ヤングミセスからの誘いがないことを残念に思いますが、まだどこかに女子部気分が残っていたりするので、自分の主張を自制するように心がけております。おとなしくしていなさいと言い聞かせています。わたしの差し当たっての関心事は、健康な食べ物とお料理ですね。女子部時代、勢いに任せて、なんて不健康な生活に平気でいたんだろうと反省しています。
わたしはパンが大好きなのですが、今まで気にしていなかった原材料をチェックするたび、わけわからない材料が使われており、危機感を持つようになりました。それで最近、手作りパンにハマッており、国産小麦粉や米粉や全粒粉などで、シンプルレシピでおいしく作っております。結婚前には考えてもみなかった変わりようです。主婦がとても楽しいのです。掃除もお洗濯もお買い物も、とても楽しいのです。こういう生活を幸せというのかもしれませんが、どこかに冷静に自己観察している自分がいることもわかっています。
フランスの哲学者・アランの「幸福論」に、 示唆に富む言葉があります。
『悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである』
以前、『幸福論』を読んでおり、上記の名句も目にしているはずなのに、まったく思いだすことができませんでした。
ノーマン・カズンズ氏と先生の対談「世界市民の対話」のなかの、楽観主義と悲観主義という項目で引用されておりましたが、その言葉に続いて先生は次のように語っています。
『およそ人間の自由と幸福は、アランの言うような主体的な強い意志によって勝ち取られていくものだと思います。ところが現代ほど、主体性、おおらかさ、未来への希望をもちにくい社会はないかもしれません』
『人間の精神性を高める生きた哲学、宗教運動が必要であり、人生と社会の大きい次元での価値観の変革が大切である』
現代は基本的に、悲観主義の時代と言われております。戦争やテロに象徴的に現れているように暴力による人間への攻撃は、生活や環境だけでなく、精神の荒廃を生み続けています。他者、しいては世界と自分の関係ほど重要なものはありませんが、同時に他者は、倫理も、冷静なコミュニケーションも通じない頑強な不信者でもあり、とても攻撃的です。また自分以外の他者が被っている苦悩や悲しみに鈍感です。思いやる繊細な心が失われております。
不可解な他者を受け入れることは簡単ではありませんが、わたしたちは毎日、御本尊に向かいながら、仏を受け入れております。仏を受け入れることはその普遍性も受け入れることであり、会員の皆さまが意識しようとしまいと、日常のなかで実践されていることです。つまり、不軽のように、他者の仏性に執拗に語りかける行為は、信仰者であるが故です。またこれは、妙法の最も基本的な知識であり認識でしょう。そこから得られる結果は、「無上宝聚・不求自得」とも「以信代慧」とも言います。「宝聚」とは普遍的智慧のことですから、未来に大きな希望を与えるものです。「宝聚」は、楽観主義から生まれる未来肯定なのですね。
『人生と社会の大きい次元での価値観の変革』
信仰問題も創価と宗門の問題も、価値観の変革が必要なのだと、強く思います。
『如意宝珠は一珠なれども万宝をふらす』
そんな自分になりたいと深くご祈念しております☆彡

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