出発のためのダイジェスト ⑨

    <対極性が示すロックの美学> 2010.5.16
    日本晴れの日曜日。活動日和のお天気ですが、近ごろの寒暖の差の激しさゆえ、体調がおもわしくなく、咳が出たり、熱っぽかったりするので、世界を救うために、日夜悩みが尽きない乙女も、きょうはゆっくり身体を休めようとパソコンとにらめっこしています。日ごろの急進的な行いを反省しつつ、うつらうつらに考えごとなどをしております。
    熟慮と行動、時にはハッタリとカモフラージュ、実像と虚像、戦闘心と出世欲、誠実さ、信念など、普通一般に言われているリーダーとしての素質を磨くために、後には引かないなどと勇ましいことを、口にはしませんが、健気に常日頃の心得としておりますが、体調が悪かったりすると意気込みも萎んでしまうのは、仕方ないことなのでしょうか?
    何事も継続することに意義があり、それは簡単なようで難しいことですが、わたしにとって持続する執念深さがうすいような気がします。それでも自分のことをある程度わかっていれば、自己弁護をするのではなく、潔く反省し、人間的成長と強い意志を磨くために、懼れずチャレンジしていきたい。
    関係ありませんが、きのうはチョット片付けものなどをして重いものを持ったせいか、少し筋肉がついたような気がするのですが、逞しい女子も素敵ですよね。

    それでは、うつらうつらに一句。



    季語が入っていても、何の意味もありませぬ。

    もう2年も前のことですが(正確に言うと1年10ヶ月前ですが、時間が経つのが早過ぎて、1年過ぎたら大雑把に数えることにしました)お給料を貰って、一直線にタワレコに走りました。衝動買いを含めて、10枚のCDを一気買い。そのなかの1枚に、コールドプレイの新譜が含まれておりました。




    611o6vi1.jpg Viva La Vida or Death And All His Friends
    フランスの象徴、ドラクロワの<民衆を導く自由>に激しい筆致で<Viva La Vida>とペインティングされたアートワークを、しばらく眺めていました。「自由」「戦い」「革命」、そんな言葉が思いうかんで、「ウ~ン、ロックだ!」と聴く前から、興奮したのを覚えています。

    耳が痛くなるような、喧騒な音が充満する現在のロック・シーンにあって、コールドプレイは時代性を超越し、トレンドやカテゴリーの外に、自分たちの世界を築き上げてきました。夜空にひときわ輝く星のように、そのサイレントな宇宙は普遍的な色彩を帯びて、いつの時代にも受け入れられるエッセンスを持っていると思います。エモーショナルなサウンド構成は、わたしたちのハートにひたひたと、音楽的体験のカタルシスを味わせてくれるのです。日常のストレスや苛立ちから解放してくれるのです。コールドプレイの世界的なブレイクは、人間の心理のエニグマ的要素に、優しく語りかける癒しの効果があったのかもしれませんね。

    思慮深い? わたしは、あらためて考えました。
    ドラクロワのマリアンヌは、何を象徴しているのでしょう?
    フランス革命を描いた最も有名な絵画に、何か意味があるのだろうか?
    そして、ガヴローシュの運命は、のちのち有名な作家によって、フランス一の著名な少年になるのですが、革命にシルクハットの紳士とは、やはりフランスの国民性と言うべきなのでしょうか。それにただ単純に、ふくよかな胸も露わな女神に、男が惹きつけられたのかもしれないなどと、考えたら際限なく横道に逸れていくので止めにします。
    ライナー・ノーツが指摘しているように(でもこのライターには異議あり!)タイトルがすべてを言い表しているでしょう。

    <Viva La Vida or Death And All His Friends  すばらしき人生と死>

    むむっ、そうきましたか。 
    いきなりロックンロールの本質を突いてきたわね、とわたしは身構えたのでした。
    革命は詩心だ。いや、詩心が革命の原動力と言うべきか。

    冒頭から一聴しただけでコールドプレイとわかる。
    エスニックな雰囲気は、インターナショナルな世界観の提示と解釈しました。これ以上の成功は望めないというほどの勝ちを収めたバンドが、更なる冒険に旅立つために、世界をもう一度見直してみるという行為は自然なものです。特徴的なのは原初的なリズムへの接近でしょう。ロックにとって最も大切なものはリズムです。リズムが土台のように楽曲を支えているといってもよいでしょう。
    音波のうなり、ストリングス、複雑なリズムが一体となって押し寄せてくる。さらに転調の鮮やかさ、自由な曲想、想像力を刺激するメタファーな詞、精神的なガッツさをみせて持続する緊張感、変わらないブリリアントな展開と構成。コールドプレイはリスナーにロックの素晴らしさを、まだ無限に広がる可能性を見せてくれたのでした。

    テーマは "Life"と "Death"。
    西洋と東洋、またアフリカの死生観は根本的に異なっています。単純に、ワールド・ミュージック的なアプローチで表現するには重過ぎるテーマです。わたしは彼らの興奮と意気込みには、惜しみない拍手を送りたいと思います。しかしテーマを十分に消化しているとは思えないのです。テーマの設定と迫り方にやや不足を感じました。
    前作に比べればよりシャープさを増し、コントラストが鮮明なクリア・サウンドに変身したとも言えるでしょう。
    また世界観を広げ、さらに一歩踏み込んだワールド・ワイドな視点は、バンドの次のステップのスタート地点となるでしょう。そこは数々の傑作をものにしてきたアーティストであり、名プロデューサーであるブライアン・イーノの力なのかもしれない。

    このアルバムで大事なことは、誰も指摘はしておりませんが、"Life"と "Death" という両極に位置する言葉の選択です。これはロックンロールのあり方と深く関わっています。

    不変のものと変容するもの。
    巌のように不動のものと陽炎のように揺らぐもの

    いかようにも解釈の幅は広がり、またそれぞれの立場で、原理と応用を適用するように、おもしろいように命題が見つかるのです。

    ノーマルとアブノーマル。
    伝統性と現代性。
    古典とロマン。
    オリジナリティとインプロビゼーション。
    長調と短調。
    普遍性と大衆性。
    正義と悪。
    平和と戦争。
    美と醜。
    明と暗。
    上昇と下降。
    塊と広がり、などなど。

    この両極の二面性を振幅するダイナミズムが、ロックンロールの醍醐味とも言えます。

    世俗的でありながら聖なるもの。
    刹那的でありながら永遠なるもの。
    神聖なるものと悩めるわたし。
     
    そして、わたしのなかの純潔な愛と裏切り。
    賢明さと愚かさ。
    優しさと冷たさ。
    喜びと苦しみ。
    献身と失意。
    祈りと憎しみ。
    強さと弱さ。
    わたしの血脈にも、真っ赤なロックンロールが流れている。

    「美しき生命」と名づけられたこのアルバムは、希望を持ちアクティブな姿勢で生きるためのメッセージを、美しき旋律に書き下ろしたものです。
    コールドプレイの歴史に、新たなチャプターが用意されたのです。

    <Life In Technicolor>
    「なるほど、なるほど、この曲名にキーワードがあるんですね」
    コールドプレイが仕掛けた謎を解いたように、納得したわたしでした。







    a-fc-005643.jpg

    出発のためのダイジェスト ⑧

    Avatar & Queen 2010.5.5
    構想14年、製作に4年以上の歳月をかけて完成させたラージスケール・ムーヴィー。
    宮崎駿作品・「ラピュタ」「ナウシカ」からの影響が明らかで、アカデミー賞が取れなかった理由がわかったような気がしました。

    それでも情報量の大きさ、密度は相当のもの。ヴァーチャル・リアリティーの異次元体験は、圧倒的に感覚を麻痺させる。テーマもまた大規模作品に相応しく、資源枯渇、生態系の破壊、搾取と圧政、知性の限界、他者を理解することの難しさを異界の動植物の動きや色彩を通し、細部まで緻密にリアリティーたっぷりに描き出す。3D映画を気軽に見ることができるようになった技術的進歩は、映画史の流れのなかで、一つの重要なエポックになりそうですが、ハリウッドだからこそできた映画でもあります。
    見知らぬ世界で、どこかの天体でなくても、この地球上で、全く違う考えのなかでの共生の仕方を学ぶ、アサーショントレーニングに使える教材になるかもしれません。
    残念なのは、悪役キャラクターの造形が平均的であり、凡庸なこと。善の善良さは悪の凄みに支えられている。
    <エンターテインメントでありながら教訓に満ちている>
    キャメロン監督の映画手法は、精巧な仮想現実を想わせるプレゼンによって、わたしたちの想像力が果てしがないことを感じさせてくれる。
    映画に一つの伝説が誕生したと言うのは大袈裟だろうか?
    宮崎駿監督は、無国籍・インターナショナル・未来次元の世界観を持っていた「ナウシカ」「ラピュタ」から、自分のアイデンティティーを訪ねるかのような、日本文化の根源への傾倒を果たしていくけれど、わたしは深い問題意識も垣間見れる初期作品の深化ルートをたどっていただきたかったという思いもあります。その後の作品は、大衆性を獲得すると同時に、オリジナル性が次第に薄れていったように思われます。個人的には、『シュナの旅』をアニメ化してくれていたらと思います。飢餓や食物貧窮、戦争、環境問題といった喫緊の重要なテーマ設定が可能であり、ジブリ作品の集大成にもなるような気がします。
    苦難によって希望を失い、人間の不思議な巡り会いによってやがて再生を遂げていく。有史以来の永遠に変わらないテーマです。宗教もこの原理の応用と亜流の適用かもしれません。


    Queen Legend
    クイーン伝説は、音楽への夢を持った青年たちのサクセス・ストーリーというだけでなく、喜びや悲しみ、希望や失意といった誰でも遭遇する人生の試練に打ち勝った力強さが感じられます。そして楽曲の素晴らしさと、フレディの早過ぎる死によって、ロック史の1ページを飾るものとなりました。

    ヨーロッパ芸術の底辺に流れる奥深いファンタジックな物語世界の継承者。クイーン・サウンドは、優雅さと華麗さにおいてヨーロッパ的であり、旋律の美しさにおいて比類がありません。彼らは現実と仮想の狭間にクイーン・ワールドを築きあげました。
    セカンドアルバムは、善と悪、天上と奈落、清純と俗悪といった苦悶するアンビバレントな感情に一筋の光明をもたらし、神と暗黒世界に向けての渾身の一撃でもありました。それはまたドラマティックな構成と高純度のロック的要素に彩られて、かつてない感動をもたらすものだったのです。

    31ql-031.jpg"Queen Ⅱ" 1974
    漆黒の闇に浮かび上がる秀逸なジャケット・アートワーク。
    夜を支配する君主、魔法使い、鬼、モンスター、悪魔、神。
    クイーン美学のキーワードは、いくつも見うけられる。ハードロックの基本を踏まえつつ、急展開の構成、独特のコーラス・ワーク、ギター・オーケストレーション、圧倒的な存在感のヴォーカル。
    混沌、喧騒、非現実的なダークな世界、奔放な神業、大胆不敵・鮮烈なアレンジ、物悲しく響くピアノのリフレイン、エモ-ショナルなフレーズ、転調また転調。嵐のようなクイーン・サウンドは純粋な胸躍る音楽体験とエクスタシーが具現化されています。
    ヨーロッパの伝統を継承したファンタジック・ロックが誕生したのです。

    ちょうど100年前。
    <Richard Wagner> リヒャルト・ワーグナーはロマン派の頂点を極めるのでした。

    ワーグナー 楽劇《ニーベルングの指環》全曲 [DVD]
    バレンボイム/バイロイト祝祭劇場管弦楽団トムリンソン(ジョン)
    ......Wikipedia.....『ワーグナーはまた、楽劇とよばれる独特のオペラで作品の大規模化ももたらした。最初の楽劇である『トリスタンとイゾルデ』(1859)は、ただ単にオペラを革新したのみならず、その革新的和声語法は調性の崩壊へと道を開いた意味で、西洋音楽史全体から見ても非常に重要な作品である。
    より重厚な響きを求めて大編成化したオーケストラに歌唱が埋没せぬよう、聴衆が舞台のみに集中して鑑賞するように、彼は自分自身の作品を上演する専用の劇場を必要とするに至り、バイエルン王ルートヴィヒ2世からの資金援助を受けて、オーケストラ・ピットを舞台の下に押し込めるという特異な構造の劇場をバイロイトに建設した。そこで上演される『ニーベルングの指輪』(1854、1856、1871、1874)は4つの楽劇に分かれた巨大作品で、4夜を費やして演奏される。これを通して観ると約15時間程になり、空前絶後の大規模作品である』


    51eGYuY-971.jpgワーグナー:「ニーベルングの指環」管弦楽曲集
    ショルティ(サー・ゲオルグ)
    ワーグナーは天才にありがちな奇行が目立った人だったらしい。しかし26年の歳月をかけて完成した『ニーベルングの指輪』は彼のライフ・ワークでもありました。

    Wikipedia から引用します。
    『当初は北欧神話の英雄であるシグルズの物語をモチーフとした「ジークフリートの死」として着想したが、次第に構想がふくらみ現在の形となった。
    物語のスケールと領域は叙事詩である。全世界の支配を可能とする魔法の指輪をめぐる、神、英雄、神話上のいくつかの生物の戦いの物語で神々の黄昏、天空の城ワルハラの炎上、地上のラインの洪水まで、ドラマと陰謀は、ウォータンの支配する天上の神々の世界で、地上の人間界の世界で、地下のニーベルング族の住むニーベルンクハイムで、3世代にわたって続き、最後に神々の世界の灰から真の愛がよみがえる』


    文学ではトールキンの「ホビットの冒険」(1937年)、1954年から1955年にかけて、最も有名な作品となる叙事詩的小説「指輪物語」が上梓されました。近年、映画化されて大ヒットとなったことはよく知られていますね。
    北欧神話に題材をとったこれらの血沸き肉踊るスペタクルな物語は、ファンタジックな芸術を代表するものです。ヨーロッパの伝統的な奥深さ、神秘な力を形作るものでもあります。

    クイーンのロック・オペラは、このヨーロッパに伝わる異世界、人間界とは全く異なる宇宙を創造した神話、幻想芸術の系譜に連なるものです。
    このセカンドアルバムはアナログ盤では、
    <A面をホワイト・サイド M1~M5・B面をブラック・サイド M6~M11>
    A面からブリテッシュ・ハードロックの伝統をふまえ、B面では刺激的でスピーディな流れのなかでロックの多様性を実現、クイーン美学に貫かれています。絶妙なコーラスは不滅の美しさに満ち、フレディの哀切極まりないヴォーカルもまた切々と胸に響いてきます。このアルバムを聴くことによって、クイーン世界を共有できる喜びと興奮を感じることができます。圧倒的なクイーン・サウンドの奔流にひれ伏すよりありません。

    415Bl-0341.jpg"A Night at the Opera"・このアルバムをロックの名作と言わずして何を名作というのだろう。
    創造と破壊、オリジナリティーこそ芸術の真骨頂です。
    彼らは勝負をかけたのです。
    歴史に名を残すために、じっくりと練りに練ってチューニングし、過去を壊して再構築しました。それはあらゆる音楽スタイルを敵にまわした挑戦者に、創造の女神が降誕した瞬間でもありました。
    性急に展開する万華鏡のような音は騒々しくもドラマチックに、ロマンティックに、あらゆるものを飲み込んで頂点に達しました。
    新しいものを生み出す創造の小槌は、ただ一人に、選ばれた一人に、芸術の神から与えられるものです。

    41Din-0761.jpgクイーン・サウンドの集大成とも言えるこのアルバムは、4人が渾身の力で作り上げたロックの金字塔であることをまず最初に知らなければならない。
    彼らが“戦慄の王女”(1973) から18年の航海をして行き着いた港が、 "INNUENDO"
    深い霧と嵐を乗り越えてたどり着いたパラダイスだったと、わたしはあえて言いたいのです。そこはフレディの魂が宿り、クイーン船が到達した音楽の陶酔とも言うべき秘境だったのです。

    クイーンを聴くたび、もしもフレディが生きていたら、オリジナルメンバーのバンドが存在していたらと思ってしまう。
    彼らがクイーンというバンド名を名のり、デヴューを果たしたことは、運命づけられた歴史に相違ありません。
    もしもいつの時代にも愛され、親しまれる曲があるとすれば、それは楽曲の良さが決定的な要因です。華麗でドラマティックなクイーンの楽曲は魅了して心を震わす。
    フレディが生きていたら、クイーンが存在していたら、嵐の海を渡るロックの船がたどり着く港が、今まで誰も寄港したことのない港だったかもしれない。

    オリジナルの4人でラスト・アルバムとなった "INNUENDO"。
    このアルバムが、クイーンの終焉になるだろうということをメンバーは知っていました。
    エイズに冒されたフレディには時間が残されていなかったのです。
    「死」が身近なものとして、いやクイーン流に言えば、死神が手を伸ばして、誰もが聞こえる大きな音で扉を叩いたのでした。
    わたしたちの「生」は「死」を前提にしたカウントダウンです。
    「死」に向かって「生」を消費しているのです。
    「死」を考えた者が「死」は逃れることができないと観念したとき、何をするだろうか?
    無為にただ人生を嘆くだろうか?
    嘆くだけでは敗者の人生です。

    ただエンターテイメントとしてのスターであれば仮面は剥がれる。
    フレディは燦然と輝く大きな星です。
    ライヴのステージ、スポットライトに浮かび上がる姿にファンは歓喜しました。
    サウンドの要であったフレディがいればこそのクイーン。
    そのフレディにひたひたと確実に「死」の影が押し迫っていました。
    フレディは、遥か彼方のパノラマのような「生」の劇場を眺めていたかもしれない。
    「残すべきものを残そう」
    「自らの命を普遍的なロックの物語に昇華しよう」
    「死は恐るに足らず、生こそ問題だ。たとえわずかな時間より残されていなかったとしても」
    フレディの胸には、数々の人生の難問が去来したと推測してもおかしくありません。
    スターである前に人間だからです。
    他の3人もフレディの心を知っていた。
    すべてを注ぎ完成した "イニュエンドウ" は力に溢れていました。
    人間に限らず「生」あるものへの賛歌と励まし。不安と苦痛を超えて生き抜くための勇気のメッセージ。
    「死」という観点からアルバムを注意深く聴けば、光のなかではすべてが明らかになるように、アルバム創作の秘密が解る。フレディの、しいてはクイーン全員の心の軌跡と葛藤をあらわしていると考えるのです。
    「死」ほど重要なことはないからです。

    生から死へ、死から生へ。鉄壁の法則に従って流転する命あるもの。
    クイーンは時代を映す鏡として、時代を越えた永遠の命を与えられて蘇えるだろう。


    Bohemian Rhapsody



    mrran-01171.jpg

    出発のためのダイジェスト ⑦

    Within Temptation<ゴシック・ロマンの幻> 2010.5.3
    脳科学者の茂木健一郎氏が、著書『すべては音楽から生まれる』のなかで鮮烈な音楽体験を書いている。15年以上も前、ジュゼッペ・シノーポリが指揮したウィーン・フィルによるシューベルトの交響曲《未完成》のコンサート。当初はカルロス・クライバーが振る予定だったのがシノーポリに変更になり、会場は「残念・・・」という空気が少なからずあったという。だがそのコンサートは素晴らしいものになった。

    著書から引用すると
    『私だけではなく、おそらくあの場にいた聴衆は皆、多かれ少なかれ感じていたと思う。「心が震えた」などと言ってしまうと、凡庸かもしれない。だが「旋律」と「戦慄」が同じ音であるのは偶然だろうか、そんな問いが反語として立ち顕れた』
    『シノーポリは私たちに伝え、私たちを揺さぶった。そこには言葉に頼らない、音楽そのものの強さがあつた』
    『シノーポリは客席の聴衆にも表現を要求しているかのようだった。自分の本当の感情を表現せよ、心の深いところにある、あるがままの感情を解放せよ、と』
    『音楽の生々しい躍動感につられて、心がざわめき始めた。体中の深い深い一点に、手が届きそうに思われた。私自身が鳴っていたのだ』


    わたしは未だそんな音楽体験をしたことはありません。

    ゲーテの格言集を読んでいたら、こんな言葉が出てきました。
    『古典的なものは健康であり、ロマン的なものは病的である』
    格言好きの天才の言葉なら、凡人には理解できない言葉もあるだろうし、教養や知識も森と木ぐらいの違いがあるだろうから別に考え込むこともないのだけれど、どうも気に掛かって仕方がありません。

    純粋な音楽体験というものはどういうものなのだろう?
    言葉がいらない純粋な音楽の世界から人間の内的なあらゆる動機、感情、主題、思想や観念を表現できると考え始めたのはロマン派からであります。音楽を音の言葉として捉え、多様に表れる内的風景を言葉のように表現しようと試みたのです。クラシックには詳しくありませんが、そのロマン派の頂点を極めたのはワーグナー。
    彼は早々と交響曲を作るのをやめて、歌劇とか祝典劇とか壮大な物語を作り上げることに情熱を傾けます。総合芸術の誕生です。彼はどんな微妙な感情も内的な衝動も、言葉で表現するように、音楽でも表現できる万能の力が己のなかにあると信じたのでした。

    ロマン派芸術は古典的思想、ならびに伝統の破壊者として登場し、理性を重んじ、個人の自由な想像力を解放しました。ワーグナーは中世時代の壮麗なゴシック様式の大寺院を建設するように、神々や伝説を題材にしながら、過剰なまでの装飾を施し音楽という建築物を作り上げました。それはまた複雑な内的世界の表現だったとも言えます。
    ピアノを始め楽器の進歩にも著しいものがありました。すべての楽器を集めたようなピアノの発達によってソナタ形式も進化し、微細な主観の表現も可能となりました。
    ロマン的なものは新たな表現形式と様式美を見出したのでしょう。

    言葉は一応どんなことでも表現できます。しかし本来言葉を必要としない音楽に、言葉という文学的要素を持ち込んだことに、ゲーテがロマン的なものは病的と言った意味なのだろうかとわたしは考えたりしたのです。こんな解釈は全く的外れかもしれない。
    ゲーテさん、解説して~ぇ

    一音一音には意味はありません。しかし和音や転調、旋律という音の集合体には不思議な魔力が備わる。その魔力によって空に浮かぶような高揚感を味わい、涙に打ち震える感動も生まれてくる。虚ろな毎日のなかで、もしもわたしに人生を変えるような驚きや感動を与えてくれるものがあるとしたら、それが後退させるものではなく、人生の高みへと向かう原動力になるものであれば、快く柔軟に受け入れたいと思います。
    考えて見れば人生はひとつのシンフォニーのようなものかもしれない。そこには必ず主題があるし、広く深く掘り下げた主題が、普遍的な価値を持つことも知っている。わたしが考え実行するわたしの個人的な主題も表現も、もしかしたら、それは万人に共通する意味あるものかもしれません。

    音楽は不思議なものです。耳から入り精神を揺さぶります。
    音楽を聴いて陶酔に浸るのは、リアルな虚構に身を委ねている幸福な瞬間なのでしょう。
    また崇高な聖歌よりも、ポピュラーソングに真実を見出すことも可能です。大衆的とは広く受け入れられるわかりやすさがあるということです。感動は理解の助走です。
    現代人は豊かな生活を享受し、リアリストというよりロマンチストだからです。
    自分で歌を歌いヒロインとなって、夢想する旅人だからです。
    ロマン的なものに憧れる楽天主義者だからです。
    音楽の抱擁を信じ、力を信じる敬虔な魂の信者だからです。

    前置きがあまりにも長くなりました。
    シンフォニック・ゴシック・メタルのウィズイン・テンプテーション。
    ゴシック・メタルというから聴きましたが、未体験のサプライズ・サウンドでした。
    SL160fd1.jpg<Black Symphony> CD+DVD
    レクイエムのようなプロローグからダークでロマネスクな雰囲気が漂っています。
    コーラス、生フルオーケストラの荘厳さ、そして分厚さ。
    シャロン・デン・アデルのソプラノが、ときには妖艶に、ときには清冽に、ドラマチックに、激しくメタルに、イノセントな天使の声となってライブを魅了しています。
    フィメールボイス・メタル・バンドは、ヨーロピアンなダークな叙情を織りまぜながら、劇的効果にすべてのプロダクツデザインをあわせて、激と静の振幅と美しい旋律が涙を誘います。そして儚いゴシック・ロマンの幻のように、わたしたちにひとときの夢を見せてくれるのです。

    ライブは音が耳から入り精神を刺激し新たな体験をプレゼントします。
    それは暗闇でベルベットの真紅の薔薇に出合ったような驚き。
    ダマスクの香りに全身が包まれたような未知なるものです。
    高貴な音楽に抱かれて聴くロマンティック・フレグランスです。


    ❖❖❖


    Levon Helm<源流にたどりついた旅人>
     2010.5.13

    いつの日か アメリカ南部を旅したいと思う。
    ミシシッピ・デルタからシカゴまで。
    母なる大河と平原、ロッキーの山並み。
    カントリーな世界は果てしない郷愁を誘う。

    カウボーイ・ハットとロング・ブーツ、長い髪にジーンズ。
    わたしの準備はもうできているわ。
    ブルースの生まれ故郷に行きたいの。
    旅人となって南部の風を感じたい。麗しい空を見たい。
    そんな願いもいつかは叶えられるだろう。
    きっと叶えられるだろう。

    旅人よ!
    たゆまず真理を求め
    山を越え河をさかのぼり
    諸州を旅する者よ

    流浪の民に
    道に迷いし愚か者のために
    北斗七星の輝きのように
    荒野に立つ風雪に耐えた一本の老木のように
    動じない巨岩のように
    故郷を思い出させる大河ミシシッピのように
    父のように寛容で
    母のように豊かに
    希望の言葉を分け与える人よ

    旅人よ!
    孤高の人よ
    切り立ったロッキーの峰々を支配し
    天を栖とする大鷲のように
    風に乗って舞い上がり
    眼光鋭く
    地上のすべての動きを知り尽くし
    生と死の瞬間を見定め
    時を超越した者よ

    臆病者の俺の話を聞いてくれ
    旅してきた証を聴いてくれ
    このしわがれた声で歌うから
    長い旅を続けて 巡り巡って
    また懐かしい故郷に帰ってきた
    もう老いぼれになっちまったが
    優しい娘が一人助けてくれる
    昔の仲間が出迎えてくれた
    俺はここでまた畑を耕して暮らす
    太陽と山と風といっしょに

    旅人よ!
    斧を振りおろすように
    運命を断罪する勇気ある者よ
    俺の話を聞いてくれ!
    そしてもう少し天国の
    俺の住処に行くのを待ってくれ

    神もわたしも旅人
    人間は誰もが旅人
    たとえ帰る家があっても
    そこは今世の仮住い

    by Anna

    SL160df.jpgLevon Helm, His 2007 comeback album "Dirt Farmer" earned the Grammy Award for Best Traditional Folk Album in February 2008.
    トラディショナルな曲を中心にアコースティックな世界が広がる。
    レヴォンのかすれた声は深みを感じさせ、なんとも言えない味わいがある。
    年を重ね、経験を積んだ者だけが獲得することができる、アメリカの伝統をふまえた独自の境地です。
    緩やかな時の流れは、働くことの喜び、家族の愛・優しさ・親しみ、人生のありようを、そして生きることへの価値を、十分に表現しているように思えます。
    アメリカでもレヴォンのようなアーティストは少なくなったのではないだろうか?
    このアルバムは録音も良く、何度も繰り返して聴いて、ただ堪能するだけ。

    "ラスト・ワルツ" は、76年の一大イベントでありました。
    ファイナル・コンサートには多くのロック・スターをゲストに迎え、充実したザ・バンドのプレーを聴かせてくれる。
    なぜ、これほどのグループが解散しなければならなかったのだろうか?
    70年代半ばから、パンクの嵐が吹き荒れる。
    繚乱と花開いたロックのロマンティシズムは、大胆な進化を遂げて、果実のように熟していたのです。
    時代の空気はアーティストに鋭く反映し、革新と停滞のアンビヴァレントな感情は、やがてロックの未来に影を落とすのでした。
    76年のザ・バンドの解散は、そういう意味で象徴的な事件だったのかもしれません。

    その後再結成されたけれども、かつての勢いは生まれなかった。
    ザ・バンドの栄光から30年。夢を追っても叶えられなかったのです。
    レヴォンも喉頭がんに罹り、再起が危ぶまれました。
    でもここに忘れられない1枚のアルバムを届けてくれたのです。
    アメリカ大陸の奥深いルーツと、豊かな大地の香りをいっぱいに詰め込んだ、素晴らしいアルバムを。

    古いトラディショナルな曲に、アコギ、マンドリン、フィドル、オルガン、ピアノ、アコーディオン。シンプルなバンド構成。
    そして、ザ・バンドの一員だったからこそ、成し得た美しく豊穣な収穫だと思います。
    楽しくて、ワンダフル!


    as386-1011.jpg

    出発のためのダイジェスト ⑥

    YAZAWA<男のダンディズム> 2010.4.26
    yazawa11.jpg矢沢永吉は49年広島市生まれ。母と別れ、父と死別し、極貧の少年時代をおくり、高校卒業と同時にギターと僅かなお金を持って上京。クラプトンやジョン・レノン、カート・コベインのように、まるで絵に描いたようなロック・スターの多感な少年時代をおくる。その後の矢沢を貫くハングリー・スピリットは、この時代に培われたものと思います。
    75年、キャロル解散。
    ソロとなって70年後半から80年代にかけて黄金期を築く。

    矢沢には男気(侠気)ところがあります。そしてそれは決してブレないし、ミュージシャンである前に、自分が歩むべき道を定めているように思えてきます。自分のスタンスを確固と保ち、コマーシャリズムにも毒されることはありません。ライヴを中心として活動し、ファンと直接接することを第一としているようです。
    頼りになる男の道は平坦ではありません。何かをやろうとすれば風当たりが強くなり、後ろ指を差される。それでも真ん中に太い棒が入っているように揺らぐことはない。己の人生は己が責任をとる。男は、世のなかの無責任な言動には耐えて行かねばなりません。耐える毎に男の価値は高まる。

    矢沢には、逆境から再起したビジネスマンに共通する、信念を曲げない強さと不退の意志を感じるのです。
    「男らしい生き様を見ろ!」と、矢沢は語っているように思えるのです。
    矢沢は男だ! まっしぐらにロックする男のなかの男だとわたしは叫びたい。

    「歌謡曲ロック」などと揶揄するおバカな奴がいる。
    その意味は、ロックの形を借りた歌謡曲ということらしい。別に歌謡曲をどうこう言うつもりはありませんが、ロックンロールに挺身している矢沢のどこがロックでないというのだろう。矢沢の体には熱いロックの血が沸騰しながら流れ巡っているというのに!
    ロックとは精神であり、その精神が独創的に生き方に表出するものなのです。

    <矢沢語録>
    ・中学のあの多感な時期にビートルズに持っていかれた。こりゃぐれてる場合じゃないよって思えたね。

    ・おまえはほんとうに何が歌いたいんだ。その問いにオレは答えている。

    ・俺はこうしてビッグになった。誰もがビッグになれると信じている。

    ・コンサートは、音を聴くだけのところじゃない。何か気持ちをもって歌ってる男に、会いに行くものなんだ。

    ・今、どうしたらいいかわかんないヤツはね、また目的作りゃいーのよ。ニンジンをね、作っちゃう、作ってまた走ればいいのよ、ま、世の中ね、シンプルな方がいいよ、単純バカかなんか知らんけど。

    ・何歳まで生きられるのか知らないけど、オレは役を与えられたんだ。
    矢沢永吉という役を。

    ・やっぱり、人生は自分との戦いなんだよね。

    ・ロックにゴールはない。声が出なくなるまでやり続ける。
    だって、ストーンズが前走ってるもん。

    ・いつの時代でもやる奴はやる。やらない奴はやらない。

    ・俺は生きていくザマを見てもらいたいよ。

    ・オレが酒を飲んで、バカなことをやるのを、オレの女房は何百回も何千回も見ている。だけど彼女はすごくオレを愛していて、すごく尊敬している。.......なぜだ?  オレが張るときは張っているからだ。この「張るときは張る」っていう、クソ単純な、すごくシンプルなことができないと、女は男を尊敬できないんだろう。夫っていうのは、男っていうのは、この簡単なことさえやってりゃいいんだ。

    ごもっともです。納得です。

    純粋でいることは並大抵の努力が必要です。
    矢沢には、そんな男の純粋さがよく表れています。
    本当に音楽が好きなんでしょう。
    音楽とともに生きてきたのでしょう。
    音楽が矢沢を成長させ、窮地を救ってくれたのでしょう。
    音楽に共感し、音楽から励ましを得たのでしょう。
    うらやましいような人生です。
    何もなくても音楽さえあれば生きられるという見本のような人生です。
    誰も助けてくれる人もなく、単身上京し、幾多の困難を乗り越えて、現在の矢沢がある。 ある意味、男の理想とする人生を歩んでいるように思えます。

    矢沢のなかの男のダンディズムは、セクシーさとモダニズム、ロマンティシズムと優しさが一体となっています。アクティブに生きていても、時にはつまずき、失望の闇に閉ざされても「俺がついているぜ! 心配するな」と言っているような優しさと男らしさを感じます。
    昨年9月14日で60才。ロックしている姿は、いつまでも青春で若々しい。


    ❖❖❖


    Music is my language 2010.4.29
    クールでゴージャスなテイストに憧れているわたしは、人生も行動も考え方も人づきあいも恋愛も、クールでいながらハートフルなプレゼンスでありたいと切に願っているのですが、現実はプログラムをダウンロードするように簡単にはいきません。人間だから何事もプラン通りにいかないのが世の常というものですね。

    ランキングサイトは日本ブログ村ですが、決してランキングにこだわっているわけではないのですが、アクセスしていただく方法がないということでメンバー登録しているのです。
    リファラ解析を見てみると、ほとんどがブログ村とワードプレスから、アバウトに1日30~50、多くて200のヒット数ですが、その割にはポイントが加算されないということに最近気づき、ブログ村のオペレーターに問い合わせました。ワードプレス・ブログからは、なぜかカウントされにくいというエージェントのアドバイスでした。
    ブログ村には、グローバリゼーションの波のなかで、世界標準を目指しオペレーションズリサーチをお願いしました。国内主体のランキングサイトとは言え、未来を見据えた取り組みが必要と考えるからです。

    わたしたちは自然と言葉を覚えます。幼児における言葉を覚える過程を追体験したいと思っても無理な話です。それと同じように、大方の人は自覚する年令に達するとまわりに音楽があることを知るのです。音楽がある生活が当然と思って何も違和感を感じないのです。音楽はたぶん人間の本能の特別な場所で生きるための潤滑剤として作用しているに違いない。
    音楽から受けた感情変化を言葉で表現することはとても難しい。ときには意味のない感嘆詞のみの表現になりかねません。だからというわけではないのですが、音楽を聴いて、考えて、音楽から修得した語彙を、わたしは命のように大切にしたいと考えるのです。ハッピーで美しい人生を神様が与えてくれて、その上に音楽までもが、ドレスのようにゴージャスにわたしを飾ってくれるのであれば、季節の変わり目に、あるいはアバンチュールな出来事の後に、悲しみの涙を流した後でも、恋人のように音楽に添い従い愛していきたいと思うのです。音楽の聴き方にマニュアルはありませんが、音楽から得るものは、どれだけ人生を豊かにしてくれるか、わたしは疑ったことはないのです。

    音楽はわたしの言葉<Music is my language>わたしの命の言葉。

    音楽を聴くときはすべての人が魂を浄化され
    不戦の優しさを得ることができますように!


    mrran-0125.jpg

    出発のためのダイジェスト ⑤

    U2・少年の目 2010.4.22
    同じ顔の人がこの地上に存在しないように、個性も才能も言語も習慣もその人固有のもの。
    なぜ差異を認め合い、いたわることができないのだろうか?
    なぜ人は争うのだろうか?
    思想や宗教、政治が人間の争いに、何ら有効な手段を講じえないことをはがゆく感じる。
    そう考えるなかで、わたしにできることをやろうと小さなことでも勇気を奮い立たせているけれど、どうしても無力感に襲われてしまう。

    誰も生きていくことに意味を見出して、メッセージを発している。

    〈少年〉の目は見抜いている
    少年はわたしの心のなかにいる
    弱くて叫ぶことができないわたしを批判している
    正義を訴えることができないわたしを冷たい目で見ている
    わたしだって精一杯やっているのだと
    わたしはいつも言いわけして少年の目を逃れてきた

    〈少年〉は監視している
    純粋な目で監視している
    勇気を持ち正義を実行することを
    恥じない生き方をすることを
    恐怖を克服し狼狽と混乱を見定めることを
    監視しながら励ましている
    少年の目はわたしの心を見抜いている
    by Anna


    xaHgL-011.jpg彼らは自身の心と闘っていた。同時に不正と不純の世界と対峙しようとしていた。ロックのスタート地点に立つ、彼らの苦闘が編み出したエッセンス・核心の1枚。このアルバムの感動は、問題意識の深さに起因するもの。誰も現在の世界に満足していない。
    重厚でスケールの大きいサウンドは、ロックの可能性を押し広げ、悲惨な現実に対する怒りに満ちている。
    世界のトップ・バンドに飛躍した傑作アルバム。U2は現代ロックの最高のアイコンであり、メッセージ・アクティビストだ!



    Everything Is Everything・Donny Hathaway
    dh_thur1.jpg70年、1枚のアルバムがリリースされました。
    33才で自ら命を絶った天才ソウル・シンガー、ダニー・ハサウェイの記念すべき1st アルバムです。
    スピリチュアルな愛に満ちた逸品です。
    黒人であること、裕福な中産階級の出身であることから音楽教育を受けることができたこと、そしてずば抜けた才能があったこと。
    それらの要因がニュー・ソウルといわれる洗練された新しいスタイルを可能にしたのです。ジャズやクラシックなどを取り入れた高度な表現は、サウンド・クリエーターとして見事な才能の開花を予想させるものでした。しかし同時に同胞に暖かい言葉を投げかけても、彼の出自(アイデンティティー)と現実の矛盾が、いつか彼を悩ますことになりました。
    アフリカン・アメリカンの<The Getto>で黒人の喜びと切なさを歌い上げても、それは対岸にいて火事を見るようなものと感じたのでしょうか?
    繊細で真面目な性格もあって、やがて彼を苦しめることになるのです。
    ロックはブラック・ミュージックという土台の上に立つ建物と言ってもよいでしょう。
    人種差別が黒人を苦しめても、音楽では深い感動を持ってリスペクトされます。
    ダニー・ハサウェイを死に追いやったものは、法律では簡単にリセットされない、この矛盾に他なりません。

    ❖❖❖


    『自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、…このように明らかに知慧ある修行僧の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神々も、なし得ない。ガンダルヴァ(天の音楽神)たちも、悪魔も、梵天もなし得ない。
    先ず自分の身を正しくせよ。次いで他人に教えよ』
    ・感興のことば

    このブッダの言葉通り、自己の弱さに打ち勝ち、正しい言葉を発した人がいる。
    55年のアメリカ、一人の婦人がバスのなかで "ノー" と力強く言った。
    差別を容認する不完全な社会に向かい、悪の心を克服するために、そして不公平な慣習と虐げられた苦痛を抑え、怒りを静かに言葉に変えた。未来に明るい光が差し込むことを祈り、服従の辱めを拒否するために "ノー"。
    ローザ・パークスの聡明な命でも、自分がまさか戦闘の先駆けに立つとは思いもよらなかった。ただ自分の心に忠実に、今まで何十回も、何百回も考えてきた結論を、勇気を出して言ったに過ぎないのだ。
    "より良く生きるチャンスは、神から与えられた平等の権利である" ということを......

    『人々はいつも、私が疲れていたから席を譲らなかったのだいうが、それは本当ではない。私の身体は疲れていなかった。(略) いや、もし私が疲れていたとしたら、ただ一つ、差別に屈服することにうんざりしていたのだ。バスの運転手は、私がまだ座っているのを見て、「あんたは立つのかね」と聞いた。私は「ノー」と答えた。すると運転手は「じゃあ、あんたを逮捕してもらうからな」と脅したので、私は言った。「やってごらんなさい」と』

    いつもどこかで起きていた、この些細な出来事がやがて全米を巻き込む人種差別撤廃、公民権獲得の運動に発展していくとは、一家庭婦人だった彼女にも予想のつかないことでありました。人生は思いがけない方向へと進み、思いがけない結果をもたらすものです。
    人権の闘士、自由の国アメリカの宝として尊敬される彼女が、晩年に出会った一人の平和の闘士・イケダセンセイ。93年、アメリカ創価大学で会談されました。それは試練を乗り越えてきた二人の賢者の、人生勝利の詩心を語り合ったものと言えましょう。
    人生は諦めとの闘い。空飛ぶ鳥の跡はたどり難いように、ニルヴァーナへの道もたどり難く、険しく激しく、そして迷路のようにゴールが見えず、とても深い闇に満ちている。

    『一つの岩の塊りが風に揺るがないように、賢者は非難と賞讃とに動じない』
    真理のことば


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