アクティヴに、粘り強く

    11月にパソコンが壊れました。OSがVista だったのでサポートも終了しており、セキュリティ上のリスクがありましたが、特に問題があったわけではありません。10年前にたまたま店頭で衝動買いしたノートですが、動画編集もこなして今までよく持ちこたえました。
    ハードディスクにまだ余裕があったのですが、ある日どういうわけか容量がいっぱいになり、デフラグしても効果がありません。調べてみたら「低いパフォーマンスのシステムファイル」でいっぱいになっておりました。どういうことなのか、さっぱり理解できずに、思い切ってゲストアカウントを削除し再起動したら動かなくなりました。リカバリーしようかと考えましたが、パソコン自体のスペックにも時代遅れ感はいがめないので、Vista を生き返らせて何か意味があるのだろうかと考え、老人にムチ打つような気分になり廃棄することにしました。
    新しいパソコンは、日本のメーカーの直販サイトでカスタマイズして選びました。エクセルやワードも使っておりましたが、マイクロソフトは高価なのでやめて、互換性も保証し、以前使ったときも快適だったキングソフトを有料ダウンロードしましたが、まったく問題ありません。オフィスも何種類かフリーソフトがあり、使ったことはありませんが、信頼できそうなソフトもありそうです。
    数年前からHTTP~HTTPSへとセキュリティを強化したSSL化の流れがあります。このブログの管理画面は、すでにSSL化に対応しておりますが、ブログ画面をSSL化しました(SSL設定画面を更新するだけという手軽さ)。主要なブログサイトは同じような設定になっていると思いますが、はじめからSSL化を導入しているサイトもあるようです。
    現在はレンタルサーバーでドメインとメール管理をしておりますが、以前使っていたワードプレスも以外と簡単にSSL証明できるようです。もちろん無料のサービスが今では常識のようです。SSL化してもどれだけ安全なのかわかりませんが、鍵マークが付けば、サイトの訪問者には安心感があるでしょう。
    最近はセキュリティソフトも更新費用が高額になりました。前のパソコンで使っていた "ZERO" は初期費用だけで更新料がかかりませんが、10年間おもだったトラブルはありませんでした。また使い続けていたパスワード管理ソフトが一年更新に変わったのにはビックリ。MP3・ダウンロードソフトも購入はしたけれど、どういう手違いなのかわからないけれどライセンスキーが届かなくて、サポートにメールしたら2~3日後に英文メールで送られてきました。
    初期設定は上出来と自分に言い聞かせて、つぎに簡単なはずのインターネットの設定が、どういうわけかうまくいきません。モデムのPPPランプも点灯しない。結局プロバイダーに電話したのだけれど、混みあっておりますのでのアナウンスで随分と待たされて、やっとつながり、原因が判明。接続パスワードが間違っていたのですが、この接続用パスワードは、プロバイダーHPのマイページ用のログインパスワードと同設定されているなんて知らなかったという無知ぶり。セキュリティを考えてパスワードを変更したら、接続用も変更しなければならないということですね。
    最近は光回線とプロバイダーがセットになった光コラボレーションが主流なのでしょうか、電話したついでにプロバイダーから転用を勧められました。どうしようか、迷っているところです。

    ◇◇◇

    あっという間に師走も近づき、時間の流れも激流に乗った舟のようです。
    11月18日の聖教には、「新・人間革命」第30巻(下)が発刊されたことが、大見出しで掲載されておりました。その裏ページに、総県長会議での原田会長の指導が、表裏一体のように掲載されておりましたので、Ⅹdayまで現体制で行く方針らしい。
    原田会長の指導で一度も心躍るような感情を覚えたこともないので、今更読む気もないのですが、御本尊と沖縄のことに触れていたので関心がわきました。沖縄県知事選も今だに生々しく蘇りますが、特に創価公明の汚点になったことはしっかり記憶しておかなければなりません。

    今年の4月の同じ総県長会議では、
    『2010年6月、本部幹部会の前夜、池田先生から大変に大切なご指導がありました。
    「明日の本部幹部会については、弟子の君たちが、団結して、しっかりやりなさい。皆が、創価学会のすべての責任を担って戦う時が来ているのである。学会の将来にとって、今が一番大事な時である。
    ゆえに、私を頼るのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である。
    私は、これからも君たちを見守っているから、安心して、総力を挙げて広宣流布を推進しなさい」
    「弟子が団結をする」
    「弟子が全責任を担う」
    「弟子が師匠に頼らない」
    この3点こそ、池田先生が教えてくださった、「学会の将来にとって一番大事な時」の根本姿勢であります。
    この数年、取り組んでまいりました、教義条項をはじめとする「会則改正」も、世界教団としての根本規範たる「会憲」の制定も、全ては池田先生のご構想を弟子が実現しゆく戦いであり、だからこそ一つ一つ、全て先生にご指導を仰ぎ、ご了解をいただきながら進めていることは言うまでもありません。
    それは、「私は、これからも君たちを見守っているから、安心して、総力を挙げて広宣流布を推進しなさい」とのお言葉通りです』

    公明党の沖縄での惨敗も報告されたことでしょう。もはや自らの影響力も及ばない政治や選挙運動、統率できない勝手な会員が出てきたことを知ることになったでしょう。「平和な沖縄」を、どこかのスーパーのコマーシャルのように安売りして、基地を作ろうとする勢力を操ろうとする魔力も、池田先生の指示と了解があったのですね。総県長会議では大誓堂の常住御本尊にも言及しておりますが、「金剛不壊の大車軸」という戸田先生の言葉を紹介しながら、その思いはまったく軽視しております。この会長の言葉は、そのまま池田先生の大御本尊に対する侮辱の言葉なのでしょう。戸田先生の熱意に応えられて、時の法主が丹精を込めて、大御本尊の広布への魂をしたためられた行為を否定している。自分の言葉で語らないという責任の放棄。戸田先生への師弟を顕彰しながら自己礼賛と虚偽を繰り返す自己欺瞞。根本への迷いは致命的です。死を目前にした老人を語る言葉ではないですね。仏法の本義を逸脱し虚飾しかない人生には、悲しみより感じません。
    11月18日の聖教には来年の活動方針も掲載されておりますが、「平和・文化・教育運動」が半分を占めております。ノーベル平和賞を授賞したICANとの連携と協調、コラボとアシストを宣伝していますが、ほんとうは脇役ではなく当事者になり舞台に上がることを望んでいるのでしょう。世界宗教のブランドの獲得とステータスは宗教団体の野心としてふさわしいのかどうか。人類救済という妄想は、真実を隠ぺいする人々が、やがてたどりつく深刻な病です。
    まず過去の歴史の清算を実行しなければならないでしょう。不都合な事実をふくめて作り変えられた歴史の修復をしなければ創価は生き残れないでしょう。「小説・人間革命」はその意味で虚言小説かもしれません。意図的にフィクションをノンフィクションと思わせるところに宗教らしからぬ罪深さがあります。事実と真実は違うなどと、よく言ったものです。事実を伝えないで真実はありません。

    あるアンチブログを読んでいたら、興味深い本を紹介しておりました。
    「映像とは何だろうか―テレビ制作者の挑戦―」(吉田直哉著:岩波新書)
    の引用があり、決して創価内では話題にならないと思われる1950年代の草創期の創価、特に戸田先生の鬼気迫る姿がありました。
    買いたいと思い検索したら、アマゾン古本で¥1を最低にけっこう売られていたのですが、安すぎて申し訳ないような気分になり、100円のを注文しました。中古本なのに一度も開かれた形跡がないような新品の本が送られてきました。きっと買ったけど読む機会を逸してしまったのでしょう。
    著者の吉田直哉氏はNHKの著名なディレクターです。ウィキペディアに経歴があるぐらいですから有名なのでしょうがよくわかりません。この本はテレビドキュメンタリーの黎明期の苦労話が、きわどい体験として、あるいは迫真のインパクトで迫ってきます。またセンシティヴな感覚が読者の想像を刺激し現場にいる臨場感も感じられ、怖いもの知らずの勢いもあり、一気に読ませる面白さがあります。その最初の章が新興宗教の代表としてのカテゴリー、神聖さとは無縁な現世利益を求める宗教の俗っぽさが非日常のエネルギーに満ちている創価のカリスマ・戸田先生というわけです。客観視することに優れた才能を持っている、このような映像作家の語ることは、真実に迫り、核心をとらえる独特のキャパシティーがあります。

    『幕あきは教祖だった。
    飛ぶ鳥も落とさんばかりに教勢を拡大している新宗教の会長が、森羅万象を映像化しようと志した私の、最初の対象だったのである。
    そして、想像もしなかったことばかりが起きた。
    「グイッとあけな。グイッと」
    「……いえ、これから撮影……。仕事中ですから」
    「なにィ? それを言うなら、こっちだって仕事中だぞ」
    黒縁の眼鏡の奥からにらまれ、これはからまれる、と確信したがコップを手にするのも勇気が要った。尋常ならぬ量のウィスキーなのだ。
    こんなに荒っぽい飲みかたは見たことがない。角ビンのウィスキーを大ぶりのコップのふちまでドクドク注いで、申し訳のようにほんの少しのビールを垂らして割って、机の上に溢れさせるのだ。その濡れた机の上を、波を立てるようにさらにコップを押してよこして、飲め! とこんどは大声の命令である。
    縁側の籐椅子にただひとり坐って、親の仇のように矢つぎばやに酒をあおっているのは、創価学会第二代会長となって六年目の戸田城聖氏。(中略)
    一九五七年の十一月から放送をはじめるテレビドキュメンタリーのシリーズ「日本の素顔」の第一集のテーマを「新興宗教を見る」にきめ、さまざまな教団のさまざまな説法を記録することにしたその撮影の初日で、富士大石寺の日蓮正宗総本山を訪れたところであった。この夜、大講堂で行なわれる会長の法華経講義を、打ち合わせどおり所定の位置から撮影するからよろしく、という挨拶のため本部の建物へ行ったのだが、まさか戸田会長の前に連れて行かれるとは予想もしなかった。ましていっしょに酒をのむ破目になろうなど、思ってもみなかったのである。
    ひとくち飲んで不覚にもむせると、
    「グイッとあけな」
    と眼がすわっている。ビールをあおりながらウィスキーをストレートでのむのを、アメリカでボイラーメーカーと呼ぶ。というのはのちに得た知識だが、ビールとウィスキーの量がこの場合逆転しているのだ。いかに教祖でどんなに酒豪でも、酔わないわけがない』

    戦時中の逮捕そして獄中生活、事業の失敗など同情すべき人生の辛酸と波乱もありますが、豪気であるがゆえに不摂生、酒豪であるがゆえに酒浸り、アルコール中毒の典型的パターンです。
    一部の人間しか知らない人物像を冷徹にとらえております。アル中の菩薩がいても一向にかまいませんが、アル中患者の誇大妄想が、法華経の救済と合致したことを不思議に思えてなりません。苦悩の深い者が菩薩への資格を有するのかもしれません。あるいは冷静な判断や意思を失うことはなかったのかもしれない。「酒を浴びるほど飲む」という言い方がありますが、宿業も浴びるほど飲んだのかもしれない。仏道成就への戦いは熾烈です。
    この文章には少し腑に落ちない部分があります。富士大石寺に訪れた日と、本部に挨拶に行った日は別の日なのだろうか。きっと別の日なのでしょう。

    法華経講義の場面での戸田先生は、そのカリスマぶりを遺憾なく発揮しており、まるで演出された劇を見るようです。たぶん、酒の力を借りていたのでしょう。特異な人格が仏・菩薩の人格と同期し、見えない魔手と格闘している。長くなるので引用しませんが、貧乏人と病人のあつまりと揶揄された創価の草創期は、正視できないような社会の汚辱と矛盾とがそのまま教団を襲っています。
    『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は一切衆生の父なり無間地獄の苦を救う故なり云云、涅槃経に云く「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」と云云、日蓮が云く一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし』(御義口伝)
    創価の歴史は、けっして人間革命に描かれるような不道徳と不浄を除外したクリーンなドキュメントではありません。社会の矛盾がそのまま会員の生活と思考に反映し生死の間を彷徨っているのです。目をふさぎたくなるような現実と不都合な事実を克服してこそ、歴史の荒波に耐える強固さを得ることができると思います。
    牧口・戸田先生の神格化は、池田先生によって作為的に始まり、三代の永遠の指導者という形容で完成しました。尊敬と神格化は異質なもので、冷静な信仰者にふさわしいあり方は、敬意に満ちた渇仰であり、盲従ではありません。池田先生の意図は、自らの神格化にあるのでしょう。数々のご指導やスピーチもすでに形骸化が進行していることに、会員の皆さまは気づかないのでしょうか。ひいては、創価の衰退を演出しているかもしれません。
    創価の聖典・現代の御書、大小説『人間革命』から、会員はなにを学ぶのでしょうか?

    池田先生の言動は芝居がかるようです。過剰に誇張された感情表出が特徴です。
    「若き日の日記」(「池田大作全集・第36巻」昭和26年1月13日)には、
    『大文豪、ユゴー。革命の大叙事詩、小説家ヴィクトル・ユゴーの「九十三年」完読。感多し。我が国でも、彼の如き、大小説家の出現を、望んで止まぬ。
    ああ、大哲理、大思想、大宗教に、立脚せし大文豪は、いつの日にか出でなん。
    ああ、大情熱、大革命、大理想に、燃えたぎった、世紀の大文学者よ、一日も速やかに出で来たれよ』

    この短文のなかに11コの『大』があり、青年の理想主義を差し引いても、偉人好みの気質が、そもそもあったことは否定できません。演技性パーソナリティーの特徴は、その華やかな外向性と虚言癖です。歴史を都合よく書き直し、事実を捻じ曲げて誇大に強調しながら、真実と断定してしまう演劇性は、自己愛性パーソナリティーとも言えるかもしれません。
    創価で通用する真実とは嘘と一体です。その顕著な例は、信仰の根本である御本尊すら誤魔化してしまうという教義に表れているでしょう。創価独自というのであれば、それはドグマと言うしかありません。

    このテレビ制作者の本の白眉はインド編でしょうか。ガンジーが建国したとき、目標として掲げられた一つに、国民病ともいえるハンセン病の克服がありました。この本ではレポートのように生々しく事実を報告し衝撃を与えています。フリーズして足がすくむほどの悲惨を目の当たりにして、地獄のようなハンセン病村で一人の日本人医師が活躍していたことを伝えていますが、突然の事故死とともに、今では忘れられているでしょう。
    以前、聖教でもドクター部員の献身的な体験が掲載されていたことを忘れません。医療は深い慈悲と勇気が必要なのですね。
    ハンセン病事業に尽くしたキリスト教医師に神谷美恵子氏が有名ですが、数々の出版からうかがえる深い思考の跡は、宗派の相違には関係ないようです。アクティヴに、インデペンデントに、粘り強く考えること……それが信仰者の使命です。

    Clean Bandit - Rockabye ft. Sean Paul & Anne Marie

    潔く創価と決別した友人のために
    あきらめないで!




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