出発のためのダイジェスト ④

    財務省の出先機関のような公明党が著しく減票しているのに議席が増えました。7月21日に投票が行われた参議院選挙は、その投票率の低さが民主主義の危機に他ならないと考えますが、組織票を誇り、組織票に限定されている公明にとっては願ってもないことです。民主主義の基礎を破壊しながら民主主義を叫ぶという自己矛盾を内包していることに、まったく疑問を感じていない支援者の姿や会員の愚かさに、宗教者の政治活動の困難さと無自覚さを見る思いがします。なかには、投票率が上がらないことを祈るゴキブリのようなゲス会員もいて、人間主義を標榜しながら下品な仏教と政治腐敗を啓蒙しているとは、つゆほども思い至らないことでしょう。いくら投票率が低くても、それを上回る減票に対して、正しく目を向け評価する会員はいるのでしょうか。「勝てば官軍」などと嘯(うそぶ)く、エゴに徹するおバカそうな会員は依然として多い。
    創価公明はいつごろから、体制ベッタリの、自尊心放棄の醜い政党になったのだろう。創立者は、もともと体制からの名誉や称賛を好み、偉人志向があったと言えるでしょう。名誉博士や名誉市民称号、勲章の数を誇って、紙幣を数えるような守銭奴に成り下がっています。それでいて会員には、無冠の誉れなどと臆することなく言えるのですから、その仮面ぶりは生来のものと言えるのかもしれません。今回も大阪の戦いが連日聖教に掲載されましたが、権力抵抗イコール庶民の味方といった図式は、作られた人物像であることは明白です。
    人権の庇護者のように振る舞い、団体としてアピールするのなら、そんな過去のことではなく、現在進行形の、第二の天安門とも言える香港の反政府と民主化デモ・人権無視と弾圧に抗議するのなら、中国のウイグル人の人権侵害について、なぜ見て見ぬ振りをするのだろうか。会員も人権意識は薄い。まるでお味噌の入っていない味噌汁のように味気がない。

    いくら投票率が低いといっても組織票の手堅さ、少なくとも内部有権者(NU)には全員啓蒙しているはずなのに827万世帯の三分の二は退転しているという組織崩壊の有様です。それとも827万世帯は虚偽なのでしょうか。社会的責任への自覚の無さは宗教者とはとても思えませんが、これも師弟不二という自己満足のジコチュー教義のせいなのでしょうか。
    婦人部はなぜ、女性候補の少なさを話題にしないのでしょうか。これから政治を変えていくのは女性です。男性本位の政治世界であるかぎり社会変革は望めません。組織もまた女性がリーダーにならないかぎり変革と回復はありません。ここでも香峯子奥さまの古風な考え方が、知らず知らずのうちに、婦人部員の行動にブレーキをかけている。会長も理事長もろくな人間でないのに、それを知っていながら沈黙している。与同罪は仏法上だけにある律ではなく、広く社会に認められる負の人間関係であり、策動です。

    また税金ばかりあげて負担は増えても、その代償としての社会保障の貧しさは先進国とは思えません。政治家は社会の底辺を知っているのでしょうか。働き方改革とともに、最低賃金を現在の2倍以上にしなければ、優秀な人材も確保できないし、真の豊かさへの入口にも立つことはできない。現在の政策を継続すると、十分な賃金水準と言えないのに、さらに日本社会全体がとても貧しくなっていくでしょう。
    今までの税率のままなのに、軽減税率とアピールして恥ずかしくないのか、国民をバカにした政策。景気悪化の音が聞こえデフレ下に逆戻りしようとしているのに、増税より考えつかないとは、日本の政治家はなんと劣っているのでしょうか。国民は、お金は使うなと言っているの同じ。増税に一番熱心な公明党が日本を滅ぼそううとしている。オリンピック後の、大不況をどのように乗り切るつもりなのでしょう。無策の政治家ほど、始末に負えないものはありません。
    物価が上がり、経済的負担が増え、生活が苦しくなっても、会員はけっして公明党の悪口は言わない。公明党即ち先生というイメージが頭から離れない。先生という制限が会員の心を抑制し束縛し、人生まで支配している。悪質なのは、そんな支持者・会員の善良な思いははじめから織り込み済みで、政治を語るまえに、創価の巧妙な法戦論で、自己犠牲を強いられていても、会員は余りにも無垢すぎて気づくこともない。宗教の害毒とは、人心を掌握し、その渦中にあればいつの間にか従ってしまう、一種のコントロール術です。その象徴がVODとSTBでしょう。演出され管理されている。先生のビデオも意図的に編集されているのに、愚かな会員は考えることもない。
    先生の罪悪は仏教史に残る凶悪さですが、一世紀も経過すれば正しくジャッジされるかもしれません。それまで創価が生き残っていればの話ですが。


    ❖❖❖


    Karen Carpenter<アルトヴォイスの奇跡> 2010.4.6
    カーペンターズの曲を聴くたびに、わたしはカレンのことを考えずにいられません。
    素直に彼女の歌を楽しむことができないのです。

    数多い美しいナンバーを歌うカレンの人生は、その歌のように美しかったのだろうかと、そしてどんな辛いドラマがあったのだろうかと考えてしまうのです。カレンの明るい眼差しと翳りのなかに悲しみと失意、喜びと希望が交差します。映像で見る笑顔の姿は、カレン本人であっても虚像なのだと思わずにいられないのです。
    もしも彼女が普通の女の子であったとしたら、きっと幸せな平凡な人生を送っていたに違いない。順調にスターに昇りつめて、願いが叶っても、人間である限り悩みが無くなるわけではありません。スターになったがゆえに、その苦悩も深かったと推測するのです。

    わたしが好きな曲は、カレンが最も好きだったという<I need to be in love 青春の輝き>。76年ビルボードでは25位でしたが、アダルト・コンテポラリー・チャートでは1位となりました。
    自己をさいなみ続けた痛ましいカレンの姿と重なって、青春の憂いと儚さが、それでも前向きに歩いていこうとする明るさが感じられます。

    『私の人生でいちばん難しいのは 信じ続けること
    この狂った世界のどこかに 私を愛してくれる人がきっといると
    はかない人生を 人々は行き来するばかりで
    私にチャンスが来ても 気づかずにいるかもしれない

    ”約束なんかいやよ、シンプルな関係でいましょう”
    なんてよく言ったものだと
    自由は あなたからの「さようなら」を早めただけ
    少し時間はかかったけど
    簡単に物事が行かないことを学んだわ
    私には充分すぎる代償を支払って

    そうね、私は恋をするべきだわ
    そうね、私は時間を無駄にしすぎたわ
    そうよ、私は不完全な世界に完璧を求めている
    そして、馬鹿なことに それが見つかるとおもっているの

    そんな私のポケットの中は 夢や希望で一杯だけれど
    今夜は何ひとつ 私を慰めてくれそうもない
    朝の4時だと言うのに 目は冴えるばかり
    一人として友達の姿もなく
    希望にすがりついているだけの私

    でも 私は大丈夫よ.....』


    大丈夫だなんて強がりを言って、少しも大丈夫でなかったじゃないの!





    カーペンターズの栄光は改めて言うまでもありません。
    スタートはカーペンター・トリオなどのバンド編成を経ながら、69年A&M・レコードの共同所有者であり、トランペット奏者でもあるハーブ・アルパートの知遇を受けることから始まります。
    アルバム<オファリング>を10月にリリース。シングルのビートルズ・ナンバーをバラードにアレンジした<Ticket to Ride 涙の乗車券>がそこそこのヒットを記録。
    翌年にシングル<Close to You 遥かなる影>は初登場56位、7月にはチャートの1位に昇り、年間ランキングでも5位となる大ヒットとなります。
    これ以後次々とヒットを放ち、ビルボード・チャートのシングル1位は3曲、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは1位が15曲、トップ10入りしたのは12曲に及びます。さらにはグラミー賞を3度受賞。ノミネートは15度にも達し、アルバム、シングル合わせてのセールスは1億枚以上と言われています。
    70年代といえばロックの絢爛たる時代。革新的なアルバムが次々と登場してくるなかで、ソフトなクラシック・アレンジでカーペンターズ・サウンドを一貫して貫いたのでした。

    83年2月4日の早朝、両親の家で意識不明となったカレンが発見され、同日死去しました。32才という若さでした。
    栄光の影に何があったのでしょう?

    カレンは元々ふっくらとした体型の少女でした。16才のときダイエットで10キロ近くも痩せました。すでにこの頃から拒食症への辛い苦しみへ踏み出していたのかもしれません。ティーンエージャーのときからその兆候はあったということでしょうか?

    その異常なまでのダイエットが注目されたのは、75年ラスヴェガスでのコンサート中、倒れたことからでした。その頃の体重は37~8キロだったそうです。尋常でない病に冒されていることは明らかでした。76年頃からのライヴ・ビデオを年を追って見ていくと、彼女が次第に痩せ細っていく姿を確認することができます。

    拒食症は食べれば治るという簡単なものではありません。
    スリムな体型を賛美する現代文化も関係あると言われておりますが、昔からその病例はあったということです。
    精神神経疾患のなかでも治療は困難とされ、長い時間がかかると言われております。この拒食症の恐ろしさは、死に至る確率が高く、深刻な結果をともなうことです。

    高校時代、わたしは友人の拒食と過食を繰り返す悲惨な姿を、目の当たりにしました。十分痩せているのに太ることへの抵抗を示し、やがて閉じこもり、人と会うことも、電話で話しすることすらできなくなりました。父親の事業の失敗、両親の離婚、母親のアルコール依存という何と形容したらいいのか分からないほどの、不幸な家庭環境にも原因があったように思えます。閉じこもりは6年にも及び、再び社会に復帰することができましたが、その傷あとはすぐに癒えるものではないと感じました。
    彼女の場合、その発端になったのは失恋でした。わたしと友人との葛藤の日々については長くなるので、ここには書きませんが、拒食症は決してめずらしい病気ではないということです。そしてそのほとんどが若い女性だということです。

    カレンの場合、リチャードは「妹がどうして拒食症になったのか見当もつかない」と言っていますが、その原因は彼女自身より分からないのかもしれません。いえ、彼女自身にも分からなかったのかもしれません。

    医学的なことは分かりませんが、新陳代謝を加速するための薬を通常の10倍服用し、加えて大量の下剤(1日に90~100錠)を服用していたとのことです。原因として一般的に言われていることは幼時における性的虐待を含む虐待、家族関係、特に母親との関係が問題になるとも言われております。大事な人格基礎の形成期に不安定な母親との関係、愛情欲求が満たされないことなど複雑な要素が絡み合っているように思えます。

    死の2年前のTVのインタヴュー番組と思えるビデオを見ると、カレンの顔は頬の肉は落ち顎が尖り、痩せ細った姿に涙します。
    不思議なことに、豊かなアルトの声だけは変わらないのです。

    カレンはその美しい声で人々に希望を与え続け、自身は最も苦しみながら逝ってしまった。
    なんて慈悲も憐れみもない無情な音楽の神なの?

    澄んだ満天の夜空
    わたしは地平から天空に向かい
    一矢のように走るライジング・スターを見るだろう。
    やがてそれは
    スターダストとなって
    地上の苦悩する人々のうえに降り注ぐだろう。
    そのときわたしは
    カレンの優しい至上のアルトが
    慰めるように響いてくることを疑うことはないのです。


    ❖❖❖


    戦う男のロマンティシズム 2010.4.7
    大学時代、わたしは本の虫だった。
    図書館の蔵書を読み尽くさんばかりに、まるで本棚に頭を突っ込むような勢いで、阿修羅のように髪をふり乱し(ちょっと大袈裟?)読み漁っていました。コスメチックな話題もファッションもボーイ・フレンドの話も眼中になく、ただひたすら読み耽っていたのです。読書の楽しさと新たな知識が広がる知的な探究心と興奮は、何ものにも優先していたのでした。

    でもそれは4年前の話。
    今は仕事をしていても、特に午後から、眠り姫の遺伝子が甘美な眠りに誘おうと待ち構えているのです。3回に2回はあくびをかみ殺し、後の1回はノートで顔を隠して大あくび。
    これではいけないと反省し心を入れ替え、闘争心と読書欲が旺盛だった学生時代を思い出し書店に立ち寄ったのでした。「眠くならずに仕事をする方法」とかというテーマの本がないかと思って。

    結論から言いますと、何気なく見ていた文庫本コーナーで、1冊の本が目に飛び込んできたのでした。
    わたしは本来の目的もすっかり忘れて、笑みさえ浮かべてレジに持っていったのです。

    帰ってきたのね! スワガー!
    ずっとずっとずっと、待ってたのよ。

    bs0010_thumb.jpg『四十七人目の男』
    Stephen Hunter<Swagger Series“The 47th Samurai”>

    スワガーを敬愛して止まない子羊のような純情娘が、知らなかったとはいえ素通りするところでした。でも2年も前に発売されていたなんて、なんてわたしはバカだったんだろうと反省しながら、本に向かって頭を下げたのでした。スワガー、悪い娘でした、ごめんなさい!
    シリーズの今度の舞台は日本だった。
    スワガーが日本に来るのね、バンザイ~!

    ボブの周りにも父アールの周りにも、バイオレンスの香りが葉巻の煙のように漂っている。
    彼らは好むと好まざるに関わらず、陰謀と過酷な試練に巻き込まれていく。
    スワガー家の遺伝子には戦士の神オーディンか、弱者の守護神アルテミスの染色体が混じっているに違いない。そしてその遺伝子は戦うことによって活性化する。

    今回はサムライ小説です。
    スワガーとサムライが人格が近似していることは、考えてみればよく理解できます。大義や名誉を重んじ、決して恩を忘れない。サムライが日本人の一つの美徳を表しているとすれば、美しい生き方と死に方を考える問題を提供してくれるからだと考えます。
    太平洋戦争での硫黄島の地獄のような戦いで、アールが手に入れた日本人将校の一本の軍刀。数奇な運命をたどるこの軍刀を縦軸にストーリーは進みます。
    あとは読んでのお楽しみ。
    巻頭のページには敬意と賞賛を込めて、日本のサムライ映画の監督、俳優、脚本家の名前があげられています(作者は2003年ピューリッツアー賞を批評部門で受賞しました)

    スワガーの生き方は男の一つの理想のように思える。困難に直面しても戦うことを止めない雄姿は本物の男の姿を描いて、女であるわたしでも共感できるのです。不屈の魂こそ大いなる人間の証でしょう。戦いの場面では常に冷静さを失わず、理性が感情をよく制御し、知性が的確な判断と突破口を見つける。
    ボブ・リー・スワガーもアールも稀代のヒーローです。

    ボブのような男子に出会いたい。平和を貪る今の日本では無理なのかもしれない。でも万が一にもわたしの目の前に現れたら、普通の幸せは難しいかもしれないけれど、わたしは躊躇なくついていくと思う。同じ道をいっしょに歩みたいと思う。

    bs005_t2.jpg映画<SHOOTER 極大射程>はアクション映画の傑作の仲間入りをしました。小説の方が断然おもしろいけれど、映画はスワガーの性格をよく描いていると思う。

    映画の最後のシーン。ボブは悪党を倒して言います。
    「恥を知れ!」
    「恥」という言葉はサムライが一番忌み嫌う言葉でもあります。潔い生き方と相対する言葉です。

    正義は正義、悪は悪と、竹を割ったように真っすぐ主張し実行する。小さな器のなかで、批判や悪口を繰り返すのはもうたくさん。なにがおもしろいのと言いたくなってきます。
    大戦で死地に赴いた兵士の勇敢さを、軍国主義、神国日本の犠牲になったと、誰が批判できようか。男のロマンティシズムは悲壮な決意の上に成り立つことを、女であるわたしでさえ知っている。波乱が人間を鍛えることも、そして人間的な大きさと暖かさは、決死の戦いから学ぶものだということも、愚かなわたしでさえ知っている。
    スワガ―を慕う娘は、女スワガ―になりたいとひたすら夢見ているのです。挫けない妙法の戦士になりたいと願っているのです。
    戦いの神よ! 正義を実行する勇気を、どうかわたしにも授けてください。






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