Against the Wind

    faf-01.jpg19世紀末、アイルランドの農家の主が地主へのデモに巻き込まれ死亡する。敵を討つべく単身屋敷に乗り込む無鉄砲な息子だが、そこで美しい娘と出会い、いつしか二人は自らの土地を手にいれるためすべてを捨て遠い国へ旅立つ。開拓時代のアメリカを舞台に、移民してきた二人の愛と夢を美しい映像と共に詩的豊かに描き、忘れられたアメリカン・ドリームを彷彿させるサクセス・ロマン。

    監督 ロン・ハワード
    出演 トム・クルーズ、ニコール・キッドマン
    音楽 ジョン・ウィリアムズ
    主題歌 “Book of Days”: enya

    世間知らずの勝気なお嬢様が、一途に逞しく自分の人生を切り開いていく。ニコール・キッドマン演ずるシャノンの姿にわたしの姿を重ね合わせて、くよくよしたって始まらない、何とかなるさと励まされる。 痛快に生きよう、ぶち当たって考えればいいさ。それが若者の特権ではないかしらとドリーミンな妄想をいだいて、安定志向と戦わない傍観者的ひ弱な精神などくそくらえ(汚い言葉でお許しを!)などと意気込む。

    サクセス・ストーリーがそう簡単に手に入るわけではないことはよく承知しています。でも諦めないで夢を追いかけたほうが、ずっ~とおもしろいに違いない。お金なんて何とかなるさ。ボロを着てても一向にかまわない。女だってガッツなスピリットが1番大切なのだ。自分の人生は自分でつかむ。誰かを頼りにしたってなんになろう。

    でもそんな強がりを言いながら、世間に無知なわたしは自分のことを理解してくれる恋人が傍にいてくれたら、100%信頼してくれる人がいてくれたら、どんなに心強いことだろうと思うのです。苦労も厭わないのにと考えるのです。踊り子だってやるわよ。

    女の幸せは男次第か?  男の幸せは女次第か?  いずれにしろ良き伴侶に出会うことが人生の方向を半ば決定づけると、パンク娘を自認するわたしでさえ知っているのです。
    わたしのダーリンはわたしに相応しい人なのだろうか?  感情に溺れてはなりませんね。

    父親のLPコレクションを漁っていたら、1枚のアルバムが目に留まりました。
    奔馬の如く/ボブ・シーガー&ザ・シルバー・バレット・バンド。



    野生のきらめきと美しさで駆ける駿馬。たて髪が風に揺れ、飛沫を上げて走り抜ける姿が水面に映り、生き生きとした一瞬をとらえている。ポエティカルな想像力を刺激するアルバム・ジャケットに惹かれたのです。

    <遥かなる大地へ>のラスト・シーンのランドレースを思い出します。

    ボブ・シーガー11枚目のアルバム。80年のリリース。68年にデヴューし、すでに確固としたキャリアを積んでいます。アルバムは美しいジャケとともに彼のディスコグラフィーのなかで一つのピークを示すものです。

    アメリカン・ロックンロールの王道をいく風格と男くさい哀愁がブレンドされ、わたしの瞳はホの字になるわ。ワイルドでシンプル、落ち着いていて静かな佇まい。でも内面は熱く、深い味わいを感じさせます。カントリーティストのロックンロールが大好き!

    このアルバムにはゲストとしてグレン・フライ、ドン・ヘンリー、ティモシー・シュミットなどのイーグルスの面々、ドクター・ジョンなどが参加しています。この顔ぶれを見ただけで彼の音楽性と立つ位置がわかるというものです。

    79年リリースのイーグルス<ロング・ラン>から
    最初のスマッシュ・ヒットとなった<ハートエイク・トゥナイト/Heartache Tonight>はドン・ヘンリー、グレン・フライ、J.D.サウザーとの共作です。



    Bob Seger & the Silver Bullet Band<Against the Wind>
    タイトル・ナンバー。名曲です。

    Seems like yesterday
    まるで昨日のように思えるけど
    But it was long ago
    もう遠い昔のこと
    Janie was lovely, she was the queen of my nights
    ジェニー、素敵だったよ 彼女は夜の女王だった
    There in the darkness with the radio playing low
    暗闇のなかに低く流れるラジオの音
    And the secrets that we shared
    二人で分かち合った秘密
    The mountains that we moved
    いくつもの山を越え
    Caught like a wildfire out of control
    止まることのない山火事のように
    Till there was nothing left to burn and nothing left to prove
    すべてを燃えつくし すべてを確かめ合った
    And I remember what she said to me
    そしてお前は俺に誓ったね
    How she swore that it never would end
    二人の愛には終わりはないと
    I remember how she held me oh so tight
    そうして強く抱きしめてくれた
    Wish I didn't know now what I didn't know then
    あの頃知らなかったことを 今も知らないままでいたかった
    Against the wind
    風に向かって
    We were running against the wind
    風に向かって 俺たちは走った
    We were young and strong, we were running
    若くて強かった二人
    Against the wind
    風に向かって 走っていた
    ❖make a free translation : Anna


    音楽は峰をくだってきた清らかな風です
    何も思わず無心にその風に身をまかせると
    心が洗われたように清々しくなるのです
    確かな大地に立ったように答が得られるのです

    音楽は迷えるわたしの道標なのです
    時には流れに逆らう川魚のように
    冷たい風に向かい羽ばたく小鳥のように

    努力しても虚しくなるときもあるけど
    信じていたいだけ
    どこまでも可能性を
    いつまでもあきらめないで

    希望の一曲は何にもまして
    心のなかで
    反響するように
    共鳴するように響きわたり

    わたしに祝福のメッセージを与えてくれる
    わたしは勇気のメッセージを受けとるわ

    ロックの光に導かれて
    森に分け入って迷っても

    わたしはきっと見つける
    わたしが望んだときめきを

    人生ってスリルな毎日ね
    新しいことをやろうと思えば
    苦労もあるけど何もやらないよりマシよ

    満たされず  心の飢餓にあえいで  逡巡し
    悩んで  喚いて  言葉を失っても

    あなたが教えてくれた
    新しい始まりの場所へ

    あなたは心の広い人だってことはよくわかっていたわ
    だから
    風に向かって立ち
    風に向かって進んで
    太陽のように輝くロック・スピリットに出会うまで
    わたしは旅を続ける


    ルーツをたどれば、ロックンロールはアメリカを中心とした音楽文化。世界中の音楽が相対化されていくワールド・ミュージックの時代に、ロックンロールはポップ・ミュージックの一形態に過ぎないのかもしれないが、閉じた世界ではなく、異種交配を重ね、ミックスを経ながら進化してきました。価値観を書き換える音楽こそ、ロックンロールを形容するにふさわしい捉え方でしょう。リズムは深く民族の伝統音楽に根付いている。
    多様性としての折衷はルーツを遡りながら、複雑な混血主義を反映し、バラエティーに富む感情表現として拡大と変容を続けていくと考えるのです。ロックの躍動は、文化衝突のエネルギーを増大しつつ、ワールド・ミュージックの融合に向かって、そのスピードを加速し、未来になだれ込んでいくに違いありません。新しい音楽の、サウンド、バンドの形態、テクノロジー、ヴィジョン、すべてが深化のなかで、アートの主権を獲得していくことを念願します。ロックを補完していくものはロックよりありません。
    わたしを補完するものはわたしよりなく、あなたを補完し元気づけるものは、あなたの強い心よりありません。

    2010年11月25日の「アンナの日記」から)


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    Identity Crisis

    高速道路を150kmのスピードで走り抜ける。
    ほとんど追い越し車線を風のように飛ぶ疾走感は、適度な緊張感をともなってパンクな気分になる。
    サスペンションと足回りが安心感を与え、シートに心地良い振動が伝わってきて、ハンドルを握った手が汗ばむ。過去を振り切り未来を追いかけるレーサーのように、流れるような風景も目に入らず、次々と変わる前方のパノラマに視点を合わす。
    走れ! 飛ばせ! 追いつけ! 限界を越えろ!
    わたしは “The Music” を聴きながら更にアクセルを踏みこんだ。シュールでサイケなグルーヴが陶酔を誘う。
    SAに立ち寄って胸の動悸を静める。
    「どうしてあんなにスピードを出すの? 恐くないの?」
    「恐怖なんて何でもない。音楽のせいよ」

    大胆不敵な名前を冠したザ・ミュージック。
    <彼らにできたんだもの、わたしにも何かができるわ>

    やりたいことをやり、認められ、成功する。
    これほど幸せなことはこの世にありません。
    天職が勝手に自分を見つけ出してくれて、導くように音楽の殿堂に連れて行ってくれる。
    ザ・ミュージックという名前は、怖いもの知らずの10代の若者が考えた無邪気で幼稚な、それでも彼らには十分意味ある名前だった。

    themusic.jpgThe Music / STRENGTH IN NUMBERS>Jun.2008
    1. Strength in Numbers
    2. Spike
    3. Drugs
    4. Idle
    5. Left Side
               6. Fire
               7. Get Through It
               8. Vision
               9. Last One
               10. No Weapon Sharper Than Will
               11. Cold Blooded
               12. Inconceivable Odds





    「ただ走り抜けたって何も残らないわ」
    「青春って素晴らしいけど、何をやりたいのかよく考えて進まないとね」
    「難しい言葉で言えばアイデンティティーを実現すること。誰でも青春にある者はアイデンティティー・クライシスを抱え込んでいるわ。特に男子はね」
    「ザ・ミュージックの音を聴けば分かる。彼らも越えようとしたのね。必死で。でも重たいわ、彼らの音!」
    「それはきっと悩みの深さなのね。彼らは好きなようにやったって言ってるけど、彼ら自身も意識していない深い層の無意識レベルのこと」

    ライヴに行けば分かるでしょ?
    ロックってダンス・ミュージックだってこと。
    グルーヴ感が高揚を促して、制約から解き放された自分の魂が見える瞬間のこと。
    ギター・サウンドは魔力。ダンス・ミュージックと絡んで大衆性を獲得する。
    ダンス・ミュージック=大衆性、ギター・サウンド=普遍性という単純な線引きはできませんが、彼らの新しさは青春の疾走感をアレンジした無作為のようなサウンド。
    青春の奔放さに溢れていること。同時に重さも引きずっていること。
    彼らはその後自分たちが立つポジションを確認するために、内面的な迷いを乗り越えるために、4年間というインターバルが必要だったのでしょう。

    3rdアルバムは彼らがやっと方向性を見出して、ノロノロと再び走り出したことを示しているのでしょうか?
    それは車がなめらかなエンジン音を取り戻したということなのでしょうか?
    でもわたしの敏感なアンテナは、まだ厳しい山道で立往生している姿が見える。雲に隠れた遠くの山並みを眺めながらため息をついてる姿が見える。まだ何かはわからないけれど、手が届きそうで届かない何ものかが、行く手を阻んでいるのが見える。

    ★アイデンティティー・クライシス 【identity crisis】 大辞泉
    自己喪失。若者に多くみられる自己同一性の喪失。「自分は何なのか」「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。

    彼らのサウンドはロックの王道を行く筋肉と骨格、ヴィジョンとセンスを備えているとわたしには感じられます。使い捨てティッシュのような音楽が溢れている現在、それは価値観を喪失し、移ろいやすい現代人に訴えかける魂の響きが込められているようにも感じられるのです。でもまだ十分にその魅力を発揮しているとは言えません。
    でも、でも、でも、もうすぐ見えるよ!諦めないで進めば、晴れ渡った視界のなかで多くの峰々が光り輝き、先人たちも同じように道を越えてきたのだということがわかるよ!
    あなたたちは悩んだ分だけ成長し、偉大な跡を受け継ぐ十分な資格を得るわ。そのときはきっと見えるでしょう。帰るべき精神の故郷に本物のロックの宮殿がそびえ建っているのが!

    デビュー・シングル(Take The Long Road And Walk It)で困難な道を歩むことを、すでに歌っているというのは奇妙というよりありません。それにまだ10代だというのになんと大人びているのでしょう。ストレートでありながら音のスケールが半端じゃありません。UKロックシーンに新しいエネルギーが蘇ったと誰もが思ったはずです。
    <何かを伝えたい>そんな直情的なグルーヴがこのバンドからは感じられます。ファッション化したロックに真っ向から挑む真面目さが感じられるのです。

    1曲を作ることは大変なことに相違ない。
    アーティストはアグレッシブな格闘のなかに自己の存在意義をかけて挑戦しているのです。青春はまばゆいばかりに輝き続けるとは限らない。誰もが悩み苦しんでいる。生きることは目的を見つけ出すこと。彼らは頂上を目指し危険な登攀を試みている。わたしはクライシスを克服し、誰もが待ち望んだロックの正しき道を歩んでくれると確信する。拳を握りしめたくなるようなエキサイティングなサウンドがアルバムからほとばしり現れるのを・・・・・わたしは待っています。


    この記事は2010年7月21日にブログに書いたものです。
    今聴いても決して古さを感じないサウンドですが、結局、グループは4枚のアルバムで解散しました。問題提起のまま解決できずに、やがて感性をサビつかせる。ありがちなルート選択に少しがっかりですが、よく考えてみれば誰もが似たような人生を歩んでも疑問に感じない鈍感さが見られます。もちろん自分もそのクライシスを抱えていて、もがきあがいていることを自覚しています。
    多かれ少なかれ、程度差はあっても危機を抱えているのが人生です。青春の無謀さ、一途さは、これを乗り越える積極的果敢さとでも言えるのかもしれませんが、苦痛や限界に立ち向かう勇気は熟練や経験とは無関係のような気がします。


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    The End of The World

    美しい窓には、rose-001.jpg
    美しい朝の光がさしこむように、
    美しい心には、美しい愛の光がさしこむ。
    そして幸せの光がおとずれる。

    わたしはあなたのなかに、美しい心を見る。
    姿勢を正して歩く姿は、瞳が輝き、活き活きとしています。
    波のように障害をのりこえていく柔軟な思考。
    諦めないということは賢明さのあらわれ。
    大きな包容力と優しさに包まれて、安心感と安らぎを得る。
    わたしがあなたのためにできることは、深い愛情と眼差しでこたえること。

    楽しいことばかりではないわ。
    つらいことがあって、
    ふたりをつなぐ鎖を断ち切る何者かがいたとしても、
    わたしは信じている、あなたの帰りを。
    遠くからでも見ることができる、屋根の上に大きな旗を掲げて、
    あなたが帰るべき家があることを。

    愛とは聖なるもの。
    精神の高揚をうながすもの。
    楚々として力強く、
    二度と得ることができないふたりの魂の共鳴。愚かであってはならない。
    目先のことだけにとらわれる、浅はかな人間には、幸せの階段をのぼることができない。
    指の間から乾いた砂が零れ落ちるように、幸せをつかむことができない。
    川に浮かんだ木の葉のように、哀れな人生は願い下げよ。
    わたしは何も恐れていないわ。
    たとえ順風が吹かなくても、
    舵をきって船長の役割をはたし、自分の人生行路をのりきっていくだけ。
    荒波を越えていくだけ。

    清らかな泉のように
    強い鋼のように
    なめらかな陶器のように
    透明な水晶のように
    美しい魂を持った自分を発見したい。


    ❖❖❖


    なぜ太陽はまだ輝いているの
    なぜ波は浜辺に打ち寄せるの
    知らないのね
    これが世界の終わりだってことを
    あなたがもう愛してくれないから
    世界の終わりだってことを

    なぜ鳥たちはまだ歌っているの
    なぜ星は空で輝いているの
    知らないのね
    これが世界の終わりだってことを
    あなたの愛を失ったとき
    世界は終わったということを

    朝、目が覚めて思う
    なぜすべて前と同じなの
    わからない わからない
    どうやっていつものように
    暮らしが続いていくのか

    なぜ私の胸はまだドキドキしたままなの
    なぜ私のこの目は泣いているの
    知らないのね
    これが世界の終わりだってことを
    あなたが別れを告げたとき
    これで世界が終わったことを





    感傷的な詩句、メロディーが胸をうち、涙が溢れそうになる。
    わたしは失恋らしい失恋をしたことがないので、というより、恋愛経験自体が少ないから、青春の淡い恋に憬れたりする心理も影響しているのかもしれない。
    俗に言う世紀の恋って大変そう。でも、小さい恋にも小さい恋の大変さがあって、純な想いを貫くみたいな健気さは、それなりにエネルギーが必要なことだと思う。でも結局、次第に打算的になり、汚れていくのよね。
    先のことを考えると不安な気持ちもないわけでもない。清楚で美しい心であらねばならないとの考えが、いつもわたしのなかにあります。その理想とする先に、以前は奥様がおられたのは女子部であれば当然のことだったかもしれない。どのような人なのか、知らないからこそ想像力を働かせ、古風でひかえめな生き方にあこがれるのかもしれない。


    イマジネーションを刺激されて作った詞


    The End of The World
     この世の果てまで Ⅱ

    世界が終わったとしても
    私はまた悲しい心で旅立つわ
    波うち際に立って
    花輪を投げて
    別れを告げるわ
    悲しい私に別れを告げるわ

    世界が終わったとしても
    私はまた思い出といっしょに旅立つわ
    あなたのことは忘れない
    ときめいたことも
    夢見たことも
    傷ついた私に別れを告げるわ

    世界が終わったとしても
    私はいつもの笑顔で旅立つわ
    緑の野に立って
    空の雲に
    旅立ちを告げるわ
    新しい私と旅立ちを告げるわ


    ❖❖❖

    あなたに出会ったときのこと
    小春日和の新鮮な風が
    背を押すように吹いて
    どういうわけか
    なつかしさを感じました

    はじめての出会いなのに
    忘れられない面影が
    ろうそくの火のように
    心に灯ったようでした

    その思いは陽炎のように
    はかなく消えるものではなく
    記憶のなかの閉ざされていた一頁を
    開いた出会いだったのかも知れません

    わたしは思ったのです

    幾世代もの古びた書架から蘇って
    再び書き加える二人の物語なのではないかと
    わたしたちは何度も出会い
    別れをくりかえし
    光が朝を呼び寄せるように
    魂が魂を呼び寄せて
    目では見ることはできない
    過去からの約束だったのではないかと

    時代が変わっても
    男女の思いは同じ
    愛し愛されるこだまのような響きは
    誰が用意したものでもなく
    二人が求め望んだ
    切なる願いであったのだと
    過去世からの偽りのない誓いなのだと

    だからわたしは思うのです

    これから二人が
    山を越え谷を越えて行かねばならないとしたら
    試練があるとしたら
    かたく手をつなぎ
    ともに涙するいたわりと
    ともに喜ぶ思いやりがあれば
    勇者のようにまた
    戦いの記念碑を作ることができると


    ❖❖❖

    野に咲く花のように
    清楚な美しさが目を引く
    過酷な四季の天候にも耐える
    雑草のような強さ
    あなたの残像が
    麗しい風景のなかで微笑んで
    わたしを見つめています

    あなたに出会ったときから変わりました
    いろいろと考えることも多くなりました
    うわついた気持ちではなく
    愛することや
    生きることの意味を
    しっかりと考えることができました

    美しい愛のフィギュア
    理想を求める努力と知性がその形を決める
    愛の深まりのプロトコル
    人によってそのプロセスは百人百様

    愛は万人に与えられた宝
    蘇生の水
    嵐の海の灯台
    不幸の星に向かって射る狩人の矢

    わたしは白い綿毛のように純になって
    ひたすらに愛することが
    旅のキップを手にすることだと気がつきました

    わたしは今いる地平から
    大鷲のように自由に
    愛の大空に飛翔するのだと
    束縛のない心の自由に
    満たされています

    愛がすべてを変えたのです


    If You Love Me (Really Love Me) - Brenda Lee




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    香港クーデター

    過去のことなど、よほどのことがないかぎりすぐ忘れてしまう現代人の特徴的性分と傾向性は、アップデートを拒絶した脳のメモリー領域の飽和状態を示しているのではないかと考えたりもします。一年前のこともすっかり忘れているので、問題の分別も経過の見透しもありません。もちろん、自己批判を兼ねた自己評価です。

    一年前の11月15日のロイターニュースは、アメリカの強い決意を示す内容だった。
    『ペンス米副大統領は15日、シンガポールでの東南アジア諸国連合(ASEAN)の各国首脳との会談冒頭で、インド太平洋地域において「帝国や侵略」は存在しないとの考えを示した。
    ペンス氏は、インド太平洋地域で大国と同様に小規模の国も繁栄し、主権を確保し、それぞれの価値に自信を持ち、共に成長することができると強調。中国に言及はしなかったものの「インド太平洋地域で帝国や侵略が存在する余地はないという認識でわれわれは一致している」と述べた。
    米国はこのビジョンを推進するため、インフラ部門への民間投資後押しや自由かつ公平で相互的な貿易の促進などを行っていると説明した。
    また、「北朝鮮に対する圧力」や「航行や飛行の自由を支持するための取り組み」、デジタル世界における東南アジア諸国の国境、領土、領海の安全保障を確保するための米国の決意を強調した。
    ペンス氏は10月初旬に行った講演で、対中強硬姿勢を鮮明にし、トランプ政権を弱体化させるような中国の「悪意のある」動きや南シナ海における無謀な軍事行動を強く批判した』


    アメリカのこの地域へのインフラ支援は、600億ドルの用意があることを表明。借金漬けにしながら乗っ取りを企てるような中国の支援のあり方を批判した。
    ペンス氏は一月前の10月に、トランプ政権の基本的な外交姿勢ともいうべき内容の演説を行っていますが、この重要な演説が大統領ではなく、冷静なペンス氏であることに救いがあるように思えます。平和への調停役にこそ、アメリカらしい自信をうかがい知ることができます。自国第一主義は、超大国には相応しくありません。誤解を生む派手なパフォーマンスのトランプ大統領ばかり目立ちますが、中国の覇権主義こそ、ナショナリズムにつながる自国第一主義というべきでしょう。人間をコントロールし、管理し牛耳り、君臨し従属させる非人間主義が、中国社会主義・共産党独裁の隠された正体です。

    「中国の人間主義」について、正確な洞察もなく手放しに賛嘆している池田先生の香港中文大学の講演があります。返還前の92年のことですが、返還後を期待してのことは言うまでもありません。理想主義者の言葉が、今では虚しく響いてきます。
    創価のHP(https://www.sokanet.jp/download/koen/03.pdf)にも掲載されているので誰でも読むことができますが、香港の混乱が第二の天安門事件に発展している現在においては、講演できない内容でもあります。

    一国二制度について、朝日新聞デジタルでは次のように説明されております。
    香港返還と一国二制度(2017年07月02日 朝刊)
    英国はアヘン戦争(1840〜42年)で清に勝って以降、段階的に香港を統治下に置き、1898年に香港全域を植民地とした。1980年代に本格化した返還交渉を経て英中両国は84年に共同声明に調印し、97年に返還することで合意した。香港では返還から50年間は、資本主義など中国本土とは異なる経済・政治制度を維持することが約束され、外交と国防をのぞく「高度な自治」が認められた。香港の「憲没にあたる香港基本法には、中国本土では制約される言論・報道・出版の自由、集会やデモの自由、信仰の自由などが明記されている』

    50年の半分も経っておりませんが、制度維持の約束は破られています。中国らしい虚偽と謀略テクニックですが、やがて信仰の自由も制限されることは疑いがありません。中国本土では宗教は弾圧対象です。
    聖教に、7月には遼寧省大連市・大連海事大学に「池田大作研究センター」、10月には河北省保定市・河北大学に「池田大作研究所」が設立されたことが報道されました。
    中国の池田研究は、体制への従順と忠誠を証明するひとつの公式な認可のようなものです。政権に逆らいませんという宣言のようなもの。人権を標榜し目的とする団体が非人権の思想に参意を示してもおかしいと考えない矛盾があります。人間なら二律背反の分裂状態に陥りますが、我慢強い仏法者は平常です。本音と建前が違うということでは、創価と共産ファシズムは相似なのかもしれません。表と裏が違えば二重人格です。思想がまったく相違するのに、行動はアナロジー。おもしろい研究課題ですね。

    92年の、香港中文大学での講演『中国的人間主義の伝統』では、最高客員教授の栄誉を授賞。現在の大学は混乱のただ中にありますが、最高の栄誉を受けた人は何も語ろうとしません。民主主義を見捨てております。法華経の精神である、「他者への貢献と尽力」を、「影響力の純粋な行使と活用」を良心的に試みることすらしないのはどうしてでしょう。
    法華経は行動哲学です。観念ではありません。他者の苦悩を共有することなのではないでしょうか。香港には多くの会員がいることでしょう。どうしてその混乱を見て見ぬ振りができるのでしょうか。一つしかない最高の栄誉を授賞しているのに、混乱時の行動は冷淡そのものとは、マキシマムとミニマムの折れ線グラフを見ているようです。
    口を開けば絵に書いた総論ばかりで、切実な個別の問題には関与しないという非リアリスト。生老病死は総論で語れるほどの大雑把な概念的問題ではなく、個々で相違するバリエーション豊かな人生問題なのですから、宗教家は夢想家ではなく実際家でなくてはならない。
    『湾岸戦争の勃発で明け、ソ連邦の消滅で幕を閉じた昨年は、世界史が、文字どおり、地殻変動ともいうべき大揺れを演じた1年でありました。よく"筋書きのないドラマ"といわれますが、ここ数年の国際情勢の動きは、どんな練達な歴史家の眼をもってしても、読みきれなかったにちがいありません。
    とりわけ、69年間にわたって続いてきたソ連邦のあっけない消滅は、ファシズムとコミュニズム(共産主義)という2つのイデオロギーが暴走した20世紀の幕引きを、何か象徴しているように思えてなりません。激動する時流は、私どもに改めて厳しく問いかけております。一体、イデオロギーのための人間なのか、人間のためのイデオロギーなのか――と』

    四半世紀前はソ連崩壊でも、今は中国というファシズムとコミュニズムの暴風雨が荒れ狂っております。コミュニズムは信仰否定の狂気です。尊厳に対する拒絶への強い意志です。
    香港が今後どのようになっていくのか、ニューズウィーク日本版の記事には適切な問題提起がある。
    『中国の指導層が基本法を廃止し、香港の指導層を直接任命し、司法の独立性を弱めまたは排除し、市民の自由を制限し、政治的な反対運動を抑え込もうとしていることは確かなようだ。つまり中国政府は、1997年に香港が中国に返還されたときに鄧小平が50年間維持すると約束した「一国二制度」モデルを事実上放棄することを決めたのだ』
    『中国は2003年、香港の立法会に国家安全保障法案を可決させようとした。しかし50万人を超える住民がデモに参加し、法案を撤回に追い込んだ。2012年には香港の歴史教科書を変更して「愛国教育」を導入しようとする試みが親と学生の抵抗に遭い、政府は引き下がった。
    中国政府が香港を完全に支配しようとすれば、さらに多くの、そしてさらに大規模な暴力が展開されるだろう。街は混乱を極め、統治が不可能になる』
    「香港の完全支配を目指す中国を、破滅的な展開が待っている」CHINA’S RISKY ENDGAME IN HONG KONG

    中文大学での講演は「中庸」という極めて中国的な儒教倫理に、仏教的概念である「中道」と重ね合わせ、人間主義なるものの正統性を強調している。中国に媚びを売る商売上手な性格は、創価の本質と断言しても言い過ぎではありません。
    第二の天安門事件で世界中から総スカンを食らった中国に、真っ先にご機嫌取りを敢行したのは池田先生です。事件で弾圧され殺された側に同情するわけでなく、その人権虐待と強圧的な政治に対して世界から批難される側を擁護する姿勢は、とても仏法者とは思えませんが、何より人間主義を標榜する法華経の精神を冒涜し誹謗している。
    天安門事件の翌年、1990年の第7次訪問では北京大学で講演しましたが、古代ギリシャのプラトンの教育法と対比しながら、それを上回るものとして中国伝統の教育法を普遍的なものとして絶賛しています。わたしですら読んでいて赤面しますが、それを聞いていた北京大学関係者は頭をあげられなかったことでしょう。その後の共産主義の愛国教育はまともではない。国民の意識を偏らせ、蝕み、その後の世界への悪影響は計り知れない。なにしろ、億単位の人間がいっせいに同じ方向に手を上げ、その手で石を投げ、口汚く罵り、破壊活動に邁進するのですから。政府も批判されると決り文句のように「内政干渉だ」と非常事態宣言のように最後の切り札をちらつかせる。この先通行禁止だから誰も通るなという独裁特有のジコチュー満タンの戦車に乗り込んで、道路の真ん中を塞ぎ砲身の照準を合わせている。

    『現在の中国に必要なのは軍事力強化ではない。環境問題をはじめ、少数民族の人権抑圧の是正、膨大な数に上る極貧層の救済、急激に進んでいる高齢化への対応、失速する経済の立て直し。優先すべきなのは、こうした困難な国内問題の解決だ。
    国内経済は米中貿易戦争で急速に悪化している。それ以前から減速傾向は顕在化し、2018年の成長率は28年ぶりの低い伸びにとどまった。雇用環境の悪化は社会不安を増大させ、政権批判が次第に強まっていくだろう。
    対外関係に目を向ければ、現在、アジアで最大の軍事的な脅威は中国だ。南シナ海では岩礁を埋め立てて、人工島を造成し、軍事拠点化を進めている。ここでは周辺国との関係が険悪化している。
    東シナ海では沖縄県・尖閣諸島の領有権を主張し、公船による日本の領海侵入を繰り返している。覇権主義的な中国の動きを巡って、国際的なイメージは悪化の一途だ。
    ニューヨークで開かれている国連総会で先週、諸外国から次々に懸念が表明され、中国の代表団は火消しに追われたという。各国は香港の民主化要求に共感し、少数民族の抑圧に重大な懸念を抱いている。中国に対する国際世論は非常に厳しい。
    国内融和と国際協調。中国に必要とされているのは、この二つだ。問題の平和的な解決を図りつつ、民主主義国家への緩やかな移行を目指すのが最も望ましい道だろう』
    「河北新報」10・2

    国連では6月、スーダン軍が民主化を求めるデモ隊を強制排除し多数が死傷した3日の事件については、事務総長が「市民に対する治安部隊の過剰な武力行使を強く非難し、集会や表現の自由を含むあらゆる市民の権利を守るよう、軍暫定政権に要求している」と語りましたが、天安門事件について感想を求められて「特にコメントはない」と答えました。事務総長の仕事は紛争解決の総括。国連予算の分担率が世界2位の常任理事国には、苦言を言い出しにくい。しかしそのうえで交渉しなければならない喫緊の諸問題について、リーダーシップを発揮する歴史的な役割があるのです。事務総長もまたネゴシエイターの一人でしょうが、一流ではないように思える。無力な国連に期待するのは難民だけかもしれない。
    最近、重大ニュースが発表されました。新疆ウイグル地区の強制収容所に関する中国政府内部からのリーク、内部文書。ヒトラーよりひどいジェノサイドが明らかになるのはいつごろのことなのでしょうか。池田先生はウイグル地区からも名誉称号を多く受けておりますが、知識人や大学関係者が捕らえられ拷問を受け無実で牢獄に繋がれている現状に、目を塞ぎ知らないふりをしている。今年のSGI提言でアカデミック・インパクトにふれておりましたが、「平和・紛争解決」「異文化間の対話や相互理解」のSDGsの目標について、創価大学も参加していることを力説していたではありませんか。紛争と差別のまっただなかにある大学に理解を示し、支援することが真実を愛する言論人の取るべき行動です。腐れた人間主義者は、"提言"や"永遠の指導"でもう大きな口を叩かないでください。
    共産党支配という古い秩序に挑戦している香港の変革のエネルギーこそ、「人間中心の多国間主義」を実現する最も近いアプローチだと思う。差異による排除を許さない行動が、自他共の幸福に展開していくことを願わずにいられません。

    ❖❖❖

    Ancient Order
    Anne-Sophie Versnaeyen,
    Gabriel Saban & Philippe Briand




    アンナの日記 ④

    Apocalyptica<チェロメタルの熱狂>・2010年5月25日に書いた記事
    ap_0111.jpgアポカリプティカ(Apocalyptica)は、1993年にシベリウス音楽院でエイッカ・トッピネン(Eicca Toppinen)、パーヴォ・ロトヨネン(Paavo Lötjönen)、マックス・リリャ(Max Lilja)、アンテロ・マンニネン(Antero Manninen) の4人が出会い、彼らの好きなメタリカのカバーをチェロで演奏するバンドとして結成されました。その後メンバーチェンジを経ながら現在は3人のチェリスト+ドラムスという構成。最新作といっても2007年の6枚目のオリジナル<ワールズ・コライド :  Worlds Collide>はヴォーカルやゲストミュージシャンを迎えて新たな展開をみせている。とにかくメイン・インストルメントになることが難しいチェロが中心なのですから驚きです。
    2003年からドラムスが参加するようになってからチェロメタルの本領を発揮するようになったと思います。アグレッシヴなリフとリズム、ピッキングハーモニクスのような音、歪んだ音も深遠でギターと間違ってしまいます。ダークで混沌としたメタルの世界を確かなテクニックと明瞭なクオリティーで描くストレンジなプレーは圧倒的。オリジナリティーとはまさにチェロでメタルをという斬新な発想と挑戦をいうのではないでしょうか。本格的にドラムスが使われたのは2003年リリースの4th <Reflections>から。このアルバムのツアーからミッコ・シレンが加入。よりメタルらしさが強調されるようになりました。日本ではまだ注目度も低い。

    最新作<Worlds Collide>は典型的なダークでメランコリックなメロディーのタイトル曲から始まり、多彩なゲストを迎えて充実した内容に仕上がっています。
    始めてギターの旋律が入った<Grace>は布袋寅泰が参加。
    先行シングル<I’m Not Jesus>はインダストリアルなへヴィ・メタル。
    ヴォーカルのコリィ・テイラー(Slipknot )が素晴らしい。デンジャラスなダークな世界を歌いきっている。
    <Helden>はデヴィッド・ボウイの<Heroes>のカヴァー曲。
    ドイツのインダストリアル・バンド(Rammstein )のシンガー・ティル・リンデマンのドイツ語は分かりませんが、未来戦争を想起させるエモーショナル&ミステリアスなブラック・メタルというところ。
    さらにアルバムのハイライトというべき<Last Hope>。ほんとにチェロ?と疑いたくなるほどの凄まじいヘヴィーな曲。重層&複雑な曲構成と迷路を疾走するような強烈なスピード・メタル。
    <I Don’t Care>は物悲しいチェロの響きに導かれて始まるへヴィー・ロック・クラシカル。ヴォーカルはアダム・ゴンティア(Three Days Grace )ヒット性が感じられる素晴らしい曲です。
    <S.O.S.>チェロはゴシックメタルに良く似合う。重厚でナチュラルで物悲しい。ヴォーカルはクリスティーナ・スカビア(Lacuna Coil )ドラマティックでありながら沈痛な切なさ。悲しみの美。
    アルバムラストは重厚な<Peace>クラシックの品の良さとメタルの様式美が融合。暗いフィンランドの物憂げな空を流れる張り詰めたテンションの清浄な響き。

    Apocalyptica is a Finnish rock band from Helsinki, Finland, formed in 1993. The band is composed of classically trained cellists and, since 2003, a drummer. Three of the cellists are graduates of the Sibelius Academy in Helsinki, Finland. Their music features elements from classical music, neo-classical metal, symphonic metal and thrash metal.

    Apocalyptica ft. Corey Taylor
    I'm Not Jesus (Official Video)



    わたしたちはなんでも名前を付けたがる。名前を付けて認識し記憶する。
    素敵な人とすれ違うと名前を知りたいと思うし、美しい花を見れば名前を調べる。
    アポカリプティカの曲を聴けばタイトルを知りたいと考えるのは、彼らの力量がクラシックのテクニックに裏付けられたセンスと感性、何よりメタルの刺激的でバラエティー豊かなドラマ性にあるのではないかと思う。ヴォーカルとゲスト・ミュージシャンを迎えていよいよアポカリプティカ・ワールドに意識もダクダク、コライドしよう!
    ダークでメランコリック、グレートな世界にようこそ!


    ❖❖❖


    Red Hot Chili Peppers<男たちの起死回生>・2010年7月19日に書いた記事
    わたしの知り合いにカート・コベインをこよなく愛する人がいます。10代でカートに出会い、その生き方に衝撃を受けたようです。彼はとても知的な人ですが、正義感に溢れ、清く潔く曲がったことが大嫌いというロックンロールを絵に書いたような人でもあります。家族を養い、仕事も休むことを忘れるぐらい懸命にやる人です。生活スタイルもまたグランジ・スピリットに貫かれており、価値判断の基準は正しいか間違っていないか、後悔しないかという単純なものだとわたしは理解しています。要領の良い生き方が好まれる現代、彼のような生き方は、ときには戯画のような滑稽さが伴いますが、彼に会うと、性別や年令も忘れて、どういうわけか爽やかな気分になります。

    広い世のなか信念がない人というのはいるもんだ。自分の都合の良いようにその場限りの適当な言い訳をして繕い、結局逃げ出す。礼儀を尽くそうとする人には近づかず、自分が楽をしたいと怠惰な性格を棚に上げて、自分は何もやろうとしない上に人の欠点ばかり責める。よほど自分が上等の人間だと勘違いしている人。白い目で見られているのに気づかず、謙虚さのひとかけらもない。最後には誰も相手にしなくなる淋しい人生をおくるに違いない。

    どうして悩んでいることを打ち明けてくれなかったのでしょう?
    誰でも判断を誤るときがあり、感情に流されることがあり、予期しない結果に冷静さを忘れることもある。
    悪口を人一倍言ってきた者が手のひらを返したようにしおらしくとりいる。なんと浅ましい姿でしょう。
    反省することは人徳の一つと考えるのですが、そんな当たり前のことも理解できないのでしょうか?


    Red Hot Chili Peppers

    男たちの再生とバンドの復活を遂げた起死回生の7枚目「Californication」。
    ロック界の巨人は辛酸を舐めて
    ロックの慈愛と人生の悲しみを知った。
    何が一番必要なのか?
    進むことも退くことも
    傍にかけがえのない友だちがいることで
    いっしょにバンドをやっていくことで
    喜びに変わることを知った。

    Red Hot Chili Peppers世のなか何が正義か分からない。
    何が真実かも知れたもんじゃない。
    最高の友だちだと思っていた奴が裏切ったり、あんなに尽くしたのに、もちろん見返りが欲しくて尽くしたんじゃないけど、恩とか情とか考えない奴もいるんだということがわかった。
    金、金、金、お金のために人生を送ってる奴もいるし、バカだよ。憐れだよ。ハートがないよ。夢がないよ。
    オレだって間違いを犯さないってことじゃない。何回も間違ったよ。でもこんなんじゃいけないって、人生メチャクチャになるって考えたから戻ってきたんだ。何のために生きてきたんだって思ったからさ。
    ステージに立てる。また4人でプレイできる。それだけでうれしい。
    本当に心からうれしい。

    今まで苦しいことから逃れてきた。
    弱い自分にさよならしなければと
    いつも思っていた。
    いつかそんな日が来ると思っていたんだ。
    もう惨めな人生はたくさんだ。
    やれるだけのことはやる。
    そう決めたんだ。
    まだこれからだって遅くはないだろ。
    まだ終わったわけじゃないんだ。

    Stadium Arcadiumアメリカの頂点を極めた最強バンドは、悲劇とトラブルが執拗について回りました。彼らはその乗り越えるべきドラマの果てに、更にロックの王道が開けていたことを知ることとなりました。
    直情的で真っ当なロッカーに波乱と引き換えにヒロイックな賞賛が準備されていたのです。悲しみや慈しみが、音を深めることを身をもって知ったのです。信頼するバンド仲間の友情がすべての始まりであることを、それが自分たちが求めていたものであることを知ったのです。
    クライマックスはまだこれからなんだ。もっとビッグになるんだ。

    Stadium Arcadium 2006” は前進と進化、充実の大作。

    昨年脱退したバンドの核、ジョン・フルシアンテ。ジョン・メイヤー、デレク・トラックスとともに「現代の3大ギタリスト」「白いジミヘン」という名声を得て最高のギタリストの一人と認められた。今回は円満退職。レッチリの一人一人が一回り大きくなった。友情は永遠に続く。これから更なる活躍が期待されます。


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