『仏法者である戸田会長が、なぜ原水爆禁止なのか、それがなぜ、将来を背負う青年たちへの "第一の遺訓" なのか、正直いって、弘教ひとすじに走り続けていた当時の若い人たちにとって、新鮮な驚きと同時に、唐突な感もあったと思います。
"宗教的使命" といっても、単独で存立するものではなく、広く "社会的・人間的使命" により補完されて初めて完結する、「立正安国」という日蓮仏法の深義までは、なかなか思い及ばなかったようであります。
逆にいえば、そこにこの「宣言」の意義、先見性があるのであり、核兵器が今なお人類の生存を脅かし続けている現状からみれば、なぜ恩師があの時期、あのような布石を打たれたのかということの重みが、ひしひしと実感できるのであります』
先日も、聖教に掲載されておりました(8月31日『学生部「御義口伝」講義に寄せて』)
『日蓮大聖人の深遠な哲学を現代に展開して、不信と憎悪が渦巻く核兵器の時代を信頼と調和の人間主義の時代へと転換させたいと深く念じたからである』
9月4日には、神奈川「青年不戦サミット」に寄せて、次のようにメッセージを贈っています。
『条約(核兵器禁止条約)のリーダーシップを担ってこられた、市民社会のネットワーク組織である「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のベアトリス・フィン事務局長は深い理解の声を寄せてくださっております。
すなわち、「たとえ希望が見いだせず、人々が諦めそうになった困難な時代にあっても、SGIが立ち上がるエネルギーと勇気を発揮し続けてきたことに多大な啓発を受けるのです」と。
核兵器の廃絶を目指して、尊き青春の大情熱を注いでこられたフィン事務局長は、「人々が一緒になれば、本当に多くのことが可能となり、本当に素晴らしいことができるのです」とも語られていました。
まさしく、民衆が連帯し、青年の力で行動の波を起こしていけば、必ず "不可能を可能にする力" が生み出されるのです。
いよいよ今月20日から、核兵器禁止条約への署名が始まります。条約の早期発効を導き、核兵器廃絶の流れを大きく前進させるためにも、民衆の連帯をさらに広げていくことを、私は念願してやみません』
それにしても、絶対平和主義である妙法の信徒が、なぜ安保法案に積極的に賛成するのか、思想と現実の乖離をなぜ悩まないのか、不思議な気がします。また、核兵器禁止条約に署名しない選択肢がありえたことに驚きを禁じえません。先生が早期発効を願っても、公明党がブレーキになっているのですから、この自己矛盾ともいうべき事態は、かつてのイラク問題と同じですね。核抑止論への依存を、まず仏法者から放棄すべきです。核の傘などもうたくさん。口をつぐんで何も言わない仏法者・自称の平和主義者とはいったい何者なのでしょうか。「ガンジー・キング・イケダ」という非暴力の系譜を自慢しているのに、どうしてなのでしょう?
釈尊以来営々と、暴力に抗してきましたが、未だ不戦と調和の時代は実現しておりません。釈尊の悲しい涙を見る思いですが、平和への使命を託された仏弟子たちがとった行動は、正統をめぐって争うことでした。仏教史は連綿とした争いの歴史です。
それは現在においても変わりありません。平和の実現、戦争の抑止になんら力を発揮できない仏教者は、自宗の利益を守るために汲々としております。仏教者とは思えない形を変えた利己主義者であることは疑いありません。
また与党として大きな影響力を持つ先生が創立された公明党は、すでに創立の理念は失われております。大衆政党というより創価政党としての殻を打ち破ることができていません。平和問題にしろ経済問題にしろ、庶民感覚と公明党には著しい隔たりがあることを、会員の皆さまはそろそろ気づかれたらよいのではないでしょうか。
国民の格差がひろがり、弱者は貧困のなかに置き去りにされ、生活は苦しくなるばかり。そして戦争へと発展しかねないクライシスが目の前にあります。北も南も朝鮮人への関与は程々にしていただきたいと考えるのは、仏法者として失格でしょうか?☆彡

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