、これらの顕彰は生きてくるでしょう。

    フランスにおいて、SGIがセクト<カルト>宗教と認定されているということを、アンチ創価は勝ち誇ったように言いますが、社会的混乱、犯罪を未然に防止するための法律であることを、まず認識しなければならない。EUにおいて先進的な取り組みをしているフランスですが、キリスト教国家といってもよい社会において、多文化の容認、異文化への理解は当然慎重にならざるをえません。東洋哲学、宗教が市民レベルにおいては一般的でないこと、馴染みがないことなどを考慮すると、浸透の困難さをあらためて考えさせられます。
    世界宗教としてのキリスト教は、多くの国々に定着しているわけですが、現在のように発展するためには、数限りない問題を乗り越えてきました。それは少し考えれば分かることですが、異なる宗教、考え方、習慣が流布していく過程において、異教徒として排斥、迫害を受けたことは、世界史と言わなくても、日本歴史のなかでも明白です。フランスも過去にアジアにおいて、宣教師を守るという名目で軍隊を派遣し、強引に植民地化政策をとりました。異文化との摩擦は、占領された国から見れば、まさに危険なキリスト教であったと考えることもできます。ヨーロッパ諸国での仏教の認知は、実質今までは学術的方面より関心がなかったといってもよいと思います。日常生活に息づく宗教としての発展は、長い時間が必要になるものと考えます。



    先生が07年の『SGIの日』の記念提言のなかで述べられた、人間洞察を経ての深い示唆と問題提起に活路を見い出したい。

    フランスの気鋭の哲学者アンドレ・コント=スポンヴィル氏の『資本主義に徳はあるか』を引用し、次のように述べている。

    『スポンヴィル氏は、人間社会を四つないし五つの秩序に区別する。第1は「経済一技術-科学的秩序」で、その駆動力は「可能なものと不可能なもの」という対立軸である。第2は「法一政治的秩序」で、「合法と違法」という対立軸、第3は「道徳の秩序」で「善と悪、義務と禁止」という対立軸、第4は「愛の秩序」で、対立軸は「喜びと悲しみ」となると分析する。信仰を持つなら、その上に「聖なる秩序」が想定されようが、さしあたり自分には無縁である、と。
    もとよりそれらは「区別」であって「分離」ではなく、それぞれ互いに重なり合っており、我々は四つの秩序を同時に生きている。それらがどう関係し合い、秩序づけられるかが重要であって、そこを混同するところから社会秩序の乱れが生じてくる。
    たとえばマルクスは、明らかに第1と第3の秩序を混同し、経済を道徳化しようとした。その結果、「一九世紀における麗しのマルクス主義的ユートピアから、二〇世紀におけるだれもが知っている全体主義の恐ろしさへの移行」を招いてしまった。
    同じように、資本主義を道徳化しようとしても筋道いであって、資本の暴走を抑制するカは「外」(別の秩序)から加えられなければならない。資本主義そのものは、“対立軸"に駆り立てられ「可能」なものを求めて、どこまでも利潤を追い続けることを本領とする。貨幣価値の前では、雇用の確保や福利厚生などの生活価値は、二義的な意味しかもたない。
    のみならず、この「経済一技術一科学的秩序」に魅入られた核テクノロジストは、「可能」とあらぱ、悪魔的兵器の破壊力、殺傷力の強化に専心し、それがもたらすであろう惨状への想像力など持ち合わせていない。
    バイオ・テクノロジストは、「可能」とあらば、人間の条件を根底から突き崩すクローン人間など、生殖系列遺伝子操作にまで手を染めることに、何の逡巡も覚えないであろう。
    経済人、科学者がすべてそうだというのではない。四つの秩序を同時に生きているのだから、そんなことはありえないし、事実、経済界や科学界にも、良心的な人々は数多く存在します。しかし「可能一不可能」を対立軸にしていく限り、「人間」を置き去りにそこまでいってしまう必然性を内蔵しており、現にそれが杞憂ではない兆候が、いたるところに顔を覗かせている現実を、誰もが認めざるを得ないでしょう』

    『現代文明は、まさにこうした危機的状況に直面しているのであり、「経済一技術一科学的秩序」は、それを引き起こした張本人である「専門知識をそなえ技術を有した卑劣漢」の横行を、「内」から抑えていく力を持っていない。「外」から、主として第2の「法一政治的秩序」の側から規制していく以外にない。だが、第2の秩序も、法に触れさえしなければ……というずる賢い「合法的な卑劣漢」を制圧していく力を有せず、この場合も「外」から、主として第3の「道徳の秩序」の側から規制していくしかない。そして、この第3の秩序も、口舌のみの偽善者、独善家、つまり「道徳的な卑劣漢」の存在をどうしても許容してしまう体質がある。やはり、とはいっても道徳は「外」からの規制には本質的になじまないから、「それを補完し、いわばうえからあける役割をはたすもの」として、第4の「愛の秩序」が要請される。しかし、同じ徳目をうながすにしても「道徳の秩序」が、外発的な義務付けに傾きがちなのに対し、「愛の秩序」は、あくまで内発的な喜び、充足感であることが決定的に異なる。
    こうしたプロセスをたどってみると、たとえば、ガンジーの「宗教は政治と全く無関係であるという人は宗教の何たるかを知らない」(「抵抗するな・屈服するな JK・クリパラーニー編/古賀勝郎訳、朝日新聞社)との言も、深く首肯できます』

    『一人一人の人間の資質の向上なくして社会の変革もなければ、よりよい秩序もありえない。それは当たり前のように見えても、C・ユングが「個人の徳性における微々たる一歩の前進だけが、真に達成されうることのすべてであるのに、それを体現するかわりに、全体主義のデーモンを喚び出してしまう」(『現在と未来』松代洋一編訳、平凡社)と警告しているように、組織への依存、集団への埋没は、人類があまりにもしばしば陥ってきた落とし穴なのであります。
    そして、全体主義の系譜が示しているように、「人間」不在が高ずれば高ずるほど、人々はデーモンやサタンの「爪」の餌食になりやすい。科学技術が高度に発達した情報化社会、大衆化社会など、悪魔に魅入られた煽動家たちの暗躍する格好の場ではないでしょうか。
    「微々たる一歩」とは、決して微々たるものではない。ユングの言うように、それを欠けばいかなる変革の試みも砂上の楼閣と化すという意味で、あらゆる運動の原点であり、“画竜点晴"であります。それはまた、私どもの永遠の課題である「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」とも、深く回路を通じているのであります。
    かつて、日本哲学界の重鎮であった故・田中美知太郎氏は、“パーソナルな宗教への期待"として、パーソナルな宗教である高等宗教も、巨大化してくるにつけ、社会宗数的なものへと逆転する可能性を指摘しつつ、創価学会の運動をこう評価しておられました。
    「『人間革命』の著者池田大作氏が高等宗教としての仏教の立場でそのパーソナルな面を更に新しく前進させる試みをされていると聞いているが、その成功を祈りたい」(「聖教新聞」1977年5月1日付)と。
    パーソナル(個人的)な「一人の人間」に徹底してスポットを当て続けること―ここに、私どもの運動の原点があります。アルファ(出発点)でありオメガ(究極)であります。そこから、いささかたりとも軸足をずらさなかったからこそ、創価学会・SGIは、今日のような発展をすることができたのであります。また、今後いかなる時代がこようとも、この根本軌道から外れるようなことがあってはならない。それは「一人を手本として」(御書564ページ)と言明された宗祖日蓮大聖人の精神からも違背してしまうからであります』


    パーソナルな変革に焦点を当てた哲学は、恒久的な支持を得られるであろうし、人間のエゴを原因とする諸問題に対し、議論すべきテーマを与えてくれると信じています。先生が仏法に求める普遍的な人間主義の論及は、正しいからと言っても、それだけでは発展の原動力にはなりえない。いずれ遠くない時代に、創価思想の有効性を証明するチャンスが訪れることは間違いがないことですが、仏法が求める理想像としての実践者、菩薩と言われる弛まざる求道者にその使命はかかっていると考えます。
    ①単に会員を増やすための安易な試みや手段であれば、必ずそのしっぺ返しはあること、
    ②さらに、人間性復権の課題に真摯に取り組まないかぎり、グローバルな組織展開に支障をきたす日が来ること、
    ③「一人の人間を大切に、一人の人間の幸せを祈り、導く」という信仰者一人一人に課せられた同苦の原点を確認し、理論的な面からも実践の面からも、主体的に求め抜く人格を所有するパイオニアであることなど、
    仏法が社会に展開する日常活動のなかに、文明的課題に無関心ではいられない賢明な会員でありたいと願うのです。それぞれの分野や立場で信仰者としての在り方を、先生の指導を規範に考えなければなりません。

    わたしは今まで、どのような会合でも先生の記念提言について、幹部の解説を聞いたことがありません。そのことが大変残念でなりませんが、婦人部の純真な信仰が学会を支えていることを、先生のお言葉通りに行動していることを、いつも感じています。生活のなかでの避けられない戦いや悩みを必死に乗り越えながら、健気な信仰を貫く女性はやがて福運のなかで勝利していくでしょう。
    先はまだまだ長く、ため息が出てきそうですが、誰が見ていなくても聖なる御本尊は見ています。
    自然は美しく、人間もまた美しい。

    みたび歓迎の言葉を、春の寵児よ!
    わたしにとって、汝はまさに
    鳥ではなく、不可視の存在である
    その霊妙な声は神秘の精髄である


    ❖❖❖

    Blood Moon - End of Silence (feat. Alexa Ray)




    as386-1011.jpg

    アンナの日記 ①

    2010.5.19 の過去記事の再掲載です。


    5110H01.jpgThe Last of The Mohicans
    1825年に発表された、ジェームズ・フェニモア・クーパーの小説、<モヒカン族の最後>を原作に、18世紀、建国前夜のアメリカ東部を舞台に、インディアンに育てられた白人青年と、イギリス人大佐令嬢の愛を描く歴史ドラマ。

    監督 : 脚本・製作はマイケル・マン
    音楽 : トレヴァー・ジョーンズ & ランディ・エデルマン
    主演 : ダニエル・デイ・ルイス、マデリーン・ストウ

    ファースト・シーンから素晴らしい。
    モヒカン族の酋長チンガチェック( ラッセル・ミーンズ)と2人の息子、ウンカス( エリック・シュウェイグ)とホークアイ( ダニエル・デイ=ルイス)の狩りのシーン。野生的な走りと息づかい。自然のなかで生きる逞しさは現代人が失なった最も気高い品位でしょう。
    勇壮な歴史大作。壮絶な戦いの様式美。誇り高い民族の愛と生の力がほとばしる傑作。寡黙なチンガチェックとウンカスに哀切を感じる。ワイルドな男は美しい。 これほどの名作がなぜ再発されないのか不思議です。

    戦う男には戦う女がふさわしい。戦いのなかで、冠を与えられるように真の優しさを与えられ、愛の尊さを知る。わたしはこんな男に出会いたい。過酷であろうと、血を流そうと、ともに歩むことに躊躇はしない。


    51yVKja-01.jpgJoan of Arc
    フランス歴史上名高い少女、ジャンヌ・ダルクの悲劇を描いた大河ロマン。99年作品。
    フランス救国の英雄と言われながら、聖処女、狂人、魔女とさまざまに囁かれてきたジャンヌを、ベッソンが独自の解釈で捉える。
    百年戦争(1337~1453)下のフランス。イギリス軍に両親を殺され、親戚のもとに引き取られたジャンヌ。ある日教会で神の声を聞いた彼女は、自分が神の使者であると確信する。
    やがて成長した彼女は、王太子に認められフランス軍を指揮。彼女の存在で軍は息を吹き返し、闘いは奇跡的な勝利を収める。
    監督 : リュック・ベッソン
    主演 : ミラ・ジョヴォヴィッチ

    歴史を変えるのは乙女の純粋さです。
    この映画で描かれるジャンヌの姿は、穢れない美しさの象徴です。そして圧倒的な救国の無垢な精神でしょう。ジャンヌの叫びの前には、歴戦の将軍といえども沈黙するしかない。戦いは勢いであり、勝利は常識をくつがえすところから始まることを如実に物語っています。このような少女が実在したことが、わたしには奇跡のように思えます。ここで描かれるジャンヌの姿が最も実像に近いのではないかと想像します。

    少女の純粋さを葬った政治と宗教の権力者たちは、自分の大切な心のなかの神を、少女とともに葬ったことに気づかないでいる。いつの時代でも同じ過ちを繰り返すのです。
    ミラ・ジョヴォヴィッチの一世一代の名演技です。


    41WFCbr-01.jpgThe Village
    周囲から隔絶された小さな村を舞台に描く禁断のミステリー。楽園のような共同体を守っていた奇妙な掟が破られたとき、村を戦慄の恐怖が襲う。
    1897年、ペンシルヴェニア州。深い森に囲まれ、外の世界から完全に孤立したひとつの小さな村。村人は大きな家族のように強い絆で結ばれ、ユートピアのような理想の共同体を築いている。この村には昔から奇妙な3つの掟が存在し、人々はそれを忠実に守ってきた。しかし掟を破るとどうなるかは誰も知らなかった。
    そんなある日、盲目の少女アイヴィーの恋人ルシアスが友人ノアに刺され、大ケガを負ってしまう。

    アイヴィーはルシアスの命を救うため、薬を手に入れようと村の外に出ることを決意。そして、彼女が、掟を破って森に足を踏み入れることを許した父親エドワードから、恐ろしい真実が語られるのだった。
    ミステリー・タッチで描く純愛と示唆に富む秀作。04年公開作品。
    監督 : M・ナイト・シャマラン
    出演 : ブライス・ダラス・ハワード
    ホアキン・フェニックス
    エイドリアン・ブロディ

    他人を犠牲にして幸せになっても、本当に心から喜べない。
    文明から隔絶した<ヴィレッジ>。激しく傷つけあう現代社会から逃れ、悲しみを避けるように理想のコミニュティーを作る。平和な世界を<ヴィレッジ>という小さな共同体にリミテーションしても、そこで起きる出来事は<タウン>と何も変わらない。人間が変わらない限り、世界も変わらないという示唆が含まれている。
    愛する人に心を捧げることを選んだ彼女の使命は、恐怖が支配する森に、足を踏み入れることでありました。恋人を救いたいと思う強い気持ちは、純粋であるがゆえに誰も止めることはできない。盲目であることも、彼女には何の障害にもならない。ただ一途に、愛を貫こうと未知への旅へ一人で出発する。彼女は自己の恐怖と戦いながら、自分の務めを誠実に果たそうとする。必死の行動がやがて、人間にとって何が一番大切なのかということを思い出させてくれるのです。彼女の強さに誰もが感動し、恐れを克服した愛に、崇高な輝きを見るのです。


    51FWK-01.jpgMalena
    男なら誰もが振り返る美しい若妻マレーナ(モニカ・ベルッチ)が、夫の戦死によって未亡人となり、生活の困窮から、弁護士の愛人となり、ナチ将校・米軍の双方に弄ばれ、娼婦となって堕ちて行く姿と、彼女に憧れ続ける12歳の少年の恋心を描いた作品。

    戦争は男の命だけでなく、残された家族の生活を破壊し、女性を過酷な運命にさらします。
    一番の犠牲者は、このような若い女性のように思えてきます。
    イタリア映画独特の人間に対する暖かな目線と同時にユーモアを交え、モニカ・ベルッチにとっても代表作となる作品。
    監督: ジュゼッペ・トルナトーレ
    音楽:エンニオ・モリコーネ
    愛の形は色々あります。カップルの数だけあるかもしれません。



    Annaナースは癒し手<ケア・ハンド>になりたいと、過去の有名無名の音楽の達人たちのサウンド・ビューを追体験したいと考えております。
    音楽こそストレス解消の最良の薬だと思うからです。
    わたしのワンフレーズ "美しきものに幸あれ"

    さてさて、クッキングレベル "0" のナルニア国の優しの姫は、ひさびさにランチに挑戦。準備万端、チューニングを完了し包丁などを握った。
    純正律を調理して鍋に入れてガスレンジにかける。
    すると不思議。12平均律に変わってちょうど食べ頃。
    キャベツに似たカラフルなピタッゴラス律野菜を添えて、ランチで食べました。
    あまりおいしいものではありませんでした。

    わたしの純正律を計算してみよ~っと。
    1× 3=3<3は定数。本来のわたし、仕事をしているわたし、遊び呆けているわたし>理論値は整数ですが、実際は微妙に変化する。つまり1.05のときもあるし、0.95のときもある。
    たとえば1.05だとすると
    1.05× 3=3.15
    どっちが正しいかというと、どっちも正しいと言えるし、正しくないとも言える。
    さらにこの数値は瞬間瞬間変化するので、理論的にはその組み合わせは無限大と言える。
    さらにわたしのハーモニックスは高めに調律してあるので、ハイテンションになる確率が高い。
    わたしってつまるところ何だ?

    お昼には、大騒ぎでパンケーキを作り(実は甘いものが大好き)ネギをきざんで、卵と一緒にフライパンで適当にかき混ぜて焼き(最近はネギが欠かせない素材なんですの)あとは冷蔵庫のなかにあった塩鮭を焼いて、総じてお子様ランチ風のメニューになりましたが、美味しくいただきました。わたしは母親に似て、チョット食べ物に神経質なところがあるのですが、姉ときたら逞しさがワンランク上という感じで何でも食べるのです。それでいて太らないというのはどういうことなんでしょ?
    確か彼は、お料理の腕がわたしより上のはず。結婚しても餓死することはないだろう。

    「約束の地は砂漠のなかにあってこそ奇跡です」
    ルシール・マリア・カートのミステリアスな日記断片から。

    「約束の食物は食卓の上にあってこそ奇跡です」
    アンナの日記断片から。

    当たり前のことが当たり前でない時代。美味しいお料理を美味しくいただき、楽しい会話の食卓に、幸せの奇跡があると考えるのです。
    腕を上げて約束の食物を食卓に並べよう。
    努力しよう。もうわたしに与えられた時間は残り少ないのだ。


    ❖❖❖


    わたしは今まで前向きに歩いてきたことに何の悔いもありません
    失敗したことも泣いたことも
    悔しい思いを味わったことも
    みんなわたしを成長させるための糧であったと気づいたからです
    強い心を育てるための練習のようなものだったのです
    人を愛するためにはたった一つ資格が必要です
    それは自立する心です
    愛することとは頼ることではありません
    恋人に 夫に 依存することではありません
    幸せは自分の手で作り上げていかねばなりません

    たとえ幸せな結婚にたどりついても
    自分を磨くことを怠れば
    砂の城のように波にさらわれていくでしょう
    思いがけない試練にさらされることもあるでしょう
    冷たい雨に濡れて心までも冷たく固まり
    暖める術を失って迷いの淵で立ちすくむときもあるでしょう
    でも大丈夫!
    あなたの周りには雨傘を差し出して
    濡れた肩を抱いてくれる人がいるのです
    あなたを心から思い
    心配する人がいることを忘れてはなりませんよ

    人を好きになるということは
    何も特別な感情ではないのです
    人を愛する前に
    自分自身の心をいたわってあげましょう
    毎日の生活に疲れた自分がいたなら
    なおのこと自分で自分の心を愛してあげましょう
    自由な休みの時間ができたら
    自分のやりたいこと
    自分の心が欲していることを
    自分の心に聞いてみてください
    心に満足の時間を与えて
    自分を愛する練習をしてみてください
    そして自分をいたわり
    自分に愛を注ぐことによって
    愛することの意味を知ることができるでしょう
    恋することも愛することも
    自分の豊かな心のなかから生まれてくるものなのです
    最上のあなたには
    それにふさわしい最上の人が
    磁石に引きつけられるように目の前にあらわれます

    人生は未踏の山を登るのに似ています
    聳える峰を見上げて
    はたして自分に登ることができるのかと
    ため息が出てまいります
    尾根にたどりついても
    そこは幸せと不幸が渦を巻いて
    突風が吹き荒れ 雲が湧き上がり
    顔を上げていられないほど厳しい環境かもしれません
    憂いの山には不毛の風が吹き荒れ
    苦渋の谷間が待っているのです
    誰にも等しく与えられた試練なのです
    でも絆で結ばれた愛する二人なら
    それを耐え忍んで
    やがて頂上に行き着くことができるでしょう
    金の布に包まれた朽ちることのない思い出とともに
    千のナイフでも切れない強靭な鋼のように
    絆とはかくも強いものであることを知って
    誰よりも自分自身が驚くでしょう
    そして歩くことを止めないことが
    「幸せ」そのものであることに
    愚かなわたしとあなたは気づくはず

    喜びの歌だけでなく
    悲しみの歌も
    人々を癒し励ますことをわたしは知っています
    歌はすべてが癒しなのです


    ❖❖❖


    LaLaLa~
    夢が叶うことを信じている
    ときめくハートを信じている

    いつも運命を追いかけてるイブは
    分身のアダムが現れる日を待っている
    男は大概、嘘つきと相場が決まっているわ
    か弱い女をだますのに罪悪感を感じても
    適当に言い訳すれば逃れられると思っている
    わたしは腰に手を当てて男の目を見ているの
    嘘をついているのか いないのか
    いくらのぼせ上っても しっかりと見ているわ
    運命の人が現れるのはいつになるの?
    わたしのガラスのハイヒールを拾ってくれる人が
    きっと現れる きっと現れる

    わたしの夢を信じている
    わたしのハートを信じている
    夢が叶うことを信じている
    熱いハートを信じている

    人生って思い通りに運ばないこともわかってる
    つまずいたら立ち止まって 足元を見て
    首を傾げて考えるさ
    うしろをふりむいて足跡を見て考えるさ
    でもまた背筋を伸ばして前を向いて歩き出す
    あきらめの人生を生きてる人がいる
    夢を隠して 運命を切り開こうともしない
    大切なのは自分を信じること
    一番身近にいる自分の心を信頼すること
    そして運命にゆだねる
    一生に一度の恋に 真実の恋に
    愛する人の胸の中にゆだねる
    I believe that a dream comes true
    I believe heart to beat fast with



    Internal Enemy - Fearless Motivation Instrumentals




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