Lose Yourself

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    嘆いたってなんになろう
    不平等を訴えても解決するというのか?
    考えるべきことも考えず
    やるべきことも行動に移さず
    陽気に振舞っても後に残るのは虚しさだけ
    変えていかなければならないのだ
    自分をとりまく周りのものを
    右から左に左から右に
    自分の意志で
    与えられた環境なんか何の役にも立たない
    自分で始めから作り直すのだ
    もしも反対にあったら説き伏せろ!
    熱意が汗のようにほとばしり
    瞳を輝やかせて
    強靭な鉄拳を見舞ってやれ
    圧倒するのだ
    重戦車のように圧倒するのだ
    できるだろう
    できるだろう
    君ならできるだろう
    右から左へと歴史を動かし
    左から右へと信念を突き動かし
    変えるのだ
    不可能と思えたことを可能にするのだ
    それが君に与えられた
    タフな君に与えられた
    使命だ
    役割だ
    スリリングに疾走する世界の革命だ!

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    『90年代、正確には1992年以降、日本は名目金利は0%であっても、民間企業は市場で資金を借りない、簡単に言えば、市中に資金の借り手がいないという状況を経験しました。企業は、簡単に言えば、投資をして利益を増やすより、借金の返済、債務を最小化して企業の財務内容を良くする事を優先したため、投資はまったく増えませんでした。金利がゼロでも企業は金を借りて設備投資をしないという状況が出現したわけです。銀行には巨大な返済資金がたまりました。そのため、政府が債務の形で資金を調達し、大規模な財政出動をすること以外、景気回復の処方箋はありませんでした。
    その間日本では土地を含めて、資産価格が80~85%暴落をしたのですが、政府の財政出動のおかげで日本のGDP約5兆ドル(500兆円)がそのまま維持されたのが日本の歴史です。日本はその教訓を活かして、今回の危機に対応するにあたって、財政の持続可能性というものに配慮しつつ、これまでに総額約1200億ドルの財政出動を行っております。さらに、新たに約1500億ドルの財政出動をいま実施に移そうといたしております。この新しい対策だけでGDP比約3%になります。一方、欧州も、経済回復プランを発動しておられます。今後とも日欧は、意思疎通を蜜にして適切なマクロ経済政策の運営をしていく必要があろうと思います』

    (麻生首相の欧州における政策スピーチ)
    「グローバルな課題を克服する日欧のパートナーシップ」平成21年(2009年)5月5日


    麻生首相は、08年9月のリーマン・ブラザース破綻で始まった金融危機を、「100年に1度の暴風雨」と位置づけ、国民生活を守るために、全力で危機に立ち向かうと力強く宣言しました。アメリカに対しても「サブプライム問題に端を発した金融危機では、証券化商品のあらゆる段階に不適切な行動が見られた」と批判。そのうえで各国が、それぞれ監督する現在の仕組みでは、十分なリスク管理ができないと主張し、国際的な危機封じ込め作戦で、リーダーシップを発揮する自信を示した。金融危機とともに総理になり、1年後に、国民の信頼を失うまで頑固に自説に固執し続けたが、一向に回復の道すら見えない状況に、理想と現実のあまりのギャップに、ギブアップして自滅した。

    日本のバブルは、91年の崩壊から「失われた10年」を経て、99年になってやっと不良債権の整理回収機構ができて、最終的に処理されるまで、4年あまりを必要とした。つまり15年の長きにわたって、日本は苦境にあえいだのです。麻生首相が自信を示しても、その後も、本格的な経済回復がなかったのは、グローバル化のなかでの日本の未来設計を誤ったとしか言いようがありません。国家のリーダーには50年後、100年後とは言いませんが、せめて、1年後、2年後の設計図は描いていただきたいというのが、国民の切実な願いです。
    現在も働き方改革が問題になっていますが、非正規雇用の深刻な生活実態、残業増加と密接にリンクしている過労死問題、残業に制限を求めない働き方改革、職能給としての性格を高めて企業の経済的負担を減らそうとする考え方を進めている。実質賃金は96~7年を境に下がり続けています。選挙のたびに強調する福祉政策は、その場しのぎと言ってもよいでしょう。
    不安定な派遣労働者の増加を意図した当時の日経連が、1995年に発表・提言した『新時代の「日本的経営」』という文書があります。ここでの労働力の3グループ化は有名です。その後の労働環境を大きく変える事態となりましたが、経済界と強く結びつく労働行政は、現在の殺伐とした社会の根本原因になっています。

     ①長期蓄積能力活用型グループ【従来の終身雇用(常用雇用)】
     ②高度専門能力活用型グループ
     ③雇用柔軟型グループ

    この分類は政治的なサポートを受けて、雇用の劣化を促し、社会そのものの劣化を招きました。雇用の劣化は経済的貧困層を増大させ格差拡大をさらに推し進めました。

    グループ雇用形態対 象賃 金
    長期蓄積能力活用型
    グループ
    期間の定めのない
    雇用契約
    管理職、総合職、
    技術部門の基幹職
    月給制か、年棒制、
    職能給、昇給制度
    高度専門能力活用型
    グループ
    有期雇用契約専門部門(企画、営業、
    研究開発など)
    年棒制、業績給、
    昇給なし
    雇用柔軟型
    グループ
    有期雇用契約一般職、技能部門、
    販売部門
    時間給制、職務給、
    昇給なし


    雇用の多様化のなかで「雇用のポートフォリオ」という考え方を打ち出しました。雇用柔軟型とは、自由なライフスタイルをイメージさせるフリーターのことですが、非正規雇用として労働市場で買い叩かれました。パーツとして代替可能な存在は、社会の支配者層にとって、とても都合のよい雇用契約の若者の増加を招きました。企業の経営環境から言えば、いつでも整理できる非正規雇用を増やし、不況時のリスク回避ということ。抜本的改革が必要と叫ばれて加速された小泉政権の規制緩和の影響は、労働界までおよぶと同時に、社会基盤を破壊し、若者にとって生きづらさに発展。底辺の貧困層を拡大しました。
    公明党は、2000年頃から本格的に始まった自民党との連立で、政策推進の一翼を担うことになりましたが、決して福祉政党と強く主張するほど弱者を考えているわけではありません。会員は、政治を監視すると口癖のようにアピールしますが、政策を十分に精査するほど熱心ではありません。やがて高齢化の波が絶え間なく本格的に押し寄せるころに、少子化が社会構造を変えるころに、なぜこんな生きづらい世の中なのか、信仰とは無関係に創価の底辺に広がっていくことでしょう。
    師弟不二の継承不良が原因ではなく、経済的環境の悪化による会員の貧困が創価を崩壊させる。財務、無理な聖教啓蒙と贈呈、多部数購読、いずれも忠誠心と見返りを期待させる功徳心に訴えて、お金の算段をさせる創価の狡智な手段です。やがて自分勝手に問題を起こして他人のせいにしながら、自業自得を難と捉え、宿命転換する信心指導が流行することでしょう。
    そのころになればお土産本尊も登場するかもしれません。創価では本尊は大して重要ではなさそうですし、なんでも同じだと指導しているのですから、血脈断絶の本尊もそれなりに有効なのでしょう。質的有益性ではなく宗教法人内にのみ有効なプライベート本尊というところかしら。宗教の根本思想、普遍性・永遠性に問題があります。

    フリーターやニートの増加などの雇用問題は、技能形成期に高度な技能を蓄積できないことによって、若年者本人がキャリア形成を図ることができないばかりでなく、企業にとっても技能継承などの面で問題を抱えることになります。さらには、将来の国家経済を支える人材の確保が困難になり、経済社会の活力や国際競争力を維持できなくなる恐れもあります。国際競争が激化するなかで、高付加価値化による競争力強化を図るためにも、企業の将来を担う人材の確保・育成を図ることが重要であり、そのことは、日本経済・社会の安定的な発展のためにも必要となっています。

    労働者派遣は、法制上「臨時的・一時的な労働力需給調整システムの一つ」として位置づけられており、期間を限定した働き方であることを念頭に置く必要があります。
    派遣期間をさらに延長するのであれば、テンポラリー雇用(一時的、臨時雇用契約)としての性格を失い、単なる勤労者の階層化につながることになります。法の趣旨を踏まえれば、派遣可能期間を超えて派遣労働者を使用する場合に、雇用契約の申し込みを義務化することは当然のことといえます。
    派遣労働者のコストが正社員よりも低く、雇用調整が容易であるために、正社員から派遣労働者への代替が進んでいますが、労働者派遣法の目的のひとつは、労働者派遣が長期雇用者の代替となり、長期雇用システムを侵食しないようにすることにあることを忘れてはなりません。派遣期間の拡大などの労働者派遣法の規制緩和は容認することはできないものです。

    トインビー博士は「二十一世紀への対話」で、既成権威への若者の失望を要約して述べています。そのなかで
    1.権力を握っている中年の世代が、世の諸問題を満足に処理できずにいるところ。
    2.技術の加速度的な進歩のために、事態の変化があまりにも急激であり、しかも、それが険悪な方向をたどっていること。そのため若者世代は、世代交代によって自分たちの時代がくる以前に、現在の中年層が取り返しのつかない破局を招いてしまう恐れがあること。
    3.若者たちが年長者に対して疎外感をいだいていること。体制者の活動なり生き方というものが魅力を欠き、威信を失ってしまっていること。
    豊かさのなかの貧困は、より高度化した情報社会が危機に瀕し、個人と国家、組織のあり方に根本的な疑問を投げ掛けています。繁栄と豊かさの定義が曖昧になってきた時代的背景を考慮すれば、問題の本質は、生命変革の宗教的信念と倫理観念の欠落にあると考えます。また指導者資質のレベル低下とその指導理念の欠如に深い原因があるように思えてなりません。


    労働環境は大変厳しいものになっている。政府が雇用環境・有効求人倍率の改善、失業率の減少をアピールしていますが、実体は格差の拡大に拍車をかけている。給与所得は生活安定には寄与していない。特に非正規雇用の生活の不安定さは、無縁社会の象徴のような悲しみをともなっている。弱者の容赦ない切り捨てを容認し推進している公明党も含む与党の政策に、深い憤りを覚える。わたしも公明党の支持者であった過去があるので、その責任上、この労働環境と若年層の生活実態について、もう少し調べてみようと思う。
    創価のなかにも会社経営や取締役を経験した人も多いと考えるのですが、その貴重なエクスペリエンスの蓄積を、積極的に発信していないように思う。意外と支配層は利己主義的傾向が強い。厳しいビジネス環境のなかで生きてくると自然とそうなるものかもしれません。
    創価も少子化の影響をもろに受けていますが、少ない青年部も決して雇用に恵まれている人たちばかりではないようです。むしろ経済的に貧困の恐怖に耐えて、信仰に強い思い入れを抱き、実証の体験をつかみたいと切実に、一途に考えて活動しているのですが、信仰先輩がその期待に応えているのか。むしろ年配者が魅力を欠き、模範者としての規範を維持できない生活上の苦しみがあるのかもしれません。青年部は聡明であればあるほど孤独な信仰をいつも強いられる。純粋であるがゆえに、矛盾と格闘しなければならない。青年はいつも反逆心が旺盛です。荒涼とした人間関係の風景が、創価内にも頻繁に見られるときがくるでしょう。
    創価は宗教団体というよりは、政治団体と言った方が正確なほど影響力を駆使してきました。権力志向が強い執行部の姿を、会員には隠しているように思います。
    会員の活動指針のモデルは、ビジネスコンサルタントがマーケットリサーチするように、プロセスを発掘し、詳細に点検し、新規顧客開拓や既存顧客との関係維持を強める戦略と同じ。
    効率的にコミュニケーション能力を高め、常に人的結集、金員的資源の結果を求める活動のマンネリ化は、いずれその動機のいかがわしさに疑問を持つとともに、経済的背景に不安を抱く会員が増加していくことを暗示しています。また活動家の欠員を必然的に促します。


    ☆☆☆


    uy86164.pngデトロイトはアメリカ・ミシガン州南東部にある都市。09年2月、デトロイトに本社を置く消費大国アメリカの象徴、GM(ゼネラルモーターズ)が破綻した。ニューヨーク証券取引所は、09年6月、同社株を売買停止し上場廃止。それまでアメリカ経済を支えてきた自動車産業は、コンパクトで燃費性能が格段に優れた日本車に市場を奪われ、根本的な会社更生を迫られました。デトロイトの人口構成は80%が黒人で占められています。貧しい黒人が職を求めて集まり定住した街は、失業率は全米一であり、治安の悪さもNO.1という危険都市。

    街は南北をエリー湖とヒューロン湖に挟まれており、東はカナダのウィンザー市に接する。碁盤の目のようにきれいに市街設計され、ダウンタウンから道路が四方に延びている。中心部には、ルネッサンスセンター、デトロイト川の畔に建つビル群は、街のシンボルだ。またデトロイトは、モータウン・レコードの発祥の地として知られる。モータウンとは「自動車の町」という意味であり、モーター・シティ・デトロイトの繁栄と活況を表す言葉でもありました。
    R&Bの洗練されたポピュラリティー、心地よいエレガントさとウォームなセンス、ソフトなメロディとハーモニー・テクニック、call and response の自然に体が動く楽しさ。その一方で計算されたクールな知性とリズム、アイドル性など、それは黒人の街といってもおかしくないデトロイトだからこそ生まれたサウンドとも言える。音楽をはじめ黒人文化の揺籃であったことを裏づけます。
    ダウンタウンから北方、<8マイルロード>は東西に走る真直ぐな幹線です。街では貧富の差が大きくなるにしたがって、ドーナツ現象が起きました。ダウンタウンから<8マイルロード>を境界線に、郊外に富裕層が、内側に貧しい黒人が住むようになったのです。人種は違ってもエミネムもまた貧困層の白人の一人でした。

    マネーゲームは、ウイルスのように伝染し、世界にパニックを招いた。
    自分を失った亡者が、資本主義の最先端思想と思われる新自由主義で、弱肉強食の市場原理を正当化した。何かが間違っている。でもその何かがよく分からない。
    エミネムは自伝的映画<8Mile>で<Lose Yourself>と歌った。楽曲は一度発表されると作り手を離れて成長する。それは元々、価値あるものが表現されていたかもしれないが、時には時代を映す鏡となり、時には時代を導く曲となり、また時を経るにしたがって、支持を拡大し、スタンダードになるのです。
    ヒップホップ・ミュージックが、ブラックからホワイトへと、リスナーを広げたバックグラウンドには、エミネムの役割が大きい。そしてこの曲は、彼の個人的体験から生まれた曲であるけれど、普遍的価値を賦与されて、時代の風潮を映しだしていると考えます。

    72年生まれのエミネムは、多感な少年時代をこの町で成長しました。決して恵まれた環境とはいえないなかで、彼の芯になる導管は純粋な水を絶えず汲み上げていたのではないかと考えます。荒れ果てた都市の大地には、虹色の地下水が流れているのかもしれません。

    口のワルさと軽いフットワークがMCの条件であり、次から次と溢れ出るディープなリリックは、不快な感情を想起させる。それは生理的な不快を感じるものですが、韻を踏んで歌われることによって、聴く者の心に葛藤と闘争心を呼び覚ます。若者は誰でもファイターであるけれど、現実に対する不満の表現を適切な言葉で語ることを知らない。というより過剰な言葉のなかで、自分を持て余している。自分のなかにある表現への欲求が、いくら考えても満たされることがありません。
    <8Mile>のエンディングでのシーン、ラップバトルで優勝したラビットは、残業のために会社に帰ろうとする。彼の後姿が印象的です。地に足をつけた生活が必要なのだと気づくのです。少年から大人へと変化していく姿を捉えていると思う。<8マイルロード>は、越えなければならない心のなかの境界線でもあるのです。
    彼の激しいリリックは、ほとんど彼の実体験が元になっています。下品で聴くに堪えない内容は、少年特有のものかもしれないけれど、もともとラップの激しさはこういうものだと理解すれば、特に驚くことはないのです。彼は、不満と自分が感じていることを語っているだけなのです。
    彼の分身、スリム・シェイディは醜悪なペルソナ。自分自身を客観的に見る方法を始めから身に着けていたとは、彼の才能が本物であることを物語っています。
    社会の敵は、想像するよりはるかに大きく狡猾です。シリアスにテーマの選択をしなければ次第に勢いを失う。アーティストはバカではつとまらない。他者へのリスペクトと励まし、寄せられる共感に対する謙虚さに、それは表れると考えます。

    ヒップホップ・カルチャーならびに淵源となるブラック・カルチャーは、貧困と嗜虐の歴史を塗り替える願いが込められていると感じます。黒人の音楽センスは、とても優れている。リズム・センスも遺伝子ゲノムに受け継がれているようにさえ感じます。プロデューサー・ドクター・ドレー<Dr.Dre>がスリム・シェイディに、新鮮な人格を見たのは、きっと、その遺伝子のせいでしょう。黒人のなかで育ち、黒人とフレンドシップを交わしたエミネムには、後天的に同じような細胞が作られたのかもしれません。<8Mile>で描かれた姿は、まさにその瞬間だったのではないかと考えるのです。

    あれから彼は成熟しました。才能のある者がいつまでも同じ場所にとどまるはずがありませんが、スキャンダルとトラブルが報道されるたびに、なぜ余計なところに、エネルギーを使わなければならないのか残念でならなかったのです。才能は誰にでも無尽蔵にあるわけではなく、ムダに消費すればすぐ枯渇することに気づいて欲しかった。
    あああああぁ~、こんなことは余計なお世話かしら。でも世界を変える力を持っているのに、とても惜しいと自分のことように考えてしまうのです。

    エミネムが育った過酷な環境は、わたしには想像もつかないけれど、彼が家族的親密さと愛情を求めたのはアメリカ的風土というべきものかもしれません。ハッピーでアットホームな生活スタイルは、アメリカ人が強く求める幸せ規準と考えるからです。
    音楽スピリットは目には見えないけれど、闇夜のなかの灯のように、悩める者には希望を、幸せに不安を抱いている人にはささやかな確信を、平等に与えられるものだとわたしは素直に信じています。たとえアーティストであれ、リスナーであれ同じだと思うのですが、エムは今、幸せなのだろうか? 嗚呼あ~、またまた余計な心配。でも、徒労に終っても、わたしはどこまでも優しくありたい。エムを見る目もまた優しいと、自分のことなのに遅ればせながら気づいたのです。
    人間稼業はいつトラブルに巻き込まれるか、分かったものではありません。それは安全運転をしていても、暴走車に衝突されるかもしれないのと同じように、自分に原因がなくても、僅かの行き違いで、気紛れの神を呼び覚ますこともあると考えるのですが、不動の信念とまではいかなくても、顔を背けず諦めないで前を見ていけば、解決の糸口もつかむことも可能なのではないでしょうか。少なくともそう信じたほうが肯定的でアグレッシブな人生の楽しみ方ができるのではないかと考えるのです。問題が起きるのは始めから分かっているのですから。順調に物事が運ぶなんて稀なことと、経験から知っているのですから。

    エムには、一ファンを越えた思い入れがあります。それは憧れる恋人を仰ぎ見る熱いハートマークです。わたしは、雑然としたまとまりのない概念を突き抜けた、力強いテーマの設定を期待しているのです。彼は、混乱から立ち上がる逞しい男だからと思うからです。
    そしてその混乱は、プライベートな痴話喧嘩の類ではなく、また不満や皮肉、非難や意味のない言葉ではなく、社会性を帯びたカルチャーとしての問題提起から、MCの神業を示して欲しいと考えるのです。迷える者へのコンパスを、その言葉の美しさで描いて欲しい。
    <Lose Yourself>と訴えたように。

    エムよ!
    ヨロイのような硬い自我を破り捨て、目を外に向けよ。
    美しく煌めき、そして汚れている青い星の世界に☆彡


    Lose Yourself
    Eminem





    Not Afraid




    P.S.
    最近また、名護市長選挙に続いて、沖縄市長選挙(4月22日投開票)の支援要請が西日本を中心に全国に飛び交っているようです。公明党が基地容認に政策転換したことについて、会員の皆さまは何も感じないのか、意見を聞くことがありません。中身より選挙という創価伝統の政治へのスタンスが守られているわけです。もともとリベラルを装った保守であり、動員数を誇りながら圧力をかける手法は、団体活動として珍しいものではありません。その根底に人間一人一人の独自性、独立性、アイデンティティーの深さを持つ仏教運動の思想的根拠の希薄さがあり、人間主義運動の成れの果てという気もしないでもありません。意識が高く、公平な判断力を持ったフル・アクティビティーな青年部が現れることを祈ります。
    信仰の一つの美徳に儒教的忠義がありますが、これはご本尊への忠義であって、会への奉仕のように無自覚に従うことではありません。自由であるよりは上意下達のような服従に、会員は喜びを感じているのかもしれません。信仰は自由を実現することと理解していましたが、そうではないようです。政党支持の自由を掲げたら、どれだけすっきりすることでしょう。元来、政治と宗教では基礎的行動概念が違います。政治は妥協することであり、宗教は妥協を嫌う教義でその骨格ができています。信仰と政治を絡めた脅迫的功徳論、強圧的師弟不二論をかざしての動員の不純さに、そろそろ気づくときです。師はいざとなれば怖じ気づくのか、かつては自分を守れなどと憐れもないことをくちばしりましたが、邪宗の僧等に等しく、偉くなると品性も卑しく落ちぶれるようです。年齢に関係なく忍辱の鎧を着て、一人立つ戦士を菩薩というのではないでしょうか。わたしったらエムより口が悪いですね。


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