出発のためのダイジェスト ③

    Michael Jackson<さよならを言う前に> 2010.4.2
    <We Are The World>を見ると涙が溢れてくるのはどうしてなのでしょう。有名スターが一つの目的のために結集した素晴らしいパフォーマンスは、普遍的なメロディー、歌詞とともに永遠に残っていくだろう。作詞・作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー、プロデュースはクインシー・ジョーンズ。

    マイケルが逝って8ヶ月。
    わたしはまだその死を受け入れられないでいます。
    「THIS IS IT」は映画館に行けばきっと涙が流れて見られないだろうと行きませんでした。DVDも発売されて買ったのに、それもまだ見ていない。

    亡くなった6月25日のことを思い出します。
    まだ死亡が確認されたわけではないのに、26日の朝早く、ネットで<Wikipedia>を開いたら、すでに死亡と書かれていてショックを受けたことです。まだはっきりとわからないのに、なぜという思いがありました。

    彼のように真実を求めて生きたアーティストはいないでしょう。潔白でありながら、何の罪もないのに疑惑の目で見られ、彼の命を縮めたのは明らかです。
    素晴らしい才能を持ちながら、人も羨む財力と自由を得ていながら、彼はたった一つの幸せを手にすることができなかったと思えて仕方がないのです。ステージに立つと、ファンクでソウルフルでゴージャスなパフォーマンスはブラック・コンテンポラリーの集大成のような華やかさです。でも彼は有り余る才能で成功を収めましたが、少しも幸せそうに見えないのはどうしたことでしょう。目も眩むような財産のなかで陽炎のように揺らいでいます。
    マイケルは世紀のエンターテーナーです。少年虐待の疑惑の裁判が、彼を深く傷つけたことは言うまでもありません。

    彼は望むものを得たのでしょうか?
    『スリラー』を飾るポートレートは若者らしい野心を秘めて、エンターテインメントの世界へ羽ばたこうとする清々しさが現れています。ソウルフルなポピュラーミュージックを知り尽くしたクインシー・ジョーンズとタッグを組んだこのアルバムのオープニングは<スタート・サムシング>
    マイケルの死に際し、スタート・サムシングとは皮肉でもなんでもなく、コンサートでお馴染みのファンクナンバーは、オープニングに相応しいメッセージ曲だと思うからです。
    自由な生き方は簡単なようで難しいものです。どんなに財力を築こうと成功しようと、束縛から解放された自由な境涯を実現することは不可能に近い。でも才能あるエンターテーナーには、それが可能かもしれないとわたしは考えていたのです。マイケルこそ、それを実現できるアーティストと考えていたのに。
    何をすればよいのかわからず、方向も定かでなく、臆病に一歩を踏み出せないでいる多くの若者に伝える荒々しいファンキーな熱唱にこそ、マイケルの真骨頂があります。彼は生まれついてのエンターテーナーであること、人を引きつけて止まない魅力を持って、ステージから、または人生という長いスパンのステージから呼びかけているのです。

    なにかを始めたいんだろ
    なにか新しいことに取りかからなくちゃ
    乗り越えるには高すぎるし
    くぐり抜けるには低すぎる
    君は真ん中で立ち往生して
    雷に打たれるような苦痛を味わっている
    頭を高く上げて
    世界中に叫んでやれよ
    僕は君にとって特別な人間さ
    真実を目の前に広げてあげよう
    本当のことを知ってさえいれば
    君はもう傷つかずにすむんだ
    そう 僕は自分を信じてる
    君も自分を信じろよ
    さあ 一緒に歌ってくれ

    (Wanna Be Startin' Somethin')

    彼は「自分を信じてる」と歌う。でもアーティストである前に一人の人間として、誰も知ることができない複雑な内面のどこかに迷いがあり、自分の生き方に疑問を持っていたように感じられるのです。
    『スリラー』はどれぐらい売れたのかわかりません。ロングセラーとなって次々と記録を塗り替えました。彼は "THRILLER" から "BAD" と絶頂期を過ぎて、やがて人気も下降線をたどっていきます。

    あらゆるものを得てもマイケルの心は満たされていない。
    苦しみのなかでもがいている。
    叶わない欲望の渦に弄ばれている。
    お金でも称賛でも得られないもの。
    たった一つの「幸せ」という得がたいものが、いくら掬い上げても、彼の指の間から乾いた砂のように零れ落ちている。

    もうすぐ真夜中だ
    なにか邪悪なものが闇に潜んでいる
    月の光のもとで
    心臓が止まりそうな光景を君は見るのさ
    叫びをあげようとしても
    恐怖のあまり声も出ない
    恐ろしい魔物にじっと見すえられ
    君はその場に凍りつく
    一歩も動けないよ

    ・・・「THRILLER」から

    闇のなかから光を求めている。25年も前に、彼は自分の未来を予言しているようです。
    何もかも捨て去り仮面を取り去った裸の彼を愛し、同苦し、彼の傍らにあって、ともに道を歩もうとする人が現れない限り、かつての栄光に包まれることはなかったのです。彼が妙法に巡り会っていたらと、もう儚い夢ですが、わたしはいつも考えてしまうのです。

    95年のベスト “ヒストリー” の最後を飾るのはスタンダード<スマイル Smile>

    スマイル
    怖くても哀しくても
    微笑めば きっと明日になれば
    人生 まだまだ生きる価値があると思えるさ
    喜びで顔を輝かせよう
    哀しみの痕を全部消してしまおう
    涙が近くまで迫っていても
    そんなときこそ
    頑張らなくちゃいけない
    スマイル 泣いてどうなるっていうんだ
    人生 まだまだ捨てたもんじゃないと思えるさ


    マイケルの歌唱も素晴らしく切々と訴えてきます。彼とともに声を合わせて歌いたくなってきます。さらにメッセージ・ソング “ヒストリー” はヒップホップとソウル・バラードをミックスし、後半は軽快にリズムに乗って展開していきます。続くオリジナル<リトル・スージー Little Susie>の荘厳なコーラスと悲しみを抑えたマイケルのボーカルに涙します。きっと彼の代表曲になるでしょう。
    洗練され、昇華され 誰にも受け入れられ、日常では感じることができない敬虔な天国まで連れて行ってくれるブラック・ミュージックの真髄が、マイケルの魂が込められた歌声に感じます。エンターテインメントとしての素晴らしさは言うまでもありませんが、同時に、何か満たされないものを持っていて、幸不幸の境界に立って苦悩しているような悲しみを感じます。

    悲しくて考える力が出てこない。
    音楽の神は、プラスとマイナスのように喜びと悲しみ、創造の高揚感と死の痛みを、華やかな時間と悲嘆の瞬間を、同時に与えて試されるのですね。
    ゴシップ記事やスキャンダルに彼の本質はひとかけらもありません。それは泥にまみれた黒い雪のように、誰もが経験する人生の汚れのようなものです。無疵に清純な人などいない。彼がスターであるからこそ、一つのスキャンダルで全人格を判断してしまおうとする無責任な噂の類いです。

    <Heal the world>せめて彼の意志を受け継ぎ、彼の願いがいつの日か叶うように努力していきたい。そしてきょうこそ、悲しみを乗り越えて、彼に「さよなら」と言いたい。


    ❖❖❖


    21st Century Breakdown<実験精神の欠如> 2010.4.10
    近頃は仕事やプライベートで忙しく、ゆっくりと音楽を聴く時間もありません。
    少しストレスがたまっています。

    今年はなんと言っても、ビートルズのデジタル・リマスター盤が話題になりましたが、ブランド力と言ったらビートルズに敵うものはありません。
    マーケティング・コミュニケーションにおいて、とどのつまり、いかにしてブランドのイメージをアピールできるかということですが、流行の推移が早過ぎて迷いが出てきます。
    ネットによって、本当に世界は近くなったし、それでも情報過多のなかでの判断と先端を行くことの難しさを痛感させられます。商売で得られる財産は優れた商品もそうですが、そのビジネスが成立する効率的なプロセスに価値があると考えます。つまり誠実なコミュニケーションは人対人から始まるわけですので、セールスの色々なケースやサンプルを集めたデータベースが、本当の財産なのではないかと。またアピール力の是非は問われなければなりません。

    プレイヤーは最良のリスナーでなければなりませんが、自分にとって必要な音楽的思想、アプローチの仕方など、過去のミュージシャンから学ぶべきものは多く、特にロック・ビギニングとも言うべき60年代の創造性に溢れたシーンには、ドキドキするほどのダイナミズムと瑞々しい感性に魅了されます。

    今は一般受けするロックがマスターピースと勘違いされている傾向があります。つまり傑作は必ずヒットすると考えているわけで、音楽雑誌のメリットとデメリット、何より評論家に疑いを抱いているのはわたしだけではないでしょう。

    グリーンデイの新譜<21st Century Breakdown>を繰り返し聴いて感じたことは、あまり新鮮味を感じなかったこと、それは音楽雑誌の評価とずれるから、自分の感覚がおかしいのだろうかと自信が揺らぐのです。グリーンデイは、パンクバンドとは括れない成長を遂げて、ロックビジネス界のひときわ大きい一枚看板のように存在しているわけですが、アプローチの仕方というか、考え方は結構オーソドックスだと思う。パンクから王道ロックへ近づいてきたのもその証拠だと思う。今はパンクも勢いを失っているし、中程度のムーブメントはあっても大波は難しいと考えています。ニルバァーナ以降、精神とロックが一体となって激しくかき鳴らすギターサウンドには出会ったことがありません。耳当りが良い癒しロックが支持されている理由は色々あると思いますが、中間の思考過程を大幅にはしょって言えば、つまり実験精神の欠如だとわたしは考えるのです。

    時々、日本のマイナーなバンドをチェックしてますが、パンクにしろ、ハードロックにしろ、オリジナリティーに光るバンドに出会ったことがないのは、コピーバンドのレベルを脱し切れないセンシビリティーの貧しさからくるものと思います。もっと表現の幅を身につけてチャレンジして下さいと言いたくなってきます。
    ハードとは様式ではなく、精神こそハードであるべきです。パンクもまた同様です。

    きょうは午前中、自転車で多摩川の方まで行ってきました。川原に名前も分からない雑草が小さな紫の花を咲かせていましたが、なにかとても愛しく感じました。そしてその空間にだけ、普遍的な色彩を感じたのはどうしてなのでしょう?
    季節が変わり花が散っても、生けるものの逞しさと再生の力は不変です。
    不滅の反抗こそパンクです。あきらめないスピリットこそ、パンクです。

    Green Day - 21 Guns


    Peacemaker


    ❖❖❖


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